後編 早朝の住宅地。自宅前。そして、友人たちの眼前。 それなのに、くちづけは、深く激しく。 右手は腰に回し、左手で頭を押さえ。身動きさせず、逃れようとする唇を清四郎は追った。 驚いてガチガチだった体から、力がゆっくりと抜けてゆく。 清四郎の心中にあったのは最初はヤケクソだったことは否めない。 ――――悠理を返してくれ。 腕の中の女が、悠理じゃないことは分かっていた。 恋する瞳。真っ直ぐな想い。 長年の友人とは似ても似つかない。 かすかな怒りに清四郎の胸が疼いた。 自分勝手に悠理の体を借用している、求愛者に対して? いや、それよりも、あの目に動揺する自分に対して。 柔らかく甘い唇を味わう。深く絡む吐息に、いやおうなく陶酔する。 ――――これは、悠理じゃない。悠理じゃない。 だけど、唇を合わせ目を閉じた瞼の裏に映ったのは、あの心細そうな友人の貌。 無邪気な子供のままの笑み。震えて怯えるべそっかき。 力なく下ろされていた彼女の拳がドン、と清四郎の胸を打った。 息苦しさゆえかもがき始めた女の体を、なおもきつく拘束する。 しかし、薄く目を開けて、唇は解放した。 「ふーっふーっ」 本当に息の仕方が分かっていなかったらしい。悠理は真っ赤な顔で目を白黒させて、必死で息を吸って吐く。 「鼻で息をするんですよ」 「い、いきなり・・・」 抗議の言葉を発しようとする尖った紅い唇の誘惑に負け、清四郎は彼女の顎に指をかける。 「むぐっ」 もう一度ふさいだ濡れた唇は、さっきよりもまだ甘美に感じられた。 長いくちづけは、ガクリと女の体が力を失うまで続いた。 「・・・捨て身のすごい攻撃だよなぁ」 「そう?僕には清四郎も楽しんでいるように見えるけど」 目のやり場に困って顔を背ける魅録。ニヤニヤ頬を緩める美童。 女の子二人はいたたまれずに赤面している。 「・・・・途中で、悠理に戻ってなかった?」 「し、知りませんわよ!」 隣に立つ可憐につつかれ、野梨子は両手で顔を覆ったまま、おかっぱ頭を振った。 清四郎がそんなギャラリーに気づいたのは、ぐったりと悠理の腰が砕けた後。 皆の方に顔を向け、苦笑してみせる。 「・・・これで満足して自分の体に戻ってくれたならいいんだが」 言い訳のように呟き、清四郎は腕の中の女の顔を覗き込んだ。 「悠理?悠理ですよね?」 「・・・ふにゃ〜〜」 問うまでもなかった。うっとり、よりもぐったり。頬は真っ赤に染まったままなのに、額には影が降り目の下に隈。 悠理は力なく清四郎に寄りかかっている。 あんなキスを強奪した男から彼女なら飛びのきそうなものだが。 「意識はずっとあったんですね?」 清四郎の問いかけに、悠理は力なくウンウン頷いた。ずっと意識があったからこそ、飛びのく気力がないのだ。 そして、体力も。 清四郎の腕に抱かれたまま、悠理はカチューシャをむしり取った。 「あいつは、どっか行っちゃったよ」 清四郎は悠理の手から髪飾りを取り、ぴょんぴょん揺れるてんとう虫を見つめる。 「”彼女”は、おまえが望まないことはできないと言ってましたけどね。これ、シュミなんですか?」 「・・・バカゆーな。ま、レースフリフリのリボンよかマシだけど」 ポヨヨン揺れる針金の先のタマとフク。キテレツな格好は、少女趣味と悠理の派手好きとの融合物らしい。 「・・・ほぉ、なるほど」 清四郎の口の端がゆっくりと上がった。目を細めて悠理を見つめる。 「ん?なに」 「いえ、良かったですね。もう”彼女”は去ったんでしょう」 憑依者が去っても、悠理はまだ腕の中にいる。 ――――悠理が嫌悪することはできない・・・そう言った彼女の言葉は真実だったらしい。 「あんたたち、いつまで抱き合ってんのよ!」 可憐の言葉で、悠理は我に返ったように清四郎から身を離した。 よろり、と足がもつれる。 それを支えたのは魅録。 