3.
首筋にくちびるを寄せると、悠理は擽ったそうに身を竦めた。 「やだ、擽ったいじゃんか。」 抗議の声も、清四郎には誘惑の甘い声にしか聞こえない。 「止めて欲しいですか?」 耳朶の後ろを指先で撫でながら、意地悪な言葉を吐く。 「止めて欲しかったら、僕を好きだと言いなさい。」 「やだよ馬鹿!誰がそんな恥ずかしいこと言うか!」 慌てて膝の上から飛び降りようとする悠理を、両腕で束縛する。その衝撃に、悠理の身体ががくんと揺れて、手にしたグラスから淡いピンクの液体が跳ねて零れた。
「離せ!エッチ!」 口では乱暴なことを言いながらも、本気で抵抗する気がないことくらい、清四郎にはお見通しである。何しろ、悠理はずっと求めて止まなかった恋しい女である。長い間、見つめてきたからこそ、彼女のことがよく分かるのだ。 華奢な肩に顔を埋めて、彼女の身体から立ち昇る甘い香りを堪能する。 「離しませんよ。もう、二度と―― 悠理がどこかへ消えてしまわないように。」 清四郎の言葉を聞いて、悠理の身体から力が抜けた。 そして、おずおずといった感じで、悠理を束縛する手に、小さな手を重ねた。
掌の、確かな温もり。 その温かさに、確かに彼女はここにいるのだと知り、酷く安堵した。
顔を合わせれば喧嘩ばかりの悪友であり、互いの成長を見てきた幼馴染。 それが、清四郎と悠理の関係だった。
しかし、清四郎は、いつの頃からか、悠理をひとりの女性として捉えるようになっていた。だが、悠理のほうは清四郎を男性として見ていないどころか、女性としての自覚すら持ち得ていない。悠理にとって、清四郎は頼りになる同志であり、嫌味な悪友であり、腐れ縁の仲間でしかなかった。
そんな関係が、永遠に続くのかと思っていた。
―― しかし。
卒業を控えた、とある日、清四郎と悠理は婚約した。 二人にとっては、二度目の婚約である。が、今度もそこに愛は介在しなかった。
「せいしろぉ、助けてくれよぉ!」 雪の降る寒い朝、登校したばかりの清四郎を捕まえて、悠理は涙声で訴えた。 「毎日毎日、見合い写真が束になって届けられるんだ!」 悠理のたどたどしい説明によると、剣菱家の一人娘の高校卒業に合わせ、同時多発的に見合い話が持ち上がったらしい。その数といったら膨大で、十や二十ではとても足りない。悠理の絶望的な成績から、進学はせずに花嫁修業をするのではないか―― という噂が、まことしやかに囁かれているのが原因らしかった。
悠理の涙ながらの訴えをすべて聞き終えてから、清四郎は、おもむろに提案した。 「結婚が嫌なら、嘘の恋人でも作って、偽装婚約をしたらどうですか?」 その瞬間、泣いていたせいで真っ赤になっていた悠理の顔が、ぱあっと明るくなった。 「そっか!嘘でも婚約してりゃ、見合い話はこないもんな!」 悠理は清四郎の提案に喜んで、実践に際して必須かつ最重要な項目を忘れている。 無邪気な子供のままの彼女に、清四郎は新たな提案をした。 悠理に悟られぬよう、心の奥に恋心を隠し、疚しさなど微塵も感じさせない笑顔で。
「もし良かったら、僕が嘘の婚約者になりましょうか?」
こうして―― 二人の関係は、少しだけ変化したのだった。
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背景:アトリエ夏夢色様