眠りから覚めぬようそっと抱き上げ、バスルームの扉を足で押し開けた。

僕の胸に頭をもたせかけた友人の安らかな寝息に、思わずほくそ笑む。

「・・・ん?」

空のバスタブに体を横たえたとき、初めて彼は身じろぎした。

しかし、時すでに遅し。僕はすでに蛇口を開けていた。

 

「う・・・うぎゃああああっっ!」

 

ピンクの髪の上に降り注いだのは、適温の湯。

冬の北海道で冷水シャワーを浴びせかけるほど、僕は鬼ではない。

それでも、魅録は聞き苦しい絶叫を上げた。

 

 

Hot Illumination

 

 

少々手荒な起床の処置に魅録は猛然と抗議してきたが、僕は正当なる理由を説明してやった。

僕が目覚めた直後に受けた衝撃も、彼に勝るとも劣らなかったのだから。

目覚まし代わりのアラームを止めようと、携帯を開いたときの衝撃は忘れられない。

「えー?!俺、んなことしたっけ?」

「勝手に他人の携帯で写真を撮り、暗証番号の障壁を突破し待受画面の設定を変更するなんて、魅録以外のだれができるんですか」

魅録に悪行を追求したが、彼は首を捻った。

「昨夜のことは覚えてねぇなぁ。どんな写真?」

「覚えてないなら見せません!酔いつぶれて眠っている顔ですよ」

僕はポケットに携帯を押し込んだ。

 

ベッドの上で、美童がクスクス笑った。

二日酔いで朝食もパスし、美童は僕のベッドを占領していたが。魅録の絶叫で眠れなかったようだ。

皆と旅行に来た札幌のホテル。

昨夜は僕と魅録の部屋で仲間皆が泥酔し雑魚寝してしまった。

最後まで起きていたのは僕ひとりだったはずが、なぜかその僕の寝顔を魅録に撮られてしまったらしい。――――悠理を抱きしめて眠っている顔を。

 

目覚めた瞬間に目に入ったのは、長い睫。

安らかな悠理の顔。

寝息が頬をくすぐり、彼女の甘い匂いが心地良かった。

人肌を腕に感じ眠るなんて物心ついてから一度もなかった。

女を抱いても、共に眠ったことはなかったから。

 

なぜ悠理を抱きしめて眠っていたのか。

僕が彼女を女として意識している――――なんてことは無論なく。

事実はその逆だ。

可憐や野梨子ならば多少の遠慮も意識もするが、悠理ならば一緒に寝ようと万が一の間違いが起きるはずもないという、気楽さがあった。

実際、僕だけじゃなく、今回の旅行では三部屋取っていたので悠理は美童と同室になっている。

だから、僕でなくても美童でもおそらく魅録でも、悠理とは平気で一緒に床に寝るだろう。

そう、美童に僕を笑う権利はない。

 

僕はため息をついて、ポケットに入れた携帯を取り出した。

開けるとそこには、安らかに眠る顔。寄り添って眠る悠理と僕。

僕はあろうことか悠理に腕枕し、髪に手を差し入れて引き寄せているように見える。唇は悠理の額に触れんばかり。

悠理は僕の顎の下に顔を埋め眠っている。その顔は、目覚めて最初に見た彼女と同じもの。

幸せそうな寝顔は、悔しいことに、何度見ても胸をほっこりとさせてくれる。

野梨子や可憐は僕を情緒障害者のように常日頃言ってくれるが。

僕だって、仔犬や仔猫は無条件に可愛いとぐらい感じられるのだ。

 

