エンゼル・ダスト

 

 

 

 

天使が空から、降ってくる。

雪の形に、姿を変えて。

 

 

ビル街の真ん中、大通り公園で黒いコートの彼を見つけた。

「清四郎!」

清四郎はこちらに気がついて、片手を上げた。

彼の背後の札幌テレビ塔の電光掲示板が17時を示す。

周囲のイルミネーションが夕刻の町にまばゆい光を放った。

 

ホワイトイルミネーション。

 

「うわぁ・・・」

あたいは思わず歓声を上げていた。

まるで、魔法か手品のようだ。清四郎が合図をしたわけではないだろうけど、ちょうどそんなタイミング。

清四郎の目が愉快そうに細められる。

いたずらっ子のようなその表情に、やっぱり狙ってやったのかな?と騙されそうになる。

 

「魅録はどうしたんです?」

問われて、彼は来ないと告げる。スキー場ではいつも通り一緒にはしゃいだけれど。

帰りの車を運転する魅録は、ひどく疲れていた。昨夜からの酔いをまだ引きずっていたらしい。

清四郎はひとり言にように小さく呟いた。

「・・・逃げたかな?」

「え?」

「いえ、なんでもありません」

ニッコリ。

見慣れたそれは、だけど、悪魔の笑みというには、優しすぎる笑みだった。

 

どきどきどき。

胸が変な音を立てる。

朝から、どうも調子が悪い。

魅録と同じで、飲みすぎたかな?

 

それなのに、清四郎の差し出したホットワインを、あたいは口に含んでいた。

可愛い陶器の入れ物。鼻につく、シナモンの香り。

熱い液体が、喉を焼く。

「美味い!」

それは、寒さのためだったのかもしれないけれど。

「そうですか?」

清四郎は疑わしそうに眉を上げつつも身をかがめ、あたいの手の中のコップに口を寄せた。

「・・・あ」

「本当だ。シナモン入りワインなんてどんなのかと思いましたが、意外にイケますね」

不意打ちのようにあたいのコップからワインを飲んだ清四郎が顔を上げた。

ちょうど、あたいと同じ高さになった黒い目が、微笑みを浮かべ至近距離にある。

 

――――あんたは清四郎に抱きしめられて眠ってたのよ。

 

今朝、可憐に聞かされた事実。

何の脈絡もなくふいに思い出し、清四郎の顔を正視できなくなって、あたいは目を逸らした。

近すぎる距離に、焦る。

喉を通り過ぎた熱いアルコールが、胸と腹をカッカと焼いた。

 

「悠理、あそこのホットドック、美味しそうでしたよ」

「か、買ってくる!」

清四郎の指差す屋台に、あたいは走り出した。

お腹だけじゃなく、ひどく顔も熱い。アルコールには強いはずなのに。

 

ホットドッグとついでに焼きとうきびとフランクフルトを買い込んで清四郎の元に戻った。

清四郎はイルミネーションに背を向けて、俯いて携帯を開いていた。

 

どきん。

 

胸が大きく音を立てた。

だって、携帯を見つめる清四郎が、ひどく優しい笑みを浮かべていたから。

 

――――清四郎ってば、とろけそうな顔で微笑んだの。

 

あいつでも、あんな顔ができるのねぇ。そう言った可憐の言葉をまた思い出した。

可憐の見たのは、きっとこんな顔だったのだろう。

 

