闇の恋人2

BY 金魚 様

 

 

  「魅録−−魅録はどこにいますの?!」

眼球に刺さったガラスの破片を処置するための精密検査を受なければならないため、必死で呼びかける母の声に呼び覚まされた野梨子は慌てて周囲を見渡した。
とたん、目に激痛が走る。

「野梨子さん!目を動かしてはダメ!眼球にガラスの破片が入っているの!今は動いてはだめ!!」
母が慌てて手を添える。

「ガラスの破片……母様!魅録は?!」
野梨子は蒼白になりながら、母の腕を掴む。

「魅録君も入院しているわ。でも、彼は大丈夫よ。野梨子さんをかばってくれて、肩から背中にかけて大きなケガを負ったそうだけど…でも、野梨子さんが寝ている間、魅録君はドアの外までは野梨子さんの様子を何度も見に来てくれていたのよ」
母が涙を浮かべてICUのドアの外をみやる。

「…魅録、やっぱりあの時私をかばってケガを…」

窓ガラス一面に大きく広がった女から壮絶な視線で睨まれた…。恐怖ですくんでしまったとき、破裂音と共に、光ガラスが自分を襲ってきて…痛みの記憶…その少し前に自分をかばってくれた魅録が苦しげな悲鳴を上げるのを耳元で聞いた。

(魅録−−)
野梨子は大きな瞳から涙をあふれさせた。
が、泣いている場合ではないと、必死で記憶を巡らし、あの瞬間のあの女の顔の左頬に気になる形の痣のようなものがあることを思い出した。

「母様、私を魅録のところへ連れて行ってください−−ダメなら何とかして魅録に来てもらって欲しいの。どうしても、どうしても、大事な話があるんですの」

野梨子が母の手を握って必死で言う。
その時、修平氏がドアをノックして入ってきた。

「大きな声が聞こえたと看護婦が言っているんだが…」
清四郎からあらかたの話を聞いている修平はじっと野梨子を見つめる。

「おじさま、お願いです。私を魅録のところへ連れて行ってください−−ダメなら何とかして魅録に来てもらって……。どうしても、どうしても、大事な話があるんです!!」
蒼白な顔色の野梨子の様子に尋常ではない何かを確かに感じる。
(バカ息子の言うことは事実か…)
修平はふぅむとうなる。

「おじさま!!」

焦った様子の野梨子にあぁ、と軽く手をかざし、遮ると、
「魅録君ならさっきからドアの外でまっとるよ。何度言っても、野梨子君の無事を確認するまでは病室のベッドに入ろうとしなくてね。こちらとしてもこまっとったんだよ。−−野梨子君が外へ出るわけには行かないから、魅録君を連れてこよう。−−ただし、長時間はダメだよ。−−それから…清四郎からあらかたの話しは聞いとるから…同席させてもらってもかまわんかね?」


****************


「−−分かりました。左頬にあざかほくろですね。ありがとう、魅録。−−気になるだろうけど、進展があったら逐一連絡を走らせるから、とにかく身体を休めてください。−−もうかなり熱が出ている頃でしょう?」

魅録から電話を受けた清四郎はそういって、携帯をたたんだ。

午前10時になり、懇意の霊媒師が剣菱邸に到着した。
巫女を従え、室内を霊視して回っている間、清四郎をのぞく3人はソワソワとして落ち着かない。

「−−とにかく、触りなく”霊媒師が到着できる”と言うことは、以前に比べればまし、という事ですよ。みんなそんな顔してないで、元気出してください!」
清四郎にそう言われ、美童と可憐が顔を見合わせる。
「そうよ!野梨子の時のヘビ様だって…美童の時の霊媒師だって、たどり着けなかったじゃない!」

「それから、悠理」
くるりと悠理を振り返る。
「−−なんだ?」
悠理は何かを感じるのか、すでに顔色が悪い。

「お前が一番霊感が強いから、祈祷の間、辛い思いをするかも知れない。身体だって辛く感じるかも知れない。とにかく暴れ出しても”脱ぎにくい服装”に着替えて来い。可憐にもなにかパンツを借りて置いた方がいいと思います。スカートでは…動きにくいでしょう」

「…なんで?なんでスカートはダメなの??」
可憐がおそるおそる聞く。

清四郎はできれば脅かしたくないという雰囲気で言いよどむが、3人の視線を受け、仕方ないと判断して、一気に言った。
「どんな障害が起きてるのかわからないので、誰に憑依するか分からないんですよ−−もちろんそのために巫女さんが来ているわけですが、悠理も可憐もどちらかというと、霊媒体質ですからね。最悪の場合に、みんなの前でパンツさらして転げ回りたくはないでしょ?」

