A
その日、悠理が学校を無断欠席した。
それ自体はあまり珍しいことではない。 しかし、夜遊び仲間で、前日も一緒にバイクで遊んでいた魅録も悠理の欠席の理由に心当たりはなかったことから、仲間たちは放課後、剣菱家に寄ることにした。
「お嬢様ですか?学校に行っておられなかったんですか?」 剣菱家で応対に出た五代は、怪訝な顔をした。 「実は、今朝メイドがお起こしに部屋に入ったところ、お姿がなかったんで。てっきり、早朝に出られたのかと思ったんじゃが・・・」 「まぁ、悠理が朝食も摂らずに?そんなことはよくありますの?」 「い、いや・・・」 悠理の両親と兄は例によって仕事で海外。留守を預かる五代は顔色を変えた。 「昨日は、俺と門のところで別れたんだ。ちゃんと11時頃に帰ってきたよな?」 「昨夜はいつもの通りのご様子でした。しかし、あなた方ご友人がご存知ないとは・・・ひょっとして、嬢ちゃまに何かが?!」 「悠理のことだから、また何かトラブルに巻き込まれた可能性もありますね。とりあえず、部屋を見せていただいてよろしいですか?」
清四郎の言葉で、皆は勝手知ったる悠理の部屋に向かった。 家の者が悠理の姿を最後に見たのは、昨夜11時半頃。 そろそろ寒くなってきたから、と今年初のウサギの着ぐるみパジャマを着用し、陽気に『お休み〜』と挨拶して自室に入ったらしい。
悠理の部屋に足を踏み入れた途端、野梨子が身を震わせた。 「なにか・・・寒いですわね、この部屋」 「ヒーティングが切ってあるわ」 可憐が壁のリモコンを触ろうとする。が、清四郎に止められた。 「現場は保全してください。悠理失踪の理由がわかるまでは」 「し、失踪・・・?!」 五代がますます蒼ざめた。 「たしかに、おかしいな」 魅録がまるで刑事のように室内を見回す。 「どこが?いつもの通りじゃない」 可憐と美童は不思議そうに室内を見回した。 ベッドは上掛けがめくられてはいるが、あまり乱れていない。 机の上はやや乱雑。椅子には制服が脱ぎすてられたままの状態で丸まっている。 「自分から外出したって様子じゃねぇな」 「そうですね。見て下さい、これ」 清四郎は悠理の机の上のマグカップを指差した。 中には冷め切ったココア。テーブルの上の皿には、半欠けのロールケーキ。 「悠理が夜のオヤツを食べ残すなんて」 確かに、あり得ない。皆は一様に事態の深刻さを悟った。 「ウサギパジャマ以外になくなってる衣服があるか、靴はどうなのか、可憐と野梨子は調べてください」 清四郎は次々に指示を出した。 「美童は部屋中の窓を確認してください。万が一、あいつが窓から自分の意思で抜け出した可能性も捨てられない。だけど・・・」 清四郎は五代に険しい顔を向けた。 「こちらのお屋敷のセキュリティビデオを見せていただけますか?侵入者に誘拐された可能性の方が高い」 魅録は床に不審な靴跡などがないか、すでに四つん這いで調べている。 皆は清四郎の指示で走り回った。 五代が老体からは考えられないスピードでビデオを持って戻ってくる。 清四郎は悠理の部屋のビデオデッキにテープをかけた。 剣菱家の防犯カメラは、さすがに屋敷の方は向いてはいない。庭と門、塀など、変わり映えしない映像を、清四郎と魅録が早送りで確認する。 侵入者が潜んで好機を狙っていたかもと、念のため二日分ほどを見返していたとき。
「う、うわああああっっ」 部屋の隅から、突然悲鳴が上がった。
「美童?!」 クローゼット横の鏡の前で、美童が腰を抜かしていた。 仲間たちは駆け寄る。 大きな姿見を覗き込んだ途端。 「きゃああっ」 「いやっ、なにっ?!」 野梨子と可憐も抱き合って、悲鳴。 「え?、なんだ、どうしたんだ?!」 「いったい、何が見えるんです?!」 魅録と清四郎は仲間たちに問いかけた。 彼らには、何も見えなかったから。 鏡には暗い室内がぼんやりと映っているだけに見えた。 ――――いや、暗すぎる。
「なに・・・・これは、一体?!」 ぼんやりと濁ったような鏡面。ゆらゆらと、白い影が揺らめく。
「ひゃあああっ」 「悠理!!」 「悠理ですのね!」 美童、可憐、野梨子が、叫ぶ。
