中編 そろそろパーティもお開き時間となった。 ボスと清四郎に挨拶してくる、と花凋(フアリュウ)が席を離れた。 仲間達はにこやかに見送ったあと、急ぎ円陣を組んで頭を寄せ合った。 「・・・どうする?」 「どうするって?」 「だって花凋ってば、絶対清四郎に惚れてるわよ!」 「や、やっぱそうかな?」 「あの様子では、どう見てもそのようですわね」 「しかも、”清四郎の愛している妻”が悠理ってことを知らないんだぜ」 「”元妻”だ!」 唾を飛ばして悠理は訂正する。 「そ、それに、あ・・・”愛してる”ってのも誤解だっ!」 「「「「そう?」」」」 仲間達四人の声がハモる。 悠理は赤面してぶんぶん首を振った。 「花凋はなんかカンチガイしてんだ!あいつが指輪外さないのは、面倒だからだ!」 「まぁねー」 可憐は肩を竦める。 「またあんたと結婚する気だから、外す気がないのよね」 ぐっ、と悠理は息を詰める。 清四郎は皆の前で、悠理に署名捺印済みの婚姻届をすでに渡している。それも、何枚も。 セットで離婚届も渡されているものの、”何度でもどうぞ”という彼の意思は明白だ。 「清四郎は同行しないとはいえ、これから剣菱邸に移動すれば、嫌でもわかってしまいますわね」 「その前に教えてやった方がいいんじゃないか?」 「ショックだろうな、花凋・・・」 「もう別れてるんだから、関係ないだろ!」 「別れてる?あんたたち、それで寝室くらい分けてるわけ?」 「ぐっ」 「「「「「ショックだろうねぇ、花凋・・・」」」」 また仲間達の声がハモったとき。 「なにがショック?私のこと?」 円陣の外から声が掛かった声に、ギクリと五人の背が固まる。 振り返ると、花凋。つぶらな瞳に長い睫毛が掛かっている。 美童が一歩動いた。 「ねぇ、花凋。清四郎の”元”妻のこと、知りたくないかい?」 彼女の華奢な肩に手を置く美童は笑顔。しかし、いつものような邪な狩人の表情ではなかった。 「え・・・ええ、知りたいような、知りたくないような」 だから、花凋も美童の手をふり払ったりはしない。 純真な目で彼を見上げる。 「きっと、すごく素敵な女性なんだろうな、って思います。だって、清四郎は今でも・・・」 憂いを帯びた瞳。想いを隠さない、真っ直ぐな花凋。 「いや、それ誤解だから」 悠理が片手を振る。 「あ・・愛はナイから!」 こちらは憂いどころか、怒っているように唇を引き結ぶ。 意地っ張りの悠理。 「「「「そう?」」」」 仲間達は首を傾げる。 可憐がツイと手を伸ばした。 「あんたもねー、いい加減、素直になれば?」 可憐の白い指は、悠理の胸元に。 「うぎゃっ」 悠理がわめくのにもかまわず、可憐は悠理の胸元から金鎖を引き出した。 細いネックレス。トップには、指輪が二つ。 まったく同じ形のそれは、結婚指輪。 「こんなの、ずっと身に着けてるくせにね」 あ、の形で花凋の口は固まっている。 「・・・悠理だったの・・・?」 呆然と問われ。 悠理は音の立つほどの勢いで赤面した。 「せ、政略結婚だったんだ!うちの家庭の事情もあったし、あいつ、剣菱で事業したくてさ!惚れたのはれたのじゃねーから!」 悠理は恥ずかしくてならなかった。純粋な花凋の想いの前で。 「悠理、いまさら何言ってんだよ」 「それっていつの話?」 「最初の婚約騒動のときは、そうだったかもしれませんけど」 「往生際が悪いわねー」 仲間たちに口々に言われ。 意地になって悠理はわめいた。 「あたい、あいつのことなんとも思っちゃいないもん!あいつだってそうだよ!」 四度の婚約破棄に、二度の離婚。悠理の屈折は筋金入りだ。 呆然としていた花凋は。 眉を寄せ、きゅ、と唇を結んだ。 じっと見つめる。 憤怒のためか羞恥ゆえか、真っ赤に染まった悠理の顔を。 そしてその夜、花凋はもう清四郎の名を口にすることはなかった。 昔馴染みとして剣菱邸に招かれ、仲間たちと笑いあって過ごした。 もちろん、悠理に対する態度も変わることはなかった。 翌朝。 悠理は一番に起き出した。 目覚めたのは自分の部屋だ。 仲間たちは皆泊まっていったが、さすがに、もう昔のように雑魚寝とはいかない。 松竹梅夫妻以外は、皆それぞれ個別の部屋で休んだ。 悠理もひとり。 広いベッドの隣は、もとより月の半分は空白だ。 だけど、つい清四郎のいる日と同じ時間に目覚めてしまう。 最初の結婚以来、すっかり習慣となってしまった。朝稽古に毎日付き合わされるため、朝の弱い悠理も早起きに変わった。 