前編 久しぶりの盛大なパーティ。 有閑倶楽部の六人が勢揃いするのも、久しぶりだ。 「あら、清四郎は?」 大きく胸の開いた赤いドレスの可憐が、悠理に問いかける。 可憐のゴージャスな美貌を引き立てるイブニングは、しかし往時よりも深い紅。 彼女の左手の薬指からは金色の結婚指輪が消え、残った痕を隠すように、左手の3本の指には宝石が輝く。破れた結婚生活の代わりに、可憐が大切にしている商売道具。 「ん、なんかあっちで仕事先の人間にとっ捕まってる」 立食式パーティのため、キープした大皿の中身を驚愕の勢いでさらえている悠理は、顎で背後を示した。 悠理の細身のスラックスからはこれまで消費された料理の居所は知れない。 オフホワイトのふわふわモヘアのキャミに揃いの帽子をかぶった悠理はさして装飾品をつけてはいないのに、やはりひどく派手だ。 彼女の左手の薬指にも白い痕。こちらは隠す気はさらさらないが。 「今日はプライベートで来てますのでしょう。清四郎も相変わらず無粋ですわね」 さすがにもう振袖とはいかず、上品な訪問着姿で髪をアップにまとめた野梨子は不満顔。 「そうも行かないだろうさ。政財界の大物が出席してるこんなパーティで、剣菱財閥の実質的トップがそ知らぬふりできるわけないだろう」 辛辣な妻の言葉に、蝶ネクタイ姿の魅録は苦笑する。 「あ、やっぱ清四郎がもうトップなんだ。おじさんは引退?」 白いスーツで肩までの金髪を後に流した長身の美青年が、仲間達に問いかけた。 美童は久しぶりの日本勤務となり、帰国したばかりだ。 「うん。父ちゃんは一応まだ会長だけどさ。毎日農作業か母ちゃんと旅行三昧」 「まぁぁ、悠々自適。うらやましいわぁ」 「以前からおじさんはそんな感じだったけどな」 一同、顔を見合わせて笑った。 「相変わらずってったら相変わらずかもな。この前も、オーストラリアからいきなり父ちゃんが電話してきて。母ちゃんがさらわれたって大泣きなんだ。あわくって清四郎と駆けつけたら、国際誘拐団の介入がどうとか、大騒ぎになっちまって」 「えええっ!」 「・・・ああ、その話なら知ってる」 インターポールの魅録はコホンと咳払い。 「そ、それでどうなったのさ」 「それがさ、オチは例によってまた母ちゃんの機嫌損ねて父ちゃんが置き去りにされただけでさ。テロ組織とCIAの争いに巻き込まれてあたいらが大変な目にあってる間、母ちゃんはニュージーのスパでエステ。しかもその後、天岩戸っての?出てこないから大変だったじょ」 「−−−−−何て言うか」 美童が大きくため息をついた。青い目は愉快気に細められる。 「相変わらずなんだね」 「な、言っただろ」 「本当に帰って来たって気がするよ。そういう話を聞くとさ」 大騒ぎの学生時代。彼らが巻き込まれた騒動事件は数知れず。 「なーんかね。悠理たち見てると、有閑倶楽部健在、って、つくづく思うわ」 可憐は肩を竦めて仲間達を見回した。皆同意の笑みを浮かべている。 ひとり、悠理が眉を寄せた。 「なんだよ、あたい達って」 「あんたと清四郎」 ふたりがセットで称されるようになって、もう随分たつ。 しかし、ある意味彼らの関係性は昔と変らない。 ペットと主人、トラブルメーカーとトラブルシューター。 仲間内で結婚したのは野梨子と魅録も同じだが、彼らは二人の世界を着実に構築し、落ち着いた生活を送っていた。 時おり騒動に巻き込まれることはあれど。 「あたいと清四郎を一緒くたにしないでくれよ。