Diaーmond  -4-


 

ニューヨーク・現在

 

 

見当をつけていた裏通りのアパートの前で、悠理はタクシーから降り立った。

ビルの前で制止しようとした魅録を振り切って、汚れた階段を駆け上がり扉に飛び込む。

そこで悠理が見たのは、清四郎に銃を向ける仁義の姿だった。

 

全身が泡立ち、頭が沸騰した。

恐怖に。

怒りに。

仁義をここまで追い込んだのは自分なのだとわかっていた。

だから、怒りは自分に対してのものだったのだろう。

 

恐怖で心臓が早鐘を打つ。

清四郎がこんなことに巻き込まれていいわけはない。

彼が悠理のせいで、傷つくなんて。

死ぬなんて。

 

――――死。

『俺、このまま死んでもいい。』

かつて、そう言ったのは仁義だった。

初めてのキスの後で。

 

『死んでもいい。』

そう呟いたのは、悠理だった。

あの夜、恋した人の腕の中で。

 

だから、仁義になら殺されてもいいと思った。

彼が悠理に手を上げるはずがないことはわかっていたのに。

 

「清四郎――っ!!」

 

仁義の銃が火を噴くのと同時に、体が動いていた。

一瞬の躊躇もなかった。

悠理は清四郎と銃口の間に飛び出していた。

 

悠理は背後の清四郎にぶつかり、ふたりもろとも壁際で崩折れた。

激しい衝撃に、一瞬、目が見えなくなった。

 

硝煙と血の匂い。

清四郎にぶつかった半身が痺れている。

激しい耳鳴りと燃えるような半身にもかかわらず、撃たれたのが自分なのか清四郎なのか、悠理にはわからなかった。

銃声は二発。

自分は生きている。

だけど、清四郎は?

 

「悠理っ?!」

絶叫は、仁義のものだった。

彼が駆け寄る気配がする。

ふいに体が動いた。

悠理の体を受け止めるように倒れていた清四郎が動いたのだと知り、安堵する。

彼は無事だ。

 

「せ・・・いしろ・・・」

悠理が左手で目を擦った時、動かない右半身に激痛が走った。

清四郎が肩をきつくつかんだのだ。

いや、止血だ。

「悠理、ここを押えてろ!」

左手をつかまれ、自分の肩に押し当てられる。

ぬるりとした血の感触と痛みに、悠理は震えた。力が入らない。

霞む視界に、清四郎の顔が見えた。

 

彼の無事を確認して、悠理の気が緩む。

子供のようにすがってしまいそうになる。昔のように。

 

しかし、清四郎は悠理を支えていた手を離した。悠理の体を床に横たえて、身を起こしたのだ。

清四郎の温もりの代わりに冷たい床の感触を頬に感じ、淋しさと心細さに意識が混濁する。目を閉じると、そのまま闇の中に沈み込んでしまいそうだ。

 

「・・・・近づくな。」

唸るような低い声。

清四郎のらしからぬ声に、悠理は無理に目を開けた。

「悠理に触れるな!」 

駆け寄った仁義に、清四郎が叫んだのだとやっと気づく。

 

清四郎の手刀が、すでに下ろされていた銃を弾き飛ばした。

最強の武器であるしなやかな体が動き、清四郎は瞬時に仁義を締め上げる。

喉を締められた仁義は、苦しげに呻いた。

赤黒く顔色が変わる。

 

「よせ、清四郎!殺しちまうぞ!!」

魅録が悠理の体を抱き起こしながら叫んだ。

目にした光景に、遠くなりかけていた意識が覚醒する。

悠理は再び恐怖に襲われた。

 

清四郎が仁義を殴りつけている。

無抵抗の男を、何度も何度も。

 

「清四郎、やめねぇか!悠理は大丈夫だ、肩の傷は貫通している。そいつに構わず早く病院に連れて行こう!」

焦った魅録の制止の声も、清四郎は聴こえないようだった。

悠理に背を向けた清四郎の表情は見えない。

代わりに、悠理の胸を締め付けたのは、泣き出しそうな仁義の顔だった。

 

 

初めてキスされた時。

いきなりの不意打ちだったので、驚いた悠理は仁義を殴り倒してしまった。

あっけなく気絶した彼に、さすがに気が咎め。

目覚めた仁義の頬に、侘びの代わりに唇を押し付けた。

『俺、このまま死んでもいい・・・・』 

たんなる思い付きの行動だったのに、仁義はそう言ってくしゃくしゃに表情を崩した。

泣き出しそうな顔に、悠理は思わず笑ってしまった。

 

いつも真っ直ぐぶつけられる彼の気持ちは、わかっていたけれど。

それまで、悠理にとっての仁義は気の合う友人に過ぎなかった。

まるで魅録に感じるような親しみを感じていた。

複雑な生い立ちにもかかわらず子供っぽさを見せる仁義には、魅録には感じない保護欲さえかき立てられて。

 

