御祓いの途中で消えてしまったこと云々よりも、”可憐と美童だけが知っている事実”があるだけに二人は顔面蒼白になって叫び続けていた。
「どこに行ったのよぉ!!−−悠理!!−−清四郎!!」 家中を走り回りながら泣きの叫ぶ可憐の声が剣菱邸に木霊していた。
「清四郎!!悠理!!どこだーー!!」 同じく、美童が庭に出て大声を上げる。 が、外はもうすっかり暮れていて、見通しが利かない。真っ暗な庭を眺めながら美童は唇を噛んだ。 (−−こういうときは剣菱邸の広さが仇になるな…)
今、清四郎と悠理を二人きりにしたら、確実に悠理の身が危ない。
「−−可憐!!どうだった?」 美童が室内へ走り込んできて、見つけた可憐に息を切らしながら叫ぶ。
可憐は泣きながら首を振る。 「…もうダメ…。きっと悠理、やられちゃってるわ。だいたい、力じゃ清四郎に叶う女なんていないのに、あんな…。−−ごめんね、悠理。約束したのに−−守ってあげられなくて…」
可憐は両手で顔を覆ってわっと泣きだした。 美童がそっと可憐の肩を抱いて慰める。
その時、美童の携帯が鳴り始めた。
****************
一方、悠理の部屋では再度祈祷の準備が始められていた。 意識を取り戻した巫女を従えて祈祷師が祭壇にたつ。
「遠隔除霊を始める!−−現在の清四郎君達の正確な位置はわからないが、二人の気配と霊の気配は確かにこの屋敷内に感じる!−−時間がないぞ」
先程二人が座っていた敷物の上に二人の変わりになるカタシロ(白い紙で作った人型)を置き、二人の私物を沿わせる。
(−−先程、古い時代の映像が目の前に飛び込んできた。あれは確かに霊からのメッセージだ。…あの映像が真実ならば、女の霊が望んでいるのは悠理さんではなく、清四郎君の命が危ない!!)
祈祷師の表情が重々しいものに変わる。 「−−我が言葉は神の言葉を伝えるもの成り。闇の世界の住人よ!我が言葉を聞け!」 数珠を振り上げ、再び祈祷が開始された。
****************
「う…う…ん。あ…あ…」 身体の線を男の指で辿られて、”悠理”があまやかな声をあげる。
清四郎が己の腕に対する抵抗をやめた頃から、”峰”は清四郎に語りかけることをやめていた。 自由にならない両手に従って、悠理の腕からつなぎを抜き取ると下着を取り去られた真っ白な上半身があらわになる。 「−−−悠理!!」
清四郎は真っ白な悠理の上半身をかき抱く。 その胸に頬を寄せ、体温を感じる。 胸のふくらみの下へ唇をつけ、舌で悠理の肌の甘さを確かめたとき、”峰”の叫びがあがった。
「おぉおおおおお!!!!」
悠理の声とは似ても似つかないその声に、清四郎は意識を取り戻した。 顔をあげて、”峰”の様子をうかがう。
「−−読経が…読経が聞こえる!!おのれ!あの祈祷師!どこまでワレノ
ジャマヲ
スルノカ!!−−シマツシテクレル!!」
(祈祷が再開されたんですか!!)
悠理の身体から、黒い影のようなものがごぉお!!と音を立てて、飛び出していくのが清四郎の目にうつった。
更に、ふっと自由になった自分の腕を確認して、清四郎は驚喜した。 目の前の悠理が支えを失ってどさりと自分の上に崩れ落ちてくる。
「う……」 「悠理!−−悠理!?」 なんとか受けとめてあぐらをかいた姿勢の上に抱き起こす。
「悠理!!頼む!目を覚ましてくれ!!」 「ん…」 白い喉をのけぞらせ、悠理が苦しげに呻く。 「悠理!しっかりしろ!!」 「…せい…しろ?どこ…?」 目を閉じたまま、悠理が清四郎を呼ぶ。
「僕はここです!悠理!目を開けろ!」 必死で呼びかけるが、悠理の意識は混沌としている。 額には次第に玉のような汗が浮かび、何かと必死で闘っているような苦悶の表情が浮かび始める。 (−−”峰”が悠理の身体を離れたのはついさっき感じた。−−悠理がこんなに苦しむのは…”峰”か?−−早乙女か?)
「う…せいしろ…たすけ…。あの女があたいを…あたいを襲いに来る…!!」 悠理の目がどうしても開かない。 「悠理!目を開けて!−−”あの女”は早乙女ですか?!」 「そうだ…ああ−!清四郎!怖い!!怖いよぉ!!」
目を閉じたまま、両眼から涙を流し、悠理は清四郎に抱きついた。 清四郎も”峰”の手によって、上半身の衣服をはだけられている。 裸の肌が密着し、清四郎は息を飲んだ。
****************
「−−早乙女さん!!!迎えに来たわよ!」 警察署を出てきた早乙女由理を可憐と美童がにこやかな表情で両側から拉致し、止めてあった美童の車に引きずり込んだ。
「な!!何を!」 (黄桜可憐!−−美童グランマニエ?!)