きっぱりはっきり他人なんだからな!」 「ハイハイ、わかってるわよ」 唇を尖らせた悠理の言葉に、可憐は手をヒラヒラ振った。 「今は、でしょ」 過去、他人ではなかったのだから悠理も否定しない。 しかし、彼女以外は皆わかっていた。 過去だけでなく、未来も。 彼らふたりが、離れられないのは明白だった。 当の本人達いわくの、腐れ縁だとしても。 「すみませんね、せっかく皆が揃ったのに」 清四郎が苦笑を浮かべて、仲間達のテーブルに近寄ってくる。 彼は一人ではなかった。連れ立っているのは、長身の美童がまだ見上げるほどの大男と、小柄なチャイナ服の美女。 「・・・うわぁ、ひょろひょろジャイアント〜」 細身ながら2mをまだ越える清四郎の連れを、悠理はびっくり顔で見上げた。 「悠理!」 清四郎が叱責する。 大男は慣れているようで、気を悪くした様子はなかった。 「ユーリ?」 にっこり微笑む。 「ああ、そうです。悠理、こちらは香港のロケッツ財閥の姚明氏だ。ミスター・ヤオ、彼女が剣菱悠理です。あと、友人の松竹梅魅録と野梨子夫妻、黄桜可憐に、美童グランマニエ。彼らは僕らと同窓なんですよ」 「知ってます」 清四郎の言葉に答えたのは長身の男ではなく、小柄な美女の方だった。 「あ!」 男に気をとられてよく見なかった彼女の顔に、皆は驚く。 美童が小さく口笛。 「花凋(フアリュウ)?」 中国マフィアを抜けようとした兄と共に、かつて有閑倶楽部に助けられた中国娘。 つぶらな瞳に下がった眉、お団子に結い上げた髪もそのままだが、薄化粧をほどこした彼女は艶っぽさを増し、フォーマルチャイナのドレスが大人の女性の色香を漂わせている。 「よく、私の名、憶えててくれたね、美童。私も忘れてないよ。本当に本当にあなたたちと会いたかったもの。悠理、可憐・・・野梨子と魅録は結婚したか?素晴らしい!」 花凋は両手を合わせて頬を薔薇色に輝かせた。 「清四郎、ありがとう・・・私、感激です!」 清四郎を潤んだ瞳で見つめ、花凋はヤオ氏に中国語でなにやら伝えた。 ヤオ氏は笑顔で頷く。 「ユーリ、ミナサン、お会いできて光栄デス」 ヤオ氏は片言の日本語で挨拶し、悠理に手を差し出した。 「あ、ど、ドーモ」 ポカンとはるか頭上の顔を見上げ、悠理が握手すると、彼は少しはにかんだ笑みを見せた 「じゃ、セイシロウ」 「ええ、また後ほど」 ヤオ氏は長身を翻す。清四郎と花凋に手を振ると、彼らから離れ別のテーブルに去って行った。 彼の後姿を見送ったあと、花凋は悠理たちに顔を向けた。 「本当に、本当に、会いたかったよ!」 言葉通り、彼女の目には涙が浮かんでいた。 仲間達は思いがけない再会に、沸き立った。 「おかげ様で、兄もカタギの職について結婚したよ。私も通訳の勉強して学校出たよ。日本語はあまり上手くないけどね」 「ロケッツ財閥のヤオ氏とどんな関係なの?意外に若い総帥ね〜」 興味津々の可憐に、花凋は清四郎と顔を見合わせる。 「ヤオ氏は二代目の御曹司です。彼女はヤオ氏の通訳兼ボディガードですよ」 「やぁ、ボディガードは冗談よ!」 花凋は頬を染めて、清四郎の脇に肘を入れる。 「でも、本当でしょう。聞きましたよ、武勇伝」 清四郎はクスクス笑う。 「ヤオ氏は実業界にデビューしたばかりですが、先代からの敵も多いですからね。彼女が付いていれば安全だとアピールした甲斐がありました」 「ボスは、腕っ節はからっきしだからね」 二人の会話に首を傾げた仲間達に、花凋は照れた笑みを見せた。 