銀のピストル 

 

 

堕ろして、ください」

 

清四郎の残酷な言葉。

室内の者は絶句して動けなかった。

 

悠理は真っ青な顔で、清四郎を見つめている。

怖れと驚愕――――嫌悪。

酷い目にあったにもかかわらず、悠理が清四郎をそんな目で見たのは、このときが初めてだった。

 

愕然と凍りついている悠理の代わりに。

「ひ・・・酷いわ、清四郎!」

涙声は、可憐が上げた。

 

「赦されることではないと言うのなら、責めのすべては僕が負います」

清四郎は悠理を真っ直ぐに見つめた。

「これ以上、悠理の人生をめちゃめちゃにするわけにはいかない。それに・・・もし、霊的存在の超常的な力が介在して妊娠してしまっていたら、生まれてくる子供は、無垢な赤子ではないでしょう」

「ど、どういうこと?」

「“ケイ”は転生の機会をとうに逸していた。そして、悠理に子供を産ませたがっていた。おそらくは、自分が再び生まれ変わるための器を」

「!!」

 

「“黒い羊”・・・僕は幼かったから、彼がどういう人間であったかは知らない。だけど、悠理を霊の道具にさせるわけにはいかない」

もしも、ケイが霊であったなら、清四郎は彼を許せそうにない。

「・・・ケイは、そんな奴じゃ・・・!」

悠理がやっと発した言葉が、“加害者“の人格への批難に対する抗議であることが、皮肉だった。

本当に、彼女は彼に惹かれていたのだろう。だから、体を汚されても、赦しているのだ。

同じ“被害者“として、清四郎のことも。

 

確かに、清四郎が“被害者”であったこともある。

「・・・家族の誰もが、僕は憶えていないと思っていますが・・・僕は、2歳のとき叔父に誘拐されました」

「!!」

仲間たちは清四郎の告白に驚愕した。幼馴染の野梨子も知らない事件だった。

「遊ぶ金欲しさの、身代金目的です。もちろん警察沙汰にはなっていませんし、父が金を渡してすぐに解放されました。だけど、細かなところは憶えていなくても、恐怖の記憶は残っている。人格障害を起こした僕が、もう一つの人格で叔父を模す原因に、数えられるくらいには」

それは、“ケイ”を清四郎自身が作り出したかもしれないと思う、根拠のひとつ。

霊感のない清四郎には、自分が憑依されていたのかどうか、判断がつかなかった。

 

もしも、今回の事件が心霊現象でないとしたら。

“黒い羊”ではなく、“狼男”――――ケイが、清四郎のもうひとつの人格であるのなら。

 

どちらにしろ、清四郎は自分を許せそうにない。

利用された“被害者”などではなく、“加害者”であることを、彼は痛いほど自覚していた。

 

 

「嬢ちゃま!」

病室に五代が飛び込んできた。老体は主留守中の入院騒ぎに、狼狽していた。

「一体、嬢ちゃまに何が?!」

いつものように、五代はもっとも頼りにする清四郎に問いかけた。

「・・・剣菱のおじさんとおばさんに、話をさせてください」

静かな口調で。

清四郎は、五代にそれだけ告げる。

「必要ない!」

大声で清四郎を制したのは、悠理だった。

真っ赤な顔で、ぶるぶる震えている。先ほどまでの羞恥ではなく、怒りゆえに。

それは、もっと早く清四郎に向けられるべき悠理の表情だった。

 

 

清四郎は目を伏せた。

自分に向けられた悠理の怒りと軽蔑に、安堵さえ憶えて。

 

 

 

 

 

  

 

 雷光の中。

清四郎の罪が浮かび上がる。

意識を失った悠理の体から、放ったばかりの彼の精がとろとろと滴った。

白い体を汚す男の欲望。愛咬の痕と、鮮血。

悠理の細い手首に、拘束の痕さえ見出す。

陵辱の証。

 