清四郎の台詞にこれから想定されている事態を思い浮かべて女二人は抱き合って顔面蒼白になった。

「−−−−わかった」

”今はとにかく1人になるな!”と言い渡されているので悠理はメイドに洋服を持ってくるように指示した。

予想できる範囲ですべての準備が整い、「祈祷が始まる」と告げられた瞬間、早速悠理の様子に変化が現れた。

「…せいしろ…なんか頭の中で…女の声がする」
頭を押さえて辛そうにうめく。

「…悠理、いいですか?今日は…霊媒師が来ている間は僕が触っても恐らく大丈夫でしょう…辛かったら僕の手を握っていろ。」
清四郎は悠理の目をのぞき込んでそういう。
悠理は思い頭を抱えつつ、えぇ??っと清四郎を見上げた。
「ほんとか??…お前そんなこと言って−−いきなり胸さわんなよ?」

(こんなときまで…この人は!)
「−−そんな心配してる場合ですか?!最悪胸くらい触ったって、仕方ないでしょ?!−−−ホラ!!!」
清四郎が差し出した手にすがっても幸いにして悠理にも清四郎にも何事も起こらなかった。

悠理がほっとした時、巫女の1人が奇声をあげてのたうち回り始めた。

「……!!」
可憐と美童は祈祷師の指示に従って、正座して後座についている。

「−−−−−いよいよご対面ですよ」
清四郎に肩を抱かれて、悠理も必死で目を凝らした。


****************


「…これは…なに?!」

早乙女手中の水晶球が真っ白い煙を映し出していた。
しかしそれは一瞬のことで、また元の無色透明の球に変化する。

「…何か、何かが起こっている…??」

−−教祖との連絡が深夜4時、と決まっている。
早乙女はいらだちを押さえるため、水からの手の甲を噛んだ。−−血が流れる程強く。

それからギリリと歯を食いしばると、大きな手荷物を持ち、ゆっくりと立ち上がった。


****************


(…くそっ。体が熱い…)
肩と背中に受けた裂傷が、魅録に熱を出させていた。
水を求めて、唇が乾く。
魅録はベッド横のテーブルからペットボトルを手に取った。
清四郎達が置いていってくれたものだった。

「…い!!」
キャップを回す動作で背中に激痛が走る。
何とか開栓し、冷たい水を口に含む。

「ふー……」
額に滲んだ汗を手の甲で拭い、息をつく。
(あいつら、大丈夫なんだろうか…)
(−−野梨子の目は…検査はどうなったのかな…)

痛む身体を横たえて魅録は熱に浮かされる。
(−−なんだか、さっきから読経が聞こえる気がするんだよな…。清四郎達が何か始めたんだろうな…)
身体は確かに痛むのだが、ここのところ、かすかに感じていた倦怠感が薄れているように思う。

魅録はいつの間にか眠り込んでいった。


****************


同時刻、剣菱邸では奇声をあげ始めた巫女が床を転げ回っていた。
霊媒師の額にも汗が浮かんでいる。

美童と可憐は手を握りあい、清四郎は悠理の肩を抱き続けていた。

「お前の名は!」
霊媒師が問う。

「…………」
何者か、は答えない。
代わりに、巫女が悠理に向かって這い進みはじめる。

「お前を汚してやる・お前を汚してやる・お前を…」

ガラガラの声でそう繰り返す。
清四郎は悠理の身体をぎゅっと抱き寄せた。
目を見張ってがたがた震えている悠理にそっとささやく。

「悠理、−−何があっても、僕が一緒にいる。−−心配するな」
返事の代わりに悠理も清四郎の身体にぎゅっと腕を回す。
そうしていないと、恐怖で叫びだしてしまいそうだった。