「ボスは、清四郎が紹介してくれたの」 「へぇぇー・・・君達、ずっと連絡取り合ってたんだ」 美童が目を細めて指摘する。 「ええ、季節の挨拶程度はずっと。だからクイズで香港に行ったときも会えたでしょう」 「ああ、そうだったわね」 可憐と美童は頷く。 悠理、魅録、野梨子は首を傾げた。 「あのときは確か、喧嘩してるって言ってたね。清四郎も淋しそうだったよ」 その言葉で思い出す。 倶楽部唯一の仲違い。断交状態で世界横断クイズにチャレンジし、様々な事件に巻き込まれた。 「誰が、淋しそうですって?脚色しないで下さいよ」 清四郎は苦笑しつつ、両手を組んだ。 左手の指輪を回す。それは、無意識の仕草。昔はなかった癖だ。 「ところで、花凋。せっかくだから今夜は皆とゆっくりしたらどうですか。どうせこのあと剣菱邸で騒ぐ予定なんですから」 「でも、私」 「ヤオ氏なら大丈夫ですよ。あなたが休みを取らないって、彼のほうから言い出しましてね。今夜、彼は僕が東京の街を案内します。女性には行きにくいところもね」 片目をつぶった清四郎に、野梨子は眉をひそめた。 「まぁ、どんなところですの?」 「ムッツリスケベ」 悠理はプイと顔を背ける。 清四郎は苦笑して悠理のモヘアの帽子をポンポン叩いた。 「仕事です、仕事。と、いうわけで。悠理、皆さん、花凋をよろしく」 「そりゃあ、もちろん」 頷く仲間達に背を向け、清四郎は歩き出した。 ヤオ氏の長身は広い会場内でも頭ひとつ抜け出て人ごみの向こうにそびえていた。 遠ざかる清四郎の後姿とボスの姿を見送っている花凋に、可憐は問いかける。 「ねぇ・・・本当にヤオ氏とはただのビジネス関係?」 「え?」 花凋はきょとんと振り返る。 「なんだよ、可憐。また玉の輿狙ってんのか〜?」 「よしてよ、悠理。そんなんじゃないわよ。あたしは結婚はコリゴリなんだから」 「あー、あたいも」 うんうん同意する悠理を軽く無視して、可憐は花凋を真っ直ぐ見つめた。 探るような可憐の視線に、花凋は吹き出す。 「いや、ぜんぜん。清く正しい関係ね。第一、ボスは今日は悠理に会いたくてこのパーティに来たんだよ」 「えっ、あたい?!」 悠理はもとより、皆驚く。 「な、なんで?!」 花凋はクスクス笑った。 「私が働きだす前のことで、清四郎から聞いただけなんだけど・・・悠理、何年か前、あなた結婚相手を公募するイベントしたでしょう?」 「ほぇぇ?!」 悠理は目を白黒させる。 「香港の財界では話題になったらしいよ。”剣菱財閥の御令嬢の花婿探し”って」 仲間たちは合点がいき、頷いた。 「ああ、あの”求婚デスマッチ”な。悠理、まさか忘れてねーだろ。おじさんがぶち上げたイベント。おまえの花婿候補が押し寄せたもんだから、選抜勝負したじゃないか」 「たしか最後まで残ったのが兼六の息子で、悠理と直接対決したんだったわね」 「おじさままで乱入して、親子タッグで倒したんですわ」 「ああ、あれってプロレス興行じゃなかったのか。そうだよな、たしか最初は花婿探しだったっけ」 仲間たちの言葉で悠理もあのとんでもない経験を思い出していた。 清四郎と何度目かの婚約破棄をした直後。 その元婚約者は、一番愉快そうにリングサイドでニヤニヤしていた。 「あー・・・アレな」 悠理は眉を寄せた。 「その香港予選に、実はボスも出たそうなのね」 「えっ!」 花凋の言葉に、皆は目を丸くする。 