名前のない夢を見つけて

 

4.



屋上爆破の数分前。

銃弾の降り注ぐ中、悠理は裸足で走っていた。
ダイナマイトを腹に巻いたテロリストが、兼六会長を突き飛ばす。
聖吾の撃った銃弾は、悠理をも実の父親をも、当然のようにかすめた。
すでに気絶していた兼六老人の体がコンクリートの床に崩れる。悠理がその上に覆い被さったとき、至近距離で激しい爆発が起こった。



*****





それよりさらに、数分前。
兼六聖吾と悠理は非常階段を上り切り、61階、すなわち屋上に到達した。
その途端、待ち構えていたかのようなテロリストとの間に、戦闘が再開する。
聖吾は悠理には見せなかったもう一丁の銃を取り出し、二挺拳銃で応戦した。
悠理はコンクリートに伏せ、少しでも聖吾から離れようとする。
しかし、すぐに聖吾に腕をつかまれた。
聖吾はフランス語で、何事か叫んだ。
四人のテロリストも、叫び返す。

彼らの言葉は早口で訛りがきつく、悠理には理解できなかった。
英語こそ日常会話ならば話せるようになった悠理だが、仏語の知識はそれより劣る。
だけど、内容は想像がついた。
さきほど悠理に語ったように、兼六だけでなく剣菱からも金を引き出して手を組もうとでも交渉しているのだろう。
しばし、銃声の代わりに、訛りのきつい仏語が応酬された。
「行こうか」
話がついたのか。
鉄の扉の影から、聖吾は悠理を盾にするように身を晒した。
裏切り者の聖吾を、信用はしていないのだろう。テロリストたちは厳しい表情で、兼六会長に銃を突き付けたままだ。
ゆっくりと、聖吾は父親を拘束したリーダー格に近づいていった。
リーダーは鋭い声を発し、自らの腹に巻いたダイナマイトを見せる。
ビルに仕掛けた爆弾の起動装置は、他のものが手分けして持っているらしい。
誰を攻撃しても、危険は去らないということだ。

しかし、聖吾は薄笑いを浮かべ、突然、銃を兼六会長に向けた。
「あばよ、親父殿」
気絶した父親に、日本語で告げる。
兼六会長には聞えないその言葉を、悠理は理解した。
「やめろ!」
悠理は聖吾の腕にしがみついた。
弾道が逸れる。
聖吾は悠理を殴り倒した。
床に打ち付けられながらも、悠理は体勢を整え、すぐに立ち上がる。
そのまま、身を低くして走り出した。
兼六老人に向かって。

リーダーは、聖吾にとって人質の意味がないと悟り、老人を突き飛ばして聖吾と距離を取ろうと走り出した。
他の三人のテロリストたちも、下げていた機関銃を聖吾に向ける。
聖吾はすばやく移動しながら、応戦した。
屋上のヘリポートに、銃弾の雨が降る。
仲間たちが駆け寄るよりも早く、聖吾の弾が、リーダーの背を撃ち抜いた。

悠理は老人を少しでも激戦から遠ざけようと引きずっていた。
流れ弾が頬をかすめる。
気づくと、チョーカーの金具が外れていた。
ダイヤモンドを弾がかすめたのだ。
悠理は老人を抱きかかえながら、チョーカーをつかんだ。
焦げたような痕跡。
チョーカーがなければ、これは悠理の首に着いたのだろう。
清四郎が、守ってくれたような気がした。

握り締めた、そのとき。

激しい爆発音が、ヘリポートで起こった。
爆風に、老人とともに飛ばされる。
テロリストの体ごと、ダイナマイトが爆破したのだ。
同時に、下の階の起爆装置も作動し、床が振動する。
屋上全体に、走った亀裂。
ヘリポートは、瓦礫と血塗れの惨状と化していた。