あいかわらず、巫女の1人は奇声を上げ、床をはい回る。
霊媒師が数珠をその額にかざし、追う。

そんなやりとりが長く続いた後、ひときわ甲高い、悲鳴を上げ、巫女がとうとう語り始めた。

「ドキョウヲ ……ヤメロ!!!」

苦しげにもがき、どたりと床に崩れ落ちる巫女が目の前までやって来て、美童と可憐は手を握りあい、腰を抜かしかけた。



****************


(−−これは…)
清四郎が目を見張る。

「ワレハ ダイコウ……スルモノ」
「ワレハ ジュ ヲ……アヤツルモノ」
「ノロイ ハ ウゴキハジメタ……マンガンビマデ アト……フツカ」

「お前は呪術師か!!言え!目的は!!」

「ドキョウヲ ……ヤメロ!!!」
「ドキョウヲ ……ヤメロ!!!」

その後もはい回り、奇声を上げ抵抗を続けていたその者がとうとう告げる。

「ショウチクバイ ミロク……ガ ホシイ  ミロク ニ チカヅク オンナ……ヲ ケガス……ケンビシユウリ ガ……メザワリ……」

人間の声とは思えない重くしわがれた音に一同はぞっと背筋を震わせた。

(松竹梅魅録に近づく女を汚す−−剣菱悠理がめざわり……。−−早乙女由理か!!)
(では野梨子を傷つけたのも…同じ理由ですか…)
(それならば、なぜ魅録を……)
(いや、魅録の場合は、野梨子をかばったために、早乙女にしても不可抗力だったんでしょう…目的は魅録なんですから…でも、そうなら…これが事実なら…−−−魅録が危ない!)

清四郎は霊媒師に合図を出した。
霊媒師が清四郎にだけ分かるようにうなずいて数珠を振りかざした。

「依頼主の名は早乙女 由理!であろう!−−神は全てをご存じだ!あきらめろ!退け!今ここで退きさえすれば、お前を追い込むことはせぬと約束しよう!どうだ!呪術者よ!!返事をしろ!」

「うぉおおおおおおぉお」

苦しげな奇声があがり続ける。


****************


小さくドアをノックする音がしたような気がした。

魅録は熱のため浮かされる身体をもてあましながら、短い眠りから目を覚ました。
「…誰かいるのか?」

唇がカサカサに乾いている。
(…水が欲しい)

先程のペットボトルを取ろうと手を伸ばしたとき、すい、と誰かの手によりボトルが目の前に捧げられた。

「魅録様…」
「お前は!!」

魅録の背筋に緊張が走る。
(早乙女 由理…)

女はまとまりのない長い髪を無造作に後ろで束ね、黒いダッフルコートを着込んでいた。

「…どうぞ、お水が欲しいんですわよね?」
薄く笑みを作り、目の前で、キャップを緩めようとしている女の手を魅録はぞっとして眺めていた。

「……悪いけど、今は……遠慮しておくよ」
感情のない声でそう告げる。

「まあ、そうでしたの?−−すみません、私ったら。ご迷惑でしたわね」
魅録の意思に反することは絶対にしません、とでもいいたげな絶対服従の様子をみせ、女は魅録にへりくだった。
その様子にさらにむかつきを覚える。

(−−確かに、この女だ。確かに、昨夜窓ガラスに映った女は−−)

魅録の頭の中で読経が確かに続いている。
目の前の女には何も異変はないように見えるのだが…。
魅録は勝負に出ることにした。

「早乙女さん…だったよな?」
魅録に名を呼ばれ、女はあからさまに表情を輝かせた。
「はい!…でもよろしければ、由理…と呼んでください。魅録様」

今にもベッドに駆け寄りそうな様子を見せ、早乙女は魅録を見つめる。

「−−俺には、この部屋の中にいても読経が聞こえてるんだけど、−−あんた、聞こえるか?」
「−−−−!!!」

女の表情が一変して毒々しく険しいものに代わった。
魅録は目を細める。

「…おかしなことをおっしゃいますのね?由理には何も聞こえませんわ。魅録様」
「そうか−−それならもう一つ聞くけど、あんた昨夜、俺達と会ったよな?」

(−−まさか…)

早乙女の表情に焦りの色が見え始める。
それへ魅録はたたみかけるように続けた。

「俺の…大事な友達があんたに大けがを負わされたんだ。しらねえとは言わせねえぞ!」

魅録の声にはめったに聞くことのできない凄みが加わっていた。
早乙女は蒼白になった後、頬を紅潮させた。

「……なんの……なんのことだか、由理には分かりかねますが…」
ギロリとこちらをうかがい見ながら、対照的なか細い声で女は言った。魅録のむかつきはさらにましてゆく。

「−−しらねえって言うならそれもいいさ。−−でも、あんた、なんでここに俺が入院してるって知ってるんだ?俺がここに入ったのは早朝で、入院を知ってる人間だって、ごく限られた奴だけなんだぜ?しらばっくれるのには無理がありすぎだろ?え?早乙女さんよ」