『・・・・こんなあたいで、いいのかよ?』

 そう言ったときの気持ちは、本当だった。

 

 

「やめ・・・やめろ、清四郎!!」

悠理は思わず叫んでいた。

「やめて!仁義が死んじゃう!!」 

 

――――死。

仁義が死んでいいわけはない。

悪いのは、悠理なのだから。

 

 

清四郎はようやく手を止めた。

清四郎の足元に倒れている仁義は、すでに意識を手放したのかピクリとも動かない。

「・・・・・。」

ぎこちない動きで、清四郎は悠理を振り返る。

清四郎の端整な顔が、これほど酷薄に見えたことはなかった。

蒼ざめた無表情。

スーツの全身に血が飛び散っている。握り締めた拳も真っ赤だ。

仁義の血か、悠理の血か。

 

――――違う。

 

「清四郎、おまえ・・・!?」

魅録が声を震わせた。

清四郎の右胸元から血が滴り落ちているのだ。

鮮血は下げた右拳を伝い、床に滴った。

 

「悠理を貫通した弾が当たっていたのか!」

だが、清四郎の左手は胸元でなく脇腹を押えている。

 

銃声は二発だった。

 

撃たれた肩だけでなく、悠理の頭が割れるように痛んだ。

ドクドクと脈打つ。

清四郎の脇腹から溢れ出す血の音が、聴こえたかのように。

 

「や・・・・」

 

清四郎の長身がぐらりと傾いだ。

 

「やだーーーーっ!!」

 

悠理は魅録の腕の中で絶叫した。

見たくなかった。血だまりの中に倒れた男たちを。

悠理の愛した、悠理を愛してくれた、大切な二人だったのに。

  

傷つけたのは、悠理だ。

清四郎も仁義も、悠理自身をも。

彼らは何も悪くない。

罰を与えられるべきなのは、悠理だけ。

 

自分に嘘をついた罪。

叶わぬ恋から逃げた罪。

 

それでも。

たった一人の人しか愛せなかった、その罰を。 

 

 

 

 

 

東京・二週間前

 

 

 

洗面台の鏡に映った自分に、悠理は吐き気を感じた。

泣き過ぎて腫れ上がった顔と、シーツを巻いてさえ貧相な体は、朝の光の中で隠しようもない。

嗚咽と共に胃液を吐き出す。

 

夢だと思っていた。

快楽に身を任せ、狂態を晒した昨夜のすべてを。

 

 

 「悠理、大丈夫ですか?」

扉の向こうから、清四郎の気遣う声がする。

 

――――清四郎は優しい。

 

悠理は嗚咽を必死で殺した。

だけど、涙は止め処なく流れ落ちた。

それは、前日と同じ。

前日夕刻、悠理は同じようにこの鏡の前で泣きじゃくっていた。

扉の向こうに居たのは、清四郎ではなく、仁義だったけれど。

 

――――仁義も優しかった。

 

プロポーズを受けた時。

『ほんとに・・・こんな俺でいいのか?』

と、仁義は目を潤ませた。

悠理は照れ隠しに頬を膨らませ。

『おまえこそ、こんなあたいでいいのかよ?!』

と、彼を睨みつけた。

『俺はそのままの悠理が好きなんだ。乱暴で大喰らいで天邪鬼で馬鹿なまんまの。』

『馬鹿はお互い様だろ!』

そう怒鳴りつけたら、仁義は笑った。

 

本当に、馬鹿だった。

仁義は思いもしてなかっただろう。

彼の愛してくれた悠理の中には、ずっと別の人が住んでいたのに。

 

――――清四郎が、好きだった。

 

それは、告白もできなかった初恋。

決して忘れられない想い。

 

 だけど、清四郎を婚約パーティに呼んだのは、今度こそ卒業できると思ったからだった。

幼い初恋に囚われたままの自分から。

 

『あたい、雑貨屋のおかみさんになるんだぜ。』

再会した清四郎に語った、自分の未来を信じていた。

叶わなかった初恋は思い出に変わり、これから新しい自分に生まれ変われる。

そう信じていた。

 

 

――――本当に、馬鹿だった。

こんなことになるとは、夢にも思っていなかった。

どんな甘美な夢にも。

苦しい悪夢にさえ。 

 

 

『・・・悠理・・・』

悠理に突き飛ばされ、呆然とした仁義の顔が忘れられない。

その頬には血が滲んでいた。

悠理の左手の薬指が当たったのだ。

悠理は慌てて指輪を外す。仁義を傷つけるつもりはなかった。

しかし、仁義を傷つけたのは、悠理の心の中にある、何よりも硬い結晶だった。

 

 

 

「悠理、聞いているか?」

乱暴にドアを蹴りつけた前夜の仁義とは違い、清四郎はドアの向こうから静かに悠理に語りかけた。

「弱っていたおまえにつけ込んだのは事実ですが、僕は昨夜のことを後悔していません。おまえが顔を合わすのが嫌ならば、今日のところは帰りますが・・・・・また来ます。ふたりで今後のことを考えましょう。」