魅録を襲った件で、事情聴取を受け、未遂ということで釈放された早乙女は二人の表情を見て、青くなった。 早乙女を後部座席に引きずり込み、ロックすると、美童は運転席へ滑り込んだ。
車を運転している美童は前方を向いてはいるが、可憐ですらこれまで見たことがないほど、怒りを露わにしている。 可憐は文句を言おうとする早乙女を強くひっぱたき、驚いて固まる早乙女の両手首・足首を強引にガムテープで束ねあげた。 さらに自分のバックを引っかき回し、ハサミを取り出し、真剣な表情でそれを早乙女に向ける。
「な−−!!」 早乙女が真っ青になった。
可憐は構わずに怒りを露わにした。強い口調で怒鳴りつける。 「−−いい?いっとくけど、脅しじゃないわよ。親友の命と貞操がかかってんのよ!−−髪をきられたくらいじゃ人間は死なないけど、水晶球の破片で斬りつけられたり、変な呪術かけられたりしたら死んじゃうのよ!」
「−−−!!」
「一度しか言わないから、よく聞きなさい?。−−あんたが頼んだ呪術者はどこにいるの!?なんて名前?!どんな呪いをかけたの?!−−今すぐ、正直に答えないと、あたしは本気で−−−ううん、−−髪切るぐらいじゃすまないわよ!!あんたの頭、丸刈りにしてやるから!!−−−−そんなことされたって、人間は死なないんだからね!!ふざけんじゃないわよ!このバカ女!!」
18年間生きてきて、ここまで人を罵倒するのは初めてだった。 可憐は真っ赤な顔で肩で息を切らし、早乙女の返事を待った。
「−−あたしは本気だって言ったでしょ!」
しかし、上目使いに可憐の様子をうかがっている事に気付き、遠慮なくハサミを繰り出した。 ジャキ!ジャキ!と嫌な音がして、早乙女の髪が耳の上辺りからばっさりと切り落とされていく。
「いやぁ!!やめてぇ!!」 本気で髪を切り落とされ、早乙女が泣き叫ぶ。 「嫌なら早く放しなさい!本当のこと言わないと、本気で丸刈りよ!!あたしは急いでるのよ!あんたの暇つぶしに付き合ってる時間なんかないの!言いなさい!!」
三度目のハサミを振り上げたとき、早乙女が降参した。
****************
「悠理−−」 温かい悠理の肌を引き寄せ、思わずその唇を奪う。 「−−−!!」 悠理の裸の胸に触れ、その先端を刺激する。 ギリギリまで耐えてきた欲望が悠理の肌に触れて、清四郎の中で限界を超える。
「あ…!!清四郎!何を!!」
清四郎は悠理を柔らかい敷物の上へ横たえ、自分の身体を重ねていく。 「悠理…僕はお前を愛しています。お前が許してくれるならばいつも必ずお前の側に…います。だから、許してください」 「許してって何を…あ!!」
腰にまるまっていたつなぎを悠理の腰を浮かせると一気に脱がせてしまった。
「お前に意識があったのか、なかったのかはわかりませんが、さっきの”峰”がお前の身体に戻ってきたら、意識のないお前を犯してしまう事になる…。僕は本気でお前を愛しています。だから、たとえお前を…犯してしまうことに変わりはなくても…どうせお前に嫌われてしまうなら、僕は”お前を”抱きたい!!」
激しく口づけられ、悠理は呼吸をさらわれる。 両胸を掴まれ、強く、弱く撫で上げられる。 悠理は驚いて身体をよじろうとするが、自分の脚に清四郎の脚が絡まって動けない。
放心していると、最後の下着に清四郎の指が進入し、敏感な部分を押しつぶしてきた。 「−−あぁあぁあああ!」 初めて知る感覚に悠理の叫び声があがる。
それでも悠理の目は開かない。 開けたくても、どうしても開くことができないのだ。
「悠理、身体の力を抜いて!できるなら乱暴にはしたくないんだ!」 「せい…しろ…やめ…あぁあ…!」
リズムをつけ、繰り返し、繰り返し…敏感な部分を責め立てられ、悠理は嬌声をあげ続ける。 清四郎の指は温かく濡れ、悠理の身体が反応していることを感じる。 逃げまどっていた悠理の脚から次第に力が抜けてくる。 清四郎は休むことなく悠理の感覚を高めていった。 ついに悠理が叫び声をあげる。
「せいしろ…あたい、変になる……もう…だめ…ダメ!ああぁあ!やめて!!」 「悠理!自然にまかせろ!−−大丈夫だから」
「いやだあぁああぁあ!!!」
清四郎の背中に爪をたて、悠理は両足を痙攣させる。 一端悠理が落ち着くのを確認してから、清四郎はゆっくりと悠理の中心に自身を沈めていった。
****************
突然、祭壇の前のロウソクの1本が突然ごうっと大きな炎を作りだした。 除霊中の室内に冷たい空気が走る。
3人の巫女の中の一人がゆらりと立ち上がり、祈祷師の数珠から視線を逸らすように身体をかわしながら怒声をあげる。 「−−おのれ!おのれ!身の程も知らず、我の邪魔をするものよ!」
(−−出たな…。先程の気配の主。…心して隙を見せまいぞ) 緊迫した室内の空気に祈祷師はすっと表情を変える。
「現れたな”峰”。先程、お前が送ったメッセージは私も受け取った。ここはお前のいてよい世界ではない。手伝ってやるゆえ、成仏せよ!」 「黙れ!黙れ!−−お前などに成仏させられる峰ではないわ!!弥七郎様をこの腕に取り戻すまでは!」
「−−男はすでに成仏しておる!お前のための報復は男の念によってすべて終わっておろう!お前もそのことは知っているはず!これ以上、ここにとどまっているとお前が悪霊と化し、恋しい男の元へ送ってやることすら叶わなくなってしまうぞ。素直にうなずいてゆけ。極楽への道を開いてやるから−−どうだ?峰よ」
「弥七郎様が…峰を置いて成仏している…と?」
祈祷師の言葉に峰の声の様子が一瞬変わった−−。祈祷師は慎重になる。
「そうだ。お前にも感じられるはずだ。お前が求めている”清四郎”は確かに弥七郎の転生だが、弥七郎ではない。清四郎を求めても無駄なことだ」 「…………」 「わかったか?わかったのならば、祭壇の前より成仏への道を開いてやるから両手を合わせよ!峰!」
「…………などに…」 「なんだ?聞こえぬぞ!何と言った!」
「−−お前などに峰は動かせぬ!!峰は弥七郎様の魂を連れてゆく!」 「そうはさせぬ!!何があっても、お前の妨害をし、成仏させる!」
「うぉおおおおお!!うるさい!!」
どんっと目に見えぬ、大きな衝撃があり、風が祈祷師の胸から背中へ抜けていった。 (−−しまった!!)