「先代の命令だったそうだけど、ボスも悠理の写真見て、結構乗り気になったらしくって」 「えええっ!」 「けど、ボスはあの身長の割にあまり強くないね。一回戦で負けたらしいよ」 花凋は苦笑する。 「それでも、悠理には会ってみたいとずっと思ってたみたいだって、清四郎は言ってたね。さっきのボスの様子じゃ、たしかにその通りのようね」 花凋の話に、皆はあぜん。 「・・・つーか、あれって国際的イベントだったわけ?」 可憐の言葉に悠理の眉根がますます寄った。 「・・・やなこと思い出させんなよぉ」 はっきり言って、当事者の悠理にとっては、かなり忘れたい過去だ。 「それで、悠理、素敵な花婿サンは見つかったの?」 笑顔の花凋は無邪気に悠理に問いかける。 「うっ」 悠理は言葉に詰まった。 顔を引きつらせた悠理に、花凋は困った顔をする。 「あ、まだ?気に障ったらごめんなさい」 可憐が助け船を出した。 「・・・花凋、清四郎からなにも聞いてないの?」 「ううん、なにも。野梨子と魅録が結婚したのだって、さっき知ったとこよ。でも悠理が結婚してたら、ボスはあんなソワソワしてないかもね」 ふふふ、と花凋は微笑する。 「ボスは善い人よ。体力はないけれど」 「悠理の男の基準は”強いか弱いか”だからなぁ」 美童が苦笑した。 「で、清四郎のことも、聞いてないの?」 その美童の問いに、花凋は眉を下げた。 「清四郎、指輪してるから・・・・訊いちゃったよ。離婚、したんだってね」 皆は顔を見あわせる。 「相手については?」 花凋はうつむいて首を振った。 うつむく彼女は、雨に打たれた花のようだ。 顔を上げないまま、花凋は呟いた。 「でも・・・清四郎、まだ奥さんのこと愛してるね」 その言葉に、可憐はシャンペングラスを落としかける。 野梨子はゴチンと夫の肩に額をぶつけ、魅録は煙草を飲み込みかけた。 そして悠理は。 手羽先をくわえたまま、抱えていた大皿を取り落とし。 「あぶないなぁ」 隣にいた美童が、その皿を受け止め支えた。 まるでそれは清四郎のような絶妙なタイミング。 彼でなくても、悠理の動揺は予想できる。 「・・・どうしてそう思うんだい?」 花凋は顔を上げて美童を見た。 「だって、清四郎、指輪を外さないでしょ。時々、あの指輪に触れてるよ。すごく優しい顔でね」 眉尻を下げた花凋は、微笑した。 「それに、前の奥さんのこと訊いたのよ、私。どんな人?って」 ゴホゴホ悠理がむせた。今度はチキンを喉に詰まらせ。 野梨子がその背をパンパン叩いてやる。可憐は悠理にグラスを渡した。 悠理はそれを一気に飲み干す。 「で、奴さん、なんて?」 魅録は新しい煙草に火を点けた。 「”とんでもない女”だって」 悠理がブッとシャンパンを吹きだす。 「だけど、そう言った清四郎は、やっぱりすごく優しい顔してたよ」 花凋は儚い笑みを見せた。 「奥さんのこと、忘れられないんだね」 恋する瞳。 彼女の想いは誰の目にも明らかだった。 「・・・それは、まぁ・・・忘れられるわけはありませんわ」 野梨子が困惑してため息をついた。 「そりゃ、そうよね」 可憐も肩をすくめる。 「だよな」 魅録は天井を仰ぐ。 「忘れる気、ないんだからね」 美童は隣の悠理に目を移した。 悠理は――――真っ赤な顔で固まっていた。 呼吸困難。 もちろん、チキンを喉に詰めたためでも、シャンパンのせいでもなかった。 ずっと花凋は出してみたかったんですよ。”香港の悠理”。 小説置場TOP |