すき5 |
迎えの車に乗り込むなり、運転手が悠理に差し出したのは温かいおしぼりだった。 「・・・あんがと」 悠理は腫れあがった目に湯気の立つおしぼりを乗せる。 静かに発進する車。 シートに深くもたれ、おしぼりを乗せたまま頭を預ける。 あんまり泣きすぎて、頭痛がした。
清四郎には、好きなひとがいる。 きっとそのひとを悠理は知っている。 そして、たぶん清四郎には知られてしまった。 自分でも知らなかった悠理の恋を。 気づいたと同時に失恋なんて、まるで笑い話だ。
”きっと、たぶん。” そればっかり。 だけど、失恋は確定的だ。 清四郎に「ごめん」と言われた。 無作法に立ち聞きしたのは悠理なのに。
また、鼻の奥がつんと痛くなった。 涙の兆候。
こんな自分は嫌だった。 無いものねだりして泣いて喚いて。 泣いたって、叫んだって、どうしようもないのに。 このまま、家に帰って、ベッドにもぐりこんで泣き続けるのか。 わがままな駄々っ子のように。つまらない女のように。
嫌だ。
思わず、悠理はつぶやいていた。 「・・・家には、帰らない」 「は?」 運転手が、聞き返す。 悠理はおしぼりを目から外した。 まだよく見えない目で、バックミラーの中の心配そうな顔に告げる。 「悪いけど、魅録んちに寄って」 「松竹梅様のお屋敷ですね?」 悠理は肯いた。 ひとりでは居たくなかった。 やさしい親友の顔が浮かんだのは、甘えだとわかっている。 だけど、これ以上自分を嫌いになりたくなかった。
――――そういうところが、好きですよ。 清四郎がそう言ってくれた、自分の中の勇気を取り戻したかった。
車は車線を変更し、通いなれた道を走り出した。
*****
どうやって自分が家まで戻って来たのか、清四郎は憶えていない。 野梨子も鞄も部室に置き去りにしてしまったらしい。
ひとしきり泣いたあと、悠理は駆け去っていった。 呆然とする清四郎を残し。 今度は、清四郎は追うことができなかった。 決定的な拒否。あらわにされた嫌悪の感情。 そうして泣きじゃくる好きな女を、追いかけられる男なんているのか。 あふれてしまった想い。 悟られた感情。 きっと、底にある欲望まで。
初めての恋は、こっぴどい失恋。 ひどく苦しかった。告白すれば、そうなることはわかっていたはずなのに。 可憐や美童が恋に浮かれ、失恋のたびに落ち込むのを、冷笑していたはずなのに。 恋愛不適格者と常日頃から言われていた清四郎がこの始末。 あまりに馬鹿馬鹿しくて、笑うことも泣くこともできない。 告白すらさせてもらえず、失恋するとは。
制服のままベッドに突っ伏し、しばし息を止めていた。 そんなことをしても、苦しいばかりで。 時間も止まらないし、胸の痛みもなくならなかった。 なにもしたくはない。 誰にも会いたくない。
つまらないプライドが、もう二度と悠理と顔をあわせられないと、清四郎に囁いた。 悠理の泣き顔が、脳裏をよぎった。 泣き虫で、淋しがりで、甘えん坊で。 だけど、凛とした芯の強さを持つ悠理。 誰より、仲間たちのことを大切にしている悠理。 もし、思いをぶつけたのが清四郎でなければ、悠理は泣きはしなかっただろう。 せいぜい、気色悪いことゆーな、と殴りつけるのがオチ。 清四郎と魅録と美童は、悠理にとっても特別なのだ。 清四郎にとって、野梨子や可憐が特別であるように。 他人と一線を引きがちな清四郎が、初めて得た本物の友情。 それらをすべて捨てることはできない。 破れた恋と引き換えに。
「おーい、清四郎、帰っとるのか?」 階下から父親の呼ぶ声がした。 清四郎はしばらく無視を決め込む。 まだ、家族と顔をあわせる気力もない。 「清四郎ー!知り合いから名酒が届いたぞ、付き合わんか?」 能天気な父親の声。 出張帰りで早く帰宅したとはいえ、まだ日が暮れたばかりの時間だ。 「・・・ったくあの人は・・・。息子が未成年だって、知らないんですかね」 清四郎はベッドから身を起こした。 のろのろと着替え始める。
どうすればこれまで通りの友情を守れるか、考えた。 簡単だ。 今日のことがなかったように、振舞うしかない。 心を隠し、想いを隠し。 そして、忘れてしまおう。 彼女に恋した自分も、彼女の涙も。 諦めてしまわなければ、傍にはいられない。