「あーあ、お疲れさん。いつものこととはいえ、やっかいな体質だよな」 「ほんと、えらい災難だったじょ・・・もう、最低」 浮かんでいた微笑が清四郎の顔から消えた。 魅録の腕を借りた悠理の姿に、ちくりと胸が痛む。 「悠理、大丈夫ですの?」 「もう霊の気配はしないのか?」 「うん」 悠理はぐったりと頷き、清四郎を見上げた。 「な?」 同意を求める悠理に、清四郎は苦笑を向ける。 「僕は霊感はさっぱりですから、そんなことわかりませんよ」 しかし、清四郎は思わず悠理の目の中に、あの彼女を探している自分に気づいていた。 誰とも知れない憑依者の人格ではなく――――恋する瞳を。 そして、悠理の目にそれを見つけることはできず、代わりに彼が見つけたのは・・・・。 「”生霊”を見つけたぜ」 翌日、部室で顔を合わせた途端、魅録は得意気に言った。 「ほう。早いですな」 「清四郎の言ってた情報がビンゴだったからな」 唇の片端を上げ笑みを作りながら、魅録は少し複雑な表情を見せる。 「魅録と相対したときに、構える型を見ましたからね。あれは東村寺と同流派だ。あのときは 悠理の体だからだと思ったんですが、受身はともかく、悠理は型はめちゃくちゃですからね」 「悪かったなー」 悠理は清四郎の特製栄養ドリンクをストローで吸い上げる。一夜明けても、まだ疲れた顔をしていたが、 目の下の隈は取れている。 いつも通りに戻った悠理。 清四郎はそんな彼女を目の端で意識しながら、魅録に顔を向けた。 「流派の女子なんて、数が限られてますからね」 「・・・・。」 魅録はポリポリと頭を掻く。 清四郎はガタンと席を立った。 「じゃ、行きますか」 「うん」 悠理も席を立つ。 「行くって、どこへ?」 魅録が眉を寄せて問う。 その横では野梨子と可憐も帰り支度を始めた。美童は携帯の向こうに、待ち合わせ時間変更を告げている。 「何言ってんの、魅録。生霊の主を突き止めたんでしょ。皆で行くに決まってるじゃない!」 「そうですわ。さ、どこですの?」 魅録の眉がますます寄った。 「・・・菊正宗病院」 魅録の暗い表情に、皆の動きがピタリと止まった。 「・・・容態が思わしくないんですのね?」 「・・・いや。被害者の悠理と清四郎は仕方ないとしても、皆で押しかけるのもどうかと思っただけだ」 好奇心丸出しで浮かれていたメンバーの空気が沈んだ。 「僕は”仕方ない”?どういう意味ですか?」 場所は菊正宗病院。彼女がどういう状態でも、想いを寄せる清四郎が行けば喜ぶに違いない。 しかし、魅録は清四郎の質問に答えず、困ったような苦笑を向けた。 「ええ、昨日の朝まで昏睡状態だったんです。交通事故でしたが、目立つ外傷はほとんどなかったんですけれど、頭を打ってしまったらしくて 」 面会に行くと、付き添いの母親が目に涙を浮かべた。 「もう明日にでも退院できるそうです」 涙の中に喜色が浮かぶ。意識の戻らない我が子を案じ、この数日胸の張り裂ける思いをしていたのだから、当然だった。 「・・・そうですか。それは良かったですね」 にこやかに応対しながら、清四郎の顔面には暗い影が降りている。 持参した花束を母親に渡そうとしたが、ナースステーションで花瓶を借りてくる、と母親は走り去ってしまった。 清四郎の手には花束が依然残される。 ”彼女”の好きそうな可愛い花は、可憐と野梨子が花屋で選んだ。派手なアレンジは美童の指示だ。 彼ら三人は結局遠慮し、清四郎と悠理と魅録だけが病室の前にやって来ている。 「じゃ、俺はここで」 くるりと踵を返そうとする魅録の腕を、清四郎はハッシとつかんだ。 「事情はわかりましたし、もういいでしょう。僕も一緒に帰ります」 「って、せめてその花束くらい渡せば?」 「じゃ、魅録が渡して下さい」 「なんで俺が!?」 