Diaーmond  -2-


 

ニューヨーク・現在

 

 

安全装置は始めから外されていた。

撃鉄が起こされる。

 

「やめろ、仁義!」

 

入口を固めていたはずの魅録の制止を振り切り、扉を蹴破るように現れたのは悠理だった。

 

「・・・悠理。」

かすれた声で名を呼び、月桂冠仁義は赤く淀んだ目を婚約者に向ける。

いや、元婚約者だ。

彼が失踪して以降、事実上婚約は白紙となっていた。

 

「仁義、ごめん・・・悪いのはあたいだって、わかってる!」

涙声の悠理の言葉が、空気を振るわせる。

 

悠理の乱入による一瞬の隙が、仁義から銃を奪うチャンスだった。それなのに、清四郎は動くことが出来なかった。

清四郎自身が、悠理の存在に気を取られていたからだ。

 

扉を背に立つ悠理。

ソファに座ったまま、清四郎へ銃を向ける仁義。

そして、銃口の前で立ちすくんでいる清四郎。

歪な、三角形。

 

「悠理、どいてろ!」

清四郎は悠理を怒鳴りつける。

彼女に懺悔させる気はなかった。悠理が婚約者を裏切ったと思っているのなら、それは清四郎のせいだ。

彼女の心は、決して揺らいではいないのに。

いくら、清四郎がそう望もうと。

 

「こいつだけは、許せねぇ・・・。」

仁義の銃口は、清四郎に向けられたままだ。

 

「清四郎は関係ない!間違うな、仁義!あたいたちの問題だろ?!」

その言葉は、清四郎の胸を抉った。

しかし、仁義の方が苦しげに顔を歪めている。

 

「悠理、もう俺たちは終わりなんだ・・・!」

 

彼の銃が火を噴いた。

二発、連続で。

 

「清四郎――っ!!」

涙声の絶叫。

 

至近距離からの狙撃に、清四郎の体は弾かれ、背後の壁に打ち付けられた。

焼けつくような痛みに、息が詰まった。

  

 

 

 

 

東京・二週間前

 

 

「清四郎、想像できるか?あたい、雑貨屋のおかみになるんだぜ!」

婚約パーティの夜。あのバルコニーで、悠理は笑った。

「派手なバンダナ頭に巻いてさ。エプロンつけちゃったりしてさ・・・。」

悠理は未来に想いを馳せているのか、遠い目をした。

「おまえはアメリカで裁判とかやってんの?『無罪です、』って映画みたいにさ。」

「いえ、僕は法廷には出ません。弁護士にも色々あるんですよ。企業間の契約の手助けをしたり、M&Aも時にはね。」

話してもわからないだろうと苦笑する清四郎の言葉に、悠理は顔をしかめてみせた。

「M&A?あ、父ちゃんに聞いたことある。乗っ取り屋だろ。おまえにぴったしじゃん。」

極端な物言いが、彼女らしい。

悠理の横顔を見つめながら、清四郎はコホンと咳払い。

「これまでも日本企業の仕事は多かったんですが、今後はこちらを拠点にするつもりなんです。」

「え?」

悠理が驚いた顔で振り返る。

昔から変わらない短い髪が、夜風に揺れた。

「これからは、また以前のように会えますよ。」

悠理の目が大きく見開かれる。

星を映したような瞳。

「美童も去年から戻っているし、有閑倶楽部復活だ。もちろん、旦那さんが許してくれるなら、ね。」

笑顔を見せてくれるかと期待したのに、悠理はわずかに目を細めただけだった。

 

――――『無罪』では、なかったのか?

 

その時には、わからなかった。

もう、これまでのような関係性ではいられないということを。

 

 

**********

 

 

野梨子と共に呼び出され、清四郎が剣菱家に急いだのは、婚約発表の翌日の夜だった。

 

「悠理?!」

部屋に駆け込んで名を呼んだものの、清四郎はそのまま絶句してしまった。

「一体、何があったんですの?」

代わりに、野梨子が問いかける。

すでに、可憐と魅録と美童は悠理の部屋に集まっていた。

悠理はベッドに座ったまま、可憐に抱きかかえられるようにして顔を伏せている。 

清四郎から言葉を奪ったのは、部屋内部の荒れた様だった。

悠理が腰を下ろしているベッドこそ無事だったが、応接スペースのガラステーブルは叩き割られ、北欧家具のチェストはすべて引き出されている。そして、あろうことか壁の金庫まで開け放されていた。

床に散乱するのは、金庫の中身らしい、書類類と現金。

 

