すき


3


 

 

月曜の放課後。

四角く切り取った空間に、秋の高い空が広がっている。

昨日初めてのバイトを終えた悠理は、ぼんやり部室のテーブルに顎をのせ窓の外を見ていた。

 

「悠理、クッキー食べる?」

悠理の目の前に、可憐が皿を置いた。

「・・・もち!可憐が焼いたのか?うまそー♪」

がばりと悠理は体を起こした。

起きると、新聞を開いている清四郎が目に入った。

美童は部室の隅で携帯相手に甘い言葉を囁いている。

魅録はバイクの修理だとかで、早々に帰った。

野梨子が紅茶を配ってくれる。

それは、いつも通りの放課後の光景だった。

 

クッキーをつまんで口に放り込む。

意識して見ないようにしていたはずなのに、新聞を置いてマグカップを手に取る清四郎と目があった。

昨夜と同じように、悠理は顔をそむけた。

どうしても、眉が寄ってしまう。

清四郎も不審に思っているだろう。

彼は何もしていないのに。

昨夜は、疲れているからとすぐに迎えの車に乗ってしまい、清四郎とは別れた。

 

悠理はずっと、困惑していた。

どうしてなのかわからない。

どうしていいのかわからない。

 

偶然、駅で会ったときのあの感情。

悠理にはわからない。

どうして、友人の顔を見ただけで、あんなに嬉しかったのか。

そして、どうして、あんなにつらかったのか。

ただ、ひどく胸が痛かった。

 

不自然なほど顔をそむけた悠理を、清四郎はどう思っただろう。

それとも、悠理の不機嫌など、清四郎は気にも留めていないのかもしれない。

 

また、胸が苦しくなってきた。

悠理は喉につまりそうになったクッキーを、紅茶で流し込んだ。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

「前にみんなで行ったときはピエロの扮装でしたでしょう。おとといは天使だったんですのよ」

「ええっ、天使ぃ?」

「ええ。背中に小さな羽と頭に輪っかをつけてましたのよ」

「あれはキューピッドですよ、野梨子。矢を持ってたでしょう」

なにげなく聞き流していた友人たちの会話が、悠理自身のことだとやっと気づいた。

恋の矢を射るイタズラ好きな天使。

そう、悠理が扮していたのは、キューピッドだ。

恋人達に渡した風船を思い出す。

ハート型のそれが夕映え空に浮かんでいた光景に、胸が痛んだ。

まるで、本物の矢が刺さったように。

 

「なによ、あんたたち結局、二人で行ったの?」

可憐が清四郎と野梨子を見比べる。

「あらあら、まあまあまあ〜!それってデートォ?」

可憐は口を手で覆い、目を三日月型にしてニヤニヤ笑う。

悠理はずっしり肩に重力を感じ、バタンと頭をテーブルに落とした。

しかし、悠理に注目する者はいない。

可憐も携帯を閉じた美童も、清四郎と野梨子を見つめていた。

当の二人は、顔を見合わせている。

 

清四郎は肩をすくめた。

「みんなで行こうと誘ったのに、デートがあると断ってくれたでしょうが、御両人。魅録にもフラレたんで、二人で行ったまでですよ」

清四郎の言葉に、悠理は顔を上げた。

悠理も、てっきりデートだと思ってたのだ。

そうではないような清四郎の口調に、驚いて二人を見比べる。

清四郎は呆れたような表情。

野梨子は微笑している。

「清四郎ってば、どうしても行こうって、言い張るんですもの」

「だって、男ひとりでは行きにくいでしょう」

「だからって、私の苦手な乗り物にまで付き合わせられたんですのよ。子供みたいにはしゃいで」

だけど、二人はやはりお似合いに見えた。

まるで、そうあることが定められているような似合いの一対。

「清四郎が、子供みたいにぃ?」

美童が疑わしげに野梨子に首を傾げた。

「ええ、もう大変」

野梨子は清四郎を笑顔でにらむ。

清四郎は少し赤面して、照れたように新聞をふたたび広げた。

 

「それにね、驚きましたのよ。ひとりで泣いている迷子がいたのですけど、清四郎が・・・」

野梨子が話しを続けたとき、部室の扉が控えめにノックされた。

「はぁい、どうぞー」

可憐が声を上げる。

一応、ここは生徒会室。一般生徒の来訪もたまにだがある。

「あの・・・失礼します」

顔を覗かせたのは、お嬢様然とした美貌の下級生。

「はいはい、何かなー?相談でも?」

即座に美童が席を立って、馳せ参じる。

その瞬発力に、一同苦笑。

 

来訪者の応対は美童にまかせ、雑談を続けた。

「それで、迷子は4歳位の男の子だったんですけど、清四郎ってば、その子をおぶって親探しを始めたんですのよ。すぐに見つかって、良かったんですけど」

「へぇぇ、清四郎がぁ?」

これまた意外な話に、可憐も目を丸くする。

「あの子、風船も喜んでましたね」

「長い付き合いですが、清四郎が子供好きとは知りませんでしたわ」

野梨子がクスクス笑う。

 

そのとき、扉で来訪者と話していた美童が憮然と振りかえった。

「おーい、清四郎ー!彼女、おたくに用事だってさー!」

唇を尖らせた美童の表情と、美少女の染まった頬に、一同は用件を察する。

 

「なんだ、あの子、清四郎目当てなんだ。美童がっかりよね」

 

可憐が小声で囁く。

彼ら有閑倶楽部の面々は学園の有名人で、各人とも羨望と憧憬の対象。

玉砕覚悟の告白など、日常茶飯事。

 