峰が目の前から去ってしまった事に祈祷師の表情に初めて焦りの色が浮かぶ。 読経を強め、清四郎と悠理の気配を辿り、その身の回りに結界を張り巡らせる努力をする。 (間にあってくれ!!)
(二人を守る結界を−−神よ!!)
更に矢継ぎ早に印を切り、お札を神火に投じ始めた。
****************
可憐が必要な情報を聞き出し、美童が魅録の携帯へ連絡を入れた。 早乙女の言葉が嘘だった場合を考慮して、手足のガムテープはそのまま車内へ拉致したままだ。
「まってろよ!悠理!清四郎!」
魅録は発熱のためびっしょりと汗をかきながら時宗の部下に持ってきてもらったノートパソコンのキーを操り続ける。 早乙女のPCへ進入し、必要な情報を取り出し、教祖の足取りを追う。
情報発信地域を絞り出すのは簡単だが、細かい地域を限定するのは困難を極める。
実在する人間の名前とおおまかな情報を手に入れ、作業時間を短くするためにコピーを時宗へ送る。 後は警察の人間に分業し、詰めてもらうしか時間短縮方法がないと判断した。
「とりあえず、○市××区だ!美童!車をこっちへ回してくれ!俺も行く!!」
魅録は通話を終了すると、野梨子の様子を確認しに、病室を移動した。
「野梨子は?」 ICUの入り口で野梨子の母にすれ違い、声をかける。
見ると、野梨子にそっくりな真っ赤に泣きはらした目が痛々しい。 「魅録君、寝ていないとダメよ−−心配してくれてありがとう。野梨子は大丈夫よ。ついさっき、手術室へ入ったところなの。検査結果はそうひどくなかったから、長時間にはならないと…先生はおっしゃったわ。大丈夫…だから、大丈夫よ。ごめんなさいね。母親ってどうしても心配で…」
大きな目から涙がこぼれるのをみて魅録は言葉を探した。 黙って、ポケットの中をさぐり、出てきた中身を野梨子の母に手渡した。
「これ…野梨子の手術が終わったら、枕元へでも置いてもらえますか?」 「これはキー?」 野梨子の母が掌の中の鍵の束を見る。 魅録はうなずいた。 「−−すみません、今俺、何にも持ってなくて…これだけはいつも肌身離さず持ってるから。仲間が側にいてやれなくてごめんって伝えてもらえますか?これは、俺が一番大事にしてるバイクのキーです。きっと…野梨子なら見えなくても触れば分かります。本当は側についててやりたいけど、どうしてもいかなきゃいけない所ができて…。でも、終わったら一番に戻ってくるからって伝えてください。野梨子に大丈夫だから心配するなって」 「ちょっと待って!魅録君、どこへいくの?!あなたは入院中なのよ!?」
野梨子の母が魅録の腕をそっとつかんだが、魅録はそれを放すと言った。
「…おばさんも聞いてましたよね?野梨子の話。…あれは本当の話です。今から俺と仲間達でその後始末を−−」 そういうと、魅録は走って病院の玄関へ向かっていった。
****************
「悠理…!!」 清四郎は侵入を開始した。
初めての絶頂を迎えた悠理の身体は途中までは柔らかく順調に清四郎を飲み込んでいった。 が−− 「イタ!!」 内部の壁に突き当たって、悠理が悲鳴を上げる。
「悠理、力を抜いて…息をはけ。痛みが軽くなるから」 「−−そんなんできないよ!ッツ!!」 開かない目がもどかしく感じはするが、先程から早乙女の残像がぴたりと見えなくなっていることに悠理は気づいた。
「せいしろ…」 悠理は開かない目を清四郎の方へ向けた。 「なんだ?悠理?…辛いのか?」 悠理の身体に少しずつ侵入しながら、清四郎は閉じた悠理のまぶたにキスをする。
(悠理の目が見たい−−−)
「−−清四郎、教えてくれよ。−−今してる、”これ”も清四郎の意思とは違う行為なのか?それとも、今は清四郎の意思なのか?」 悠理が真っ赤な顔で問う。 清四郎は悠理の頬を両手でそっと挟んだ。
「悠理の意識が戻ってから、僕の両手は僕の自由意思で動いてますよ。−−だから、これは−−−僕の意思です」 「−−−!!」 「悠理、僕はお前を愛してます。−−こんな状態で言っても信じてもらえないだろうとは思いますが…」 「清四郎…」 悠理は目元を赤く染めて、清四郎を見上げようとしている。 清四郎は狂おしいほどの欲望に突き上げられる自分を自覚した。
−−これ以上は耐えられない。
「初めてのお前相手に、ひどいとは思いますが、昨日今日でさんざんお前に触れて、僕は−−これ以上我慢できません。悠理−−後で存分に恨み言は聞きますから−−許せよ!」 「−−あっ!!」
