5
爽やかな晴天の、休日の朝。 非現実的な破裂音が響いた。 おそらくは、屋敷の誰も銃声だとは気づかなかったろう。 銀色の銃から放たれたのは、悠理の怒り。 当てるつもりはなかったのだろう。至近距離から放たれた銀の弾痕は、清四郎の背後の扉に付いた。 牽制に過ぎない発砲は、それでも清四郎を動けなくさせた。 銀の銃弾は清四郎の心を抉った。 覚悟はしていたはずなのに、彼女の怒りと憎しみが自分に向けられたことに衝撃を受ける。
「あたいは、おまえの言いなりなんかならない!」 悠理は煙を放つ銃を構えたまま叫んだ。
悠理の強い意志と怒りに、清四郎は敗北感を感じた。 悠理は守ろうとしている。彼女の恋した男を。懸命に。 乾いた喉が、嫌な音を立てた。 「・・・悠理・・・お願いですから・・・」 それでも、清四郎は懇願せずにはいられなかった。 悠理の恋した男は幻だから。現実に横たわるのは、彼の罪の名残だけ。 あの夜と同じ、絶望感と罪悪感が心を焼いた。 胸の銃痕から、血が噴出す。それは、幻影の傷。 身を焼かれるような痛みが、嫉妬のためでないといい。 清四郎には、そんな感情を抱く権利さえないのだから。 あの嵐の中で頬を焼いた熱が蘇る。拭うこともできない、痛い涙。 視界が揺らぐ。涙でかすんで世界が滲む。 それでも、闇を切り裂く雷光のように、悠理の強張った表情は見えた。 まだ銃を構えて清四郎を睨みつけているが、清四郎の涙に驚いたのか、瞳が惑い揺れている。 「・・・ケイは、おまえを羨ましがってたよ。おまえのように、愛されて育ち、優秀で・・・すべてを手に入れた男になりたかったって」 死んだ男への愛惜ゆえにか。彼に向けられた銃口が震えた。 「ケイがおまえに憑依してる幽霊だってわかったとき、あたい怖くて怖くて・・・・」 過日の恐怖を思い出したのか。悠理の声も震えていた。
それでも、彼女は気丈に、清四郎に顔を向ける。 「だけど、ケイは安心しろって。あたいが受け入れたら、自分は消えて、清四郎が戻ってくるからって」
「・・・え?」 言葉の意味がわからず、棒立ちのまま清四郎は訊き返す。
悠理の目から、涙が溢れた。 「おまえを、あたいに、返してくれるって!・・・だから、あたいは・・・」 悠理も涙を拭わなかった。迸るように零れた涙が、彼女の白い頬を焼く。 「なのに、おまえは自分を見失ってただけなんだな?!あたいのこと、好きでもなんでもない?!」 「ゆ、悠理・・・」 「嘘つき!“愛してる”って、言ったくせにっ!」 銀の弾丸よりも、清四郎を射抜く。悠理のそれは、涙声の絶叫だった。
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「奴が好きな女だから、おまえを選んだ」 酷薄な微笑が雷光に浮かび上がる。ケイの歪んだ感情。それは、嫉妬なのか復讐なのか。 「やだ、怖い、怖いよ・・・清四郎、助けて!」 恐怖のあまり泣きじゃくる悠理の両手を、ケイは捕らえた。 「安心しろ。おまえを抱くのは清四郎だ。この体は奴のモンだし、おまえが受け入れたら、俺は消えてあいつが戻ってくる」
雷鳴が轟き、悲鳴が消える。 「清四郎、清四郎・・・!」 悠理はただ、名を呼び続けた。 破かれた服。引き裂かれる体。 それでも、心は犯されなかった。 求め続けていた。たったひとりを。 やがて、掘り起こされ揺すぶられる快楽の嵐の中で。
「・・・俺だって、清四郎を愛していたよ。俺の欲しいものを皆持って生まれた、あのチビを・・・」 喘ぐような男の言葉が、朦朧とする意識に残った。 悠理がケイ自身の声を聴いたのは、それが最後だった。
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「あたい、この二週間、待ってたよ!だけど、まだケイは清四郎を返してくれないんだね・・・・」 とめどなく涙が零れ落ちる。透明な雫。何にも、汚されていない、悠理の心。
憶えているのか、と問いかけた清四郎に、真っ赤に頬を染めた悠理。 変わらない日常のまま、彼を待っていた悠理。