あーだこーだとなかなか病室に入らない男二人を置いて、悠理は扉に手を掛けた。 聖プレジデント学園の生徒ではないが、なかなかに裕福な家らしく、病室は個室だ。 「・・・確かめなきゃ、な・・・」 小さく呟く悠理の顔は、強張っている。幽霊じゃないと分かっていても、恐怖が拭い去れないのか。 しかし、緊張に引き結ばれた口元の上で、頬はほのかに紅潮していた。 悠理はゴクンと息を呑んで、扉を押し開いた。 「・・・ちわーっす」 悠理が病室に入ってしまったため、不承不承の顔で清四郎と魅録もあとに続いた。 スタンダードな狭い個室のベッド上には、目を閉じて眠る病人。 しかしその頬は健康そうなピンク色に染まっている。 「眠ってんの・・・?」 悠理が訝しげに声を潜める。 しかし、清四郎は首を振った。 「いえ、多分狸寝入りですね。僕らの声が聞こえていたのでしょう」 悠理のような派手な美少女ではないが、十分に可愛らしい小作りな顔。清四郎の言葉を裏付けるように、睫毛が揺れている。 確かに見覚えのある顔だと、清四郎は納得していた。なんどか東村寺で会った記憶がある。 地味な印象しかなかったが、結構太い神経の持ち主らしい。 狸寝入りの主は、頬をポッと染め目を閉じたまま、にゅ、と唇を尖らせた。 まるでキスをせがむその様に、清四郎はキレた。 「起きろ!猪熊慈五郎!!」 腹の底から響く先輩命令。体育会系の条件反射で、少年はベッドの上に飛び起きた。 「オッス!」 病院を出て菊正宗家に向かう途中、魅録はクスクス笑った。 「ビビッてたよなぁ、あいつ。清四郎が脅すもんだから」 「僕はなにも脅してませんよ」 「あいつ、狸寝入りしてたのは、キスで目覚めさせてもらうつもりだったんだぜ。やってやれば良かったのによ。 一回も二回も一緒だろ」 病室から失敬した見舞いの林檎(正当な権利とばかりに猪熊少年からせしめた)をシャリシャリ齧っていた悠理が、ぶっ、と噴き出した。 その悠理の林檎のように赤くなった頬を見ながら、清四郎は呟く。 「調子に乗らないで下さいよ。キスなんてするわけないでしょ、悠理じゃなければ誰が・・・」 後半は、小さく口の中だけで。 いつもどおりの山猿に戻ってしまった悠理を、清四郎は複雑な表情で見つめる。 少年に憑依されているときの方が女らしいとは、どういうわけだ?(明らかにソッチの趣味の少年とはいえ。) とはいえ、見つめた彼女の瞳に映った自分の姿に、清四郎は気づかされてしまった。 恋しているのは、自分の方だということを。 あれからずっと、彼女の姿が脳裏を去らない。この、恋とは縁遠い、食欲だけの山猿の悠理の姿が。 そして、潤んだ瞳で恋を浮かべた悠理の姿が。おそらく、また何かに憑りつかれでもしない限りは、もう目にすることもないだろうに。 立ち止まってしまった清四郎を追い越し、悠理は魅録にバナナ(戦利品)を差し出しながら談笑している。 「しっかし、あいつ、あたいには素直に謝ったのに、魅録のことはまだ睨みつけてたよなー。おまえをライバルだとでも 思ってんのかな」 「カンベンしてくれ。俺にも清四郎にもソッチの趣味なんざねーよっ」 「あ、そぉなの?」 「悠理!」 魅録にバナナで額を殴られ、悠理はヘラヘラ笑っている。 清四郎の心中も知らずに。 とても悠理が恋に落ちる日が来るとは思えない。それに安堵と落胆を感じる。 清四郎の心に、棲みついてしまった姿は消せないから。 「・・・まるで憑りつかれたみたいだな・・・」 思わず苦笑して呟く。 目の前を歩く悠理の背中がびくんと揺れた。清四郎の言葉が聞こえてしまったらしい。 「憑りつく・・・?」 立ち止まった悠理は、顔面に影を落とし、ゆっくりと清四郎に振り返った。 おっかなびっくり、の分かりやすい表情の中、なぜか頬はピンク色に染まっている。 「やっぱ、あいつ、まだできるんだ?!」 「は?」 