魅録にあざけられたと感じた早乙女は忌々しげに舌打ちをし、素早い動きで、バックから水晶球をとりだした。

「……なんだよ。それは」
魅録は嫌な顔をしてそろりと上半身を起こす。

「−−魅録様…もうすぐ、魅録様は由理のものになりますのよ。…ご存じないかも知れませんが…」
クスクスと耳に触る忍び笑いが部屋に響く。

「−−俺が、お前のモノに?」
魅録が静かに聞き返す。
そんな魅録の姿をうっとりとした目で見つめ返して女はうなずいた。

「魅録様が好むと好まざるに関わらず、ですわ。由理のお願いが叶う日まであと2日…。由理は魅録様の為に素敵な別荘を用意させましたの。今日はお迎えにまいりましたのよ?」

女がそう言って、魅録の手に触れようとした瞬間、魅録は自分の手をさっとかわして怒鳴った。

「ざけんじゃねぇ!俺がお前のもんになんかなるか!!」

(憤怒の炎が見えるようだわ…)
怒鳴る魅録の姿を見て、由理は恍惚とした表情になる。

「ああ、なんてお美しい…由理の…由理の王子様…」
「あらがわれても無駄ですのよ…教祖様のお力は充分にそのお体で体験されたはずですわ」
「何も心配されることはないのです。時が来さえすれば、魅録様は由理の事を愛してくださいますわ」

暗い、確信に満ちた目…。
魅録はさらにぞっとする。

唇をなめて、次の言葉を発するべきか、部屋を出ていくべきか迷っていたときにそれは起こった。



****************



 

巫女が口から白い煙を吐き始めた。

「ひぃいっ!!!」
目の前で見ていた可憐が短い悲鳴を上げ、パニックを起こす。
「可憐!しっかり!!」
美童が握っていた手を放し、恐怖のあまり立ち上がろうとする可憐の腰を引き、強引に抱き寄せる。

「放して!美童!!怖い!!怖いのよぉ!!」
顔面蒼白になった可憐が美童の胸を叩いて暴れる。

「可憐!しっかりするんだ!僕につかまって!!−−このままじゃ、魅録が危険なんだよ!わかってるだろ!」
「そうだ!可憐!がんばれ!あたいだって頑張ってるんだぞ!」
「可憐!大丈夫だ!もうすぐ終わるから!」

「……うぅううううう」
口から白い煙を吐く巫女は、数珠をかざし、撤退を促す霊媒師によって、祭壇の前へ引きずり戻されていく。

「さぁ!祭壇から帰れ!お前のいるべき場所へ!!」

霊媒師の祈祷が激しくなり、残り二人の巫女も読経を強める。

「−−ワレノ ノロイハ ジョウジュセズ!!シカシ、スベテガ ムニカエルワケデハナイ!」

「退け!闇のモノよ!!」
霊媒師の怒声が響いた。

勢いよく巫女の口からはき出ていた白い煙が全て祭壇の囲いの中へ吸い込まれるように消えていき、悠理の部屋はしん…と静かになった。

「……終わったの…か?」
清四郎が汗だくになりながら、悠理の身体を抱えなおす。
悠理はよほど疲れたのか、ぐったりとして動こうとしない。

泣き崩れる可憐を美童が後ろからしっかりと抱きしめている。

「…終わったんですか?」
清四郎は霊媒師へ向かい、声をかけた。

しかし、厳しい表情の霊媒師は首を振った。
「ここへ着いたときから、気になっていたんですが…。ひとつの災いは今確かにここを去りました…。魅録君はこれで大丈夫でしょう。…ただし、呪術師の念が伝えてきた、早乙女という女の念が強くて、あと2日間は…悠理さんには辛い2日になると思います。−−それから…」

「−−それから?なんです?教えてください」
清四郎は必死で冷静な声を作る。

「清四郎さんに、もう一人…いえ、もしかしたら悠理さんにも一人、何かが憑いているようです」

美童と可憐がこちらを振り返る。

「−−僕と、悠理…ですか?」
清四郎は頭を巡らせる。

確かに、昨夜窓ガラスで見た早乙女 由理の顔と、昼間に路地裏で遭遇した女の顔や様子はまるで異なっていた。
(霊体験なんて、悠理がいなければ間近にないもので、同一のモノだと決めつけてしまっていたようですな…僕としたことが…)

「大丈夫です。これから、もう一組…と言っていいと思うのですが…。もう一組の除霊を始めましょう」
霊媒師は倒れ伏せてしまった巫女を別室で休ませるために一時休憩を申し入れた。


****************


ガラスが軋む音がした…。−キリキリキリ−−パキン!!!

(−−−え?!)

その瞬間、早乙女の手の中で、水晶球が突然真っ白な色に変わり、大きなひびが入った。

「−−−いやぁああ!!」
いきなり、高熱を放ったそれを女は床に放り出し、球は四方にくだけて散った。

教祖様に与えられた水晶球が熱を帯びて、割れた−−−。
失敗したのだ−−。

早乙女はその瞬間、それを悟った。
悔しさに真っ青になる。

今では魅録の耳だけではなく、早乙女の耳にも読経が届いてる。

「−−終わったようだな」
魅録は静かにそう言った。

(−−魅録様が手に入らない!!)

