「おまえのこと、わかんない!」 悠理の叫びももっともだ。
――――全人類の疑問符。
「だから、僕が・・・・」 清四郎の言おうとした言葉は、騒ぎにかき消された。 もっとも、清四郎にもわからないのだ。
――――出逢った、その理由は?
KISSして +〜前篇〜
某国の大使主催、船上パーティ。 東京湾に浮かんだ豪華客船を借り切ってのイベントは関係者以外立ち入り禁止であったが、清四郎は招待客のお供で船に乗り込んだ。 静かな湾内に船は繋留されていたが、足を踏み入れた時から不穏な空気は感じていたのだ。 賓客でごったがえす甲板で、腐れ縁の友人の顔を見つけ、なおその予感は増した。
「万作おじさんの広い交友関係に、某国元首も含まれていたってことですかね・・・。」 甲板で海風に吹かれて、明るい色の髪が揺れている。 悠理は相変わらず派手な服を着て、大広間が開場されるのをわくわく待っている様子だ。間違いなく、料理目当てだろう。 「あら、彼女って、剣菱財閥のご令嬢じゃない?」 「ええ、そうです。学校の友人ですよ。」 「ああ、そういえば清四郎くんは、まだ大学生だったわね。あなたそう見えないから、忘れていたわ。」 ほほほ、と笑う彼女は貿易会社の若き女社長で、某国大使とは懇意の仲だ。 美人で有能、若くして会社を大きくしただけある傑物だが、数度関係を持っただけでペットのように連れまわされるのは、清四郎の本意ではない。 そろそろ、他の若い男をあてがおうと思っていた。美童あたりを紹介すれば双方の利害は一致するだろう。(もちろん、その際には清四郎と彼女の関係は美童には内緒だ。臍を曲げるに決まっている。)
清四郎は女の細い腰に手をやって方向転換を促した。悠理と顔を合わせたくはない。女連れだから、というわけではないが。 「ふふふ・・・剣菱のお嬢さんといえば、あなたと婚約してたわねぇ。」 清四郎の眉がピクリと上がる。 「有名ですものね。知ってるわよ。随分前、まだ高校生ぐらいの時じゃない?」 「・・・・まぁ、そうですが。今はただの友人ですよ。」 半分は、嘘だった。 悠理との最初の婚約は、確かに5年近く前の高校時代だったが。つい先日まで、またまた彼女は彼の婚約者だった。その婚約が白紙に戻ってから、まだ数ヶ月にしかならない。 悠理と清四郎の婚約は、いつでも双方思惑ずくめのものだった。彼らの紆余曲折の関係を、詳しく説明するつもりはない。 今はただの友人――――という点は、事実であるのだし。
「彼女は剣菱万作氏の名代で来ているのかもしれませんが、挨拶してもビジネスの足しにはなりませんよ。」 どうせ、悠理の頭は食欲で占められている。今夜は客も多いことだし、気をつけていれば接近遭遇することもないだろう。 触らぬ神に祟りなし。悠理はトラブルメーカーだ。 断じて、ツバメのように女に付き従っているところを見られたくないからではない。
「そうね、あちらも男性同伴だし。」 しかし、女のこの言葉に、清四郎はぎょっとして振り返った。
確かに、悠理の隣には大柄な男性が立っていた。 顔はよく見えないが、日本人離れした体躯は目立っている。 「・・・・・・・・・・・・・・・。」 そういえば、悠理の男の好みは、マッチョなレスラーだ。 清四郎の眉根に深い皺が刻まれた。 彼は何も聞いてはいないものの、また剣菱夫妻が悠理を結婚させようと画策しているのだろうか。 清四郎は女の腰を抱いたまま、斜めに移動し悠理との距離を縮めた。 君子危うきに近寄らず――――とはいえ、相手の顔くらいは確かめておきたい。 純粋な興味だ。そのはずだ。
清四郎に引きずられるように甲板を蟹歩きで移動しつつ、女がポンと手を打った。 「ああ、あれは某国大使のご子息だわ、珍しいわね。あまり公の席には出て来ない方だもの。一度会ったら忘れられない方ですけどね。」 さすが商売人、紳士名鑑に詳しい。 「確か、剣菱のご令嬢とは同じ学校じゃなかったかしら。あら、そうならあなたとも同じよね。」 「プレジデント大学ですか?」 名家の子息令嬢の集まる大学。中学高校ならばまだしも、大学となると清四郎もすべての学生は把握していない。 清四郎には心当たりがなかった。 悠理の学内の友人は、イコールほとんどが清四郎自身の友人でもあるはずなのに。