*****





打ち付けられたフェンスと老人の体がクッションとなり、悠理は気を失うこともなく、すぐに身を起こした。
「あちゃ・・・何本か、折れたな骨」
自分の、ではない。気の毒な兼六老人の、だ。
悠理自身は耳が多少馬鹿になっているぐらいで、ほとんど無傷に近い。
振りかえると、爆煙で良く見えないものの、屋上は酷い状態だった。
亀裂の入ったコンクリートの間に、血と肉片が飛び散っている。
悠理たちのすぐそばには、指らしき肉片のついたままの銃まで転がっていた。
吐き気をこらえて、聖吾の姿を探す。
聖吾は入り口の鉄扉の影で、身を伏せていた。
彼の視線の先を追って、残る三人のテロリストたちの無事も確認する。
悠理や聖吾よりも距離のあった彼らは、惨状に愕然としながらも、機関銃をまだ手にしていた。
彼らはしかし、聖吾の姿を捕捉していない。
「皆殺しにする気かよ・・・」
テロリストが、ではなく、兼六聖吾が、だ。
兼六老人も悠理も、彼は躊躇なく殺す気だ。
ヘリポートを破壊したことで、金や脱出を聖吾が考えていないことが知れた。

空中の孤島。

悠理は強い風に煙りの流れる空を見上げた。
超高層ビルの最上階は、デスゲームの舞台と化している。
警察か報道陣か、ヘリの音は周囲からするものの、もうヘリポートは使えない。
テロリストを刺激しないためか、ヘリは屋上から見える位置には近寄らなかった。

助けは来ない。ここは、孤島。
怖くて怖くてたまらなかった。
だけど、泣き崩れ諦めることを、誇りが許さなかった。
何年も掛って、清四郎ととも作り上げた”剣菱悠理”の誇りが。

悠理はまだ握ったままだったチョーカーに目を落とした。
壊れた金具を曲げ、腕に着ける。
そして、肉片と共に飛ばされたテロリストの銃を拾い上げた。

「兼六聖吾!」
悠理は立ち上がって、銃を構えた。
「殺しあいたいなら、勝手にしろ。だけど、あたしはおまえらに付き合う気はない。このじーさんも、”義理はない”んだろう」
言葉はわからなくても、テロリストたちは悠理の視線で、聖吾の居場所をつかんだ。
彼らは狙撃されないよう、かたまって瓦礫に身を潜める。
聖吾は問題外にしていた悠理の恫喝に、一瞬、虚をつかれたようだったが、すぐに表情を変えた。
「これはこれは、クイーン」
地獄絵図のような惨状を前に、聖吾の揶揄するような口調は変わらない。
「そこを、通してもらう」
悠理は、男に銃を向けた。

聖吾は銃口を見つめて冷笑する。
「おやおや、勇ましい。だが、現状認識は甘いですな。その老人を抱えて、60階を降りると?」
脱出路は、ただひとつ。聖吾が立ちふさがっている、階下への路だけ。
しかし、その階下がどうなっているか。まだ破壊されていないとしても、起爆装置を持っているテロリストが残っている以上、いつ爆破されるかもわからない。
「それでも、ここで黙っておまえに好きにはさせない」
「その銃ひとつで、この俺と戦えるとでも?無駄な抵抗だ」
聖吾の狂った目が、明らかな喜びに輝いた。
この男は、獲物の抵抗を楽しんでいる。
悠理の身のうちに、恐怖を凌駕する怒りと嫌悪が湧き起こった。

「舐めるな、あたしを、誰だと思ってる!」
そのとき、風の音に紛れて遠く聞えていたヘリのプロペラ音が、大きくなった。
悠理の言葉は、聖吾に届かなかったかもしれない。
だから悠理は、聖吾に決意を見せつけるように銃の安全装置を外した。
かつては、裏打ちなく持っていた誇り。それを今、悠理は力に変えた。
「あたしは”剣菱悠理”だ!」



