3.
事件発生から、30分。 封鎖されているビルに駆けつけるよりも、情報収集し悠理をバックアップすることを選択した自分を、清四郎は呪った。 衝動のまま携帯電話を叩き潰す。 そのまま、剣菱記念会館の事務室から飛び出そうと扉に手をかけた。
押し開いた扉の向こうでは、野梨子と可憐が驚いた表情で立ちすくんでいた。 清四郎と、あやうくぶつかりかける。 女性二人が凍り付いているのは、そのためだけではなかった。 清四郎が扉に投げつけた携帯電話の残骸が散らばる床。防音扉ではない。音が外に響いたのだろう。 「せ、清四郎」 可憐が怯えた顔をする。 清四郎の形相が、あまりに険しいためだ。 「・・・なにか、ありましたのね」 野梨子が幼なじみの異変に、声を潜めた。
レセプションの途中で席を立った清四郎は、万作会長と共に通信機器のそろった事務室に篭りきりになった。 野梨子と可憐は、姿を見せない二人を案じて様子を見に来たのだ。
「ちょうど良かった。野梨子、可憐、おじさんと一緒に、ここに居て下さい」 両手で顔を覆い机に伏せていた万作が、顔を上げた。 「オラも行くだよ、清四郎くん!」 清四郎は厳しい表情のまま万作に振りかえる。 「会長はここか、剣菱邸に居てもらわないと。会長あてに脅迫電話が掛ってくるかもしれません」 清四郎は握り締めていたファックス用紙を野梨子に渡した。 「建設会社と内装会社に、兼六ビルの現状を問い合わせ中です。空気ダクトや配管など、細かい情報が必要になるかもしれない。逐一連絡を頼みます」
なにがあった、とは野梨子は問わなかった。 床に散らばる携帯の残骸に、野梨子は目を落とす。 「わかりましたわ。でも、清四郎、連絡手段はどうなさるの」 らしくない清四郎の激昂を責めるような野梨子の言葉。 清四郎は薄く笑った。 「それは、僕個人の携帯です。会社用のものがあるので、連絡はそちらに」 清四郎の凄惨な笑みに、冷静な野梨子の横で可憐は身を竦ませた。 ブリーフケースを手にして清四郎は二人の横をすり抜ける。 清四郎はもう後ろを振り向かなかった。逼迫した険しい表情で、廊下を走り去る。
あっという間に清四郎の背中は見えなくなった。 清四郎のあまりの剣幕に言葉を失っていた可憐は、やっと口を開いた。 「悠理に…なにかあったのね」 ブリーフケースには、悠理のチョーカーに仕込んだ発信機のモニター。万作と野梨子への指示。 可憐にだって、悠理の身になにかあったのだということはわかった。 野梨子は硬い顔で肯定する。 「それしか、ありませんでしょう」 握り潰されたファックス用紙を広げ、机に重ねる。 床に散らばった携帯の残骸を隅に寄せ片づけた。 「清四郎があれほど狼狽するなんて。ただの誘拐ではないんですのね、おじさま」 野梨子は和服の背筋を伸ばし、万作に問いかけた。 万作は青ざめた顔で、頷いた。 「テロリストに拉致されただよ」
*****
兼六聖吾は、テロリストではない。 だが、目的が明確でないだけに、危険な存在といえた。 「どこ、行くんだよ!」 悠理の腕をつかみ、聖吾は非常階段を上り続ける。 もうすでに、五十階を越えていた。 さすがの悠理も一気に十階以上登らされては息が上がる。 「上に向かって、どうする気なんだよ!」 悠理は答えない聖吾に、きつい口調でもう一度問いかけた。 「うるさいお嬢さんだ」 悠理の脇腹に銃口が押し当てられる。 「そろそろ解放された客の口から、奴らの要求が当局に伝わるころだろう。スイス銀行への振込み六十億と、脱出用のヘリだったか。人質交換のため、奴らは屋上のヘリポートを利用する。もし警察や兼六側が要求に応じなければ、ビルに仕掛けた爆弾を順次爆破させるはずだ。ぼんくら兄貴どもや役員どもが親父を見殺しにするのはあり得る話だが、このビルには大金がかかっているからな」 「じーさんを、助けに行くのか?」 そう言った悠理を、聖吾は口元を引き上げて見た。 「なんの義理で?」 父親だろう、と言いかけた悠理の口は、男の冷ややかな笑みに閉ざされた。 「爆発物がどこにあるかわからない以上、屋上が一番安全だろう。