清四郎は一気に悠理の身体を突いた。 準備のできていた悠理の身体は怪我をすることもなく、清四郎を迎え入れる。
「んん…」 「−−悠理、動きますよ」
その後、悠理は自分の身体がどうなるのか、わからなくなった。 繰り返し繰り返し突き上げられ、押し上げられ。 目を開いて清四郎を見ることもできず、ただ、清四郎を確認するために必死に清四郎の身体に手を回し、清四郎の匂いを確かめていた。
「−−悠理!悠理!!」
自分の名前を立て続けに呼ばれたとき、身体の奥で清四郎が震えるのがわかった。 悠理は反射的に清四郎の背をそっと撫でる。
「清四郎…」 「悠理…」
***************
病院の玄関に一台の車が走り込んできて、運転席から美形の外国人が顔を出す。 「来たよ!魅録!!」 「よし!だいたいの位置はつかめてるんだ!行くぞ!美童、可憐!」
返事をしたのはこちらも周囲の注目を集めるピンク頭。車内に同乗している女はすこぶるいい女だ。 周囲の視線を集めない方がおかしい。
注目を浴び、病院の玄関から美童の車へ飛び乗る魅録の姿を見て、菊正宗修平はため息をつく。 「…行かせてしまっていいんでしょうか…?」 野梨子の母が心配げに修平を見上げる。
「…言っても聞く輩じゃないですし…。今回の話はどうやら嘘ではなさそうですな」 「…呪い…の件ですの?」 修平が難しい顔でうなずく。 「私個人としては懐疑的ですが、今回は…小さな頃から知っている野梨子君の話に嘘があるとはどうしても思えないんです。それと−−」 「それと?なんですの?」 修平は不安げな声の主をそっと見下ろす。ふっと笑みを作って、背筋を伸ばし、言った。 「−−子供達の性格やものの感じ方はお隣同士、よく知っていますよね?−−ここは子供達を信じることにしましょう」 なすすべのない大人二人は野梨子が入っている手術室のランプの明かりが消えるのを今はとにかく待つことにした。 手術の成功と、子供達の安全を祈って。
****************
「魅録、あんた顔が赤いわよ。熱がひどいんじゃないの?!」 「−−大丈夫だよ」 ぶっきらぼうに答え、助手席に沈むように座った魅録のひたいに可憐が後ろから手をあてる。 「−−すごい熱…魅録…」 「大丈夫だ。可憐、今は俺の心配してる場合じゃねえだろ?−−何かしてくれるんなら、わりぃけど、なんか飲むものないか?喉が乾いて仕方ないんだ」 魅録がだるそうにシートに沈む。 「−−あるわ!さっき余分にかっといたの。ミネラルウォーター…よりスポーツドリンクの方がいいわね。今は」
ケガをしてからボトルのキャップを開けるのに苦戦した記憶が浮かんだ魅録は、当たり前にキャップを緩めてからペットボトルを差し出す可憐に感心した。 「−−さすがに可憐はいい女だな。サンキュ!」
こちらを見もせず自分を誉める魅録の言葉に可憐はクエスチョンマークを飛ばしたが、思わず真っ赤になった。 「−−誉めてくれんのは嬉しいけど、突然よくわかんないほめ方しないでよ!恥ずかしいじゃない!!」 「いいよ。わかんなくても」 魅録は楽しげに笑った。
可憐はふと気付いて隣の早乙女にも水のボトルを差し出した。 「あんたも飲む?」 手足を拘束しているので、ストローを差し入れて口元へ添えてやる。 喉が渇いていた早乙女は無言のまま可憐の差し出す水を飲んだ。 先程から車内に魅録の姿があるので、椅子に座らされたまま、食い入るように魅録の姿を見つめている。
(妄執にならなければ、この子だって普通の恋する女の子なのよねぇ…) 可憐はため息をついた。
「…本当はあんたが教えてくれるのが一番早いのよ。ねえ、早乙女さん。−−もう一度聞くわ。あんたが呪詛を依頼した”教祖様”の住所や電話番号は本当にわからないの?」
早乙女は観念してしまった様子で首を振り、答えた。 「教祖様と私のつながりはネットとメールだけです…。毎日深夜4時にメールでやりとりをして…」 嘘をついているようには聞こえない早乙女の口調を黙って聞いていた魅録が突然振り向いた。
「なあ、早乙女さん。−−呪詛をかけるのに、”お布施”があったんじゃないのか?その支払い方法は?」
魅録の視線を受け、早乙女は真っ赤になる。 「……お札を購入する形にして、代金は宅配便の代替で…」 「玄関先で宅配業者に支払ったんだな!?」 「はい…」 「−−その宅配業者の名前と、小包が届いた日は?!覚えてるか?!」 魅録の表情にわずかな希望がうかがえた。
