空蝉 (うつせみ)
3.
「うわああああっ!」
滴り落ちる雫の正体に気づいた魅録は悲鳴を上げて飛び退った。
同時に、暗い空が、かあっ、と裂けて、雷の咆哮とともに閃光が走った。 どぉん、と地響きがし、鈍い衝撃が下腹に伝わる。
落雷の衝撃に、六人は一斉に身を縮めた。
雷鳴が消え、激しい雨音が、ふたたび暗い祠の中に満ちる。
一行はおそるおそる顔を上げて、古びて傾いだ格子から、暗雲垂れ込める空を見た。 「ち、近くに落ちたのかな・・・?」
「音からして、そう遠くない場所のようですね」 美童の震える声に、清四郎が空を見上げながら答える。その胸には、いつの間にか悠理がしがみついていた。
「ここから出たいのは山々ですが、雷雲の下、周囲に何もない畦道を歩くのは危険だ。せめて雷鳴が遠ざかるまで、もう少し我慢しましょう」
震える悠理を胸に抱いたまま、清四郎が溜息混じりで皆に言った。 「そんなの嫌よ!」
可憐がヒステリックな声で叫んだ。自慢の巻き毛がすっかり乱れているのに、気にする様子もない。いきなり異常な状況に放り込まれ、半ばパニックに陥っているのだ。
悠理にいたっては、恐怖と落雷のショックで口もきけないらしく、清四郎にしがみついたまま、小さく震えている。野梨子の顔もすっかり白くなり、色の失せた口唇が微かに震えていた。
「あれ?」
緊迫した空気の中で、魅録が少しばかり間の抜けた声を上げた。皆、一斉に魅録に視線を注ぐ。彼は、自分の掌をしげしげと見つめながら、しきりに首を傾げていた。
「どうしましたの?」 「いや、さっき確かに血が・・・」 魅録が答えようとしたとき、祠の外から、いきなり声をかけられた。
「こんなところで何をしている?」
「ひっ!」
女性三人と美童が、同時に引き攣った声を漏らした。一様に顔を強張らせ、身を竦めている。しかし、豪胆な清四郎と魅録はさすがのもので、気迫充分に振り返り、声の主を鋭く睨みつけた。
祠の入口には、暗い雨を背景にして、ひとりの若い男が佇んでいた。
男は、大きなこうもり傘を差し、訝しげに眉を顰めて、暗がりで寄り添う一行を見つめていた。傘の他は何も持っていない。きっと土地の人間なのだろう。その証拠に、彼の眼は、明らかに余所者である一行に不審を抱いていた。
「すみません。急に雨が降ってきたものですから、雨宿りさせてもらっていました」 清四郎が悠理の背中を撫でながら、頭を下げる。
それを見た瞬間、男の眼が暗く輝いた気がしたが、閃く雷光の加減でそう見えただけかもしれない。
「それは難儀だね。このあたりは天気がすぐに変わるから、晴れていてもすぐ雨が降る」
男は、全員が濡れ鼠なのを見て、ようやく清四郎の言葉を信じたようだ。 「あの!助けてください!祠の戸に、白い手が!」
相手が若い男と見てか、可憐が先ほどより甘い声で叫ぶ。一方、男のほうは、必死で訴える可憐を見て、怪訝な顔をしている。 「手?」
「そう!そこに!」 可憐が祠の戸を指差す。その上部には、まだ白い影が垂れ下がっていた。 「これ?」
男は、可憐が指差すものを見て、くすり、と笑った。 「これは手じゃない。紙垂だ。すっかりボロボロだけどね」 「え?」
一同は、目を凝らして白い物体を見た。よくよく見れば、確かにそれは男が言うように、千切れて垂れ下がった紙垂だった。 「幽霊の正体見たり枯尾花、だ」
男がくすくすと笑う。しかし、皆は釈然としない。今は紙垂だが、先ほどまでは確かに腕だったのだ。一人ならともかく、全員が見間違えるなど、あり得ない。
皆が顔を見合わせている最中、清四郎が異変に気づいた。 腕の中の悠理が、まるで瘧を起こしたかのように、激しく震え出したのだ。
「悠理?」 悠理は答えない。真っ青な顔から脂汗を流し、がたがたと震えている。清四郎は咄嗟に悠理の顔に触れた。頬は氷のように冷たいが、額は熱い。
「悠理!」 「どうした?」
男が祠に入ってきた。歪んだ床板が、靴の下で、ぎし、と軋む。その音に消されそうな声で、悠理が、ひ、と小さな呻き声を上げたが、誰もそれに気づかなかった。
男が悠理に向かって手を伸ばした。悠理は涙をいっぱいに溜めた眼を見開いて、窮鼠の形相で男を見つめている。声が出ないのか、酸素を求める金魚のように、口をぱくぱくさせている。
男の手が、悠理の肩に触れた。 その瞬間、悠理はまるで糸が切れた人形のように、その場に崩れ落ちた。 「悠理!?」 「悠理!」
突然のことに、皆は驚きの声を上げた。
清四郎が慌てて悠理を支える。彼女はぐったりしたまま、動かない。野梨子が携帯電話を取り出し、助けを呼ぼうとしたが、生憎なことに圏外である。野梨子だけではない。皆の携帯電話も、圏外だ。
「すぐ裏に僕の家がある。とりあえず、そこに運ぼう」 男の提案に、逡巡している余裕はなかった。あっという間もなく、男が祠の外に飛び出したからだ。
幸いにも、雨は小降りになっていた。男に呼ばれるまま、一行は不気味な祠を出て、その後を追った。
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