鏡の中から、にゅ、と白い手が突き出した。 「うわわわわっ」 さしもの清四郎と魅録にも見えたそれには、彼らも動揺が隠せない。 直後、ずるりと、悠理の上半身が鏡の中から転がり出た。
「悠理!!」
美童こそ腰を抜かしているものの、彼らが正気を保てたのは、有閑倶楽部として悠理とつるみだしてから、すっかり慣れっこになっていたからだ。 超常現象に霊体験。 今回のそれも、まぎれもなく異常体験。
「・・・あ」
鏡から現われた悠理は、一瞬ぼんやりしていたが、名を呼ばれて顔を上げた。 色の薄い瞳に、仲間たちの姿が映る。
「せ、せいしろ・・・」
悠理はよろりと覚束ない足取りで、歩き出した。
「清四郎!」
悠理は両手を伸ばして、清四郎にすがりついた。
「ゆ、悠理・・・・?」
清四郎は友人の華奢な体を抱きとめ、喘ぐようにつぶやいた。 違和感を感じながら。
仲間たちも、鏡から出現した悠理を呆然と見つめている。 そう、違和感。 悠理はパジャマを着ていた。しかし、失踪前に目撃されたウサギパジャマではなく、白地に青いストライプのオーソドックスな柄。 清四郎に抱きついた悠理の背中にかかる髪も、昨日会ったときよりわずかに長く見える。 そして。 悠理が危機に直面したときに清四郎に頼るのは、いつものことだとはいえ。 鏡から一番遠い位置に立っていた清四郎に、真っ直ぐ抱きついた。彼の前に立っていた野梨子や可憐、魅録ですら視野にも入らないかのように。
それが、皆が等しく抱いた違和感だった。
「い、いったい、どうしたんですか?説明できますか?」 清四郎が悠理の肩をつかみ自分から引き剥がすようにして、顔を覗き込む。 悠理は泣き出しそうな顔で、首を振った。 「あ、あたい、ずっと動けなくって・・・部屋はぼんやり見えてたんだけど、さっきまで叫んでも誰も来てくれなくって・・・」 「おまえは、鏡から出てきたんですよ」 「か、鏡?!」 悠理は怯えた表情で鏡を振り返った。
「あ、あれ?」 そのとき、初めて悠理は仲間たちの姿に目を留めた。 「なんで、みんな居んの?」 清四郎の制服の裾を握り締めた悠理のこの言葉に。 「・・・おまえなー」 「ご挨拶だわね!」 「心配しましたのよ!」 仲間たちは憤慨顔。 「なんで、清四郎以外はアウトオブ眼中なんだよ?!」 そりゃあ、頼りになんないかもしれないけどさ、と腰を抜かしたままで美童は口を尖らせた。 悠理は赤面して、もじもじ。 「ご、ごめん・・・だって、怖かったんだ・・・」 悠理の正直な表情と言葉に、皆の愁眉が解けた。実際、彼ら自身だとて、困ったときに頼るのは清四郎なのだし。 その清四郎は肩をすくめて微笑した。 「まぁ、なんにしろ良かったですよ。五代さんにも悠理の無事を伝えましょう。今夜は、この部屋で過ごさない方がいいですね。少なくともあの鏡を撤去しなければ」 清四郎は安心させるように、悠理の頭をポンポン撫でた。 「じゃあ、僕らは今日のところは家に帰りますよ」 「・・・え?」 悠理はポカンと、清四郎に聞きかえした。
もし――――。 まだ清四郎の服をつかんだままの悠理が、不安そうな心細げな顔をして、清四郎を見上げたのなら。 それはそれで、いつもの通りだったのだが。 このとき、悠理は、本当に不思議そうに首を傾げた。 悠理の髪が、肩先でふわりと揺れる。昨日よりも、5センチ以上長く見える髪が。
「帰るって、どこへ?おまえの家ってここじゃん、清四郎」
違和感。 悠理の言葉に、仲間たちは言葉を失った。 もちろん、清四郎さえも。
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B
霧のかかったようにしか見えなかった室内の灯かりが、はっきりと見えた。 「悠理!悠理!」 大声で名を呼ばれ、悠理はぼんやりする頭を振る。 急に全身に重力を感じ、体が傾いだ。 「悠理!」 大きな手が体を支えてくれる。 「せいし・・・ろ?」 見上げると、蒼ざめた友人の顔。心配そうな黒い瞳。 誰より頼りになる友人に支えられ、悠理は安堵の息をついた。 思わず、ぎゅ、と腕にすがりつく。
ずっと、悠理は閉じ込められていたのだ。現実感のない空間に。 自分の存在さえ曖昧に感じられる、異次元に。