タオルで頭を拭きながら魅録が背後から携帯を覗き込もうとしたので、慌てて閉じた。

「しかも、暗証番号を変更までするとはね。で、変更した番号は?」

ちろんと睨むと、魅録は天井を仰いだ。

「だから、覚えてねーって。なんだっておまえの暗証番号がわかったのかさえ、覚えてねーよ。おまえの暗証番号って、すぐに連想できる奴なのか?」

僕は眉を寄せた。

「そんなわけないでしょう」

ふと、思いついた。泥酔していた魅録が考えつく番号。

「まさか、あなた自身の暗証番号と同じだったとか・・・?」

「俺の?」

そんな偶然もあるのかもしれない。

だけど。魅録があの番号を使用していたとなると、胸がもやもやする。他の人物ならともかく。

たとえば、悠理とか。

「俺の番号は、0502――――男山の誕生日だぜ?一緒なのか?」

「・・・・違いますね」

僕は肩の力を抜いた。

だって、僕の暗証番号は悠理の誕生日なのだ。僕自身や家族のナンバーを使用するなんて、セキュリティが甘すぎる。

まさか誰も友人の誕生日を設定してるなどとは思わないだろうと考えたのに。

「おまえ、ペットなんかいねーよなぁ?」

魅録は首を傾げている。

「酔ってるときはなんでか頭が回ったんだな。素面の今じゃおまえがどんな番号使ってるかなんざわかんねーや」

僕は苦笑した。

なるほど、魅録にとっての男山。僕にとっての悠理。

まぁ、それを口に出せば非難轟々だろうから、黙っておくことにする。

しかし、酔った魅録がそれを察したことには驚いた。一体何の番号に変更したのやら。

もう一度携帯を開いた。

悠理の寝顔は、やはりほっこりと温かく胸を満たす。

僕はちょっとだけその顔を見つめてから、設定画面を呼び出した。

「・・・あ、やっぱり」

魅録が変えた新暗証番号がわかった。自分のものと同じ男山の誕生日でビンゴだ。

「なんだって、僕が魅録の愛犬の誕生日を暗証しなきゃなんないんですか」

僕は憤慨しながら設定をふたたび変えた。今度は悠理の誕生日ではなく、学籍番号にする。

これならば、まず誰にも悟られまい。悠理本人でさえ、覚えているかどうかアヤシイ。

聖プレジデント学園の学籍番号は五十音順で、幼稚舎の頃から変わらない。僕が悠理の番号を覚えているのは、僕の番号と並びだったからだ。

ま、一度目にした数字はまず忘れはしないが。

僕は悠理とは脳の皺の数が違うからね。

 

 

 

 

 

 

「清四郎?」

携帯に見入っていると、野梨子に声を掛けられた。

午前中、北大で懇意の教授と過ごした僕は、北海道県庁前、通称赤レンガの旧庁舎で、野梨子と昼に待ち合わせていた。

今日は皆は夕刻までバラバラで過ごす予定だ。

美童は札幌の彼女とデート、悠理と魅録と可憐はニセコでスキー。僕は北海道大学に用があった。

明日は皆一緒に富良野の別荘に移動してスキー三昧の予定だったから、野梨子はニセコ行きを拒否し、一人で札幌観光をするという。

いくらなんでも一人で観光させるのも忍びなく、僕は付き合うつもりだったのだが。

北大で用を済ませ、待ち合わせ場所の赤レンガに着いたときには、昼食の時間を少し過ぎてしまっていた。

「何度か来ていますけれど、興味深いですわ」

だけど、野梨子は旧県庁の歴史展示に満足したようで、豊かに時間をつぶしたようだ。

僕は安堵する。これが悠理だと、こうはいかない。

たいくつだたいくつだとわめきながら、雪の降る県庁前の公園で走り回っていることだろう。

もう一度、僕は携帯を開ける。

自然に頬が緩む。

新番号に設定はしたが、まだ待受画面は変更していない。

 

「メールでも来ましたの?」

「あ、いや。時間を確認していただけです。遅くなってすみませんでしたね。昼食に行きましょうか」

「そうですわね。なににします?」

「悠理がこの近くに美味しい味噌ラーメンの店があるって言ってましたよ」

「ラーメン・・・ですか?」

野梨子はちょっと困った顔をした。

「ああ、いえ。寿司もいいですね。小樽まで行かなくとも、美味しい寿司を食べさせてくれますよ」

悠理の言っていた店はカウンターだけの狭い店だ。野梨子向きではない。

「とにかく、寒くてたまりませんわ。早くどこかに入りましょう」

「寒いですか?待たせてすみませんでしたね」

屋外で野梨子を待たせていたわけではないが、彼女はひどく寒そうだった。

僕は北大から歩いて来たせいか、寒さを感じない。

気温は氷点下。東京とは違うはずなのだが、やはり日頃の鍛錬の賜物だろう。

 