若干の食生活の変化のせいもあるだろう。悠理の消費する食物の量については諦めているのか清四郎も何も言わないが、栄養バランスにはうるさかった。 悠理は伸びをしてベッドを抜け出し着替えた。 愛用の、チャイナ風道着。腰紐をきゅっと結んだところで、昨夜の客のことが脳裏を過ぎった。 「花凋・・・まだ寝てるかな?」 そう呟いたとき、扉をノックする音が隣の間から聞えた。 悠理の部屋は二間続きになっている。奥にはベッドルーム。そしてTVやソファ、書棚やパソコンの置かれた居室。書斎もコンピュータルームも別にあるものの、清四郎は一番家で多くを過ごすこの部屋に、大きな書棚を備え付けた。 悠理はベッドルームを飛び出し、扉を開けた。 清四郎が帰って来るにはまだ早い時間だ。ノックの仕方も違う。 仲間たちは寝坊助揃い。 きっと、花凋だと思った。 「おはよう、悠理。執事さんに教えてもらったよ。いつも朝稽古してるんだってね」 ノーメイクの花凋は、少女のように見えた。彼女は拳法の遣い手だ。チャイナの道着をすでに着ている。 「一緒にしようか!」 悠理は嬉しくて、友人に笑いかけた。 一度だけ見た、彼女の見事な飛び蹴りを思い出していた。 胸がわくわくした。 花凋は悠理の笑顔に、微笑を返す。しかし、花凋の目は悠理の肩越しに室内に向けられた。 その目が切なげに見えて。 ドキンと、悠理の鼓動が鳴った。 ローテーブル伏せられた読みかけの本。ソファの背に掛かったままのローブ。 この部屋には、彼の気配が強く残る。 「に、庭でもいいけど、道場もあるんだよ。行こう!」 悠理は後ろ手に自室の扉を閉めた。 なぜか、後ろめたい。 花凋の恋を、知っていることが。 その彼と生活し、年月を重ね―――― ――――愛してはいないと、言い切ったことが。 剣菱邸の広い庭に小さな道場が建てられたのは、清四郎ではなく悠理の希望だった。 雨風の日にも、心置きなく組み手ができるからだ。 結局、この家で静寂を保てるのはここだけだと、清四郎もよく一人で座禅を組んでいる。 万作に黄金の茶室。清四郎には道場。男というものは独りになる空間が必要な生き物らしい。 逆に悠理は独りは嫌いだ。 だから、この道場は清四郎がいないと、ほとんど使わない。 庭で、タマやフク、アケミサユリと一緒のほうがまだマシだ。 だけど、今日は花凋が一緒だった。 ストレッチする悠理の横で、花凋はゆっくりとした動作の太極拳。 東村寺も中国拳法の流派だが、基本動作から微妙に違う。 悠理は花凋の動きをマネし、太極拳に挑戦してみた。 ひどく緩慢な動きなのに、しばらくすれば汗が出る。 「ふぇぇ、中国のおばちゃんおっちゃんが朝公園でしてるやつだろ?ラクチンそうなのに、結構効くなぁ」 「悠理、筋がいいね」 すぐに正確な動きを沿ってみせた悠理に、花凋は笑みを向けた。 二人は向き合って礼をする。 拳を固め、それぞれ構えた。 「ハッ」 気合とともに放たれた悠理の突きを、花凋は流れるような動きで避ける。 まるで舞いのような優雅な動作。 一連の動きの中で花凋の放った蹴りは、悠理も上体を反らし避けた。 双方、まだ相手の力量がわからないため、牽制している。 しかし、次第にスピードアップする連続攻撃の応酬には手加減の必要がなかった。 花凋が紅潮した頬で問う。 「すごく動きが速いね、悠理。正式に師匠について習っているの?」 まだ構えながら悠理は首を振った。 「雲海和尚っつって、えらいじっちゃんにちょっと稽古つけてもらったことはあるけどさ。ちゃんと習ったことはないなぁ。いつも清四郎と組み手してるだけで・・・」 彼の名を出したとたん、花凋の動きが鈍った。 悠理の鼓動がドクンと跳ねる。 まだ悠理は寸止めが上手くできない。清四郎相手に、その必要がないからだ。 「あっ」 悠理の蹴りが、花凋の肩に入りかけた。 すんでのところで、花凋は腕で防御する。しかし、体は横倒しに床に打ち付けられた。 「ご、ごめん!」 あわてて悠理が手を伸ばす。 「いや、悪いのは私よ。組み手の最中にぼんやりして。ごめんなさい、悠理」 思わず抱き上げた花凋の細い肩。 まだ悠理の動悸は落ち着かない。 「清四郎と、か・・・」 花凋は悠理の腕に抱かれたまま、小さく呟く。 名を口にしただけで、花凋が清四郎に恋をしていることはわかった。 そして、それが片恋であることも。 だから、昨夜も仲間たちの誰も、あえて彼の話をしなかったのだ。 花凋も清四郎の名を口にしなかったから。 