「良かった・・・!」 清四郎がしっかりと、悠理を抱きしめてくれた。 広い胸の温もりのリアルさに、安堵しながら。 悠理は、ふと、違和感を感じる。 清四郎の声が震えていたから。
いつもクールで感情をおもてに出さない友人が、本気で悠理の身を案じてくれていることが、抱きしめられた腕の強さに感じられた。 急に、気恥ずかしくなる。 すがりついたのは悠理の方からだったけれど、こんな風に抱きしめられたことなんてなかったから。 悠理は清四郎の胸から、顔を上げた。 「えと・・・あの、あたい・・・・?」 「おまえは昨夜、鏡に吸い込まれてしまったんですよ。僕の、目の前で」 「げっ」 悠理はおそるおそる、後ろを振り返った。 クローゼットの横の大きな姿見。普段あまり覗き込むことのないそれは、不気味に冷たく光っていた。 ぞっと、首の後ろの毛が逆立つ。
しかし、同時に、鏡面に映った自分の姿に、ドキンと胸が鳴った。 まだ、悠理は清四郎に抱き抱えられている。 鏡に映ったふたりの姿は、まるでラブシーンを演じる恋人同士のよう。 疲れた顔色に、乱れた髪。バスローブ姿の清四郎はひどく艶かしかった。 もっとも、悠理のウサギパジャマが、かなり色気を減じていたが。
悠理は清四郎の胸に手をあてて身を離した。 「そういや、寝る前にオヤツ食べてて・・・・」 悠理は昨夜を思い出す。 急に室内が寒くなった気がして、切っていたエアコン(まだ秋なのに、着ぐるみウサギパジャマを着たかったから)を点けようと、壁に近づいたとき。 ふと、振り返ると目に入った鏡。 鏡に映った壁時計の針が、12時ちょうどを、真っ直ぐに差していた。
「あり?」
悠理は首を傾げる。ぴょこんとウサギの耳が揺れた。 「目の前でって・・・?」 記憶が蘇るにつれ、違和感が増す。 あのとき、無論悠理は自室にひとりきり。深夜の12時に用もないのに清四郎が一緒に居るわけはない。 思わず、目の前の友人を見上げる。 清四郎は落ちた髪をかき上げ、苦笑していた。 「しかし、なんだってそんな格好をしてるんです?」 いつもの余裕の表情が戻ると、見慣れた友人の顔になった。 清四郎は悠理の頭のウサギの耳をつまんだ。 「『アリス』の時計ウサギを気取ってるんですか?」 悠理の頭から、清四郎は着ぐるみの耳を取る。 そのまま、髪を撫でる大きな手。 掌は髪から頬に移った。 頬を包む温かな手。身をかがめ近づく顔に、悠理は目を見開いた。
チュ、と唇に触れる柔らかな感触。
それが、清四郎の唇なのだと悠理が意識するまで、数秒かかった。 頬を包まれたまま、覗き込まれ。悠理は凝固していた。 「・・・髪、短くなってません?」 唐突にキスしてのけた友人は、見当違いなことを言って首を傾げる。
「・・・っっ!!!!」 悠理は渾身の力で清四郎を突き飛ばし、叫んだ。 「な、な、な、な、何しやがるーーーーっっ!!!」
吹っ飛んだ勢いで、清四郎は背後のベッドに腰を下ろした。 後ろ手をついて、片眉を上げ不審顔。 「何って、キスですけど?」 「キ、キキキキキ・・・!」 「猿ですか、おまえは。ウサギよりも似合うでしょうけど」 いつものように、馬鹿にした口調。 だけど、清四郎はふわりと微笑んだ。 「・・・おまえが帰ってきて、嬉しかったんですよ。いけませんか?」 ベッドの上でバスローブの男は、悠理をじっと見つめた。 切なげにさえ、見える瞳で。
「夫婦なんですから、キスくらいあたりまえでしょう?」
――――違和感。 清四郎の言葉に、悠理は総毛だった。 感情的な不快さのためではない。異常は、本能が察知していた。
ここは、悠理の知っている世界ではないと。 目の前の彼もまた、悠理のよく知るあの頼りになる悪友ではないのだと。
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ええと・・・まずは、ごめんなさい、haruka様。お待たせした上、リク通りの展開になるかは、かなり未定です。とりあえず、リクその1「悠理失踪」はやってみました。探した、と思えば登場したけど。(笑) 次回はリクその2クリア目指します。
説明しなきゃよくわからないのが情けないですが、これはAB二種類の清悠話です。おかげで、書くのも二倍手間取ってます・・・。(自業自得)