早乙女から聞き出した情報を時宗へ再度情報送信すると、10分もしないうちに連絡が入った。 「宅配会社から小包発送先の住所が割れたぞ!」
「−−分かったぞ!サンキュー!親父!」 電話を切ると、4人を乗せた車はスピードをあげて、目的地へと急ぎ始めた。
****************
激しい情事の後、清四郎は不安がる悠理をそっと抱き起こした。 「清四郎…。どうして目が開かないんだろう?」 悠理は、どう頑張っても開かない自分の瞼にそっと手を触れる。
「悠理、−−痛みはありますか?」 悠理は首を振る。 「痛くはないし、何ともないけど、とにかくどうやっても、目が開かないんだ。」
毛足の長い敷物の上に座り、そっと寄り添う。 不安げな表情で、清四郎の腕に触れてくる悠理の裸の胸元に再び手を這わせたくなって、清四郎は慌てて自制する。
「…とにかくいったん服を着ましょう。手伝いますから。その…このことについての話しは、全部片づいてから…きちんとしましょう。いいですか?悠理」 「…う、うん…///」
真剣な口調の清四郎の声は目を閉じていると余計に伝わってきた。 (あたいは、清四郎を信じてるから大丈夫だじょ) 悠理は、清四郎にそう言ってやりたかった。しかしうまく言葉にできず、赤くなって頷いた。
目が見えない悠理を手伝って、身繕いをすませると清四郎は室内の食器棚を物色し、ペットボトルを見つけだす。 「ミネラルウォーターがありました。悠理飲みますか?」
そういって、背を向けていた悠理を振り返ったとたん、全身に緊張が走る。 (これは…)
悠理の目が開いて、じっとこちらを見ていた。
それだけなのに、確実に悠理ではないと伝わってくる。 (”峰”の不在中に逃げ出せないように…悠理の目を塞いでおいたって事なんですかね…) 清四郎はごくりと息を飲んだ。
「弥七郎様…」 「−−僕は弥七郎様ではありません」 清四郎は静かに返事をする。
それには構わず女はゆっくりと立ち上がると、清四郎に向かって手をさしのべた。
「峰は先程から苦しくて仕方がないのです…」 自分の胸元をかき抱き、女は次第に身もだえ始める。 「何があなたを苦しめるのです?」 清四郎が相手を刺激しないように気をつけて問う。 女は苦悶の表情を浮かべる。
「ああ、お優しい弥七郎様。…あの嫌な祈祷師が…弥七郎様はすでにおらぬと…。峰を置いて極楽浄土へいらっしゃると言うのです。そしてこの読経…峰は頭が割れそうに痛いのです…どうか、祈祷師に弥七郎様から頼んでください。ソンナコトハヤメロト」
言いながら、峰は再び悠理の衣服をはがしにかかる。 ボタンを外し、つなぎのファスナーを降ろしながら言う。 「弥七郎様…どうか峰を抱いてくださいまし…。峰は今度こそこの世に生を受ける事のできる、弥七郎様のお子を授かりたいのです。現世の弥七郎様と添って行くのなら、そうするしか峰には方法が見つかりません…」
(−−−悠理の身体を操ったまま、僕と結婚する気ですかね?)
悲しげな目をした悠理が、自分の手で白い胸元を露わにし、”峰”が清四郎の手をそっと引く。 怪しげな気配にぞぞっと総毛立つが、抵抗する素振りを見せず、女の側へ近づいた清四郎は静かな声で告げた。
「−−残念ですが、僕の心の中に弥七郎さんも、あなたも存在しません。悠理の身体もまた悠理だけのものです。僕はあなたを引きずってでも祈祷師の元へ帰ります!悠理を返してください!」
(−−悠理!許してくれ!今はこれしか方法を思いつかないんだ)
言うが早いか清四郎は悠理の溝落ちに”悠理の身体が”気絶する一撃を沈めた。 「…うぅう!」 悠理の呻き声が聞こえ、どさりとその身体が崩れ落ちた。
(こんなやり方で霊を沈められるかどうかはわからないんですが…とにかく悠理の身体を祈祷師の所まで運ばなくては…) 清四郎は気を失った悠理を抱き上げると歩き出そうとした。
『−−おのれ…おのれ!弥七郎…』 『夫婦になると…夫婦の契りを交わした峰を拒むのか!』
女の声が頭の中で大きく響き渡る。 清四郎は歯を食いしばって嫌悪感に耐える。
『許さぬ!!!』
「うわ!!」
室内に轟音がとどろき、窓が閉まっている部屋の中で突風が吹き荒れた。 清四郎は悠理を抱えなおし、ドアノブを回してみる。 (開かない−−!)