このときまでは。 「あ、あの、花凋・・・」 花凋は悠理の手をそっと押しやった。 ゆっくりと立ち上がる。 「悠理の型は、だから清四郎と同じなのね。攻撃のタイプは違うけれど」 花凋は遠い目をする。 また、ドキンと悠理の心臓が音を立てた。 「清四郎と、組んだことがあんの?」 「・・・・うん、一度だけね」 そういえば、清四郎が香港に出張なんてしょっちゅうだ。ヤオ氏のロケッツ財閥も何度か聞いた名。 花凋と会う機会も多いことだろう。彼女が彼に、恋するくらい。 ちくり、と胸が痛んだ。 「今のボスとの面接のときにね。いきなり清四郎が私に殴り掛かってきたよ。ボディガードとしても優秀だとアピールしたんですよ、と後で言ってたけど、あわてる私を愉快がってたね。ちょっと意地悪ね、清四郎って」 「う、うん・・・ちょっとじゃないけど」 その場の光景が悠理にも想像できた。 からかうような清四郎の笑み。憤慨する花凋。あっけにとられたヤオ氏まで。 彼に肘を入れる花凋の姿は、パーティでも見た。 心許した気安い関係。それは、ただの友人関係だろうけど。 向かいあったときは大きく見えた花凋が、今は小さく見えた。 綺麗に編み込まれた黒髪。華奢な肩。 触れたときに手のひらに感じた、女性らしいたおやかで丸みのある体。 ボサボサの髪で、筋張った悠理の体とは、全然違う。 まだ動悸が収まらない。 悠理は自分が赤面していることを意識していた。 これでは、花凋にときめいているようだ。 ドキドキズキズキ疼く心臓。 高鳴るそれは、痛みをともなう。 ――――嫉妬なんかじゃない。 胸が痛むのは、嫉妬のはずはないと思った。 嫉妬を感じる権利は、悠理にはない。 清四郎が花凋に笑みを向けようが、組み手をしようが。 それどころか、恋を語ろうが。 彼に離婚届を突きつけたのは、悠理の方だったから。 「悠理・・・・別れたのは、愛してないから?」 花凋は顔を上げた。悠理を見つめる瞳は、懸命な想いを映していた。 花凋の眼差しから目をそむけたくて。 だけど、できなかった。 彼女の純な目に、清四郎が応える時が来ることを想像した。 思い出すのは、意地悪な笑み。 悠理は、恋を語る清四郎なんて知らない。 元妻ではあっても、恋人であったことなどはないのだ。 強引で自分勝手な悪友なら知っている。 そして、いつまでも悠理を離してくれない男の手と。 そうあることを望んだ友人のままなら。悠理は花凋に笑いかけることができるはずだった。 切れ上がったスリットのチャイナドレスが似合う綺麗な花凋。 ”ヤツはあれでムッツリスケベだからな” 笑いながらそんな忠告をして。親指を立てて。 なのに、悠理は動くことすらできなかった。 何も言えず。胸の痛みだけを抱えて。 答えない悠理の代わりに。 花凋はクスリと微笑した。 「私、”香港の悠理”って、言われたことがあるよ」 花凋の笑みが揺らいだ。 「清四郎のその言葉は、きっと誉め言葉ね?」 長い睫毛が伏せられ、花凋の瞳を隠す。 花凋の真っ直ぐな想いが、ひどく切ない。 後ろめたくて。恥ずかしくて。 彼女の恋が、眩しすぎて。 「昔、清四郎が私に言ったね。”諦めるな、もうだめだと思ったら、それで終わりだ”って。・・・私はその言葉に何度も支えられてきたよ。でも、もう終りにした方がいいと思う?」 悠理はなにか言おうとして、言えなかった。 ただ、首を振る。 花凋は誤解している、と思った。 清四郎が悠理と結婚したのは、愛情からじゃない。 ふたりが一緒にいたのは、恋をしたからじゃない。 だけど、どう言っていいのかわからない。 悠理の屈折は、直視してこなかったから。 腐れ縁、友情、なんと言い換えてもいい。 別れても、離れられない理由。 後ろめたいのは、それでも、気づいていたから。 本当の理由を、認めたくなかっただけだ。 つらくて、たまらなくて。 変わらない関係を望んでいたのに、変わらない彼が苦しかった。 矛盾は、悠理が変わってしまったから。 もう、認めるしかなかった。 胸の痛みの理由。 終りにしなければならないのは、悠理の方なのかも知れない。 離婚したのは、彼を愛してなかったからじゃなく。 愛されていなかったから。 ――――愛されたかったから。 なんか、書いてて可哀想になってきました、花凋が。悠理に最強のライバル登場〜ってしたかったのですが、ぜんぜんそんな風になってくれず。嫉妬も無自覚、ライバルに同情されるなんて、花凋、哀れなり。 小説置場TOP |