星に願いを

   BY にゃんこビール様

 

 

「悠理、これからドライブに行きませんか?」

ラタンのソファに座って雑誌を読んでいた悠理に声を掛けた。
「…これから?」
壁の時計をちらりと見て悠理が言った。
時刻は23時になろうとしていた。
「それで?どこ行くの?」
口では怪訝そうなことを言っているが、膝の上の雑誌はすでに閉じてある。
「秘密です」
「なんだよ、ケチ」
くちびるを尖らせたが瞳が好奇心でキラキラとしている。
僕の差し出した手に、悠理は素直に手を伸ばした。

手を繋いでガレージに行く。
新車のAudi A6の助手席に悠理をエスコートする。
「そっか、新車きてたのにずっと病院忙しかったもんな」
「まぁ… そんなところですかね」
曖昧なことを言って誤魔化す。
「しょうがないなー、付き合ってやるよ」
悠理がニコッと笑った。

都内を走り、高井戸から首都高に上がる。
お盆とはいえ、こんな時間の高速は空いていた。
「わー!快適、快適」
久々のドライブに悠理ははしゃいでいる。
Audiはスピードを上げても重厚さを失わず、滑るように高速を飛ばした。
今年の春に外科主任になってから毎日が忙しい。
なかなか夏休みも決まらず、結局なにも予定が立てられなかった。
なのに悠理は文句ひとつも言わず、僕の体のことを心配する。
その気遣いが悠理に寂しい想いをさせているようで心苦しかった。
悠理の楽しそうな顔を見ているだけで幸せだ。
辛いことも、哀しいことも、疲労感もすべて消える。
悠理がいてくれればそれだけでいい。
自然と緊張感が解けていく。
「清四郎、楽しい?」
悠理が僕の顔をのぞき込んだ。
「ええ、とっても」
あたいも、と悠理はニコニコと笑った。

車は快調に中央高速を進んだ。
CDを軽く流し、おしゃべりをする。
魅録や美童や野梨子や可憐のこと、実家の家族のこと、仕事先のこと、テレビのこと、笑ったこと、楽しかったこと、怒ったこと、泣いたこと…
たくさんのことを話しては笑った。
談合坂S.A.の案内板が見えてくると「お腹空いた」と悠理が訴えた。
休憩をかねて談合坂に入る。
すでに深夜だというのに悠理はよく食べる。
「こんな時間なのにいい加減にしなさい」という僕の忠告を無視して食べ続ける。
最後は引きずるように車へと戻った。
本線に戻り、山間を進むと悠理がウトウトと眠り始めた。
そっとブランケットを掛けてやる。
車は静かに山梨へと向かった。

小淵沢で中央高速を下りても悠理は起きなかった。
そのまま八ヶ岳に向けて車を走らせる。
山の中に入ると街灯も少なくなり、すれ違う車もない。
闇の中で聞こえるのは静かなエンジン音と、悠理の心地よい寝息。
この闇の向こうに今日の目的地がある。


「悠理… 悠理… 起きて下さい」
ぐっすりと寝ていた悠理を起こす。
「ん…?」
ゆっくりと目を開けた悠理は一気に目を覚ました。
「ここっ、どこっ?」
驚くのも無理はない。ルームライト以外の灯りはなく周りは暗闇に包まれていた。
訳がわからない悠理は僕の腕を掴んで放さない。
怯えている悠理の肩を抱いて車から降ろした。
「大丈夫ですから…こっちです」
ドアを閉めると灯りがひとつもなくなった。
悠理はますます僕の腕に絡みついてきた。
「ま、まさか… 肝だめしとかじゃないよねっ?」
少しきつい傾斜を昇りながら、なぜか悠理は小声で話す。
「清四郎、笑ったな!」
暗闇に目が慣れてきた悠理は僕が笑いを堪えているのに気が付いて怒った。

登り切ったところで立ち止まり、俯いている悠理の耳に囁いた。
「悠理、ゆっくり顔を上げてごらん」
頷くとゆっくりと頭を上げた。
「うっわっ…」
僕たちふたりの頭上には夜空を埋め尽くすほどの星たち。
しばらく言葉を忘れて満天の星空を見上げた。
「悠理、こっちです」
悠理が寝ている間に芝生の上にシートを引き、マットとクッションを用意しておいた。
真夏とはいえ、山の夜は冷えるので悠理にパーカーを羽織らせる。
「僕に寄っかかっていいですよ」
「うん」
僕の前に悠理が座り、そっと胸に寄り添った。
「あの白くてぼやけているのが天の川です」
悠理の肩に顎を乗せて夜空を指さす。
見上げている悠理の頬にくちびるを寄せる。悠理は肩をすくめて「くすぐったい」と笑った。
「あの星座、何だかわかりますか?」
北東を指さすと悠理が「かわらない」と首を振った。
「ペルセウス座っていうんですよ」
僕はペルセウスのギリシア神話を悠理に話した。

ゼウスが黄金の雨に身を変えてアルゴス王の娘・ダナエの元に忍び、
生まれたのがペルセウスだ。
『孫によって殺される』という神託に恐れたアルゴス王は娘と生まれてきたペルセウスを箱に入れて海に流した。

「なんだよそれ!びどいじゃないか」
悠理はくるっと振り返って怒った。

セリポス島の漁師に助けられたダナエ親子は、そのままセリポス島で暮らした。
しかしセリポス島の領主がダナエに恋慕するようになり、邪魔なペルセウスにメデューサ退治を命令した。
メデューサとは、見たものを石に変え、毒蛇の髪の毛、猪の歯、青銅の手、黄金の翼を持つという恐ろしい怪物である。

