Friends or Lovers

 

季節が変わろうとしていることは、誰もが気づいていたのに。

 

あまりにもそれまでの関係が心地良かったから、バランスが崩れることをどこかで怖れていたのかもしれない。 

だから、直面した時には対処できもしなかった。

 

「・・・真剣ならば、お付き合いしますわ。」

大きな黒い瞳には、逡巡の色は見えない。

彼女がそう口にしたからには、もう覚悟を決めているのだ。 

「もちろん!」

美童は野梨子の白い手を取り、熱く告げた。

「もちろん、僕は真剣だよ。わかっているだろう、野梨子?」

プレーボーイは年貢を納め。男嫌いの姫君は、彼の手を取って颯爽と立ち上がった。

 

そうして、あっけに取られる一同の前で。

「じゃあ、とりあえず、これからデートに付き合ってくれる?」

「あら、下校ならご一緒しましてよ。」

野梨子は幼馴染を振り返り、はにかんだような笑みを見せた。

「清四郎、先に帰りますわね。」

清四郎は愕然と固まったまま。

二人が去ったあとの部室では、気まずい沈黙が支配した。

 

 

        ファジイな痛み 〜前篇〜

 

 

 

目前で繰り広げられた一幕に、残されたメンバーは、驚き冷めやらず。

「・・・美童が野梨子のことを好きなのは知ってましたけどね・・・」

「だけど、まさか野梨子がOKするとはな。」

「え?!野梨子と美童、付き合うのか?!下校だけって言ってたじょ?!」

「馬鹿ね、悠理。あれは交際宣言よ!」

「ふええ〜?!」

皆から一歩遅く理解し、悠理はいまさら奇声を上げた。

 

しかし、平静を装う他の三人の驚愕も、悠理と大差はない。

可憐は先ほどから空の紅茶カップを何度もすすって、無作法な音を立てている。

魅録は咥え煙草を所在投げに揺するが、火をつけ忘れていることに気づいていないようだ。

清四郎自身も、また。

野梨子が退室して以来めくりもせず凝視し続けていた新聞面が、マヨネーズの一面広告であることに気づき、清四郎は顔をしかめ畳んだ。

 

「・・・仲間内でくっついちまうなんて、思いもしなかったな。妙な感じだぜ。」

ぽつりと魅録の呟いた言葉に、可憐は呆れたような視線を送った。

カチャンとカップが皿に置かれる。

「なに言ってるのよ。当たり前って言ったら当たり前じゃない。いい女といい男ばっかがこんな四六時中一緒にいるんだし。これまでなかった方が不思議なのかもね。」

「それにしても、よりによって美童とはね・・・。」

清四郎はため息をついた。

 

野梨子の初恋――――裕也に彼女が惹かれた時でさえ、これほどの驚きはなかった。頑なで意固地な少女らしい初恋だった。

世慣れたプレイボーイとはいえ、美童は仲間。彼の短所も野梨子は重々知っている。

軽薄なナルシスト。根性なしで小心で、お調子者。

彼の優しさや懐の広さや、意外な強さをも、知っているのだけど。

 

「そうね、驚いたわ。なんのかんのと言いながら、野梨子は結局、あんたと似合いだと思ってたもの、清四郎。」

可憐の言葉に、清四郎は肩を竦めてみせた。

「僕たちは、ただの幼馴染ですよ。」

 

少し、親しすぎる幼馴染。生まれたときから傍にいた野梨子は、彼にとっては妹同然。

野梨子もまた、清四郎を男として意識したことなどなかっただろう。

有閑倶楽部の仲間たちとつるみだす前は、彼は野梨子にとって唯一の友人でもあったのだ。

長い、長い間。

 

 

 

**********

 

 

 

窓の外、隣家の門の前に車の停車音を聞き、清四郎は読んでいた本を閉じた。

時刻を確認したが、まだかろうじて日付は替わっていない。

 

「美童、送って下さってありがとうございます。」

「僕としてはまだ帰したくないんだけどね。泣く泣くさ。」

おどけた男の声に被さる、鈴の音のような笑い声。

「少しは楽しかった?」

「ええ、とても。」

 

門の閉まる音。

車の発射音はまだしない。

清四郎が窓のカーテンをわずかにめくると、金髪の青年がこちらを仰ぎ見ていた。

青い目と視線が合う。

美童は微笑し、清四郎にひらりと手を振ってみせた。

きちんと送り届けたよ、と主張するかのように。

 

清四郎は苦笑して、カーテンを閉めた。

 

監視などするつもりはないが。心のどこかで気になっていたのも事実。

これまで長い年月、野梨子を守ってきたのは清四郎なのだ。

美童もわかっているだろう。野梨子を泣かせたりすれば、清四郎が黙っていないことを。

 