「・・・メール?」

あたいが問いかけると、清四郎は顔を上げて携帯を閉じた。

「いいえ。時間を確認しただけですよ」

「へ?」

だって、そう言う清四郎の背後にそびえているTV塔の大きな電光掲示が現在時刻を告げている。

あたいが首をひねっていると、清四郎は苦笑した。

「また、えらく買い込んで来たもんですね。持っててあげます」

あたいの手からフランクフルトとホットドッグを取り上げる。

「あっ」

「心配しなくても、食べませんよ」

「さっき、ワインは飲んだじゃんか」

別に嫌じゃなかったのに、つい言ってしまった。

「それはすみませんね。また買ってきますよ」

そういう意味じゃなかったのに。

「べつに、食ってもいいよ?」

あたいは清四郎に、焼きとうきびを差し出した。

清四郎は、おや、と片眉を上げる。

「夕食前ですからね。悠理と違って、僕は四次元胃袋を持ってないんで遠慮しますよ」

あたいの口元に清四郎はフランクフルトを突きつけた。

「ったく。財閥令嬢のくせに現金だな。また買ってくる、と言ったとたん態度を変えるんですから」

「・・・。」

だから、そういう意味じゃなかったのに。

あたいはフランクフルトにかぶりつきながら、ちょっと哀しくなった。

清四郎が右手に持つフランクフルトをヤケクソのように齧った。

清四郎は次に左手でホットドッグを差し出す。

それにも、パクリとかぶりつく。

「・・・なんだか、餌付けしてる気分になりますね」

清四郎はクスクス笑っている。

あたいはなんだか胸がもやもやして、気分が悪かった。

 

きらきら、イルミネーションが輝く。

舞い降りるのは、粉雪。

清四郎が雪空を見上げる。

 

あたいもつられるように、口を動かしながら隣の清四郎を見上げた。

清四郎の横顔に、光と雪が色をつける。

整った顔立ちが、零下の街の雪像のよう。

だけど、黒い瞳は活力に輝いていて。

強い意志が感じられるその瞳から、目が離せなくなった。

綺麗だな――――と思った。

 

 

「さて、2時間近くありますね。これからどうしましょうか」

清四郎があたいに視線を戻した。

予定では、夕食の時間まで大通り公園を皆でそぞろ歩きするつもりだった。

「そういや、清四郎は今日は市内観光したんだっけ」

あたいと魅録と可憐はスキー場、美童は札幌在住の彼女とデート、清四郎は野梨子と札幌観光だったはず。

「ええ、まぁ」

じゃあ、公園を歩くのもつまらないかな?

野梨子とすでに歩いて回っていることだろう。

 

「今日、楽しかった?」

なにげなく問いかけたら、清四郎はちょっと驚いたように目を見開き――――そして、柔らかく微笑んだ。

「・・・それが、意外に」

口元に手をやって、清四郎は思い出し笑い。

「意外に、有意義に一日を過ごせましたよ」

その優しい笑みに、ずきん、と胸が痛んだ。

 

だから。

「思い出し笑いなんて、スケベっぽいぞ!」

つい、意に反することを言って、ぷいと顔を逸らせてしまった。

持っていた食べ物を全部食べてしまったので、空いた手に、息を吹きかける。

白い息。東京とはずいぶん気温が違う。

 

さっきはあれほど綺麗に見えた、雪の白もホワイトイルミネーションも、淋しげな色に見えた。

「寒いですか?」

「・・・ううん。でも、このイルミネーションって、ちょっと色が少なくって、淋しいな」

「そうですか?そりゃ、万作ランドやディズニーランドの電飾パレードと比べればねぇ」

万作ランドもディズニーランドも、六人で行った。

そのときは、ちっとも淋しさなんて感じなかった。

魅録と二人でツーリングやスキーに行っても、こんな気持ちになったことはない。

きっと、野梨子と二人で観光した清四郎も。

野梨子とは、二人でいることの方が多いくらいなのだし。

 

やっぱりあたいと清四郎は、相性が良くないんだな、とぼんやり思った。

趣味も合わない。性格も正反対。

それを言えば、魅録以外のほかの四人ともそうだけど。

友人でいられるのは、奇跡のようなことなのだと、あらためて思った。

 

なんだか涙が出そうになった。

きっと、寒さのためだ。

ぶるっと震えたら、清四郎がマフラーを外した。

「手袋は?」

「濡れたから、置いてきた」

スノボのグローブしか今日は持っていなかった。

「僕のを貸してあげましょうか?」

「いいよ、べつに」

そう言ったのに、ふわりと、マフラーがあたいの首に巻かれる。

 

あ。

温かな感触と落ち着く匂い。

清四郎の匂いだ。

 

――――抱きしめられて・・・ 

 

眠っていた。

 

 

なんて。

リアルにその事実を感じてしまう。

 