清四郎はシャツを脱ぎ、悠理の下肢を伝う体液をそれで拭った。

可能な限りの布で意識のない彼女を覆う。革のジャンパーにくるんで、抱き上げた。

まだ止まぬ雨の中、あばら家を出る。そこがどこであるかも知らなかったあばら家の隣に、見知った寺の瓦屋根が暗く佇んでいた。そこは、菊正宗家から程近い、菩提寺の裏だったのだ。

 

激しい雨と風から、彼女を守るため抱きしめていたからだけでなく。

清四郎は頬を伝う涙を拭うことができなかった。

打ち付ける雨に流されても、熱い涙が肌を焼く。

心が焼かれる。

 

彼自身は、自分の罪をわかっていた。

 

清四郎は自分を取り戻してもなお、彼女を抱いた。欲望のままに。目の眩むほどの幸福さえ、感じながら。

快楽の狂宴の中で、自分の真実の欲望に気づいてしまった。

 

愛しているから、彼女を抱いた。彼が、彼女を求めたから。

欲望のまま、彼女を汚した。

 

それが、何より罪深い。

 

 

  

 

 

 

 

驚いたことに、悠理は翌々日の月曜日には、いつも通り登校してきた。

まるで、何事もなかったように。

まだ少し顔色は悪かったが、仲間たちでさえ、彼女の様子にさしたる変化を見出せなかった。

 

 

「清四郎は?」

昼休みの部室で、弁当をかっこみながらの悠理に問われ、野梨子は返答に困った。

「・・・清四郎は、悠理に合わす顔がないんですわ」

清四郎が倶楽部に顔を出さないわけを、悠理以外の全員が察していた。

「・・・ふぅん」

悠理は唇を尖らせて、眉を寄せる。

そんな彼女の横顔に、仲間たちは溜息をついた。

 

――――悠理こそ、どうして平気な顔をしていられるのか。

それは、誰もが口に出せない問い。

 

「・・・ぶぇっくしょっ!」

いきなり悠理が大きなクシャミをした。

ずずず、と鼻をすする悠理は涙目。潤んだ瞳に、仲間たちは思わずいらぬ気を回してしまう。

「なかなか風邪が治んないじょ・・・・雨に濡れちゃったし、当然か」

 

悠理の風邪は、霊障なのか、そうではないのか。

清四郎が言ったように、霊が介在するなら、妊娠リスクは高くなるだろう。

だけど、悠理は事件を幽霊が起こしたものと思っているようなのに、そのリスクに怯えている様子もない。

 

 

そして、悠理の長引いた風邪は、その週のうちに治ってしまった。

元気一杯走り回る彼女の姿に、あの嵐の夜の出来事は悪い夢だったのかと、仲間たちは思いたくなる。

 

しかし、清四郎の不在が、事件が現実だったと、思い知らせた。

学校には来ているものの、倶楽部に清四郎は顔を出そうとはしなかった。同じ校内に居るのに、まったく遭遇しないことから、明らかに彼は意識的に悠理を避けていた。

 

 

悠理の前に清四郎が現れたのは、二週間後の土曜日の朝。

剣菱邸を訪れた清四郎は、あの夜と同じ悲痛な目をしていた。

 

――――あれから初めて、ふたりは真正面から向き合うことになったのだ。

 

 

 

あっさりと悠理の部屋に通され、清四郎は内心驚いていた。

彼を部屋に迎え入れた悠理の、静かな表情にも。

ラフな部屋着で裸足の悠理は、自室とはいえいつも通り寛いだ様子に見えた。

 

「すみませんが、すぐに帰りますので、しばらくここに居ていただけますか」

案内してくれたメイドが退出しようとするのを、清四郎が引き止める。

え?と戸惑ったメイドに、女主人が指示した。

「・・・いいよ、向こう行ってて。お茶もいらない。すぐに帰るそうだから」

メイドは安堵の顔で扉を閉めた。

 