予想はしていたが、清四郎は思わず舌打ちをする。
『弥七郎様…あらがわれても無駄です…ならば、峰と参りましょう。二人一緒ならもう寂しいことも辛いこともございません…。峰はあなた様をお慕いしております…。この世で添う事を弥七郎様が拒まれるのなら…峰の世界で…添うことにいたしましょう…』 そういって、清四郎の頭の中の声は清四郎を誘導し始める。 『さぁ…こちらへ。さぁ…』
峰の誘導が始まったとたん、腕の中の悠理が鉛のように重くなってきて清四郎はどさりと悠理の身体ごと尻餅をついた。
「ダメか−−!!」 目に見えない影がゆったりと黒い形をあらわし始め…清四郎と悠理を飲み込もうと近づいてきた。 清四郎は悠理の頭を抱え、自分の身体でかばうように引き寄せた。
****************
「……それで?!それでどうなりましたの?!」
病院のベッドの上で野梨子が掛け布団を両手でしっかりと掴んで身を乗り出している。
左目に刺さっていたガラスの破片は無事に取り出すことができ、その他の細胞よりも回復力の早い”眼球”は順調な回復を見せている。
野梨子の手術は成功だったにも関わらず、術後丸2週間懇々と眠り続け、周囲は心配し続けていた。 今朝やっと意識を取り戻した、と連絡を受け、飛んできたところだ。 美童と魅録は野梨子相手にどこまで話しをしたものか、顔を見合わせて目顔で相談している。
「美童!魅録!何を隠しているんですの!!」
野梨子が眠っている間に起きたこと…。 すなわち、早乙女の呪詛の件…その解決方法については目の前の二人からすんなり聞けたのに、それ以外にも何か含みのある口調に気付き、仲間が無事を知りたくて、野梨子は憤慨する。
「いや、野梨子。隠してるわけじゃないんだ…その…ただ…」 赤い顔で美童に話しをパスする魅録に美童が顔を引きつらせる。
「ただ!なんですの?!−−悠理は?清四郎は?可憐は無事なんですの?!」 とうとう怒り始めた野梨子に美童が腹をくくった様子で言った。
「…可憐と清四郎は無事だよ。その…今、悠理の病室にいるんだ」
野梨子の顔が青ざめる。 「…悠理…はどうなりましたの?!ここに入院しているんですの?病室は?」
「…悠理も元気は元気なんだ。ただ、意識が戻らなくて…」 美童が困ったようにいい、ちらっと魅録を見る。魅録は赤い顔で美童の視線を避け、あらぬ方向を向いている。
「もう!!はっきりしてくださいな!−−もういいですわ!悠理の病室へ案内してください!私が自分で確かめますから!」 威勢良く宣言すると野梨子はいきなり立ち上がろうとして倒れかかる。
ひどいめまいが野梨子を襲った。 慌てて近くにいた美童が抱き留める。
「無理だよ野梨子。野梨子は2週間眠り続けてたんだよ!急に歩けるわけないじゃないか!−−ほら、座って」 「…ごめんなさい…でも、なんなんですの?ねぇ教えてくださいな!悠理の病室を!!」 「…仕方ねぇだろーな?美童。…いつまでも隠しておくわけにもいかねえんだしな…」 美童も頬を染めてコクコクとうなずいた。
「−−連れてってやるよ。野梨子。ただし、歩くのはダメだ。少しは自分も心配されまくってた一人だって自覚しろよ?」 魅録はそう言うと、こちらも赤い顔で野梨子の膝の前に備え付けの車椅子を広げだした。
****************
「ねえ、清四郎。あたしが代わるからあんた少し眠りなさいよ。−−悠理が目を覚ましたとき、あんたが過労死なんかしちゃってたら、あたしたちが悠理に殺されちゃうわよ」 可憐が清四郎を励ますようにつとめて冗談口調でそう言う。
「…すみません。可憐。心配かけて…」
清四郎は背後に立っている可憐を見上げてそうはいうものの、悠理の手を握ったまま、側を離れようとしない。 こんな光景がほぼ2週間毎日繰り返されていた。
本当は学校も休んで付き添いたいと言い続ける清四郎を父修平が叱りとばし、無理矢理通学させていた。 今日は日曜日。休みの日は清四郎は丸1日悠理の側から離れようとしない。 病院の出入りに自由が利くのをいいことに、朝早くから消灯時間が過ぎても…。
可憐は清四郎の背中を見つめ、ため息をついた。
「−可憐?清四郎?」 「−−野梨子!目が覚めたのね!どう?どうなの?気分は?!」 可憐が車椅子を魅録に押してもらい入ってきた野梨子の両手を取って目を潤ませる。
「私は大丈夫ですわ。…悠理は?」
野梨子の声に、清四郎がゆっくりと立ち上がり振り向いた。 「清四郎…」
清四郎のやつれぶりに野梨子は目を見張り、声を失う。 (そんなに…そんなに悪いんですの?)
ベッドの上の悠理に視線を送るが、悠理は身じろぎもせず眠っている。 「悠理は…あれからまだ目覚めません。僕はもう…どうしていいか…」
清四郎は辛そうな表情を見せるが、その他3名は赤い顔でシラっとしている。 野梨子は小首を傾げる。
清四郎はため息をつくともう一度悠理の近くに座り直し、悠理の髪を撫で、頬を撫で、呼びかける。 「悠理…野梨子も心配して来てくれましたよ。お前もそろそろ目を覚ましてもいいんじゃありませんか?」
口調は…確かにいつもの清四郎なのだが、必要以上に悠理に触れ続けるその様子に野梨子も赤面した。
ぐるりと首を巡らすと仲間達も似たような視線をお互いと悠理に送っている。
野梨子は仲間達が口ごもる理由に思い至った。 早乙女の呪詛の内容である。 とたん、自分の顔が真っ赤になっていくのを自覚して俯いた。
(結局、例の件に…俺達は間にあったのか?…間に合わなかったのか?) (あたしの口からはなんとも…) (バカだな!あの様子みて、間違うわけないじゃないか!) (……………そうですわよね…。あんな清四郎、見たことがありませんわ…)
何やら二人の世界を展開し続けるその様子に、もじもじもじと居心地の悪い3名は状況をあまり把握できない野梨子を連れ、そっと病室を抜け出した。
廊下に出て、野梨子以外の3名は顔を見合わせてはーっとため息をつく。
「なんですの??」 野梨子が3人を見上げ、訊ねる。
「…清四郎の様子見たでしょ?あいつ、この2週間ずっとああなのよ」 「だって、それは悠理が心配だからですわよね?」 可憐の辟易した口調に野梨子は再度首を傾げる。
それは−−少々触りすぎかとは野梨子とて思わないわけではなかったが。
「…2週間眠り続けてたのは野梨子だって同じでしょ?でもあいつ、ほぼべったり悠理に張り付いてんの」 「あ、野梨子には僕たちが張り付いてたからね」 美童がフォロー?を入れる。