「・・・わわわわわーーーーっ!!」

 

なんだか、叫びたくなって。大声を上げながら、駆け出してしまった。

いきなりのあたいの行動に、清四郎は唖然としていたけれど、かまうもんか。

ちょうど駆け出した方向に、小物を売っている屋台があったから、取り合えずその店先に突入した。

 

民族衣装を着た外国人の女の子が、蝋燭や人形や、可愛いぬいぐるみを売っている店だ。

あたいは火照る頬を隠そうと、真剣に品物を物色するフリをした。

 

「いきなり、奇声を発するから、何かと思えば」

追いかけてきた清四郎が、またクスクス笑った。

「おまえも、女の子ですね。こういう店が好きなんだ?」

からかい口調だったけど、馬鹿にしたふうでもない。今日の清四郎は、やけによく笑う。

「これ、悠理に似てますね」

「・・・・どこが?」

あたいは清四郎が差し出した小さな人形を見て、口を尖らせた。

だって、ストラップの先で揺れているそれは、エキゾチックな顔をした、だけどどう見てもキューピー人形。正規のデザインではなく外国製のバッタ物らしく、天使はふくれっつら。

「そんな顔をしていると、よけいに似てます」

尖がり帽子にマフラー姿。レモンイエローのセーターだけが、確かにあたいのウエアと同じ色だけど。

「可愛いじゃないですか。買ってあげますよ」

「いらんわい!」

って、あたいは言って背を向けたのに、清四郎はその人形をしっかり購入していた。暖かそうな、レモンイエローの毛糸の手袋と一緒に。

「マフラーも手袋もなしじゃ、寒いですよ」

清四郎が、あたいの手に問答無用で手袋をはめる。一緒に、さっきの人形の入った小袋も掌に握らされ、仕方がないから、受け取った。

 

「・・・強引なやつ」

「そうですよ。知りませんでした?」

 

イルミネーションが、彼の表情をはっきりと見せてくれる。

粉雪が彩る、清四郎の楽しそうな顔。

 

――――あたいといて、つまんなくない?

 なんて。ふいに訊きたくなった。

 

「すみません、カメラをお願いしていいですか?」

30代くらいの女の人のグループに、声を掛けられた。

「いいですよ」

清四郎が愛想良く答える。何個もデジカメを渡され、彼女達をレンズに収めた。

「ありがとうございます。可愛い彼女ですね。写真、撮ってあげましょうか?」

おばさん達の言葉に、あたいはぎょっと、驚いた。

だけど、清四郎は動じた様子もなく、そつなく断っていた。

 

彼女――――なんて。

傍からそんなふうに見られるなんて、思いもしなかった。清四郎とあたいがふたりきりなんて、珍しいから。

魅録と一緒のときは、そんなふうに言われることはない。男同士に間違われること、日常茶飯事。

美童とだって。まぁ、美童の場合は、(数多い)カノジョといるときは、態度豹変だから当たり前かも。

 

清四郎なんて、あたいのこと、犬か猿ぐらいにしか思ってないのに。もしもここに野梨子や可憐がいたら、あたいがカノジョに間違われることなんて、あり得なかっただろう。

 

「悠理」

俯いて、自分のブーツを見つめながらそんなことを考えていたら、頭上から彼の声。

「ん?」

「一緒に写真を撮りましょうか」

「ぬ?」

しかめっ面のまま顔を上げたら、清四郎が携帯を撮り出していた。

「デジカメは持ってませんけど、この携帯、自分でも撮れるんですよ」

そう言って、清四郎は腕を伸ばして携帯を逆に持ち、自分の方にレンズを向けた。

「笑って」

グイ、と肩を抱き寄せられる。

 

目の前が、真っ白になる。フラッシュ。

 

あたいは突然の事に思考停止。清四郎に肩を抱かれて、凝固していた。

「ほら、いい出来でしょう」

清四郎が得意げに、あたいに携帯を見せてくれた。

小さな画面に、あたいと清四郎が、身を寄せあうようにして収まっていた。

にこやかな彼に比べ、あたいは鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔だった。

 

