もっぷ作

空蝉 (うつせみ)

11.

 

「あれ?清四郎?」
という、ある種間の抜けた悠理の声が響いた。
同時に美童は、ふわり、と体が軽くなるのを感じた。それは他の皆も同じらしく、一様に体から力が抜けているようだった。
「正気に戻りましたのね、悠理」
野梨子が心底ほっとしたように悠理の顔を見上げた。
髪の長さも、顔つきも、何もかもが悠理だ。
ただ着物は薄紫の粋なものでなくなったとは言っても、白い浴衣に戻っただけだった。濡れた衣服を着替えさせるときに、彼女らの荷物がなかったために男から恐らくは有里さんの浴衣を借りたのだ。

かさかさかさかさかさかさ…───

「ねえ・・・あの箱って・・・あんなにたくさん抜け殻が入ってたかしら?」
「・・・湧いてる、って感じだな」
怯える可憐を背にかばいながら魅録が言った。
「んげっ」
と、悠理が目を見開いて、自分を抱きしめる清四郎の腕を思わずぎゅっと握った。

皆の耳をくすぐる乾いた音の正体は、魅録が茂夫に投げつけて畳に落ちた箱から次々と出てくる蝉の抜け殻のこすれあう音だった。
まさに湧いている、という言葉が相応しく、無数の抜け殻が茂夫の足をとどめるように彼の足をよじ登っていた。それはすでに足の甲から膝までびっしりと覆っている。
俯く茂夫の表情は陰になって見えなかったが、
「それで、箱から逃げ出したつもりか?有里」
という呟きは6人にも聞こえてきた。
そしてゆっくりと、茂夫は左足を持ち上げた。

だんっ!ぐしゃっ!

ぱらぱら、と彼の足を覆っていた抜け殻たちが剥がれていく。
「この家は俺の箱の中。すでに朽ちた神になんぞ何が出来る」
ぐいぐいと茂夫はぺしゃんこになった千代紙の箱を踏みしめながら、吐き捨てるように言った。
「すでに朽ちた・・・?」
その言葉を聞きとがめて清四郎が眉を寄せた。
「あの祠に何が祀られていたのか、知らないと言ったろう?祠の中はすでに空なんだよ」
茂夫はにいっと口の端を上げながら6人のほうへと顔を向ける。
「つまり、お前らを助ける神の力も、ここまでってことさ」

ざっ!という音とともに、床に落ちた空蝉たちの顔が一斉に6人のほうを向いた。

「ひっ」と悲鳴をあげた可憐を魅録は自分の真後ろに隠し、美童は顔を引きつらせながらもやはり野梨子を背にかばった。
清四郎は、抱きしめた悠理を自分の懐に入れるようにかばいながらも、茂夫を睨みつけた。
「しかし僕たちは言われたんですよ。『“うつろ”との縁を切れ』と」
あの少女が何者だったのかはわからない。だが、きっと縁切りの神の使いには違いあるまい。
「う、うつろってなんだ?」
悠理がかたかたと震えながら清四郎に問う。
「空虚ということですよ」
「空虚ってなんだ?空気のことか?」
「今はそんな問答をしてる場合ではありませんよ」
清四郎は茂夫が鎌を持つ手にまたも力を籠めたのを感じ取った。

ざわり、と空蝉たちが茂夫の意思に従うように移動を始めた。
そう、倶楽部の皆のほうへと。
床一面覆う勢いで足元へと忍び寄る。

かさかさかさかさかさかさ…───

皆も後退するのだが元より狭い室内。これ以上は下がれない。
何よりいっそずぶ濡れになってでも庭に下りようと思っているのに、バリアでも張られているかのように進めぬのだ。
とうとう最初の一匹がいまや茂夫への最前線になっていた清四郎のつま先にこつん、と触れた。
たかが抜け殻、と思いつつも足を這い登ってくる抜け殻の姿を瞬時に想像し、そのおぞましさに清四郎はぐっと奥歯を噛み締めた。
「あわわわわわ・・・」
と、悠理もそれに気づいて、声を上げた。

そして恐怖が極限に達し、目をぎゅっと閉じると思わず腕を振り回した。
「来るなーーーーー!!!」

びし…───

何かが、大きく裂ける音がした。
 

 

********



目を開けると、真っ暗だった。
「・・・清四郎?魅録?皆、いないの?」
と、悠理は恐る恐る尋ねた。
今の今まで自分を包み込んでいた清四郎の腕もなくなっていたから。気づけば、己の服も元の濡れた衣服に戻っている。
でも気配がする。皆の気配がする。
「点呼をとりましょうか?」
と、聞き慣れた低い声が聞こえた。
「ここにいるぞ」
「私もいますわ」
「あたしもここよ」
「僕もいるよ」
全員無事か、と皆は一様にほっとした。
そして暗いが、どこかから弱い光が差し込んでいるらしい。ぼんやりと互いの姿が見え始めた。

茂夫はどうなったのだろう?有里さんは?
あの無数の空蝉たちは?

湿度の高い空気が体を包み込んでいる。
どこかから土の臭いも漂ってくる。
雨の音は随分と弱く、雷鳴もとっくに聞こえない。

きぃいいいい …――

ぎくり、と全員が音のしたほうを振り返った。
観音開きの扉が、揺れている。そしてそこにはぼろぼろになった紙垂れが・・・。
「最初の、社殿?」
野梨子が硬い声で言う。
ということは、と皆がめいめいゆっくりと、扉とは反対側の、祠のほうを見た。

しかし、そこに天井から下げられているはずの注連縄がなくなっていた。
代わりに、祠の前に黒々とした何かが小山となっていた。
「注連縄ごと天井が落ちてきたようですね」
と、清四郎が掠れた声で言った。
そして、屋根裏に隠されていたものが───

これは、夢だ。
夢なのだ。
お互いの手を取りながら、6人は目の前に横たわっているものを眺め、そう心の中で繰り返していた。

そして悠理はそれが何か理解した途端「うーん」と昏倒し、清四郎に抱きとめられた。

そこには3体の朽ちた遺体、いや、すでに人骨というべきものが、折り重なるように倒れていた。

 

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