「なに言ってんだ、悠理?」 清四郎だけでなく、魅録も首を傾げている。 悠理は必死の表情で、清四郎の服の裾をつかんだ。 それは、いつもの仕草。 「あいつだよ、猪熊!もしやと思ったけど、やっぱあいつまだユーレーできるんだ!」 悠理の剣幕に、清四郎は魅録と顔を見合わせた。 「悠理、あいつはピンシャンしてただろ?幽霊どころか生霊にも、もうならないと思うぜ」 「まぁ、生霊は昏睡状態のときだけとは限りませんが。そこまで執着されてるとは思いたくありませんがねぇ」 「大丈夫だろ?さっき清四郎が喝入れしたら、相当ビビッてたからな」 苦笑する魅録に対し、悠理はまだ恐怖の表情を浮かべて唇を噛んでいる。 「でもなぁ・・・それをさっき確かめたかったんだけど、よく分かんなかったんだ」 悠理は清四郎の背後にそびえる菊正宗病院を見上げ、ため息をついた。 「どうしたんですか?」 ちらりと清四郎に視線を移した悠理の頬が、桃色から林檎色に変わった。 彼の制服をつかむ悠理の手が、もじもじ裾を捻る。 「?」 悠理は清四郎から視線を逸らし、うつむいた。視線を落とした地面の上に、靴先でのの字を書いている。 「・・・だって。あたい、まだ変なんだ。おまえのこと考えるとドキドキするし」 「?!」 「いつも清四郎の顔ばっかり頭ん中ぐるぐる回ってるんだ。これって、あいつに憑りつかれたせいだろー?」 のの字を書いていた悠理は小首を傾げて、清四郎を見上げた。 ――――潤んだ瞳。染まった頬。 山猿、馬鹿犬、食欲魔人。 そう思っていた悠理から、清四郎は目が離せない。 彼女の瞳に映った恋から目が離せない。それは、清四郎自身の想いが映っているのか。 それとも。 恋愛など興味がない朴念仁の冷血漢だって、恋に落ちたのだ。 山猿だって落ちることもある。木からでなしに。 清四郎の口元に、ゆっくりと笑みが浮かんだ。 胸に広がる、この感情の名をもう知っている。彼女に教えてやれる。 新しい憑依者の名を。 「・・・じゃあ、またキスしますか?」 「え?!」 「成仏させたいでしょう?」 思ってもいない言葉を清四郎は彼女に告げてしまっていた。 くちづけたりすれば、逆効果だ。満足し成仏するはずはない。芽生え始めた想いが。 もっと、近づきたくなる。もっと触れ合いたくなってしまう。 悠理は真っ赤な顔のまま、戸惑う瞳を向けている。 「一回も二回も一緒でしょう?」 いい加減な嘘をつく清四郎を、悠理は幼い表情で見上げている。 今度の憑依者は、彼女をひどく困惑させているらしい。 彼女が幼すぎることはわかっていても、躊躇の念は感じなかった。 悠理が嫌悪を感じることはできなかったと、猪熊少年は言っていなかったか? 彼女を引き寄せ、その唇を奪う誘惑。 なかば冗談で口にした言葉を、本当にしたくなる。 「・・・・俺、帰るわ」 見つめあうふたりを置いて、魅録が髪と同じ色に顔を染めて踵を返した。 今度は清四郎も、立ち去る魅録を引き止めたりはしなかった。 昨日の朝、彼女をその腕に抱いた同じ玄関先で。 清四郎は自慢の理性を総動員して誘惑と戦う。 悠理の瞳の前で、敗北を予感しながら。 ――――憑依した、恋心。今度は、追い出せそうにない。
生霊の主は『YAWARA!』のジゴローおじいちゃんでっす♪というのは嘘ですが。大好きなキャラですので、名前だけ貰いました。
清四郎くんはなにせ男殺しですので、最初から見抜かれていた方多数かと思います。・・・が、実はこの話は随分前書いた
話の焼き直しでして。それは本当のゴースト物でした。憑依された悠理に初めて女を意識し、恋する相手は死んだ霊か悠理なのか、
どちらかわからなくなる清四郎&悠理、というちょっと切ない系のお話のつもりでした。ええ、それでは清四郎に恋する幽霊は
もちろん女の子です。でも私には死人は書けませんでした・・・。(怖がり) |