「やっぱり、あの天使に似てますねぇ」

「て、天使?!」

しばらくして、さっきのキューピーのことだと理解する。

頭に血が昇った。

「寄こせ!」

携帯を奪おうとしたけれど、長い腕を頭上に上げた清四郎にあっさりかわされた。

「もう、保存しましたよ」

あたいの空振りの手が、清四郎のコートの袖をつかんだ。

引っ張るつもりはなかったけれど、清四郎の手がそのまま上から降りてきた。携帯を奪われまいと、清四郎の両腕はあたいには届かない場所、あたいの背に回される。

 

向き合ったまま、こんなふうに背で腕を交差されると――――胸に、抱きしめられているようで。

コートの内側に引き込まれ、清四郎のぬくもりに包まれる。

 

「悠理、まだ寒いですか?」

清四郎は小首を傾げ、あたいの顔を覗き込んだ。

「僕は、おまえといると、少しも寒さを感じない」

 

――――それって、どういう意味?

そう訊きたかったけれど、あたいはなんだか、ぼぉっとしてしまって。

ふわふわして。

見上げた清四郎の顔を、ぼんやり見つめることしかできなかった。

 

ふわふわ、雪が舞い降りる。

天使の羽のように。

夜空を天使が舞っている。

 

 

 

ふいに、あたいの背中で音が鳴った。

清四郎の携帯がメールの着信を告げたのだ。

背に回っていた腕が解かれる。あたいの頭の上で、カチリと携帯が開かれた。

「野梨子からです。いま、可憐とスパを出たので、7時までにはホテルに戻れるそうですよ」

「・・・ふぅん」

背伸びをして画面を覗き込もうとしたら、また清四郎は携帯を高く掲げて、あたいから遠ざけた。

まるで、大切な宝物を隠すように。

「・・・・。」

さっきまでの気分は、あっという間に消えてしまった。

あたたかな、空気も。

 

気温は氷点下。

雪は、天使の羽なんかじゃなく。

冷たい水の結晶。

 

「・・・あたいたちも、戻んなきゃな」

天国気分の反動か、胸がしくしくと痛んだ。冷たく重い。まるで、氷を抱いたようだ。

清四郎の着せてくれたマフラーと手袋は暖かだったけれど、あたいは寒さに身を震わせた。

「もう一杯、ホットワインを飲みますか?」

「あたい、買って来るよ。待ってて」

清四郎が動こうとしたのを制して、あたいは駆け出した。

イルミネーションの前に清四郎を残して、店に向かう。

現金な奴、と言われたのを、ちょっと根に持ってたのかもしれない。

 

 

清四郎の分も、とマグカップをふたつ持って戻って来たとき。

彼がまた、携帯を開いて見ていることに気がついた。

あの、ひどく優しい顔で。

 

 

胸が痛い。きっと、この寒さのせいだ。

冷たい雪が降り続いているから。

清四郎の髪を、肩を。羽根のように飾りながら、舞い降りる雪。

 

 ――――天使なんて、糞食らえ。

 

湯気の立つホットワインを、クイと一気に口に含んだ。

「あ、あち、あちっ!」

舌と喉を、火傷した。

 

「何してるんですか?」

呆れ顔で、清四郎があたいの手からマグカップを取り上げた。

あたいの方こそ、あの携帯を取り上げたかった。

 

「・・・何、見てたの?さっきの写真?」

それとも、誰かからのメールだろうか。

思わず問いかけたあたいの言葉に、清四郎は、バツの悪そうな顔をした。

「・・・さっきのじゃありません。もうちょっと前に撮った写真です」

 

――――ああ、そうか。

今日、清四郎はずっと野梨子と居たし。さっきみたいに、写真を撮ったのだろう。あたいと、撮ったように。

 

写真は、野梨子じゃないかもしれない。可憐かも、美童かも、魅録かも。ひょっとしたら、通りすがりの、犬か猫かも。

何でも良かった。

それが、何であっても、あたいの気分は、最悪だった。

 