結局、昼の時間が過ぎ空いた郷土料理の店に二人で入った。

温かな店内でコートを脱ぐ。

料理が運ばれて来るのを待つ間、野梨子は雑誌を取り出した。

「午後はどうしますの?皆と落ち合うのは、大通り公園テレビ塔の前で5時でしたわね?」

「イルミネーションの始まる時間にね。皆と少しそぞろ歩きしてから、ジンギスカン鍋を食おうと悠理がはりきってましたよ」

野梨子は雑誌の観光案内に目を落とす。

「旧県庁の展示で、開拓村が見たくなりましたわ」

「開拓村ね。札幌からすぐでしたっけ」

記事を読む。

「冬季は雪ゾリが村内の足だそうですよ。悠理が喜びそうですな」

「そうですわね。悠理と一緒の方が楽しそうですわね」」

小学生たちの遠足写真の載った記事を見て、野梨子も苦笑した。

「今からでは、バスの時間も合いませんわ。だいいち、寒そうですから、今回はやめておきます」

野梨子はよほど寒さが堪えているらしい。確かに、僕と野梨子が二人して雪の中馬ゾリに興じるのは何か違うだろう。

「どうします?文学館でも行きますか」

昼食を食べながら、野梨子に提案する。

「そうですわね、5時まで時間をつぶさないと・・・」

昨夜の痛飲で、野梨子は少し疲れ気味で食も進まないようだった。そういえば、朝食も抜いて朝は寝ていた。

本音を言えば、野梨子はホテルで横になりたいくらいだろう。

一番大量に飲んだくせに、朝からホテルのバイキングを制覇し空にする勢いだった悠理を思い出す。

「悠理たちは今頃、ゲレンデで暴れまわっているでしょうな。なにか騒動に巻き込まれていないといいが」

思わず、笑みが漏れた。

スキーに行ったときには、必ずなにか事件が起こるのだ。美童がスパイに追いかけられたり、可憐がはぐれて遭難し仏像を燃やしたり。

吹雪に巻き込まれて、女装しスパに潜入したこともあった。

回想を楽しんでいたとき。

 

小さく携帯の着信音が聴こえた。

僕と野梨子は同時に携帯を開いた。

僕を迎えたのは、悠理の幸せそうな寝顔。

「あら、可憐からメールですわ」

鳴ったのは、野梨子の携帯のようだ。

僕がしばし携帯の待受画面に見入っている間。

野梨子はメールを読んでクスクス笑っていた。

「可憐は、なんて?」

自分の携帯を閉じて顔を上げると、野梨子は僕の前に携帯を差し出した。

 

『野梨子、こっちはサイテー!あいつらに付いて来るんじゃなかったわ!悠理も魅録もスノボでガンガン滑りまくってあたしは一人放置!(怒)しかも、ゲレンデにイイ男がいないのよ。参ったわ。

体が冷えてあちこち痛んで来たから、今からタクシーで札幌に戻ります。札幌に岩盤浴のサロンがあるから、一緒に行かない?どうせ、あんたも清四郎と一緒だと退屈でしょ?』

 

まったく、可憐らしい。

「・・・僕と一緒だと、退屈ですか?」

苦笑しつつ携帯を野梨子に返す。

野梨子は微笑を浮かべた。

「一緒もなにも、昼食をご一緒しただけで、別行動だったじゃありませんか」

まあ、その通り。

このまま二人で居ても、どうせ午後はホテルに戻って読書でもしていただろう。

「私、可憐と行ってきてよろしいでしょう?」

「どうぞどうぞ。僕は一人で札幌観光でもするとしますよ」

僕の嫌味に、野梨子は動じる風もなく、あっさり席を立った。

「これからスパなら、5時には間に合わないかもしれませんわね」

「いいですよ。ジンギスカンに間に合えば。ホテルに7時ごろ戻るようにしてください」

 

そうして、僕は野梨子と別れ、一人になった。

北海道大学に戻ることも考えたが、大学は冬休み中。懇意の教授はさっき帰宅すると言うので駅まで送って行ったところだ。

雪に覆われた羊が丘で、悠理のことを考えた。

冬の北海道でも”カニカニカニ〜♪”と着くなり舌鼓を打ち、現在もウインタースポーツを満喫しているだろうが、夏の牧場でも彼女は放たれた鹿のようにはしゃぎ回るだろう。

気がつくと、悠理のことばかり考えている。

僕はまた携帯を開けて見た。

新番号に設定しなおしたから、いつでも待受画面は変えられるのだが。

なかなか、見慣れると良い写真だ。

氷点下の気温の中で、胸の内側がポカポカと温かい。

 

