2.
銃声と悲鳴、そして爆発音。 悠理は耳を押さえて身を伏せた。 地上40階のレセプション会場は、混乱の極みだった。 客の間に湧き起こった阿鼻叫喚を制するように、もう一度銃が天井に向けて撃たれる。
『悠理、悠理っ!!』 手に持ったままだった携帯電話から、清四郎の悲痛な声が洩れた。 「あ・・・せ、清四郎」 床に伏せたまま、悠理は電話を口元に押し付ける。 『無事か、悠理!』 「あたしは、大丈夫」 とりあえず、今のところは。
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兼六ビルのレセプション会場が開場して間もない頃に、それは起きた。
まだ、客もまばらな内に、悠理は会場入りした。 「これは、これは、剣菱のお嬢チャン」 因業ジジイ然とした先祖代代の宿敵、兼六会長自らの出迎え。 その背後には、ハンサムな偉丈夫、末子の聖吾が控えている。 「百姓オヤジは元気かね」 悠理は思わずDNAに屈して、嫌味なハゲ隠し頭巾を蹴り落としたくなった。 清四郎が、悠理の脳内で顔をしかめる。 悠理は衝動を抑え、営業用のとっておき笑顔を向けた。 「ええ。兼六会長もお年にもかかわらずお元気そうで。若輩者ですが今日は父の名代で来ました。今後はぜひこれまでを忘れて、よろしくお付き合いお願いします」 兼六会長は背後の聖吾に顎を向けた。 「フン、万作に似とらんな。聖吾、このお嬢チャンを落とせば、労せず剣菱が手に入るぞ」 悠理が胸のうちで中指を突き立てていることに、気づいてか。 薄い唇が、酷薄な笑みを浮かべる。聖吾は愛想よく、悠理に会釈した。 「今日は、あのあなたのナイト・・・元婚約者殿は、一緒に来られなかったんですな」 含みのある聖吾の目の光。悠理の胸に警戒音。 清四郎が初対面で殺気を飛ばした剣呑な男は、舐めるような視線で、悠理の姿を見た。 「先日のスタイルも個性的だったが。今日は、一段とお美しい」 笑みを貼りつかせたまま、悠理は鳥肌を立てた。 おぞましさゆえでなく、本能的な怯えに近い感覚に。
その直後だ。激しい爆発音が、エレベーター付近で起こったのは。 会場に足を踏み入れたばかりの悠理が振りかえると、銃を持って顔を隠した男達が、入口から入ってくるのが目に飛び込んだ。 男達は、天井に向かってマシンガンを乱射し、悲鳴を上げざわめく客たちを黙らせる。 シャンデリアの破片が、会場に降り注いだ。
*****
「賊は四人。全員外国人みたいで、訛ってた。兼六のじーさんが人質にされてる。うん、あたしは大丈夫。他の客も、抵抗しなければ解放するって言ってる」 悠理は床に伏せたまま、電話の向こうの清四郎に状況を説明した。 『いいか、悠理。相手はおそらくテロリストだ。テロリスト相手には…』 「わかってるよ。人命優先、後追い厳禁、だろ」 『爆破音がしたが?』 「人質はじーさんと、このビルだって。あちこちに爆弾仕掛けてるらしい」 悠理もだてに、何度も修羅場をくぐっていない。 冷静に事態を見て取っていた。 テロリストたちは明確な目的があって襲撃してきた。標的は兼六会長。本当に他の客に危害をあたえる気はないらしい。 しかし、清四郎の声が聞き取りにくいほど、銃声と爆破音が止まないのには、訳があった。
「あの聖吾ってやつ、とんでもないぜ。いきなりテロリスト相手に銃撃戦おっぱじめやがったんだ」 最初から、兼六親子捕獲が主目的のようだった賊のほうでも、予測はしていたのだろう。 激しい撃ち合いで、負傷はしたようだが、死人は出なかった。 攻防はレセプション会場から、ホールに移っている。 「じーさん人質に取られて、追いかけて行ったよ。あいつのお陰で、賊が混乱しちゃって、この騒ぎだけど」 『…悠理、あの男はプロです。兼六会長はまかせるんだ。絶対に、追うんじゃない』 「わかってるよ。人命尊重、安全優先、だろ。それにあたしも、他のやつならまだしも兼六相手にお助けマンする気はないさ」 へへ、と悠理は軽い口調で笑ってみせる。 本当は、携帯を持つ手が震えていた。 何度も死線をくぐり抜けた経験はあったが、悠理もわかっていたのだ。 いつだって、困難も冒険も、仲間たちと乗り越えた。 いつだって、清四郎が共にいた――――電話の向こうなんかでは、なく。
銃声が遠ざかる。 「よし」 悠理は立ち上がった。 「避難するよ」 清四郎にそう告げ、悠理は携帯をドレスの胸元に突っ込んだ。
まだほとんどの者が床に伏せている会場。 混乱する人々を避難路に誘導すべく、悠理は顔を上げた。 大きく息を吐き、身のうちに力を溜める。
”あたしは、大丈夫だ”
通話状態のままの携帯電話を、ドレスの上から握りしめる。 手の震えは、止まった。
”あたしは、一人じゃない”
清四郎と一緒に、戦っている。 たとえ離れていても、彼を感じることができる。
”悠理はあちらへ――――僕はこちらを” そうだ。いつでも清四郎は、悠理を守る、とは言わない。 同じ戦うものとして、背中を押してくれる。 かつて淋しかったその言葉が、今は悠理に勇気をくれる。