驚愕に目を見開いた女は錯乱した様子で首を左右に振った。
さらに足下に落ちた水晶の破片の中で一番大きな物を拾いあげ、魅録に向かい振り上げると走り出す。

(−−手に入らないのなら…いっそのこと…)

「−−!!」

いつもの魅録なら、女の攻撃など瞬時にかわしていた。
しかし、今は肩から背中を深く裂傷し、動くことができない。
今度こそ、やられる!!と覚悟した。

−−が、聞こえてきたのは早乙女の悲鳴と、松竹梅時宗の怒声だった。
「話しは署で聞かせてもらいます!。−−魅録、大丈夫か?」
魅録は、助かったと思いつつ、ぽかんとする。
「親父??どうして?」
「いやなに、万作からすぐにお前の所へ行けと電話をもらってな。なにやら奇怪な事件が起きとるそうじゃないか。ドラ息子でも一応大事な息子なんでな」

「サンキュ…」
うなだれて引き連れられていく早乙女を一別すると、魅録は清四郎の携帯をならした。


****************


祈祷が始まってからすでに4時間近くが経過していた。

時計は午後3時を回っており、その間、緊張を強いられていた全員が休憩のため、剣菱家のゲストルームに倒れ込んだ。

休憩を取る、といっても、今はまだ誰一人欠けるわけには行かない。
霊媒師のいうことが真実ならもう一波乱起きるのは確実なのだ。

ぐったりとした可憐をベッドに寝かせ、美童もその隣のカウチへ横になる。
清四郎も一緒に歩いてきた悠理を可憐の隣に寝かせてやろうと、悠理の肩へ手をかけた−−のだが。

「……勘弁してくださいよ…魅録のストーカーは除霊できたんじゃないんですかぁ−−!!」

真っ赤になる清四郎の手はまたしても悠理の胸を後ろから鷲掴みにしていた。

「ぎゃぁあああぁぁぁぁ/////!やめろ!!スケベ!変な動き方すんなーー!!」

「またかよ〜!今度は魅録いないのに、どーすんだよぉおお!」
美童が慌てて駆け寄るが、自分が悠理に触れても同じ結果になったことを思い出し、慌てる。

その間も、清四郎の手の動きは止まらない。
着実に、悠理の服の中に進入しようと防御のために着ていたつなぎのファスナーへ手をかけ始める。
「悠理にさわんないように清四郎だけ引き剥がせばいいのよ!ホラ!美童!」
可憐が慌ててベッドから飛び出し、悠理を正面から抱きしめる。

「よ、よし!悠理!動くなよ!!」
美童が、清四郎を捕まえ、何とか引き剥がす。

と同時に4人とも脱力して床に座り込む。

「なんなんだよ…早乙女の件は終わったんじゃなかったのかよ…」
悠理が真っ赤な顔で清四郎を見上げる。

「……そう言えばさっき、早乙女の念が強すぎて、悠理には辛い2日間にって…言われてなかった?」

可憐がちらっと清四郎を見る。
「…悠理に辛い2日間って…よーするに、僕らが触るとこーなるって辛さなんですかね??」
清四郎は赤くなり、がっくり頭を落とす。
「…悠理、頼むから僕に触らないでね」
美童がつつつと悠理から遠ざかる。
「ざけんな!!お前が近づくな!!///被害者はあたいだってば!!」
悠理が大声を上げる。

それを見て、可憐がため息をついた。
「なんだよ…」
悠理がじろりと横目で見る。
「ご・ごめん…だってさ考えたのよ」
可憐が気の毒そうに悠理を見つめた。
「いくら魅録が好きだからって、…人を呪う時点でもちろん間違ってるんだけどさ。−−でも、呪いをかける”方法”を誤ってるわよねえ!あの女!−−悠理を呪い殺したい!とかならまだ”呪い”らしい…って変な言い方だけど、悠理に触れる男達に襲わせるって……」

「「根が暗いよねぇ」」
美童と可憐の声が重なる。

「……だからこそ、思いつくんじゃ?」
二人を見つめた清四郎のがっくりした声に、4人でしばらく呆けてしまった。


****************


2時間休憩を取り、その間に冷や汗をかいた4人はシャワーを浴び、食事をとれるだけ口にし、再度準備をした。
悠理と可憐は今度は完全防備でファスナーの上にさらに飾りボタンのついたつなぎを着用した。

