すき


後日談1


 

 

 

あまりの頭痛と吐き気に、清四郎は呻った。

 

節々の痛む体に、硬い床の感触。

抱きしめているのは、クッションか座布団。

昨日の記憶がゆっくりと半覚醒の頭に蘇った。

 

初めての失恋。

 

一人でいたくなくて、酒瓶を手に、親友の家に向かったところまでは憶えている。

まぎれもなく、ひどい二日酔いだ。

頭痛のあまり、目を開けるのもつらい。

夢と現実が判別できない。

 

脳裏をよぎったのは、彼女の顔。

子供のように、顔をぐしゃぐしゃにして大泣きしていた悠理。

あんなふうに、想いを伝えるつもりなんてなかったのに。

後悔と喪失感に、胸が焼かれた。

 

「いま・・・何時だ?」

無理に目を開け、着けたままだった腕時計を見ると、早朝。

喉が渇いた。

座布団から身を起こしたが、頭痛に眩んだ。それでも起き上がろうと床を手で探ったとき、指先が柔らかいなにかに触れた。

人肌の感触。

「魅録・・・?」

泥酔して雑魚寝してしまったらしい。

 

「だれが、魅録だよ」

 

返ってきた応えに、清四郎は驚愕してやっと完全に覚醒した。

 

「ゆ、悠理?!」

ガバリと身を起こす。

鈍器で殴られたように目の奥が痛んだが、吐き気も眠気も吹っ飛んでしまった。

 

悠理は床に腹ばいになり、頬杖をついて清四郎を見つめている。

清四郎が触れたのは、悠理の頬だったようだ。

気づくと、そこは魅録の家ではなく、見慣れた自分の部屋だった。

 

悠理とも何度も酔って雑魚寝した経験がある。

濃厚に漂うアルコール臭。

だけど、部屋のどこにも酒瓶はない。仲間の姿もない。

なぜ悠理だけが部屋にいるのか。こんな早朝に。

 

悠理は穏やかな表情で清四郎をじっと見つめていた。その目の周りは腫れぼったく赤い。

「え・・・夢・・・じゃないのか?」

どこまでが現実でどこからが夢なのかわからない、昨夜の記憶。

清四郎は役に立たない頭を抱えて、もう一度床に転がった。

 

「清四郎、もしかして・・・憶えてないのか?」

ガンガンガンガン割れ鐘が鳴る。

清四郎は答えの代わりに呻った。

 

地を這いずるような清四郎の呻り声に、悠理はため息。

「外でつぶれたおまえを玄関まで引きずって入ったのはあたいだけどさ。いきなりパッチリ目覚めて、ここまでは自分で階段上って来たんだぜ。しかもあたいを抱えて」

「・・・抱えて?」

悠理は口をゆがめて肯いた。

頬杖をついた顔が赤らんでいる。

「放してくんないんだもん・・・怖かった」

どくん、と胸がうずいた。

「いったい、僕は・・・」

なにをしたんだ、と目の前が真っ暗になる思いだった。

どこからが夢でどこからが現実かわからない。

 

悠理に告白しようとして、泣かれ逃げられ――――そして、魅録に誤解だったと、教えられた。

伝わってしまったと、そして拒絶されたと、思ったことを。

 

「僕は、おまえに・・・なにか」

してしまったのか、と問おうとした清四郎は、グイと襟首をつかまれた。

いつの間にか、悠理は清四郎の上に馬乗りになるように身を乗り出していた。

泥のように重い上半身を、悠理に引き上げられる。

 

「悠理・・・?」

悠理はしかめっ面。

「ほんとに、憶えてないのか?」

 

だけど、怒ったような口調の中で、瞳は真っ直ぐ清四郎を見つめている。

そこには、怖れや不安や、ましてや軽蔑の色はなかった。

懸命な瞳。

あの風に向かう細いひまわりのような、健気な彼女の瞳。

 

すきだと――――ずっと、伝えたかった。

 

清四郎は首を振った。

「いえ、夢かと思っただけです」

 

すきだと――――悠理に告げられたことが。

 

 

 

悠理に胸倉を掴まれたまま、清四郎は微笑んでいた。

ズキズキズキズキ頭は痛むけれど。

昨夕の胸の痛みに比べれば、頭の中で響くのは天国の鐘のようだ。

 