清四郎は重い足を引きずり、階下に降りた。 居間ですでに一杯やっている父親の隣に並んだ数本の酒に目をやる。 適当に封の空いていない一本を手に取った。 「どうだ、飲まんか?」 ご機嫌の父親に、笑顔を向ける。 「いいですね、いただきますよ」 言いながら、酒を包んであったらしい風呂敷をもう一度包み直す。 「おい?言っとることとやっとることが違うんじゃないか?」
我ながら、どんな心境でも表情は容易につくれるのだと呆れた。 詐欺師向けの性格だと言われるわけだ。 皮肉に思う。 それなのに、内心をすべて晒してしまい、悠理を泣かせてしまった。
清四郎はもう一度邪気たっぷりの笑顔を作った。 「この前の貸しがありましたよね。その分、これをいただきます」 飲みたい気分では、ある。 なにしろ、生まれて初めての失恋だ。 だけど、杯をともに傾けたい相手は、父親ではなかった。
守らなければならないのは、友情。 諦めなければならないのは、恋。
そのことを自分の中で確認するために、清四郎は家を出た。 酒を片手に、夜通し語り合える得がたい友のもとへ。
*****
「へへ・・・おす」 そう言って笑顔を作ったのに、玄関先で魅録は唖然と悠理の顔を見つめた。 泣きはらして腫れぼったい目のせいか。かすれた声のせいか。 驚いて固まっている親友の顔は、さきほどの清四郎を思い出させた。
なんで、花火?
ちょっと、待ってろ、と一度玄関から消えた魅録は、なぜだか花火とバケツを悠理に差し出した。 夏の終わりに、皆でした花火の残り。 ファミリーパックの大袋の中には、線香花火しか残っていない。 派手なヤツや鼠花火は、真っ先に悠理自身が使ってしまった。 「・・・そりゃ、花火・・・好きだけどさ」 ぽつりとつぶやくと、魅録は気まずそうに顔を背けた。 魅録も戸惑っているのだ。 まだ止まらない悠理の涙に。
近くの児童公園で、しゃがんで花火をした。 秋風に消えそうな火が健気にはぜる。 皆で花火をした夏の記憶が蘇った。
悠理は魅録と花火をふりまわして、可憐と美童に悲鳴をあげさせた。 野梨子が小言を言い、清四郎は笑って見ているだけだった。 浴衣姿の似合う、幼なじみの二人。 野梨子と母親が数年前に一緒に作ったのだという二人の浴衣は、夏の明るい夜空の色。 清四郎はここ数年で身長が伸び、少し裾が短くなっていた。 来年は皆の分も作らせてくださいな、と微笑んだ野梨子の花火よりも美しい顔。 素直に嬉しかった。 二人の姿を見ても、苦しくはなかった。 あの日の花火は華やかで明るかった。 万作ランドの盛大な打上花火よりも、ずっと。
どうして、こんなふうになってしまったのだろう。 どうして、好きになってしまったのだろう。 あんなに幸せだったのに。 大切な仲間のうちの一人に過ぎなかったはずなのに。 それで、十分だったのに。
涙が、また頬を零れ落ちた。 大好きだった花火が、今は違う色に見えた。 魅録はなにも言わない。 なにも聞かない。 ただ、悠理を泣かせてくれた。 その優しさが、嬉しかった。
胸に滲みる優しさと時間の経過が、涙を乾かせた。 悠理は微笑むことさえできるようになっていた。 らしくない自分に戸惑っている親友。 らしくない恋に、戸惑っている自分。
「あたい、失恋しちゃった」 花火を見ながらつぶやいた。 「えええっ、おまえ、好きな男がいたのか!?」 魅録は鳩が豆鉄砲食らったような顔をした。 「へへ、おかしいよな、あたいが恋なんてさ」 「ご、ごめん・・・」 魅録は、赤面して泣きそうな顔をした。 その、不器用さが愛しかった。
すき。
魅録のことが、大好きだ。 野梨子のことが好きだ。 可憐が、美童が。 もちろん、清四郎のことだって。
なのに、どうして、恋に落ちてしまったのだろう。 自分に嘘をついて、泣いて喚いて。 大好きなひとたちを困らせて。
もうやめよう。
そう思った。
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背景:Canary様