銀のピストル 

  

 

爽やかな晴天の、休日の朝。

非現実的な破裂音が響いた。

おそらくは、屋敷の誰も銃声だとは気づかなかったろう。

 

銀色の銃から放たれたのは、悠理の怒り。

当てるつもりはなかったのだろう。至近距離から放たれた銀の弾痕は、清四郎の背後の扉に付いた。

牽制に過ぎない発砲は、それでも清四郎を動けなくさせた。

銀の銃弾は清四郎の心を抉った。

覚悟はしていたはずなのに、彼女の怒りと憎しみが自分に向けられたことに衝撃を受ける。

 

「あたいは、おまえの言いなりなんかならない!」

悠理は煙を放つ銃を構えたまま叫んだ。

 

悠理の強い意志と怒りに、清四郎は敗北感を感じた。

悠理は守ろうとしている。彼女の恋した男を。懸命に。 

 

乾いた喉が、嫌な音を立てた。

「・・・悠理・・・お願いですから・・・」

それでも、清四郎は懇願せずにはいられなかった。

悠理の恋した男は幻だから。現実に横たわるのは、彼の罪の名残だけ。

 

あの夜と同じ、絶望感と罪悪感が心を焼いた。

胸の銃痕から、血が噴出す。それは、幻影の傷。

身を焼かれるような痛みが、嫉妬のためでないといい。

清四郎には、そんな感情を抱く権利さえないのだから。

 

あの嵐の中で頬を焼いた熱が蘇る。拭うこともできない、痛い涙。

視界が揺らぐ。涙でかすんで世界が滲む。

それでも、闇を切り裂く雷光のように、悠理の強張った表情は見えた。

まだ銃を構えて清四郎を睨みつけているが、清四郎の涙に驚いたのか、瞳が惑い揺れている。

 

「・・・ケイは、おまえを羨ましがってたよ。おまえのように、愛されて育ち、優秀で・・・すべてを手に入れた男になりたかったって」

死んだ男への愛惜ゆえにか。彼に向けられた銃口が震えた。

「ケイがおまえに憑依してる幽霊だってわかったとき、あたい怖くて怖くて・・・・」

過日の恐怖を思い出したのか。悠理の声も震えていた。

 

それでも、彼女は気丈に、清四郎に顔を向ける。

「だけど、ケイは安心しろって。あたいが受け入れたら、自分は消えて、清四郎が戻ってくるからって」

 

「・・・え?」

言葉の意味がわからず、棒立ちのまま清四郎は訊き返す。

 

悠理の目から、涙が溢れた。

「おまえを、あたいに、返してくれるって!・・・だから、あたいは・・・」

悠理も涙を拭わなかった。迸るように零れた涙が、彼女の白い頬を焼く。

「なのに、おまえは自分を見失ってただけなんだな?!あたいのこと、好きでもなんでもない?!」

「ゆ、悠理・・・」

 

「嘘つき!“愛してる”って、言ったくせにっ!」

 

銀の弾丸よりも、清四郎を射抜く。悠理のそれは、涙声の絶叫だった。

 

 

 

 

  

 

「奴が好きな女だから、おまえを選んだ」

酷薄な微笑が雷光に浮かび上がる。ケイの歪んだ感情。それは、嫉妬なのか復讐なのか。

「やだ、怖い、怖いよ・・・清四郎、助けて!」

恐怖のあまり泣きじゃくる悠理の両手を、ケイは捕らえた。

「安心しろ。おまえを抱くのは清四郎だ。この体は奴のモンだし、おまえが受け入れたら、俺は消えてあいつが戻ってくる」

 

雷鳴が轟き、悲鳴が消える。

「清四郎、清四郎・・・!」

悠理はただ、名を呼び続けた。

 

破かれた服。引き裂かれる体。

それでも、心は犯されなかった。

求め続けていた。たったひとりを。

 

やがて、掘り起こされ揺すぶられる快楽の嵐の中で。

 

「・・・俺だって、清四郎を愛していたよ。俺の欲しいものを皆持って生まれた、あのチビを・・・」

喘ぐような男の言葉が、朦朧とする意識に残った。

 

悠理がケイ自身の声を聴いたのは、それが最後だった。

 

 

 

 

 

「あたい、この二週間、待ってたよ!だけど、まだケイは清四郎を返してくれないんだね・・・・」

とめどなく涙が零れ落ちる。透明な雫。何にも、汚されていない、悠理の心。

 

憶えているのか、と問いかけた清四郎に、真っ赤に頬を染めた悠理。

変わらない日常のまま、彼を待っていた悠理。

 

