ぎっくり腰になった文さんという方の代わりに、家政婦協会に紹介され短期で通うことになったお宅は、警視総監松竹梅様のお屋敷だった。
私は――――いえ、私の名や歳や経歴などは語らぬが花。
家政婦は見た<前編>
総監はダンディで素敵だが、時折奇声を発して日本刀を振り回すのが珠に瑕。 奥様は留守がちで、私はまだお会いしたことはないが、ご主人様が顔面土砂崩れで惚気られるところから、夫婦仲はひどく良さそう。独身&彼氏募集中をン年継続中の私としては羨ましいかぎりだ。なぜか、それをお屋敷で家政婦仲間に言うと、微妙な笑みが返ってきたが。
とにかく奥様がおられないいま、このお屋敷で私がお世話させていただくのは、ご主人の時宗様と一人息子の魅録坊ちゃまのお二人だ。
魅録坊ちゃま――――彼に会ったときは、思わず・・・引いた。 なにしろ未成年にして堂々の咥え煙草、ピンクの髪に鋭い目つき。どこからどう見ても完璧ヤンキー。 しかし。 彼氏募集ン年継続中の私はほどなくこの『お坊ちゃま』に夢中になった。 気さくで情に厚く、少年っぽいのに時折大人の男の優しさを見せる。 金持ちの裏表を知る職業柄、玉の輿願望はなかったが、このお坊ちゃまらしくないお坊ちゃまになら、花の操を捧げたい。ン十歳の歳の差もなんのその。 が。 私のその願望は即座に潰えた。
「魅録ちゃ〜ん!」 今夜も元気な声が裏のガレージの方から聞こえてきた。 裏のガレージは、魅録坊ちゃまがバイクやら車やらラジコンやら機械いじりをするために使ってらっしゃる。 「うわっ、悠理、それに触るな!壊れる!」 坊ちゃまの怒声を合図に、私はお盆に飲み物二人分と茶菓子を大量に乗せて、裏のガレージへ向かった。
イイオトコは売約済み。 坊ちゃまには、すでに恋人がいた。 とびっきりの美少女で明朗快活な、剣菱悠理嬢。
「あ、オヤツが来たじょー!!」 私が一礼してガレージの入口横の作業台に盆を置くより先に、彼女が跳ねるように駆け寄ってきた。 聖プレジデント学園の清楚な制服も、彼女が着れば躍動的に見えるから不思議だ。 しかし、毎日のように顔を出し泊まってさえいく彼女が、私の恋敵だとはなかなか気づかなかった。 なにしろ、初めて会ったときは、革ジャンにジーンズ。次に会ったときはツナギのレーシングスーツ。 彼氏募集ン年継続中の私が思わず息を飲む、完璧な『美少年』に見えたのだ。一見してヤンキー風の坊ちゃまよりも、私の好みに近い。だが、その美少年は財閥令嬢だったのだ。
「悠理、もうすぐ晩飯だ。食ってくだろ。今夜はオヤジも早く帰って来るんで、豪華だぜ。な、●●さん」 坊ちゃんに話を振られて、私は慌てて頷いた。 「わーい!魅録ちゃん、愛してる〜♪」 悠理嬢が、ヒシリと魅録坊ちゃんの背に抱きつく。 私は苦笑しながら、その場を離れた。追加の買出しに出かけなければ。 彼女の旺盛な食欲は、もう知っている。
無邪気でちょっぴり奔放なこのお嬢様には、一目で好意を感じた。お慕いする坊ちゃまと彼女がこうして目の前でいちゃついても、嫉妬は感じない。あまりにも、お似合いの二人だから。 坊ちゃまへの私の想いは、清い憧れなのだ。
夕食の準備をしていると、玄関のインタフォンが鳴った。 「あ、いいよ。友達だ。俺が出るよ」 廊下で鉢合わせた魅録坊ちゃまはそう言って自ら玄関に向かったが、私も後に従った。 悠理嬢とは別に、今夜はお客様があると前もって聞いている。
「よう、来たな」 「こんにちは、お邪魔します」
私にまで丁寧な礼をする長身の青年に、年甲斐もなく頬が赤らんでしまった。 坊ちゃまをお慕いする気持ちに変わりはないけれど、イイオトコに弱いのは女のサガ。 きっちり留められた詰襟。整った涼やかな面差し。禁欲的な制服姿が、これほど似合う方も居まい。 菊正宗清四郎様は、交友関係の広い坊ちゃまのご友人の中でも、金髪美形の美童様と並んで異色だ。 なにしろ坊ちゃまのご友人はラフな方がほとんどだ。いや、プレジデント学園のご学友なのだから、異色なのは魅録坊ちゃまの方なのだろう。
魅録様を追ってやって来た悠理嬢は、来訪者を見るなり顔を歪めた。 「げ、清四郎!なんだよ、なんでおまえが来るんだよー!」 「ご挨拶ですね、悠理。魅録に呼ばれたんですよ。僕が探していた資料が手に入ったと聞いたもので」 「今夜は魅録とツーリングに行きたかったのに、おまえが居るなら行けないじゃんか」 「資料だけ受け取ったら、さっさと退散しますよ」 「おいおい、清四郎さんよ、そう言わずゆっくりして行ってくれよ。悠理、どうせツーリングは無理だ。さっきおまえがバイクをいじって壊しちまったろうが」 「ぐ・・・」