胸がわずかに軋んだ。

それは多分、ほんの少しの寂しさのためだろう。

野梨子と美童だけではない。

あの日より、付き合い始めたのは、もう一組。

六人の関係は、明らかに変質してしまった。

 

 

仲間内で付き合うなんて気が知れない、と呟いた魅録をけしかけたのは可憐。

『近すぎて、意識したことないものね。あんたたちもそれだけ仲が良いんだし、付き合ってみたら?』

魅録と顔を見合わせたのは、悠理。

『なんで、あたいらが?!』

『あら、悠理は魅録が好きでしょう?』

『そ、そりゃ・・・』

悠理は目を白黒。

『だいたい、魅録。いつまでも男同士で遊んでいる方が楽しいなんて、あんた、どっかおかしいんじゃない?』

矛先を向けられた魅録は、苦い顔で煙草を消した。

『・・・俺はいーけどよ。悠理と付き合っても。』

 

ほとんど、売り言葉に買い言葉、その場の勢い。

悠理と魅録の付き合いなんて、男同士で遊んでいるのとどう違うのか、と清四郎などは論理の破綻に呆れたものだが。

本当に、その日から悠理と魅録は付き合いだしたようだ。

 

 

あれから一週間。

学校では六人は毎日、何事もなかったように顔を合わせている。

野梨子と美童は部室では、これまでと変わった様子を見せなかった。

悠理もあいかわらずガサツで大食い。魅録とはしゃいでいる姿を見ても、やはり男同士の付き合いにしか見えなかった。

だけど。

微妙にカップル達を意識しているのか、可憐はため息が増えたし、清四郎自身も、以前のようにはいかない。

朝夕の野梨子との登下校の際、ほとんど美童も同行するようになったため、なにかと理由をつけて、清四郎は時間をずらすようになった。

そして、あいもかわらず馬鹿な悠理に構うのも、以前のように遠慮手加減無用とはさすがにいかない。

もとから、辛辣な態度言葉で悠理をからかう清四郎に対し、拗ねる彼女をなだめフォローを入れていたのは魅録だったのだが。

 

 

「・・・魅録も酔狂な。悠理相手に恋愛もなにも・・・あるんですかね?」

後ろ手にカーテンを閉めた体勢のまま、清四郎は笑った。

日付が変わる。

もう、野梨子は就寝準備をしていることだろう。美童もタクシー中で居眠っているかもしれない。いや、彼のことだから、恋の高揚に身を任せて至福の笑みを浮かべていることだろう。

そして、悠理と魅録は――――――

 

背後の窓の外。町はもう眠りについている。

しかし、遠く聴こえていたパトカーのサイレンが徐々に近づいてきた。

住宅街に入ったところでサイレンは消したようだが、車の停車音が深夜の静かな空気を掻き乱した。

清四郎はもう一度カーテンを開け、二階の窓から外を見下ろす。

「!」

家の前に停まった警察車両。そしてそこから降り立った友人を視認し、清四郎は急いで自室を飛び出した。

 

 

 

警官に付き添われてパトカーを降り立ったのは、見知った二人。目下交際中の悠理と魅録だ。

「せっせっせっ・・・せぇしろ〜!」

清四郎が玄関から出た途端、悠理が駆け寄って来た

「えっえっえっぐ・・・」

「悠理、どうしたんだ?!」

悠理は清四郎の胸にすがりつき、盛大にしゃくりあげる。

困惑して清四郎は魅録に目を向けた。

魅録は警官になにやら礼を言い、頭を掻いている。清四郎の視線に気づき、決まり悪そうに苦笑した。しかし、彼の顔色は夜目にも分かるほど真っ青だ。

 

そして、泣きじゃくっている悠理も。

「髪・・・逆立ってませんか?」

清四郎は悠理の髪を撫でた。いつも跳ね放題の髪だが、静電気に反応したかのようにいつもより乱れている。

「だ、だ、だって、お、お、オバケがっ!」

呂律の回らない悠理の説明がなくとも、彼女がこんなふうに清四郎に泣きつくのは初めてではない。理由は容易に推察できた。

「また、心霊現象に出くわしたんですね?」 

 

 

**********

 

 

バイクで千葉の海岸へ遊びに行っていた悠理と魅録は、地元の不良に絡まれているカップルを助けた。

悪質な不良グループで刃物まで出してきたが、百戦錬磨のふたりの敵ではない。

あっさりと片は付き、悠理は抱き合って震えていた被害者カップルに顔を向けた。

その時、悠理の髪が逆立った。

彼らがいきなり崖の上で消えたのだ。

 

 