「・・・はいはい、今行きます」

面倒そうな顔を一瞬見せ、清四郎は新聞を畳んで席を立った。

 

「しっかし勇気あるわね〜。この男が、いつも”興味ありません”か”忙しいので”つってケンモホロロなのは有名なのに」

 

清四郎はじろりと可憐をにらみ、立ち止まった。

まだ机に顎を乗せて背を丸めている悠理の真後ろ。

背後に清四郎の気配を感じ、思わず悠理は緊張する。

だけど、振りかえることはできない。

痛いほど、清四郎の動きを心は追っているのに。

 

そんな悠理の内心に気づきもせず。

いきなり、大きな手が背後から振ってきた。

「・・・僕は、別に子供が嫌いじゃないですよ。じゃないと、こいつと長年付き合ってられません」

清四郎はそう言って、悠理の髪をくしゃくしゃ混ぜ返した。

 

手は、すぐに離れた。清四郎の靴音が遠ざかる。

悠理はまだ、振りかえることすらできない。

 

たったそれだけの仕草が、ひどく胸にこたえた。

駅で会ったときと同じように。

嬉しいのか、悲しいのかわからない。

それがどうしてなのか、悠理にはわからない。

ただ、泣き出してしまいそうなほど、苦しかった。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

「はい、何のご用ですか?」

「あの・・・私・・・」

少女の口篭もる声。

 

「うわっ、可哀相。出るわよ、出るわよ、いつもの有無を言わせぬ即断が!」

「もう、可憐ってば。聞き耳立てるなんて、はしたないですわよ」

 

テーブルでぼそぼそ話している友人に目をやって、清四郎はため息をついた。何を言っているのか察しはついている。

清四郎は背を向けたままの悠理を見つめた。

娘達のおしゃべりに参加もせず、何を考えているのか、悠理は微動だにしない。

 

「あの、菊正宗先輩・・・?」

不安そうに、下級生が清四郎を見上げている。

赤く染まった頬。揺れる懸命な瞳。

彼女の美しさよりも、その目に浮かぶ悲壮感に、初めて清四郎は心動かされた。

「ああ、すみませんね。場所を変えましょうか」

これまで、個人的な呼び出しに応えたことはない。

その場で用件を問いただし、即、丁重にお断りしてきた。

それを彼女も知っているのだろう。ひどく、驚いた顔をされてしまった。

「いや、ここは外野がうるさいので」

期待させてはかえって申し訳ないので、清四郎は努めて冷たい声を出した。

 

下級生をうながし、生徒会室の扉を後ろ手に閉める。

中で、どよめく友人の声。

「あたいも、そろそろ帰る」

そして、そう言って席を立ったらしい悠理の立てた大きな物音が聞えた。

 

愛や恋など、自分には無縁だとずっと思っていた。

だけど、彼女を想うこの気持ちは、ほかには説明がつかない。

だから、清四郎はもうこれまでのように、振る舞うことはできない。

まして、悠理の目の前でなど。

 

移動したのはほんの少しだった。

あまり人気のないところに少女を連れていくわけにもいかないので、上階に昇る階段の踊り場で、清四郎は足を止めた。

上階はこの古い校舎の屋根裏部屋にあたる。資料部屋などはあるが、ほとんど生徒は上がることはない。

踊り場は人目にはつかないが、階段を降りればすぐに生徒会室やその他教室もある。

 

それなのに、清四郎の目の前の少女は怯えた気弱な表情で震えていた。

変に緊張させてしまったらしい。

場所を移したのは失敗だったか、と清四郎が思いはじめたとき。

「あの・・・」

意を決したように、少女は顔を上げた。

「わ、私はただ、お慕いする気持ちをお伝えしたかっただけで、ご迷惑をおかけするつもりはありません」

美童の反応からして、彼女はずいぶんな美少女なのだろう。

涙を浮かべて揺れる瞳。

「私は、あなたが好きです」

しかし、真っ直ぐそう言った彼女にはもう気弱な影はなかった。

 

これまでも、何度こんな言葉を聞いただろう。

だけどこのとき初めて、清四郎は心打たれた。

少女の勇気に、感動さえした。

同時に、自分の臆病さを突きつけられた。

それは、清四郎が言うことのできない言葉だったから。

これまでの関係を崩したくはないがために。

彼女のそばに、居たいがために。

 

「ありがとう」

口から出たのは、心からの言葉だった。

この勇気ある少女には、はっきり言わなければならないと思った。

それが、せめてもの誠意だと。

 

清四郎は小さく息を吐いた。

そして、微笑みを浮かべる。

真っ直ぐ下級生を見つめながら、清四郎はその上に彼女の面影を重ねていた。

 

決して挫けない。自分の弱さを隠さない。

そんな彼女の勇気が好きだ。

子供っぽくて、ちっとも女らしくない。

恋心なんて理解できない、単細胞。

そんな彼女の無邪気さが好きだ。

 

だから、まだ悠理には言えない。

そばで、笑っていて欲しいから。

あの笑顔を失いたくはないから。

 

「僕には、好きなひとが、います」

 

清四郎は、はっきりとそう告げた。

それは、初めて口に出した真情だった。

 

ガタン。

 

物音を立てたのは、少女ではなかった。

二人同時に、驚いて階段の下を見る。

サッと制服のスカートがひるがえった。

ふわふわの明るい色の髪。

少年のような細い手足。

階段の下には、見慣れた鞄が残されている。

 

一瞬の躊躇もなく、清四郎は駆け出した。

「悠理!」

彼女の名を呼びながら。

 

 

 

 

 

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