悠理嬢は唇を尖らせて清四郎様を睨みつけている。 彼らは、他にも女子二人と美童様を加えた六人組の仲良しグループのはずだが、どうも悠理様は清四郎様が苦手のようだ。 確かに、破天荒な悠理様と優等生然とした清四郎様は正反対に見える。 このお二人がご友人というのも、考えてみれば不思議な話だ。
「だいたい、清四郎は俺が呼んだんだ。悠理もうちに来るなら、二人一緒に来れば良かったのに」 そういえば、魅録様は今日は機械いじりのためか、やけに早くご帰宅されていた。学園ではご友人方と合流なさらなかったのだろう。 「やっと試験が終わったってのに、清四郎と一緒になんか帰りたくねーや。鬼教官から解放されたとこなんだじょ」 悠理嬢は唇を尖らせて、ぷいと清四郎様から顔を反らせる。ちらり、と目の端で清四郎様を睨む表情が駄々っ子のようだ。 そんな悠理嬢に、清四郎様は冷たい一瞥。 「誰のおかげで追試にならずに済んだんですかね。そんなに嫌なら、自力で馬鹿を治すんですな」 「ぬぬぬ〜〜っ」 赤い顔をして噴火しそうな悠理嬢に、ますます冷ややかな清四郎様。 一触即発の空気に私はオロオロしたが、傍観を決め込んだ魅録様が苦笑されていることから、こんなやり取りは日常茶飯事なのだろう。 お二人の関係性が、見えた気がした。
「せっかく楽しい気分だったのに、おまえの嫌味ヅラ見たくねーや、あたい帰る!だいたい、清四郎とは気が合わないんだよ!タイプ違いすぎってゆーか!」 「同感ですな。同じタイプにはなりたくもないが」 「おいおい、悠理。帰っちまうのか?今夜はスキ焼きだぜ?」 「えっ」 魅録様の言葉で、悠理嬢の表情が変わった。じゅるり、とヨダレすら滴らせるわかりやすいご令嬢の反応に、つい私は笑みを漏らしてしまった。 「悠理の分も夕食を準備されてるんでしょう?なら、悠理が帰ってしまえば迷惑ですね。僕らで消費できる量でないに決まってますから」 清四郎様が私に顔を向け、苦笑した。それまでの硬い表情が緩むと、優しげなお顔になる。 ドキドキする胸を押さえ、私は夕食の支度を続けるためにその場を辞した。
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食卓からは、始終明るい声が耐えなかった。 悠理お嬢様が同席されるときは、いつもそうだ。日頃は魅録様お一人か時宗様と男二人の食卓が、見違えるようだ。 しかし、和やかに見守っていた私は甘過ぎた。
「親父、やめろ、調子に乗るな〜!」 魅録様の叫び声に、酒を運んでいた私は盆を取り落とした。 白刃が煌く。 旦那様がご機嫌のあまり剣舞を披露され、酔ったはずみで切っ先を食卓側に向けたのだ。 「わぁぁぁ、おっちゃーん!!」 阿鼻叫喚の悲鳴、蹴られる座卓、割れる食器。 坊ちゃまと悠理様が旦那様を取り押さえようとするが、ナントカに刃物状態。
あわやの騒ぎを収めたのは、それまで狂乱をよそに一人静かに座っていた清四郎様だった。 「おじさん、警視総監宅を惨劇の舞台にする気ですか!」 ハッシと、真剣白刃取り。
「ふわわ・・・」 腰を抜かした私は、這いずって部屋を出た。 真剣白刃取りなど生で見たのは初めてだ。まだ恐怖と興奮で心臓が落ち着かない。達人の域としか思えない清四郎様の妙技に、別の意味でも胸が高鳴る。
「清四郎、おまえ止められるんなら涼しい顔してないで、さっさと止めろよぉ!もうちょっとであたい、真っ二つにされるとこだったじゃんか!」 廊下でへたり込んでいると、悠理様のわめき声が室内から聞こえてきた。 「惨事前には止めましたよ。おまえも楽しんでたんじゃないですか?おじさんとは同じタイプでしょう」 「ど、どこがだっ!」 悠理嬢はまだなにやらわめいていたものの、魅録様の爆笑に抗議の声はかき消された。
魅録様は鷹揚に笑ってらしたが。思わず私は想像してしまった。 ――――松竹梅家に嫁入りした悠理様と姑の時宗様が、共に酒盛りで暴れる様を。
近い将来、その光景が現実となる前には、この屋敷での勤務も終わっているだろうと安堵する。 なにしろ私はもともと助っ人で短期の契約。 次のお勤め先は決まっていない。 さりげなく調べてみよう。菊正宗病院長宅で、家政婦の欠員が出ていないかどうかを。
ええと・・・”清四郎にときめく一般人”を書いてみたかっただけです。フツーに学園の下級生とかにできなかったのかい、自分!と、一応は突っ込んでおきます。(笑) 最初「彼の醜聞」タイプの話にしようと、六人全部出していたのですが、ちっとも話がまとまらないので、魅録と清四郎と悠理の三人に絞りました。 主人公の名前●●には、お好きな名をお入れください。「レイ」でも「千尋」でも。あ痛っ、殴られたっ(爆) |
背景:柚莉湖♪風と樹と空と♪様