「まるで、空き巣にあった後ですな・・・。」

剣菱家の奥座敷だ。空き巣が侵入するはずもないと知りながら、清四郎は唖然と呟く。

「泥棒じゃないわ。彼が・・・仁義くんがやったらしいのよ。」

可憐が困惑顔で清四郎に告げた。

「暴力を振るわれたのか?!」

驚いて、清四郎は悠理の肩に手をかける。

悠理はやっと顔を上げた。

どこか痛めているような、ノロノロとした動作だった。

「・・・・せいしろ・・・・・。」

ぼんやりとした表情の悠理の頬には、はっきりと涙の痕。

充血した目は真っ赤で、まだ涙で潤んでいる。

「悠理、どこか怪我を?!」

悠理はふるふると首を振った。

「・・・・あいつは、あたいに手を上げたりなんかしねぇよ・・・・あたいのが、強いもん。」

「そういう問題じゃないでしょう、彼はどうしたんですの?!」

野梨子が嫌悪と怒りにうち震える。目の前に月桂冠仁義がいようものなら、小さく非力なその手で殴りつけていたに違いない。

清四郎の気持ちも同様だった。

茫然自失しているかのような悠理の姿は、耐え難いほど痛ましかった。

 

悠理の頬を涙がポロポロ転がり落ちる。

「あいつ・・・・出てっちゃった・・・・」

それだけ呟いて、悠理は再び可憐の胸に顔を伏せた。

華奢な肩が大きく揺れる。

顔を隠すようにして、悠理が泣いている。

清四郎の知る彼女はいつも、嗚咽を上げて子供のように大泣きした。

声を上げずに泣く悠理など、見たくはなかった。

 

「・・・・清四郎。」

魅録が顎で合図する。清四郎は魅録に従い、部屋から出た。

廊下で魅録は煙草に火を点ける。

「昨夜の今日で、何があったんですか。」

清四郎の問いに、魅録は首を振る。

「わからねぇよ。悠理は泣くばっかで、何も言わねぇんだ。あいつらしくねぇな。」

困惑して二人が顔を見合わせていると、五代が廊下を駆けて来た。

「清四郎様、助けてくだされ!」

月桂冠仁義が荒らしたのは、悠理の部屋だけではなかった。広大な屋敷内から、金目の物をいくつか持ち出したらしい。

当然のことながら剣菱夫妻は逆上し、五代はなだめるのに一苦労しているようだった。

「とりあえず、被害状況を確認しなければ。魅録、警察の手配を頼みます。」

清四郎は急いでその場を離れた。

悠理の様子は気がかりだったが、あんな彼女を見ているのもつらかったのだ。

 

 

**********

 

 

月桂冠仁義は、現金数百万と宝飾品を持ち出していた。窃盗目的というよりも、安直に目に付いた金目の物を掴んで飛び出しただけのようだった。

しかし、現金こそ剣菱家にとってははした金程度だったが、被害は小さくなかった。

仁義は”リリィダイヤモンド”を奪って逃げたのだ。億は下らないと言われる希少価値のダイアモンド。それは、悠理の婚約指輪だった。

 

しかし、魅録に頼んだはずの警察は来ることはなかった。悠理が頑として呼ぶことを拒否したのだ。

 

「清四郎、どうしよう・・・・」

清四郎が剣菱夫妻をなだめて戻ると、仲間達は廊下で途方に暮れていた。

悠理に部屋を出されたのだ。

「もう大丈夫だからって、あの子無理して笑おうとするのよ。喧嘩しただけだって。」

「みんなで大騒ぎしていたら彼の頭が冷えても帰って来にくくなるからと、私達追い出されてしまいましたの。」

確かに、痴話喧嘩ならその通りだろうが。

「わかりました。悠理の言葉にも珍しく一理ありますね。たんなる痴話喧嘩かもしれない。皆はとりあえず、今日のところは帰ってください。」

 

仲間達にはそう言ったものの、清四郎は納得していなかった。

喧嘩したのなら、悠理が一番に暴れ泣き喚くだろう。窃盗状況も剣呑だ。

清四郎は剣菱家に一人残って悠理の様子を見るつもりだった。

 

 

皆を見送った後。

清四郎は閉ざされた悠理の部屋の扉を叩いた。

「悠理、開けてください。部屋の片付けを手伝いますよ。」

悠理はわずかに戸を開けて顔を出した。

「・・・いいよ。清四郎、おまえも帰れよ。あたいは、大丈夫だから。」

なるほど、確かに悠理は笑顔を浮かべている。可憐の言ったように、蒼ざめた作り笑いを。

「おまえの希望を汲んで、今夜のところは警察には知らせませんでしたが。朝には被害届を出しますよ。」

清四郎は努めて冷たい声を出した。

悠理の笑みが崩れる。

「なんで!」

「盗まれたのは、リリィダイアモンドです。剣菱家の家宝なのだから、このまま放置できません。それに・・・・」

清四郎は悠理を見下ろした。

涙の痕がまだ残る頬は蒼ざめ、目ばかりが大きく見える。色の薄い瞳は確かに痛みを宿していた。

「彼が戻って来ても、僕は許せない・・・・おまえをこんなに泣かせて。」

清四郎は涙の痕を消そうと、悠理の頬に指で触れた。

ビクリと悠理が震える。

触れた頬は、見た目よりも温かかった。

「ゆる・・・・許せないって、なんで清四郎が・・・・」

清四郎の手から逃れるように悠理が身を引いたので、清四郎は部屋に足を踏み入れることができた。

周囲を見回す。

室内は先程よりも片付いていた。野梨子達が部屋を出される前に、最低限整頓してくれたのだろう。

部屋の隅にかためてあるテーブルやグラスの破片と一緒に、フォトスタンドが重ねてあった。清四郎は割られたそれを拾い上げる。

写真立てに納まっていたのは、聖プレジデント学院の制服を着た六人組だった。

もう数年前であるのに、ちっとも変わらないすまし顔の有閑倶楽部の面々がポーズを取っている。ミセスエールのお茶会で撮ってもらった一枚で、清四郎も同じものを持っていた。