「清四郎・・・」

しかめっ面の悠理は、口の端をますます引き下げた。

ヘの字口のまま、大きく息を吸い込む。

清四郎の胸元に触れる拳が震えていた。

思わず、清四郎の身に緊張が走った。至近距離から殴られるのかと。

 

「スキだっ!」

 

それは、咬みつかんばかりに。

まるで喧嘩腰だったけれど、悠理にぶつけられたのは、拳ではなかった。

今度は、夢だと間違うはずはない言葉。

 

悠理は言い切ったあと、ふーふーっと荒い息に肩を揺らしている。

清四郎は唖然と悠理を見つめた。

「・・・・先を、越されたな」

清四郎がぽつりと呟くと。

悠理はくしゃりと破顔して笑った。

「やったぜ♪」

それは、久しぶりに見る悠理の笑顔だった。

 

この笑顔を、失ったかと思っていた。

ただ、この笑顔を守りたかった。

だから、それからの清四郎の行動は誓って無意識だったのだ。

 

 

 

 

唇に柔らかな感触。

悠理の唇を衝動的に奪ってしまったのだと気づく頃には、彼の上に乗り上げるようにしていた悠理の細い腰を抱きしめていた。

「ん・・・ん」

苦しげに身じろぎする悠理に口付けたまま、体勢を変える。

腕の中に抱き込むように床に寝かせ、柔らかな体をなおも抱きしめる。

もう、想いを抑えることなどできなかった。

 

ついばむように唇を噛み、舌で歯をなぞる。

緊張に強張った体をほぐすように、髪を撫でる。

「あ、ふ・・・」

漏れた息を逃さず、深く口付けた。

幼い悠理には、きっと激しすぎるキス。

それでも、悠理の手が清四郎の背に回る。

そのおずおずとした動きに、歓喜を感じた。

 

愛しくて、愛しくて。

胸の奥から込み上げてくる想いに、閉じた瞼の裏が熱くなる。

 

喜びのためにでも泣きたくなるのだと、初めて知った。

彼にとっても、初めての恋だから。

 

 

胸を締め付けるほどの昂揚を耐え、ようやく悠理を口付けから解放した。

 

腕の中の悠理を見下ろす。

染まった頬。震える睫毛。

「・・・悠理、ごめん」

瞼がゆっくりと上がり、潤んだ瞳が清四郎をきつく睨んだ。

「なんで、謝んだ?」

悠理はそう言ったけれど、やはり怒っているようだった。

むさぼるような口付けは、強引過ぎただろうから。

 

「あたい、おまえの”ごめん”は、嫌い」

プライドの高い彼がめったに口にする言葉ではなかったのだが。

悠理は口を尖らせて、眉を寄せた。

「あたいに、”ごめん”って言うな」

悠理はわずかに身を起こした。

 

怒ったような瞳が、ぐ、と近づく。

次の瞬間。

チュ、と唇に柔らかな彼女の感触。

 

悠理からのキスに度肝を抜かれる清四郎に。

悠理の瞳が細められた。紅く色づいた唇の端が、愉快気に引き上げられる。

 

「だって、キスも初めてじゃないし?」

「え?!」

「・・・クククッやっぱり、おまえ憶えてないんだ、昨日のこと♪」

悠理はいたずらっ子の顔で笑う。

 

この笑顔を守りたい。

ずっと見ていたい。

 

「おまえ、あたいの上で吐くかと思ったじょ。そんなら、”ごめん”じゃ済まないんだからな!」

悠理は晴れやかな声で笑った。

二日酔いの頭が、思い出したようにズキズキ痛み出す。

「”ごめん”じゃなく、なんと言えば?」

清四郎は額を押さえつつ苦笑した。

 

悠理はケラケラ笑いながら、答えなかった。

清四郎はもう一度悠理を抱きしめる。

天国の鐘が歓喜のベルを鳴らす。

それが、二日酔いの頭痛でも、幸福でたまらなかった。

 

 

 

――――すきって、言って。

 

 

腕の中で悠理が、そう言った気がして。  

 

 

 

 

 

(2005.12.9改稿)

 

 

 

またまたその後

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