「悠理、あんた胸に”サラシ”でもまいといたら?清四郎に触られても平気なようにさ」
可憐が真顔で言う。
それを聞いていた清四郎が
「…変わらないんじゃないですかねぇ?」
と迂闊なことをいい悠理からの蹴りをもらった(もちろんかわすが)。

「魅録からの連絡では時宗さんが早乙女を現行犯で連れて行ったそうです」
「現行犯?!何の?あいつ、魅録のとこに行ったの??」
美童が青くなる。
「−−魅録は無事なのか?!」
こちらも青くなって詰め寄る悠理に清四郎はチクリとする胸を押さえ込む。
自分の声の調子が変わらないように意識を集中させた。

(−−僕のこの感情はもしかして…嫉妬??なんですかね…)
じっと悠理を見下ろしながら清四郎は首を傾げる。

「割れた水晶球の破片で飛びかかってきたところを傷害罪で…と言ってました。寸前で待ったが入ったそうですので、魅録は無事ですよ。良かったですね。とは言っても、未遂ですので話しを聞いたら解放になると思いますが…」
「良かった−とはいかないのね…」
その可憐の肩にぽんと手をかけて、つとめていつも通りに振る舞う。

「ひとつずつ、解決しましょう。終わりがない事なんかありません!」
「ん。そうね」

その時、再度霊視を始めますと連絡が入り、4人は悠理の部屋へ向かって移動していった。


****************


午後6時半、全ての準備が整い、再度霊視が開始された。
霊媒師が祭壇の前に立ち、清四郎と悠理を最前列に座らせる。

さらに長い数珠を二人の首からかけると、緊張した面もちで告げた。
「−−始めますよ」

さしもの清四郎もうなずきつつも緊張で嫌な汗を全身にかき始める。
隣の悠理はすでにソワソワとしていつも以上に落ち着きがない。どうやら座っていることすら辛い様子だ。

「−−悠理、大丈夫か?」
「−−清四郎、…頭の中で女の声がずっとするんだ…なんか名前を呼んでて…」

「…なんと言っているか分かりますか?」
霊媒師が悠理に数珠を向けて訊ねる。

「や…ひち…?かな?」
「−−やひち?ですか」

清四郎が問いかけたとき、霊媒師がジャラン!と大きく数珠を振りならした。

「うぁっ!!!」
「悠理?!」

−−−悠理の身体がビクン!!と跳ね、その様子が一変した。

(美童…息苦しくない?)
(…ああ、感じる…可憐、大丈夫?)
二人はそっと目を見交わした。

見えない”何か”が部屋の中一杯に広がる気配をその場にいた全員が感じ取った。
空気がねっとりと重く、呼吸に必要な酸素が薄くなったように感じる。
何人かが息苦しさを感じて自分の喉元へ手をかけた。

(−−この感じ、昨夜、早乙女が出てきたときと似ている…が、何かが違う…)
(なんだ、僕の中でも何かの声が聞こえるような気がする…)

清四郎が自分の頭の中へ意識を集中させかかったとき、ゆらり、と悠理が立ち上がった。
それは機敏な悠理の動きではなく、すでに別の存在だった。
清四郎はハっとして悠理の動きを目で追った。

「やひち…ろう…さま…。お会いしとうございました…」
言いながら、その女は涙を流し、"清四郎"を見つめた。

悠理の口から発せられたのはすでに、悠理の声ではなくなっていた。

「お前は?お前の名は?!」
霊媒師がすっと清四郎と女の間に数珠を差し入れる。

−−その瞬間、女の目がすっと細められ、霊媒師を睨みあげた。

「私の−−邪魔だては許しませぬ!!」

女がそう叫んだとたん、部屋中の照明が一気に破裂し、室内は真っ暗になった−−。
部屋の中に夜風がザアア…と流れ込んできた。

(どこかの窓かドアが開けられて!!−−しまった!!)
霊媒師の慌てる声がする。

「ロウソクをつけろ!!」
「用意して置いた懐中電灯があっただろ?!急げ!!」

「きゃああ!!」
巫女達が次々と明かりをともして周囲を確認したとたん、可憐が悲鳴を上げる。

「−−清四郎と、悠理がいない!!」
「なんだって?!」
美童も立ち上がる。

彼は開け放たれている3階の窓の外をのぞいたが、剣菱邸の庭が広がるのみですでに二人の姿は確認できなかった。


****************


(……ここは……)
清四郎の意識が戻ったとき、辺りは暗闇に包まれていた。
何の音も聞こえない。まったく何も見えない。

−−−静寂−−−

清四郎はこれ以上の静寂と暗闇を体験したことがなかった。
どこから何が現れてもなんの対処をすることもできないだろう。

じわじわと恐怖感がこみ上げてくる。

耳、鼻、口、目…全身の毛穴…
体中の穴という穴からねっとりとした闇が体内へ進入してこようとするような悪意さえ感じる暗闇だった。
背中を冷や汗が幾筋もつたって落ちる。