「・・・友達なんだから、当然でしょう。」

先ほどの悠理の問いに答えながら、清四郎は有閑倶楽部の写真の下に重ねられていたもう一回り小さい写真を手に取った。

そこに映っていたのは、悠理と仁義。ふたり揃いの派手なツナギを着てバイクに跨って笑っていた。昨夜見た、幸福そうな似合いのカップルを、それは容易に思い出させる。

しかし、写真立てはこちらも無残に割られていた。

清四郎は小さくため息をつく。

あれからまだ一日しか経っていないのだ。

 

ベッドルームを振り返ると、悠理はベッドに腰を下ろして俯いていた。

しばしの躊躇ののち、清四郎は先ほど可憐がそうしていたように彼女の隣に座って肩を抱き寄せた。

「・・・悠理、こんなことはこれまでもあったんですか?」

華奢な肩は、清四郎の腕の下で強張った。

「あ、あるわけないだろ。」

顔を上げた悠理は、意外にも薄っすら笑みを浮かべていた。

「あいつ、あたいに手は上げないんだ。」

ふふ、と悠理は唇だけで笑う。

清四郎は眉を顰めた。

「それはさっきも聞きました。喧嘩はお前の方が強いんでしょう?」

どうすればいいのか、わからなかった。

悠理のこんな笑みは見たくない。先ほどの、流れ続ける涙より、いっそう。

 

「悠理・・・」

清四郎ができたのは、昔のように彼女の頭を撫でることだけだった。

「僕の前で、無理に笑わなくていいんですよ。・・・・・笑わないで、くれ。」

幼子にするように。かつての、気のおけない仲間のままに。

くしゃくしゃ柔らかい髪をかき混ぜると、悠理の表情が変わった。

 

「せいしろ・・・おまえって・・・」

色の薄い大きな瞳が揺れ、唇がわなないた。

「・・・時々、嫌になるくらい、優しいよな・・・・」 

 

清四郎は強い力で、彼女を胸に抱き寄せた。

「時々って、なんですか。僕はいつも優しいだろう?」

「なに、言って・・・」

悠理はもう一度笑おうとして、失敗し。

眉が寄せられ、鼻の頭に皺が寄る。目尻の涙が溢れ出し、震える唇から嗚咽が漏れる。

清四郎のシャツに顔を埋め、悠理は声を上げて泣きだした。

駄々っ子の顔。彼の知っていた彼女の顔。勝気なくせに、泣き虫な悠理。

 

悠理の涙が染み入る胸元に火が点る。

清四郎の胸に満ちるのは、憐憫ではなく、安堵だった。

 

悠理はまだ、在るべきところに居る。

彼女が居るべきところ。

それは、自分の腕の中なのだという確信。

悠理はまだ、取り戻せる。

こうして、手の届くところに居る限り。

清四郎の胸を締め付けるのは、友情ではなく、熱情だった。

 

――――たまらなく、悠理が愛おしかった。  

 

だから、泣きじゃくる悠理の顔を上げさせ、頬に唇を寄せたのは、彼女の涙を止めたかったためだけではない。

目尻に口づけた。頬を流れる涙を受け止めた。

塩辛い涙の雫を、唇で拭い取る。何度も、何度も。

 

悠理は一瞬、目を見開いた。

 しかし、すぐにきつく目をつぶる。眉が下がり、止まるどころかますます涙が溢れ出る。

「あ・・・うぁ・・・・」

激しい嗚咽に、震える喉。

悠理の細い腕が上がり、清四郎の首に回された。

溺れる者がすがりつくように。

 

そして、唇に濡れた温もりが触れた。

口づけて来たのは、悠理の方からだった。目を固く閉じ、泣きじゃくりながら。

涙の味のする、初めての口づけ。

 

「・・・!!」

歓喜が体を駆け抜ける。

 

触れるだけの口づけでは飽き足らず、清四郎は悠理の頭をかき抱いて、唇を深く重ね合わせた。

舌を絡め、息を奪い。

優しさも慰めも、とうに捨てて。

ただ、激しく求めた。

 

はっきりと、悟る。

これまで、見ないようにしていた本当の心を。

自分は、悠理を女として求めていると。

 

――――ずっと、愛していたのだと。 

  

 

 

NEXT

 


マワルソラ2あたりから自覚し始めた清四郎くん、ようやっと自分の気持ちに気づきました。遅いっちゅーねん!とはいえ、次回あたりで(一時的に)幸せになってもらいましょー(エロを書きたい)私のために♪←殴

ハッ・・・エロにかまけて、リクも忘れないようにしなきゃ。

 TOP