地面に落ちた雪を、踏みにじる。

ポケットに入れてあった、人形をつかんだ。

これは、天使じゃない。不細工な顔をした、キューピー人形。ふくれっつらのあたいに、そっくり。

 

マグカップを持っているため、清四郎は携帯を脇に挟んでいる。

あたいは、好機を見逃さなかった。スピードでは、清四郎にだって、負けないんだから。

 

「でやっ」

気合と共に隙をつく。あたいは清四郎の携帯を、見事奪い取っていた。

「なっ?!」

珍しく狼狽した清四郎に向かって、アッカンベー。

「ゆ、悠理、見るな!」

「見ないよ、バカッ!」

 

ひとの携帯なんて、見るもんか。清四郎に、あんな優しい顔をさせるものなんて。

 

イルミネーションは、こんなに輝いているのに。

あたいと居るのに。

 

清四郎が、別のものを見ていることが、許せなかった。

 

 

むしゃくしゃして。腹が立って。

あたいは清四郎の手の届かないところまで逃げると、彼に背を向け、携帯をいじくった。

さっきの人形を取り付けたのだ。ふくれっつらのストラップ。

 

清四郎がこの携帯を見るたびに、睨みつけてやるといい。大きな目をひん剥いて。

携帯を見るたびに、思い出すといい。

あたいのことを。

あたいが、ここに居ることを。

 

俯いて、ストラップを取り付けていたら、鼻の奥がツンとしてきた。

水滴が、ポタリ。人形と携帯に、ほんの数滴。

雪が、雨に変わるはずもないのに。

 

「・・・悠理」

背後から、清四郎の声。両腕が回され、大きな手が携帯ごとあたいの手をつかんだ。ストラップをつけるために手袋を外していたから、清四郎の体温がそのまま伝わる。

髪の上に顎を乗せて、清四郎は後ろからあたいに腕を回した。だから、彼のぬくもりに、また包まれたけど。

あたいは、俯いたまま。

顔を上げなかった。視界はもとより、曇って見えなくなっていた。

 

しばらく、そうしてじっと佇んでいた。

しんしんと、雪だけが舞い降りる。

 

「それ、魅録の悪戯なんですよ」

「・・・それって?」

「その、写真です」

「?」

清四郎は、あたいが携帯を開けて見たと、思っているらしい。

「おまえが嫌なら、替えますよ」

あたいは、返事をしなかった。なんのことなのか、よくわかんなかったから。

「さっき撮った写真でもだめですか?」

「ふぇ?」

 清四郎の言葉の意味が、よくわからない。

「だって、そうしていると、天使みたいでしょう?」

 

振り仰ぐと、至近距離に、黒い瞳。

イルミネーションを宿し、宝石のように輝いて見えた。

 

「目の前のおまえは、食欲ばっかりでいじきたなくて、いつも僕にはしかめっ面しか見せてくれないのにね」

「おまえが、しかめっ面ばっかにさせるんじゃないか!」

そう言い返したものの。それは言いがかりだと、あたいは自覚していた。

 

だって、清四郎は優しい。

そりゃ意地悪なところもあるけれど、いつだってあたいを守ってくれる。

このぬくもりで、いつもあたいを包んでくれる。

 

だから、言いがかりの我侭なんだ。

その瞳にあたい以外映して欲しくない、なんて思うのは。

我侭で理不尽で、強欲。

あたいは、天使には程遠い。

 

「悠理・・・」

清四郎はあたいの心情も知らず、顔を覗き込んでくる。

泣き出しそうに歪んだ顔を、その目に映して欲しいわけじゃないのに。

「さっきの写真なら、いいでしょう?」

 あたいは清四郎の視線から逃れるように、顔を伏せた。

手に持ったままの携帯を開く。”さっきの写真”を確かめたかっただけなんだけど。

あたいに手を重ねている清四郎も、止めはしなかった。

 

 

 

「・・・・・・・・・・っ!!」

 

 

 

雪の積もった街路に、清四郎の携帯が転がり落ちた。

 

携帯を開いた途端、網膜に焼きついた清四郎の寝顔。あたいを抱きしめ眠る穏やかな顔が、そこには映っていた。優しく慈愛に満ちた。まるでそれは、宗教画の天使のようだった。