無垢な体を引き裂いた無残な行為も、彼女を変えはしなかった。

狂宴に溺れながら、彼の漏らした言葉を、信じていたから。

うわ言のように、愛している、と告げた言葉を。

 

 

――――悠理が放った銃弾は、確かに撃ち抜いていた。清四郎の中に巣食った闇を。

 

銃を持ったままの悠理に、清四郎は近づいた。

「わっ!」

数歩で、彼は悠理との間の距離を詰める。清四郎の腹に当たった、銀の銃口。

「あ、あぶねー、撃っちゃうとこだろ!おもちゃでも、当たったら・・・」

 

「・・・・構わない」

清四郎は抑えきれない感情をもてあます。あの夜のように欲望に流されるはずもないが、悠理を抱きしめずにはおられない。

「おまえに、撃たれるだけのことをしたんだ。“狼男”は、僕の中にいる。操られていたわけではなく、僕が求めたんだ。記憶を取り戻してからも、おまえを犯し続けた。欲望を制御できなかった」

抱きしめた腕の中で、悠理がびくんと身を震わせた。 

 

「悠理・・・・どうか、許してください」

口に出して初めて、清四郎は気がついた。

許されるなどと思わなかったから、これまでそれを乞いさえしなかったことに。

「罪の重さに僕は閉じこもり、おまえから逃げていたんだな。おまえは待っていてくれたのに」

 

「・・・・うん」

腕の中で、悠理がコクンと頷いた。清四郎の胸に、彼女の額が当たる。

 

感情を抑えきれず抱きしめたけれど、こみ上げてくるのは、欲望ではなかった。

悠理の髪の上に雫が落ちた。清四郎の視界を曇らせていた涙の雫。

栗色の髪が、窓からの日光を受けて煌く。

暗闇しか見えなかった世界が、開ける。

 

「愛しています」

それで許されるはずなどなくても、言わずにはおれなかった。

「僕は、おまえを、愛しています」

 もう一度、悠理が清四郎の胸に額をぶつけた。

「・・・・うん」

 

「僕はこれからも、おまえのそばに居てもいいですか?」

トン、という軽い音が、胸に響く。

悠理の返答は、三度清四郎の胸を打つ行為。

「・・・・うん」

 

悠理の額が触れた箇所から、幸福感が全身に広がる。

清四郎は悠理の頬を両手で包み、上を向かせた。身をかがめ、涙の味のする柔らかな唇に口づける。

抑え切れない衝動は、欲望ではなく愛おしさゆえに。

ふっくらとした唇を軽く吸い、ついばむ。ゆるやかに開かれ漏れた吐息を奪った。

抗わずに目を閉じていた悠理が、わずかに身じろぐ。

 

甘く苦しげな息に、これが彼女にとって、初めての口づけなのだと知った。

 

 

深く、それでも優しい口づけから解放したとき、悠理はぼぅとした顔で清四郎を見上げた。

真っ赤に染まった顔。瞳が潤んでいる。

 

「・・・清四郎、あたい・・・」

腕の中の華奢な体は、小鳥のように震えていた。

 

悠理の目に怯えの色を読み取り、清四郎は腕を解く。

「ごめん、悠理・・・また、僕は」

清四郎は苦い笑みを浮かべた。

彼女の心にも体にも、まだ凶行の痕が残っている。清四郎がつけた傷が。

もうその罪ゆえに彼女から顔を背けたりはしないけれど。

 

「ちがっ・・・」

悠理は離れようとする清四郎の腕をつかんだ。すがるような瞳。

怯えの反応は、無意識のものだったのだろう。

「わかっています。おまえの嫌がることはしません。僕は気持ちを伝えられただけで、十分です」

悠理が握ったままの銃に清四郎は手を添え、しっかりと両手で包み込む。

「もし、また僕がおまえを傷つけようとするなら、これで撃っていい」

悠理は清四郎を許そうとしてくれているが、すべてをなかったことにはできない。

まだ、彼女の傷は癒えていない。

もしもすでに子を宿していたとしても、彼にとって悠理は聖処女だった。

触れることが許されなくても、そばに居たい。それだけでいい。

 

悠理は首を振った。

「違う・・・違うんだ」

悠理の目に涙が再び盛り上がり、ひっくとしゃくりあげる。

「ごめん、清四郎・・・ごめん。あたいが怖いのは、おまえじゃないんだ・・・」

悠理の涙が、清四郎の手を濡らした。銀の銃をも。

 

 

 

 

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 変なところで切ってすみません。”愛しているよと言っても愛は壊れるの”と安全地帯のタイトル歌詞に合わせたわけではないんですが。次で終われるかなぁ。

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 素材:イラそよ