清四郎と出会って、仲間たちと過ごして。 甘えん坊で弱虫だった悠理は、たくさんのものを得た。 失ったものは、恋だけ。 女として愛されなくても、せめて、彼の同志として誇れる自分でいたい。
”あたしは、強い” こんなことぐらい、乗り切ってみせる。 離れていても、清四郎を感じることができるから。 もう一人でも、孤独ではないから。
*****
悠理は人々を非常階段に誘導した。エレベーターは爆破されたもの以外にも6基あるが、どこに爆発物が仕掛けらているかわからない状況では、危険すぎる。 テロリスト達と聖吾の間に戦闘が続いている今、彼らの”危害を加えない”という言葉にも安心はできない。 しかし、なにしろ会場は40階。避難はスムーズには進まなかった。
『悠理、32階の展示会場に搬入用の地下駐車場直通エレベーターがあるはずだ。それは使っても大丈夫だろう』 「うん、足の弱い年寄もいるんだ。確かに、このまま階段で降りるのは無理だよ」 清四郎はこの短時間のうちに、兼六ビルの設計図を手に入れたようだ。 悠理は頼れる参謀の指示に従って、32階の扉を開けた。 オープン記念パーティ当日とはいえ、完全に内装を終えているのは、レセプション会場だった40階前後と1階からの数階だけらしい。 フロアの壁にはビニールが張られ、器材が転がっていた。 電灯はないが、ガラス張りの大きな窓のおかげで、視界は悪くない。エレベーターの電気も生きていた。 「こっちのエレベーター2基は安全です。怪我人とお年寄り優先で、順番に降りて下さい!」 人々を先導して避難させ、悠理自身は非常階段に駆け戻った。 まだ、会場に残っている人もいるかもしれない。 ちらりと兼六会長の身も気にはなったが、清四郎の忠告通り、今回は虎穴には飛び込まず脱出するつもりだった。
しかし、危険の方が悠理を狙って襲い掛かってきたのだ。
非常階段を昇りはじめた悠理は、40階に到達する前に、突然伸びてきた腕に捕らえられた。 「なっ」 とっさに身を捩るが、足を払われ、羽交い締めにされて39階に引きずり込まれる。 硬い腕は万力のように悠理を背後から締めつけた。 悠理は渾身の力で肘鉄を入れる。同時に身をかがめ、拘束を抜け出ることに成功した。 「誰だ!」 振りかえりながら回し蹴りを放つが、至近距離にいたはずの相手に決まらなかった。 「おっと、なかなか威勢のいいお姫様だ」 工事現場のような薄暗いフロアでも、声で誰かはわかった。 「け、兼六の・・・?」 薄笑いを浮かべ立っていたのは、兼六聖吾。父親を人質に取られ、救出に向かっているはずの男だ。
「せっかくのドレスが破れてるぜ。悪くない光景だがな」 悠理のドレスの裾は、蹴りのせいで破れてしまっている。足場の悪い場所なのに、靴もない。もっとも、7センチのヒールはこの局面ではジャマなだけだが。 「おまえ、どうして?じーさんも無事なのか」 「ああ、オヤジ殿か。奴等にとっちゃ、大事な人質だ。丁重に気絶でもさせられてるんじゃないか」 聖吾は酷薄な笑みを浮かべた。 悠理の背に、冷や汗がつたう。 「アレを襲えば大金が手に入る上に、憎き財閥をひとつおっつぶせるとけしかけたのは、俺だがな。奴等は俺も消す気だから、ちょっとばかり武器がいる」 「ぶ、武器?」 悠理は聖吾が下げた拳銃に目を落とした。 「おまえさんだよ、剣菱のクイーン。交換条件には悪くないだろう。ジジイよりも若く美しく、大金をせしめられる人質だ」 聖吾の冷たい目が、悠理を射抜いた。 獲物を見る、ハンターの目。いや、殺し屋の目だ。
がくがくと足が震えた。 いくら悠理が強いとはいっても、この男はプロだ。格が違い過ぎる。 抵抗しても、愉快がられるだけ。 猫が鼠をもてあそぶように、弄られるだけ。 さきほど感じた本能的な恐怖の正体は、この目だったのだ。
(――――清四郎!) 無意識で、悠理は胸元の携帯に手をやった。 そのわずかな動きに、男は反応する。
すばやく腕が伸び、抵抗する間もなく胸元を引き破られていた。 「!」 携帯電話が弾かれ、フロアを滑る。 「なんだ、銃でも仕込んでるのかと思ったじゃないか」 聖吾は悠理を抱きかかえたまま、携帯を拾い上げた。 電話からは、清四郎が悠理を呼ぶ声がもれる。 聖吾はふたたび冷笑した。 「お姫様はお預かりましたよ、ナイト殿。だから言ったんだ、おまえも来い、とな」 それだけ通話口に告げると、聖吾は片手で携帯をぐしゃりと壊した。 「奴が、剣菱の懐刀なんだろう。会長は無理でも、お大事な後継者と実質的に剣菱を動かしている男を巻き込んで、あわよくば剣菱も兼六と心中させてやろうと思ったのにな。残念だよ」 聖吾は哄笑した。 狂気ををはらんだその笑いは、金のためでもなく、兼六のためでもなく、ただ破壊のための破壊を楽しむ男の、ゆがんだ精神を晒していた。
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