 

――――後悔。

悠理も後悔などしていない。悔いることができない。

どうすることもできなかった。

そんな自分を、ただ嫌悪した。

 

仁義を酷く傷つけたことも。

清四郎にすがってしまったことも。

 

婚約パーティで清四郎と再会した時には、可能だと思っていた。

彼を卒業できると。

仁義と共に、新たな人生を歩み出すことができると。

だから。

ふたりきりの部屋で仁義に抱きすくめられた時、思い切り突き飛ばしてしまったのは、悠理自身に対する裏切りだった。

もちろん、仁義に対しても。

彼はずっと待っていてくれたのに。

 

身を強張らせ全身で拒否してしまった悠理に驚きながら、仁義はあの時でさえ、待つと言ってくれた。

ファーストキスの時のように、悠理が歩み寄るのを待つと。

だけど、駄目だった。

どうしようもなかった。

 

悠理の心の一番奥に刺さったままの欠片。

抜くことのできない破片は、指輪の石のように硬く鋭利だ。

弱く柔らかな心の中で、唯一無二の硬い宝石。

それは、叶わなくても伝えられなくても、消えることのなかった恋の結晶。

 

――――清四郎だけしか愛せない自分を、思い知った。

 

おそらくは、仁義も気づいたのだ。

ただ泣き続ける悠理の前で、仁義は愕然と顔色を変えた。

それまでも喧嘩は何度もしたけれど、あんな彼は初めてだった。

荒れ狂う仁義の姿を見ていられなくて、悠理は洗面所に立て篭もって泣き続けた。

 

殻に閉じこもるように。

自分を哀れむように。

 

――――後悔さえ、していないのに。

 

 

「・・・・・・・あたい、最低だ・・・・・・・」

わかりきっていることを呟いた。

鏡に映った自分の体を抱きしめる。

シーツに覆われた全身が、まだ彼の名残りに疼いていた。

体の痛みよりも、心の痛みが苦しい。

首筋にも二の腕にも残る紅い所有印に、また涙が溢れた。

女になった自分が、嬉しくて、悲しい。

 

清四郎に抱きしめられた時。

それは、悠理をなだめる昔と同じ優しい仕草にすぎなかったのに、心の堰はあっけなく決壊した。

心全部が彼に向って流れ出したようだった。

いや、心だけでなく、体もすべて。

なにも考えられなかった。

ひたすら求めた。

 

清四郎が女を簡単に抱ける男であることは知っていた。

清四郎の優しさに甘えた。

それが慰めのためであっても、嬉しかった。

そんな自分が、悲しかった。

涙は、自分の恋のためだった。

 

清四郎以外、見えなかった。

何も考えられなかった。

仁義のことなど、一度も。

 

 

『ぶっ殺してやる・・・!!』

 

電話越しに聴いた仁義の割れた声が、悠理の脳裏を過ぎった。

あれほど悠理のことを愛してくれた人を傷つけ、踏みにじったのに、悠理は謝ることさえしていないのだ。

 

「・・・・仁義・・・・ごめ・・・ごめん・・・・・」

 

今さら謝っても、償おうとしても。

元には戻れない。

彼は悠理を許さない。

仁義が許しても、悠理が自分を許せない。

 

婚約までした仁義に触れさせもせず、後生大事に純潔を守って来たのは、潔癖な頑なさのためなんかじゃないとはっきりわかった。

 

ただ、たった一人の人しか欲しくなかったから。

 

仁義を傷つけた硬い結晶は、清四郎の腕の中であっけなく熔けた。

それは綺麗な宝石などではなく、醜い欲望の塊だった。

 

 

 

いつしか、扉の向こうの気配が消えていた。

清四郎が部屋を出て行ったのだ。

 

悠理は一人、自分の深遠と向き合い震えていた。

もう、逃げることも偽ることも、できないまま。

 

 

 

 

NEXT

 


 と、いうわけで今回は悠理ちゃんの心情をば。前回の清四郎はさすがに可哀想かな、と。(そうか?)そんで、悠理ちゃんもドン底気分に陥ってもらいました。(爆)

 

そしてここらで、千尋様のリクを公開。

心も体もズタボロに疵付いてるのに、それをひたすら隠して闘ってる、満身 創痍な清四郎 (中略)悠理との関係も、フロさんのお好きな設定で構いません。片思いでも両思いでも 、有自覚でも無自覚でも、書きやすい設定で書いて下さい。

と、いうものでしたー。

そう、再々言っているように、どこにもエロ指定などなし。

あ、悠理も傷つけてくれ、などともどこにもないわね・・・ま、いっか。←殴

ちなみに、

ラスト、フォローなしで終わっても一向に気にしません。

との一文も。好き勝手書かしてもらいます。ふははは!←蹴

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