「なぁ…今まで誰も突っ込まなかったけどよぉ…あれってその…やっぱり…」 魅録が3人を見て赤い顔でいいかけた。その時、病室から清四郎の声が響いてきた。
****************
「悠理!悠理!気がつきましたか?」
うっすら目を開けた悠理に清四郎が悠理の目をのぞき込みながら呼びかける。
「−−悠理!目が覚めたの?!」 清四郎の声を聞きつけ、可憐が最初に飛び込んできた。 野梨子の車椅子を押して魅録と美童が後に続く。
「う…う…身体があちこち痛い…」 悠理が状態を起こそうとして顔を歪める。
「良かった!心配したのよぉ!悠理」 可憐が泣き声になる。 「良かった!悠理!良かったな!−−それに野梨子も!!一緒の日に昏睡から覚めるなんて、まるで−−」 美童が感動して叫びかけたが、自分の発言にふっと不吉な予感を感じて固まる。
「−−まるで?」
車椅子に座っていた野梨子が神妙な様子で美童を見上げて訊ねる。 そう言う彼女の表情も確実に何かを感じ取っていた。
「…まるで、何か申し合わせたようだよな…」
後の言葉を魅録が引き取り、悠理の病室はしんと静まりかえった。
清四郎の目がベッドの上の悠理を見つめてすっと細くなる。 「悠理…あなたは悠理ですか?それとも…」 「何いってんだよ。あたいはあたいだよ。清四郎」
ベッドに横たわっている悠理はだるそうな小声で清四郎に返事をする。 その口調、声が”峰”のものではないことにとりあえず清四郎も安堵する。
が、確実に室内の温度が下がっている。 そこにいた全員が確かに感じていた。
「ね…ねぇ。クーラーでも間違って入ったんじゃない?」 可憐が自分の両腕をさする。 「違うぞ。入ってねえ…」 魅録がエアコンの送風口に手をかざす。
カタカタカタカタ
病室内の花瓶が音を立て始めた。 剣菱家から毎日大量の鼻が持ち込まれ、生けられている。
ガシャーン!!と派手な音をたて、大きな花瓶は床へ砕け散った。
「なんだよぉ〜あれで解決したんじゃないのかよー!!」 美童が恐怖で泣き声をあげたその時、野梨子が車椅子からゆらりと立ち上がった。
うつむき、何も発せず。 ただそこに立っている。 それだけで充分だった。
全員が野梨子を動かしている何かに緊張する。
『おのれ、おのれ…弥七郎!。我を…たばかったか!』 野梨子の唇はかすれ声のつぶやきをもらし始めた。
****************
あの日−−。
剣菱家の東屋で、清四郎が”やられる”と覚悟したその瞬間、黒い影のような姿の”峰”が突然狂ったように叫びだし、東屋中の物をたたき壊した。
悠理の身体は清四郎の手によって気絶させられている。 入れ物を失った”峰”はどんよりとした空気の固まりと化し、飾り棚に陳列してあった花瓶や絵皿を宙へ飛ばしていった。
『おのれ、おのれ!霊媒師め!どこまでも我の邪魔をするか−−』 『あああ!!!頭が割れる!身体が千切られるようじゃ…』
姿は見えないものの、荒れ狂う室内の空気と飛んでくる物体から清四郎は必死で悠理をかばっていた。
「−−清四郎君!!いますね!?」 中からどんなに回しても開かなかったドアが開けられ、祈祷師と巫女が飛び込んできた。
「遠隔除霊で”峰”を追い続けて。ここへ気配を見つけました。とにかくこれを首から下げてください。悠理さんにもかけて」 峰の念と格闘している祈祷師の代わりに二人の巫女が清四郎の首に長い数珠をかけ、額に何かの印を切ってくれた。 とたん、腕の中の悠理が通常の重さに戻る。 てきぱきと悠理の額にも何かの印が切られ、巫女達は”守り札”を開いている胸元と清四郎の背中へ差し込んだ。
「これは?今、どんな状況なんです?」 こんなときでも清四郎らしく身に付けたものに対する質問が口をつく。 巫女の一人が悠理の額に印を切り続け、悠理の意識を呼び戻そうと努めている。
祈祷師が清四郎に背を向けたまま、大声で言った。 「−−いいですか、”峰”は確実に追い込んでいます。もう悠理さんの身体に入り込む力は残っていないでしょう。情けをかけ、成仏に応じてくるように説得していましたが、応じないのでこれから消滅させます!これ以上、長引くと我々の命も危なくなりますので。心を強く持って、どんな呼びかけにも誘惑にも応じないように!いいですね!!”峰”の元々の狙いは清四郎君あなたですからね。何があっても連れて行かれてはいけませんよ!!」
読経がさらに凄みをまし、室内の一部が肉眼でも確認できるほど、黒くゆがんでくるのが見えた。
祈祷師が数珠を振り上げると音のない悲鳴を上げ、ゆがんだ空間が上へ下へと伸び上がり、伸び縮む。
巫女達が読経の声を強めていく。 物々しい雰囲気に清四郎は悠理の上半身を抱えた中腰のまま、固まっていた。
霊感などさらさらないはずの自分にも見ることがでできる空間の歪み。 それを見つめているうちに清四郎は腕の中で別の声を聞くことになった。
『峰…峰よ。そんなに嘆くな』
いつの間にか腕の中でぱっちりと目を開けた悠理が黒い影に向かってゆっくりと手をさしのべはじめた。
「悠理?−−いえもしかして…弥七郎…さんですか?」 清四郎が思わず問いかける。
「−−清四郎君!声をかけてはダメだ!!」
祈祷師が振り返り、緊迫した声をあげた。
次の瞬間、清四郎は突如真っ暗になる視界に自分がどうにかなっていくのを感じた。 祈祷師と巫女の声が一気に遠くに遠くに遠ざかったいく。 今の今まで腕に抱いていた悠理の感触すら感じられなくなる。
どんどん下界の音や温度、風、匂い…肌に触れ、耳に聞こえるもの、感覚の全てが遮断されていった。
そこは闇の世界だった。
何もない。暗黒の世界。 どのくらいの時間、ここにこうしているのかもわからなかった。 ほんの数分なのか、果たして自分の意識が戻ってくるまでの前にどのくらいの時間が流れたのか…。 確認するすべはなく、それどころか、自分の身体がどこにあるのかも、清四郎には分からなくなった。
せめて、手を手を合わせて掌の感触を確かめよう、と思ったが、愕然とした。 ”感覚”がない今、自分の身体がどうなっているのか、その手がどこにあるのかすら、探すことができなかった。
恐怖を通り越して、自分の存在すら疑いかけたとき、目の前に様々な色の光が現れ始める。 その中を赤や白、黄色の閃光がときおりシュ…シュ…と音もなく光っては消えていく。
(…ここは…) (僕は峰に負けてしまったんですかね??)