*****





背後のフェンスの向こうから、激しい強風。
プロペラ音。
聖吾の顔色が変わった。
悠理が引き金を引くよりも早く、ライフルの銃声。
聖吾の肩が撃ち抜かれる。
銃を手放し、兼六聖吾は愕然とした表情のまま、仰向に倒れた。

悠理は背後を振り仰ぐ。警察のヘリからライフルを構える頼もしい親友の姿が見えた。
「魅録!」
ヘリは悠理の頭上を飛び、ヘリポート上空に移動した。
ヘリから身を乗り出す、黒いスーツの男。
瓦礫のヘリポートには着陸できない。5.6メートルは上空に浮かぶヘリから、男は飛び降りた。
「清四郎!」
叫んだのは、悠理ではなく魅録だ。
まだ旋回しているヘリからダイブするとは、思っていなかったのだろう。
だが、清四郎は瓦礫の上にも危なげなく着地した。
一瞬、悠理と清四郎の視線がからむ。
しかし、清四郎は立ちすくんでいる悠理を残し、身をひるがえす。
ヘリからの急襲に、銃を持ち直し戦闘態勢を取ろうとしていたテロリストへ向かって。

素手の清四郎に対し、軍事訓練を受けた三人のテロリストは機関銃で武装している。
瓦礫の上で、あまりに無謀すぎる戦いが始るかに見えた。

しかし、一瞬のうちに、勝負はついた。

清四郎が動いた瞬間。
銃声さえ起こらない内に、男たちはコンクリートに倒れ伏す。
”天才”と言われた体術で、清四郎は三人を戦闘不能にしてのけた。
彼らは、なにが起こったのかさえ、理解できなかったろう。
あまりに、鮮やかな手並みだった。

瓦礫の上に、立っているのは拳を固めた清四郎一人。
「清四郎・・・」
悠理は、男の名を呼ぶだけが、精一杯だった。
思い出したように、足が震え出す。
忌まわしい銃は、手から滑り落ちた。
清四郎は気絶したテロリストたちから武器と起爆装置を奪い、やっと悠理に振りかえった。
風に乱れる前髪の下の険しい表情が、ふ、と緩んだ。
口元が笑みを作る。
「お待たせ」

その清四郎の笑みに、悠理の震えが止まった。
「・・・遅い!」
悠理も微笑を浮かべることができた。

強い風が二人の間を吹きぬける。
瓦礫と血塗れの惨状においてなお、清四郎の笑みは悠理を落ち着かせた。
ずっと、一緒に戦っていた。
それを、疑ったことはない。
そして、悠理が必要とするとき、清四郎が来てくれることを。

こんな絆があってもいい。
男と女として、愛しあうことはなくても。
まだ胸を締め付けるこの恋が叶うことはなくても、それよりも大切なものを、確かに悠理は手に入れている。

――――清四郎を、愛している。狂おしいほど。
そして、そのことが悠理を強くする。
脆くて愚かで泣き虫な女は、今でも悠理の中で生きているけれど。
昔、切望したものはすべて、手に入れていた。
足元の見えないてっぺんで、微笑むことすら。

もう、悠理が清四郎の前で崩れることはないだろう。
萎えていた足に力が戻る。悠理は一歩足を踏み出した。
その胸に飛び込むことはできなくても、悠理にとってたった一人の男を見つめて。

突然、清四郎の笑みが強張った。悠理に向かって、突進する。
”兼六”
そう清四郎の口が動いた。
悠理はとっさに身を伏せる。
清四郎は悠理の足元に転がっていた銃を拾い上げ、振り返った。
だが、立ち上がって悠理に銃を向けていた兼六聖吾の方が早かった。

まだ清四郎が銃を構える前に、銃弾は発射された。
清四郎は悠理の上に覆い被さる。
二度、三度、連続した銃声が屋上に響いた。
男の体に突き刺さる銃弾。
清四郎の腕の中で。
ヘリの爆音にも関わらず、その乾いた音は、悠理の脳裏に焼き付けられた。







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