(ここはどこなんだ?)
(さっき、僕と悠理は御祓いを受けていて…悠理の様子が変わって…)

「−−−そうだ!悠理!!」

清四郎は暗闇の中必死で手を伸ばした。隣に座っていたはずの悠理の姿を求めて。
手を伸ばすとすぐに温かい人肌に指先が触れた。まるで清四郎が手を伸ばすのを待っていたかのように。

「−−悠理?」

清四郎は安堵してそっと引き寄せる。
確かに悠理だと思う。
フワフワの髪の毛、なめらかな肌の感触。

「悠理、大丈夫ですか?!」
闇の中、悠理の様子は見えないが、そっと腕に触れられ、清四郎は緊張をときかけた。

−−−その時!

「弥七郎様…。お会いしとうございました…」
悠理のものではない声音が腕の中から聞こえてきた。

清四郎はその瞬間、恐怖のために呼吸の仕方を忘れた。

ひっっひっっと情けないとは思うが、恐怖から、うまく酸素を取り込めない。
それなのに、手は悠理の身体にはりついて離れないのである。

(−−悠理を守らなければ−−)
恐怖の中に存在する悠理に対する思いをかき集めて、清四郎は問いかけた。

「−−お前は誰だ?悠理をどうしたんだ!」
「峰(ミネ)でございます…弥七郎様」
峰、と名乗った女は清四郎の手が己の胸元を這い進むのを自らの手を添え、服の中へと迎え入れた。

「僕は…菊正宗清四郎だ。そんな名前ではない!」
清四郎は何とか悠理の胸から手を放そうと渾身の力を自らの腕に込め、抵抗する。
しかし、早乙女の呪念のためか、目の前の”峰”の仕業かはわからないがまったくの無意味に終わる。

指先は確実に悠理の身体から衣服をはだけさせ、辿ってゆく。

「覚えていらっしゃらなくても、あなたは弥七郎様なのですわ。峰はあなたさまが転生されるのを長い…長い間お待ち申し上げておりました…」

女の声が涙に震える。
清四郎は必死で理性をかき集める。

「なぜ、僕を弥七郎と呼ぶ?弥七郎とは誰だ?お前はその男とどんな間柄なんだ?」

暗闇で、猫のような瞳がきらりと光った気がした…。


****************


ぽっと鬼火が灯り、清四郎と峰から少し離れた場所に暗黒のスクリーン…のようなもの…が設けられた。

(人影が…?)

映像ははっきりしない。が、暗闇の中、人影や建物の形状だけは伺い知ることができた。

「思い出していただけたら、峰は幸せなのでございますが…」
清四郎の手を裸の胸に受け、峰という女は背をそらす。
その唇からは愉悦の声が漏れはじめる。

清四郎は己の身体も熱を持ってくるのを感じ、なんとか気を逸らそうと目の前に現れた映像に意識を集中させていった。


****************


(徳川家の旗が見える…?)
(徳川の時代…慶長5年前後ですか…)
清四郎は目を細め、必死で映像を見つめる。

とある村に”天野 弥七郎”という男がいた。
大変な切れ者で、人望も厚く、百姓の相談役のような存在だった。

その男を慕う女がいた。
女は両親を飢饉で亡くし、男が日々通う寺で養われ、18歳となった今は寺子屋で先生をして和尚を手伝っている。

そしてまた男も女を慕っていた。

(外見は確かに僕と似ている…しかし、女の方は悠理とは似ても似つかない…)
(路地で見たあの女か−−!!)