「人間発光体みたいなものですからね」

青色ダイソードなどではなく、オレンジ色の暖かで原始的なぬくもり。人間ホッカイロ。

どうりで、昨夜はあんなに暖かく熟睡できた。

そう言うと、顔を真っ赤にして怒り出すだろうが。火の玉になった彼女も、パチパチはぜて目を離せない。

「一家に一台欲しいもんですな」

雪景色の街をゆっくりと歩く。まだ早い時間だが、大通り公園に向かうことにする。

なぜか、少しも寒く感じられなかった。

 

胸の内側からこみ上げる、温かな想い。

時間を確かめるため、と自分へ言い訳をしながら、何度も携帯を開けて見た。

 

冬の北海道では、陽の落ちるのは早い。

白化粧の街が闇に覆われる。

時計台の資料室で時間を少々つぶし、待ち合わせ時間の前に公園に足を運んだ。

クリスマスが過ぎても残る色とりどりのオーナメントと屋台。

さすがに底冷えのする外気にコートの襟をかきあわせた。

売店でほかほかのホットドックを目にし、嬉々と喜びそれを頬張るだろう人を想った。

白い息を手に吐きながら、頬が緩む。

ちょうど17時。

電飾に明かりが灯る。ホワイトイルミネーション。

 

「清四郎ーーー!!」

 

ぴょんぴょん跳ねる栗色の髪。

周囲が明るくなったように感じるのは、気のせいじゃない。

桃色の頬の悠理が駆け寄って来る。

輝くイルミネーションに負けない彼女の笑顔に、僕は見惚れた。

写真の悠理よりも、想像の悠理よりも、本物の悠理の方がずっと温かな笑顔だ。

レモンイエローの派手なスキーウェアのせいだろうか。彼女のまわりだけ柔らかな光が差すようだった。

僕は眩しさに目を細める。

どんな低い気温でも、負けないぬくもりが胸に灯る。

悠理がそのぬくもりなのだと、僕はこのとき初めて気がついた。

 

「・・・魅録は?」

「疲れたー、つって、ホテルに帰っちゃったよ」

「可憐と野梨子も7時にホテルで合流になると思います」

「じゃ、あとは美童?」

悠理がそう言った瞬間、携帯メールが入った。

僕は携帯を開ける。

 

『彼女ともう少し過ごしたいので、悪いけど、夕食もパスさせて。今夜は帰らないかも、と悠理に伝えてください。それから、清四郎・・・』

続く文を読んで僕は眉を顰める。

『悠理に伝えてください。』か。

美童は悠理と同室なのだから、当然とはいえ。

 

「悠理、美童は来ないようです。どうします?僕たちふたりだけだから・・・・ホテルに戻りますか?」

「え?どうしてさ」

悠理がそう言ってくれて、僕の頬は緩んでしまったに違いない。

 

「とうきび食べますか?」

「うん♪」

「ホットワインも売ってますよ」

「シナモン入りだってさー、美味いのかなぁ」

「試してみます?」

 

悠理のキラキラ輝く瞳を見ていたら、心躍る。

ずっと見ていたい。

ふたりで居られる時間が貴重に思える。

 

それが、どういう気持ちからくるのか――――そろそろ、考えてみるべきかもしれない。

 

悠理が売店に走っていった隙に。

もう一度、僕は携帯を開ける。

悠理には伝えなかった、美童の文の末尾を読み返した。

 

『ところで、清四郎。待受け画面は、変更したかい?』

 

変更できない、写真。

彼女を抱きしめて眠る僕。

自覚するより先に、想いは滲み出てしまったのか。

 

僕は携帯を見つめながら、今日何度目かの笑みを浮かべた。

 

 

 

 

――――札幌旅行二日目の昼――――

 


野梨子ちゃん、こんな男とのデート(?)は、イラついただろうなぁ。

私が社員旅行で行った11月末、ホワイトイルミネーションはクリスマス仕様でとても綺麗でしたv クリスマスが終わってもやってるみたいですね。雪祭りが始まる前に、続きを書けるかな?

 

 二日目の夕

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