 

清四郎は背から身を離し、あたいの正面に立った。

「悠理、僕は・・・」

茫然自失のあたいを、真っ直ぐ彼が見つめる。あの、黒い瞳で。

「しかめっ面のおまえでも、見つめていたい。こうして、手の届く距離で」

 

――――天使なんかじゃない。

清四郎の目には、穏やかさとは程遠い熱が浮かんでいた。

胸が震える。

清四郎の目に映った激しい感情。

初めて見る色。

それは、あたいを少しだけ竦ませた。

 

だから、というわけではないけれど。

清四郎があたいの方に両手を伸ばして、肩に手を掛けようとした瞬間、あたいはその場にしゃがみこんでいた。

「良かった。濡れてない」

雪道の上から携帯を拾って、しゃがんだまま見上げると、あたいの頭上で、清四郎の腕が空を切っていた。

―――まさか、あたいに抱きつくつもりだったとか?

 

「避けるな」

清四郎はむっとした顔で、あたいを睨んだ。

夜目にもわかる真っ赤な顔で言われても、怖くはないけど。

 

バツの悪そうな清四郎に、あたいは携帯を手渡した。

「壊れちゃいないと思うよ」

あたいは、天使のストラップを指先で弾いた。

ひどく照れくさかった。

だって、清四郎がさっきから携帯で何を見ていたか、わかってしまったから。

 

「あのさ」

「はい?」

「やっぱ、その写真は、ヤダ」

 

恥ずかしいのはこの際、置いといて。

だって、いくらなんでもあんまり、実像と違いすぎやしないか?あたいも、清四郎も。

 

「さっきの写真も、ヤダ」

 

あたいの我侭に、清四郎は眉を下げた。

「・・・ケチですねぇ。財閥令嬢のくせに」

「なんの関係があるっ!」

ムッと顔をしかめたら、清四郎は口の端を上げた。

 

それで、冗談だとわかったけれど。

「じゃあ、今度、ちゃんとした写真を撮ってくれますか?僕と一緒に」

愉快そうに笑う清四郎のその言葉は、冗談じゃないと良いと思った。

 「・・・うん」

まだ、唇を尖らせたまま。氷点下の外気に触れる頬が、ひどく熱かった。

 

 

 清四郎は自分の手の中の携帯に目を落とす。

 大きな手の中に包まれた、シルバーの携帯にはキューピーのストラップ。

「・・・で、僕の携帯はこのままなんですか?」

清四郎の顔面には『カンベンしてくれ』と大書きしてあったけど。

 

あたいはもちろん、と頷いた。

「可愛いんだろ?」

あたいは口を尖らせ、鼻を動かす。

彼の携帯にぶら下がっている、人形のふくれっ面に負けないくらい。

本当は、笑い出したいのを堪えて。

 

 

 

「さぁ、そろそろ皆のところに戻りましょうか」

いつもの友人の声で、清四郎は言った。

見上げると、TV塔の電光時計が、夕食時間を指していた。

「ジンギスカン!」

あたいは、舌なめずり。

清四郎は笑いながら、あたいの手を取って、歩き出した。

 

せっかく買ってもらったあたいの手袋は、出番がなかった。

清四郎の黒い手袋も、携帯と人形ごと彼のコートのポケットへ。

 

 

ふたりで、粉雪の街をゆっくり歩いた。 

イルミネーションに輝く街。

風がない夜。

氷点下でも、ぽかぽかと暖かかった。

胸のうちが。繋いだ手が。

 

 

自然に浮かんでいた笑み。

きっと――――空から、天使も降ってくる。

 

 

 

 

 end

 


札幌二日目の夕刻です。もう雪祭りも始まっちゃいましたね〜。社員旅行中、Boaのメリクリを歌いながら妄想してたんで、クリスマスに間に合わせたかったんですが。(笑) 結局作中時間は、1月くらいかな〜。

小ネタのはずだったのに、無意味にダラダラ長くなってごめんなさい。あと一回くらい、続くかも・・・。

 

 

札幌二日目の夜

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