村を飢饉が遅い、年貢を納めるのが厳しい年、代官と庄屋が結託して己の私腹を肥やそうと画策した。
代官の目には寺子屋の娘が止まった。庄屋は「百姓一揆を計画していた」と男を告発。

その前夜、不穏な動きを察した男と女は生まれて初めて床を共にし、夫婦になる約束をし、迎えた朝、男は無実の罪で投獄されることとなった−−。

男は壮絶な責め苦の後、兵糧責めにあい、餓死、その寸前、代官の元へ女が召されたことを牢番に告げられ、舌を噛み切り憤死する。

「我らを陥れたもの、必ず子々孫々の耐えるまで追い込む!!。−−必ずや我を葬る墓は我をおとしめた者の家屋が見える場所へ!!」
そう遺言して。

峰という美しい女は、2月に渡って監禁され、さんざん慰み者にされた。ようやく逃げ出した女は男の墓の前で自ら命を絶った−−−。


「いつの世か必ず貴方を探し、再び巡り会い、そして貴方と共に…その時はこの子を今度こそ産み…」

峰のお腹には弥七郎の子が宿っていた。
しかし、それに気付いた代官に散々な狼藉を働かれ−−−。

−−代官と庄屋の一族はその後数十年間の間に不信死が相次ぎ血縁はすべて耐えてしまった。

清四郎の目には血を吐き、のたうちまわる侍姿や事故死する姿が次々に目の前に繰り広げられ、最後は墓地の画像が飛び込んできた。
清四郎は強い吐き気を催してきた。身を二つにおり、えづきをこらえる。

その時、ふっと両手の拘束がとれた。

「弥七郎様の魂は輪廻転生を経て、あなた様の身体へ…。峰は、弥七郎様の魂を追って、長い、長い間一人さまよってまいりました…」
「そしてようやく弥七郎様と同い年になられた…あなた様へたどり着いたのでございます…」

不意に周囲の様子が見えるようになった。

(ここは…)
「−−剣菱邸内の東屋か?」

悠理の部屋とは反対方向の広い庭の一角にある万作氏自慢の東屋のひとつだった。
毛足の長い敷物が敷き詰められ、室内はあたたかく清潔感にあふれている。

清四郎の身体にやっと日常の感覚が戻ってくる。

「峰の願いはただ一つ…」
つ…と清四郎の喉もとに女の指が触れた。

「あなた様が欲しい…。心も…身体も…その魂まで。スベテガ…」


****************


清四郎の両手は再び悠理の身体へと吸い寄せられる。
峰は誘うように、敷物の上に横たわり、清四郎の背中へ両手を回す。
清四郎は歯を食いしばった。
腕の中にいるのは、”悠理の身体”だ。しかし、中身は悠理ではない。
峰の呪縛か、早乙女の呪念かは定かではないが、自分の両手は悠理の肌へ吸い付いて、勝手に愛撫を繰り返す。
その肌の感触も、意識も自分のものなのだから、自分の身体が反応していくのをどうすることもできない。

悠理の白い胸をなぞり、耐えきれず甘い匂いをかぐ。
清四郎は新鮮な酸素を求め、呻いた。

−−欲しくて欲しくてたまらなかった。

”峰”ではなく、”悠理”が。
たとえ、意識がなくても腕の中にいるのは悠理に間違いはないのだから。


****************


「弥七郎様…」
腕の中で涙を流し、自分の首に白い腕を絡めてくる半裸の”悠理”。

清四郎は人よりも多めに持ちあわせていると自負している理性が崩れかけるのを必死でこらえていた。
せめてもの抵抗にと、断続的に悠理の意識に叫びかけを続ける。

「−−悠理…悠理!!」

自分の全身から玉のような汗が噴き出してくるのがわかる。
叶わなくても、自分の意志ではない両手を操る力に必死で逆らい続けていた。
筋力的にも限界がきていた。

(−−さすがにこれ以上はもちませんね)
(肌の感触も、匂いも…この温かさも本物の”悠理”のものなんですから…)
(でも、意識のない悠理に手を出してしまったら−−)
(悠理には許してもらえないでしょうな)

清四郎に最後の最後まで暴走をくい止めさせていたのはその一念だった。

(こんな事になって、初めて自覚しましたよ)
(僕は…悠理に惹かれています)

「−−クソっ!!−−悠理!起きろ!悠理!!聞こえてるんだろ!?」

「−−無駄ですわ。弥七郎様。人間の女が私の呪縛から逃れられるわけがありませんもの…。さあ、それ以上あらがわれず、峰を抱いてくださいまし…。あの夜のように…」

はらはらと涙を流し、自分を抱いてくれ、と懇願する”悠理”。
清四郎の腕から理性の力が抜けようとしていた。

「−−!!悠理!僕の声が聞こえませんか!?−−悠理!!このバカ!!起きろ!!こんな女に負けるお前じゃないだろ!!−−お前はいいのか!!−−このまま起きなかったら、僕に犯される事になるぞーーー!!!」
清四郎は最後の気力を振り絞って悠理の意識に叫びかけた。
(−−もうこれ以上は耐えられません!!)
自由の利かない両手にあがらうことをあきらめ、清四郎は心の中で悠理に詫びを入れた。



 

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