「悠理が『飛び降りた!』って叫んだから、てっきり俺らをチンピラの仲間だと思って逃げようとして落ちたのかと思ってよ。下を覗いても断崖絶壁で何も見えねぇ。あわてて、携帯から警察を呼んだよ。」

「・・・ふむ。しかし、死体は上がらなかったんですな?」

「いや、捜索もしなかった。実は、目撃者がいてな。俺らがぶっ飛ばしたチンピラだよ。奴らはカップルなんざいなかったって言うんだ。それに・・・『カップルが襲われてる!助けなきゃ!』って飛び出してった悠理の言葉を信じただけで、俺もそのカップルの姿を見てねぇんだ。」

 

「う、う、う、嘘じゃないもんっ・・・」

悠理がまだベソ顔でしゃくりあげる。

「わかってますよ。おまえは霊感が強すぎますからね。」

清四郎は魅録にコーヒーを淹れ、悠理にはキャンディの包みを開けて渡した。

「ほら、これでも食べてなさい。」

「ん。」

悠理はまだつかんでいた清四郎のシャツを引っ張り、涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔をぬぐった。

 

あーんと開けられた悠理の口に飴玉を放り込み、清四郎は眉を寄せる。

「僕の服までびしょ濡れですよ。おまえの彼氏はあっちだろう?」

幽霊騒動の際はいつものこととはいえ、悠理はずっと清四郎に張り付いたままだ。

 

魅録はぶんぶん首を振った。

「服で鼻をかまれるのは、遠慮させてもらう!」

まぁ、普通は彼氏に対してする行為でもない。

 

清四郎はため息をついた。

「でも、悠理と夜の海をデートしてたのでしょう?不良共が襲ったのは、あなたがただったんじゃないですか?」

魅録は顔を顰めた。

「・・・・たしかに、奴らはそう証言したよ。俺らを襲って、返り討ちにされただけだってな。そして、警察が教えてくれた。ちょうど49日前、その岬から男女の死体が上がったんだそうだ。心中だと処理されてたんだが、遺書は見つからなかった。今、警察署ではチンピラ共が、余罪を追及されている。今日と同じように奴らがカップルを襲い、追い詰めたんじゃないかってな。」

「・・・そうですか。」

泣き止んで大人しく飴玉を舐めている悠理の髪を、清四郎はもう一度撫でた。

「じゃあ、悠理。怖い思いをしただけでなく、良いことをしたんですよ。きっと彼らは自分達の無念を知らせたかったんです。」

悠理は驚いた顔で清四郎を見上げた。

「・・・そうかな?」

「そうですよ。おまえの霊感が役に立ちましたね。」

「え、えへ。」

今泣いたカラスが、もう笑った。

 

現金で単純で無邪気な悠理。

清四郎もつられて自然に笑みを浮かべてしまう。

心境は、雛を見守る親鳥だ。

 

「・・・ね、清四郎。今日は泊まって行っていい?一緒に寝てくれる?」

しかし、甘えるように悠理がそう言った時、さすがの清四郎も言葉を失った。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・あー・・・・はい?」

嫌な汗が背中を伝う。

いくら清四郎が保護者気分でも、魅録の目の前で何も答えられない。

 

「だってさ、今夜は家で一人で寝るの嫌なんだ。また幽霊見ちゃいそうだよ。」

「そんなことは、魅録に頼みなさい!」

清四郎は思わず声を荒げていた。

悠理は悪びれず唇を尖らせる。

「だから、魅録も一緒にさ。ここで皆で寝ようよ。」

清四郎の肩から力が抜けた。

「・・・・ま、いいですけどね・・・・。」

雑魚寝はそれこそ日常茶飯事だ。特に幽霊がらみだと。

 

悠理の態度は、いつもと変わらない。

魅録と悠理が付き合っていることを、清四郎が過剰に意識してしまっているだけかもしれない。

 

しかし。

「・・・煙草、吸っていいか?」

「どうぞ。」

カチリとライターの音。

悠理から魅録に目を移すと、魅録は苦虫をつぶしたような顔であらぬ方を睨みつけていた。

煙草の煙がゆっくりと部屋を漂う。

 

清四郎は自分のシャツから悠理の手を外して立ち上がった。

「服を着替えて来ますよ。ついでに下の客間に布団を敷いて来る。それでいいな?」

悠理は邪気のない顔で頷いた。

 

胸が疼いた。

悠理の無神経さに苛立つ。

 

馬鹿で鈍感。恋愛未熟児。

魅録もたぶん、悠理の幼さはわかっている。

彼らの付き合いは、恋人などと呼べるものではないのだろう。

 

そう、こんな悠理は、とても女としてあつかえない。

清四郎にとって、悠理はどこまでも手のかかる被保護者。

女とは見られない。

 

可憐の危惧とは、反対に。

 

 

 

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