「悠理・・・ふたりきりに、なりたくないんだ」

清四郎は顔を歪める。

朝の爽やかな光の差す室内も、彼にとってはあばら家の暗闇同然だった。

罪の光景が、彼を苛み続けている。あの日から、治まらない嵐が。

 

「また“自分を見失しなう”とでも?だいたい、おまえが暴れたら、メイドに止められるわけないじゃん」

悠理はあっさりとそう言って、ベッドに腰掛ける。片足を上げ胡坐を組み、清四郎を睨みつける。

「で?なんの用だよ」

「わかっているでしょう。病院へ検査に行きましょう」

「やだ」

「悠理!」

「だって、あれって何されるかわかってる?足広げて、座らされてさ・・・絶対、やだ」

「・・・・・」

清四郎は悠理の言葉に胸を抉られる。彼女は感情を交えず、淡々と話しているのに。

「妊娠検査だけ・・・尿テストだけでもいい。なんなら、僕がここでやっても・・・」

「おまえ、変態?」

悠理は眉をしかめた。

「病院でさ、薬飲まされて、説明受けた。妊娠確率は2%ぐらいだって。大丈夫だよ」

「だけど、悠理!」

超常的な霊の力が介在していれば、確率など意味がない。悠理だとて、それをわかっているはずなのに。

 

「うるさい!おまえに、責任なんて感じてもらいたくない!」

悠理は、初めて声を荒げた。

「もし、妊娠しててもかまわない。あたい一人で産む!ケイは、もう一度人生をやり直したいって・・・生きたいって、言ったんだ!」

悠理の叫びに、清四郎は凍りついた。

「そりゃ、幽霊なんだって、わかったときは、めちゃくちゃ怖かったよ。何されんのかわかんなくて・・・・でも、ケイがあたいの子供として生まれたいんなら、それでいい。あたいのこと、好きだって言ったから・・・・あたいだって・・・」

悠理はくしゃりと顔を歪めた。

「たとえ、おかしくなってたのだとしても、あの時の気持ちは本当だから・・・!」

 

悠理のそれは、告白だった。ケイに惹かれ、恋をしたのだと。

体が清四郎であることなど、彼女には意味がないのだ。

彼にとっては、決定的な失恋。

彼自身の影のような、幻の男に。

もとより、彼女に想いを告げる権利など、清四郎は喪失していたのだけど。

 

「おまえは、利用されているんです!」

絶望感に苛まれながら、清四郎も叫んでいた。

悠理を利用したのは、ケイの亡霊か、彼自身の欲望か。

どちらにしろ、清四郎は決意していた。

悠理に罪の子を産ませるわけには、いかない。それだけは、譲れない。

清四郎は背を預けたままだった扉から、一歩足を踏み出した。

 

力づくでも、病院に連れてゆく――――その彼の意思が伝わったのだろう。

「あたいに、近づくな!」

悠理は清四郎を制して、片手を突き出した。座ったままの手に握られているのは、銀色に光る銃。

 

「魅録にもらった、おもちゃの銃だよ。空気銃を改造して、中には銀玉が詰まってる」

悠理は薄く笑った。

しかし、目は笑っていなかった。

手の中で器用にクルンと銃を回転させ、彼に銃口を向ける。

怒りに満ちた眼差しと共に。

 

「悠理、何を・・・」

清四郎の言葉を遮り。

パン、と甲高い音が弾けた。

 

悠理が銃を発砲したのだ。清四郎に、向けて。

 

 

 

 

 

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 テキトーにつけたタイトルでしたが、銀のピストルを本当に登場させてしまいました。”魅録にもらった空気銃”→”百合子にもらった機関銃”でなくて良かったねぇ、清四郎。そんときはタイトルを「セーラー服と機関銃」に♪って、聖プレジデント学園はセーラー服じゃないや。却下却下。

・・・なーんて、どす黒い作品内容には触れず語らず、脱兎〜!(爆)

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 素材:イラそよ