無垢な体を引き裂いた無残な行為も、彼女を変えはしなかった。 狂宴に溺れながら、彼の漏らした言葉を、信じていたから。 うわ言のように、愛している、と告げた言葉を。
――――悠理が放った銃弾は、確かに撃ち抜いていた。清四郎の中に巣食った闇を。 銃を持ったままの悠理に、清四郎は近づいた。 「わっ!」 数歩で、彼は悠理との間の距離を詰める。清四郎の腹に当たった、銀の銃口。 「あ、あぶねー、撃っちゃうとこだろ!おもちゃでも、当たったら・・・」 「・・・・構わない」 清四郎は抑えきれない感情をもてあます。あの夜のように欲望に流されるはずもないが、悠理を抱きしめずにはおられない。 「おまえに、撃たれるだけのことをしたんだ。“狼男”は、僕の中にいる。操られていたわけではなく、僕が求めたんだ。記憶を取り戻してからも、おまえを犯し続けた。欲望を制御できなかった」 抱きしめた腕の中で、悠理がびくんと身を震わせた。 「悠理・・・・どうか、許してください」 口に出して初めて、清四郎は気がついた。 許されるなどと思わなかったから、これまでそれを乞いさえしなかったことに。 「罪の重さに僕は閉じこもり、おまえから逃げていたんだな。おまえは待っていてくれたのに」 「・・・・うん」 腕の中で、悠理がコクンと頷いた。清四郎の胸に、彼女の額が当たる。 感情を抑えきれず抱きしめたけれど、こみ上げてくるのは、欲望ではなかった。 悠理の髪の上に雫が落ちた。清四郎の視界を曇らせていた涙の雫。 栗色の髪が、窓からの日光を受けて煌く。 暗闇しか見えなかった世界が、開ける。 「愛しています」 それで許されるはずなどなくても、言わずにはおれなかった。 「僕は、おまえを、愛しています」 もう一度、悠理が清四郎の胸に額をぶつけた。 「・・・・うん」 「僕はこれからも、おまえのそばに居てもいいですか?」 トン、という軽い音が、胸に響く。 悠理の返答は、三度清四郎の胸を打つ行為。 「・・・・うん」 悠理の額が触れた箇所から、幸福感が全身に広がる。 清四郎は悠理の頬を両手で包み、上を向かせた。身をかがめ、涙の味のする柔らかな唇に口づける。 抑え切れない衝動は、欲望ではなく愛おしさゆえに。 ふっくらとした唇を軽く吸い、ついばむ。ゆるやかに開かれ漏れた吐息を奪った。 抗わずに目を閉じていた悠理が、わずかに身じろぐ。
甘く苦しげな息に、これが彼女にとって、初めての口づけなのだと知った。 深く、それでも優しい口づけから解放したとき、悠理はぼぅとした顔で清四郎を見上げた。 真っ赤に染まった顔。瞳が潤んでいる。
「・・・清四郎、あたい・・・」 腕の中の華奢な体は、小鳥のように震えていた。
悠理の目に怯えの色を読み取り、清四郎は腕を解く。 「ごめん、悠理・・・また、僕は」 清四郎は苦い笑みを浮かべた。 彼女の心にも体にも、まだ凶行の痕が残っている。清四郎がつけた傷が。 もうその罪ゆえに彼女から顔を背けたりはしないけれど。 「ちがっ・・・」 悠理は離れようとする清四郎の腕をつかんだ。すがるような瞳。 怯えの反応は、無意識のものだったのだろう。 「わかっています。おまえの嫌がることはしません。僕は気持ちを伝えられただけで、十分です」 悠理が握ったままの銃に清四郎は手を添え、しっかりと両手で包み込む。 「もし、また僕がおまえを傷つけようとするなら、これで撃っていい」 悠理は清四郎を許そうとしてくれているが、すべてをなかったことにはできない。 まだ、彼女の傷は癒えていない。 もしもすでに子を宿していたとしても、彼にとって悠理は聖処女だった。 触れることが許されなくても、そばに居たい。それだけでいい。 悠理は首を振った。 「違う・・・違うんだ」 悠理の目に涙が再び盛り上がり、ひっくとしゃくりあげる。 「ごめん、清四郎・・・ごめん。あたいが怖いのは、おまえじゃないんだ・・・」 悠理の涙が、清四郎の手を濡らした。銀の銃をも。
変なところで切ってすみません。”愛しているよと言っても愛は壊れるの”と安全地帯のタイトル歌詞に合わせたわけではないんですが。次で終われるかなぁ。 |
素材:イラそよ様