「うえぇぇぇぇぇぇぇ… 頭が蛇…」
悠理は頭の上でうねうねと蠢く蛇を想像してぎゅっと僕の腕を掴んだ。

ペルセウスはアテナから楯を、ヘルメスから翼のついた靴を、ハデスからは姿を消せる兜を借りてメデューサの首を切り落とした。
首を切られたメデューサの体から血しぶきとともに翼のある馬、ペガサスが生まれた。

「おおおおおっ!すごい!やった〜」
悠理は怪物メデューサを見事退治したペルセウスを賞賛した。

ペルセウスはメデューサの首を皮の袋に入れ、ペガサスにまたがり、セリポス島に向かった。
その帰る途中、海神の怒りを買い、生け贄にされていたアンドロメダを見つけ、
メデューサの首で海獣を岩に変えて救った。
国にかえると未だ執拗にダナエに迫る領主とその側近たちを、切り落としたメデューサの首で次々と石に変え、ペルセウスはアンドロメダを妃にしてアルゴスの王になった。

「それで星座になったんだぁ…」
そう呟くとまた悠理は星空に目を移した。
「ペルセウスのそばにはアンドロメダに… ペガサスもいますよ」
星空に指で星図を描く。
「ここが頭で、腕と…脚。左手にはメデューサの首を持っています」
「本当だ!人の形に見える」
素直に喜ぶ悠理に自然と笑みがこぼれる。
「本当の空にはこんなに星がいっぱい見えるんだね…」
ぐるりと悠理は天空を見上げた。
僕たちの住む東京には煌々と光るネオンに星たちがかき消されている。

 

腕時計で時間を確認する。
「悠理、もう一度ペルセウス座の方を見て下さい」
「うん?」
北東の方向にもう一度悠理が顔を向ける。
「じっと見てて…」
悠理の耳にそっと囁く。
そのとき、スッと白い光が星空を横切った。
「あっーーー!清四郎、見た?」
暗闇でもわかるくらいに嬉しそうな悠理の顔。
「流れ星にお願い事するの忘れちゃった!」
悔しがる悠理の髪を優しく撫でる。
「大丈夫。もう一度見てごらん」
言うと同時にペルセウス座から幾重もの星たちが降り注いだ。
「わあああ…」
悠理はあとは黙って流星群を見つめいてた。
どうしてもこの流星群を悠理と見たかったから。
悠理が喜ぶ顔が見たかったから。

数時間後、ペルセウス座流星群も終盤を迎えた。
悠理は小さいため息をひとつ付いて、ゆっくりと振り返った。
満足そうな、それでいて寂しそうな顔。
「お願い事、たくさんできました?」
そっと悠理の頬に指を滑らせる。
「清四郎は?なにをお願いしたの?」
「僕ですか?僕はですね…」
―――悠理といつまでも仲良く暮らせますように
「僕たちが幸せでありますように、ってお願いしました」
すると悠理はプッと吹き出した。
「それってずいぶん大ざっぱなお願いじゃん」
悠理はけらけらと笑った。
「悠理は何をお願いしたんですか?」
「あたし?あたしはね、父ちゃんと母ちゃんと、菊正宗のおっちゃんとおばちゃんと、兄ちゃんと、和子さんが元気で長生きできるように…
タマとフクもずっといっしょにいられるように…、
魅録と可憐と、美童と野梨子が幸せでずっと仲良くできますように…、
おいしいものがたくさん食べられますように…あとは…」
悠理はお願いしたことを指を折って思い出した。
「そんなにお願い事したんですか?欲張りですね」
なぜか僕の名前がでてこないことに少し苛つく。
「でも一番のお願い事は、清四郎が健康であることと、ずーっといっしょにいられることと…」
ちらっと僕の顔を見て頬を赤くした。
「清四郎に似た、強くって優しくって、頭の良い子が生まれますようにって」
「…えっ?」
一瞬、悠理が言ってることがわからなかった。
「おととい病院行ったんだ…予定日3月だって」
悠理は頬を染めて柔らかい微笑みを浮かべた。
「ほ、んとう…ですか?」
こくっと恥ずかしそうに頷く悠理。
「僕の…お願い事、叶いました」
そっと悠理を抱き寄せる。悠理と、まだ見ぬ我が子を。
悠理がゆっくりと僕の首筋に腕を回した。
「よかった。清四郎、喜んでくれて」
悠理のくぐもった声。涙ぐんでいるのかもしれない。
「当たり前でしょう」
柔らかい髪の毛を撫でる。
―――きっと悠理に似た、心の優しくて素直で元気な子供が生まれますように
もうペルセウス座流星群は終わってしまったけど、
まだ瞬いている星たちに願いを捧げる。


「清四郎〜、お腹空いた」
繋いだ手をブンブン揺らして悠理が言う。
「談合坂であんなに食べたのに?」
呆れて振り返る僕にくちびるを尖らせた。
「だって、2人分なんだもん!」
しょうがないじゃん、と勝ち誇った顔をする悠理。
「食べ過ぎてもだめなんですよ。妊娠中はですね…」
「もぉ〜!清四郎は産婦人科じゃないだろう!」
「外科だってわかりますよ。極度の体重増加は…」
「う・る・さ・いーーーーー!!」
「こら!走るな!」
逃げようとする悠理を追いかける。
ベーッと舌を出す悠理に、あれで母親になるのかと呆れてしまう。
どんなに忙しくなろうとも、毎年ここにペルセウス座流星群を見に来よう。
悠理と、子供といっしょに。

白々と明るくなってきた東の空にアフロディーテが輝いていた。
僕のお願い事も、悠理のたくさんのお願い事もきっと叶うと
約束してくれてるみたいだった。



 

 

END

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