どうせこのビルが破壊されるほどの大量の爆弾など奴らも用意しちゃいない」 「そんなの、外に逃げれば済むことじゃないか!」 悠理の脇腹の銃口が、きつくなった。 「逃げればおもしろくないだろう。俺が見たいのは、巨大な崩壊だ。親父殿だけじゃない。このビルが兼六と剣菱を道連れに景気良くぶっつぶれてくれれば、さぞ見ごたえがあるだろうよ」 聖吾は口を歪めて嗤う。 「さて、どうやって壊してやろうかね?この巨大なビルも、あんたも」 狂った笑いに、悠理は思わず破かれた胸元を握りしめた。 指が首のチョーカーに触れる。 冷たく堅いその感触に、わずかな安堵感を覚えた。
(清四郎は、必ず来る)
いつでも、悠理が本当に必要なときには、清四郎は必ず来てくれた。 魅録や美童、可憐や野梨子だって。 仲間たちの存在は、悠理を支えてくれる。 大人になった今も、それは変わらない。恋は破れても、信じられるものは変わらない。
まるで悠理の考えを読んだかのように。 「あのナイト殿の助けを期待しているのかな。お大事のあんたを守りきれなかったことを、随分悔やんでいるようだったが」 清四郎の電話を挑発的に切った聖吾は、自分の破った悠理のドレスを愉快気に眺めた。
「清四郎は、あたしを助けるためには来ないよ」 悠理は銃口にも怯まず、顔を上げた。 「あたしと共におまえと戦いたくて、きっと来る」
そして清四郎は、悠理が助けを震えて待つだけの女などとは、思っていない。 その信頼に、悠理は応えてみせる。
(今だって、あたしたちは一緒に戦っている)
そう思うだけで、身のうちから勇気が湧いてでた。 悠理はチョーカーに触れたまま、それからは無言で階段を上り続けた。 狂った男と共に、テロリストの待つ屋上へと。
*****
『完成したばかりの超高層ビル、兼六ビルを襲ったテロリストグループが特定されました。解放された人質が持ち帰った犯行声明文によりますと…』 報道規制が敷かれているのだろう。TV中継の画面は、煙の上がる兼六ビルを遠目に望むのみ。 「悠理は、屋上に向かっているようですわ」 清四郎の持ったモニターのホストは、剣菱邸のコンピュータールームにある。 結局、地下トンネルを通じて剣菱邸に戻ってきた万作と可憐、野梨子は、TV中継とモニター画面を交互に見つめる。 野梨子が何度か連絡を入れたが、清四郎は「わかりました」と短い返事を返すのみ。 人質をとられた上の爆弾テロ事件とあっては、ビルに近づくのも容易ではないのだろう。
「あのビルが爆破されたら、悠理はどうなるのよぅ」 可憐は両手を握りしめ、すでに涙目になっている。 「彼らは自爆テロのたぐいとは違うようですわ。爆破も、小規模でしょう?」 「金なら、いくらでも出すだがや!」 「ええ、お金が目当てなら、悠理が殺されることはありませんわ」 野梨子は蒼白な顔で、気丈に断定した。 膝の上で重ねた手の左手の薬指に目を落とす。 彼女の夫も、清四郎と行動を共にしているに違いない。 あの三人が揃えば、どんな危険も乗り越えられる。 野梨子は実感として、それを知っていた。 どんなときも、清四郎が助けてくれることを、野梨子が疑ったことはない。 「大丈夫です。清四郎が行きましたもの。まして悠理は、清四郎の…」
――――清四郎の――――。
幼なじみが、ずっと誰を見つめてきたか。誰を愛しているか。一番最初から、野梨子は知っていた。 もっと、ずっと、幼い頃から。おそらく、本人が気づくよりも早く。
しかし、野梨子は言葉を続けることができなかった。 「モ、モニターが!」 可憐が悲鳴をあげる。 発信機の点滅が、モニター画面から消滅していた。 そして。 『い、今また、屋上付近で爆発がありましたっ!』 興奮したレポーターの金切り声。 ズームになった兼六ビルの屋上から、たしかにそれまでとは違う大規模な爆煙が上がっているのを中継車は捕らえていた。 「悠理!」 TVの前の三人は、思わず悲鳴をあげていた。 沈黙した発信機と、煙をあげるビルの映像に、万作は白目をむいて気絶した。
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