五感の感覚すら奪われてしまった清四郎はぼんやりと浮かんでは消えていく閃光を眺めていた。
(綺麗ですね…) (そういえば、人間が死んでいくときに目の前に現れるのは赤い閃光だといいますが…) (黄色、緑…青…へぇ。ピンクなんてのもあるんですね。いやぁ綺麗だ…)
『あれは前世の恋人達…親子…私と係わりの強かった友人達の魂の姿です』
闇の中で男の声が響いた。
(あなたは…?弥七郎さん…ですか?)
ややあって、返事が返る。 『そうです。あなたはまだここへ来るべきではない人だ』 (来たくて来たわけではありませんが…ここはどこなんですか?僕は死んだんですか?)
聞きたいことは山ほどあるが、意識が混沌としてくる。清四郎は必死で自分の存在をかき集めた。 (あきらめるな清四郎!まだなにも見えていないんだから。僕は菊正宗清四郎だ)
『峰が迷惑をかけて…』 『あれは不幸な目にあって死んだ女です。どうしても死ぬ前の恨み辛みが深すぎてここへ来ることができずにいます』
(弥七郎さん、……峰さんのいうとおり、僕はあなたの魂の転生なのですか?)
『半分だけ』 『残りの半分は峰を待って、ここに』
(ここは死後の世界ですか?)
『違う。ここは転生を待つ世界。私の半分はもうすぐ転生してゆく。転生先が決まったから−−』 『その前に、峰をここへどうしても連れてきてやりたい』 『私はあの峰を愛しています』
(どうすれば…僕には何ができますか?)
『−−あきらめないことです』 『清四郎、僕はあなたが産まれた日、半分だけあなたの魂に吸収されました。全ての転生が叶わなかったのは峰に対する私の思いが強すぎたためです−−』 『清四郎、あなたの恋人があなたを呼んでいます』 『−−戻って−−あの白い光、あれがあなたの恋人です。様々な色の光が見えるでしょう?あれはあなたの仲間です』 『まだ、ここへ来てはいけない!何があっても』
(−−もし、死んでいないのならば、−−僕は戻らなくてはならない−−) (悠理!!)
「−−清四郎!!清四郎!!」 泣きじゃくる悠理に抱え起こされて清四郎は目を覚ました。
どうやら半日以上が経過しているようで、剣菱家の悠理の部屋に移動されていた。
「…どうなったんですか?」 清四郎はあたりを見回して聞いた。
少し離れたところではまだ祈祷師が巫女達と祈祷の準備を続けていた。 (終わってはいないようだな)
「お前の意識がなくなってから、いったんは騒ぎは落ち着いたんだけど、祈祷師のおっちゃん達はまだ”終わってない”って。あたいたちはここから出ちゃいけないって言われてるよ」
「魅録達は?」 清四郎は悠理の止まらない涙をベッドの上の掛布で拭ってやる。
「今、早乙女の件を片付けに出てるから心配しないようにって野梨子のおばちゃんから連絡をもらった」 「そうか…そっちもありましたね」 清四郎は苦笑した。
「−−お前、笑ってる場合かよ!−−いいか、清四郎!死んだりしたら絶対絶対許さないかんな!!!」 人並み外れて霊感の強い悠理には何か感じるところがあったんだろう。 清四郎が死んだと大暴れしていたらしい。
「僕はお前をおいては逝きませんよ。絶対に」 「ほんとだな?」
二人の視線が絡んだ。
(弥七郎さんもさぞ無念だったでしょう…) (人を愛しいと思う気持ちがこんなに強いとは…はじめて知りました) (愛しい存在を卑しめられ、辱められ…それが悠理だとしたら、僕は…どうするでしょう…)
清四郎がそっと悠理の頬に手を触れたとき、悠理の唇が動いた。
『それならば………この女を弥七郎様の代わりに連れてゆきます。愛しいあなた…』
目の前の悠理が再び意識を失っていった。
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