船の出港時間となった。汽笛が鳴らされ、大広間の扉が開けられる。客達は一斉に船内に流れ込んだ。 悠理とその連れはイの一番に。 清四郎もまた、後を追うように船内に移動した。 盛大なパーティが始まった。 しかし、悠理はパーティの進行など頓着せず、テーブルに突進し乾杯の音頭より先に食料に手を伸ばしている。 遠目にも、意地汚くがっついているだろうことはわかった。 あれでは、せっかくの新しいボーイフレンドも裸足で逃げ出すに違いない――――と清四郎はほくそ笑んだ。 が、遠目にも筋骨隆々たる男は、悠理の隣で同じように料理に夢中になっているようだ。
ふと気づけば、清四郎の連れは消えていた。 取引先に会って、清四郎など眼中になくなったのか。 自分が彼女を無意識に放置した可能性には目をつぶり、清四郎は都合がいい、とばかりに悠理に向って歩き出した。 そろそろ悠理に声を掛けてやっても良い頃だ。無視するのも友達甲斐がないだろうから。 もちろん、清四郎の脳裏から『君子危うきに〜』の格言は消えていた。 それが大きな失敗だったとは、この時点では気づかなかった。 嫌というほど経験則があるにもかかわらず。
*****
「・・・!!」 大口開けてチキンを齧っていた悠理が、声を掛ける前に清四郎に気づいた。 清四郎を見て目を丸くしている。悠理の表情は、心なしか強張って見える。 清四郎が軽く手を挙げると、はたして、悠理の顔面からいきなり血の気が引いた。 悠理は慌てた様子で、隣の連れに何事か囁いた。連れは皿から顔を上げて、悠理に頷いている。彼は踵を返し、テーブルを離れた。 清四郎が悠理へ近づくのと、入れ替わるように。
「な、なんでおまえが居んだよ、清四郎〜〜!びっくらこいたじゃんか〜〜!」 悠理は冷や汗をかきつつ、あはは、と笑った。 「僕が居てまずいことでも?」 清四郎は腰に手をあて、悠理を見下ろした。 「なにを焦っているんですか。僕に隠しておきたいことでもあるって顔ですね。」 悠理はバツの悪そうな顔をして、しきりに清四郎の背後を伺っている。 明らかに、連れを気にしているのだ。 清四郎の眉根の皺が深まった。 「隠したいのはおまえの連れの男性ですか?」 清四郎にあの男をか。それとも、あの男に元婚約者の清四郎の存在を知られたくないのか。いったいどちらを、悠理は気にしているのだろう。 すだれ前髪に平行して影を落とした清四郎の顔に、悠理はポカンと口を開けた。 「・・・・せいしろ?」 悠理は唖然と呟いた。 「お、おまえ、あいつのことわかんないの・・・?」 「わかるもわからないも、まだご紹介に預かってませんからね。顔もよく拝見する暇がなかったし。」 「って・・・・顔なんか見なくても・・・・」 悠理は金魚のようにパクパク口を開けている。悠理の視線は清四郎を通り越して泳いでいた。 その時。 「剣菱ぃ〜、どこにあるって?豚の丸焼き・・・・」 背後からかかった声で、男が戻って来たのだと知れた。 対面は望むところだと、清四郎は密かに気合を入れる。 悠理のボーイフレンドがどんな奴にしろ、即座に優位に立つべく自信と余裕の笑みを顔に貼り付けた。握手の一つもしてやろう。 しかし、清四郎が振り返るなり、ガシャンと盛大な音がした。 男が皿を取り落としたのだ。 「?」 清四郎の顔を凝視している大柄な男の姿に、清四郎は眉を寄せる。 なるほど、一度見たら忘れられない個性的な顔だ。いや、個性的という穏当な表現を逸脱している。 「・・・悠理、マッチョならなんでもいいのか・・・?」 清四郎は思わず低く呟いていた。 しかし、清四郎の言葉は悠理には届かなかった。
「清四郎ハーーーーーン!!!」
歓喜に満ちた銅鑼声は、清四郎の言葉だけでなく、会場内のバンド音楽も司会者の声も、すべてかき消す大声だった。
*****
「信じらんねーー!なんでおまえ、あいつの顔を忘れてんだよ!人のこといっつも馬鹿だアホだと言ってる割には、おまえの記憶力もかなりおかしいぞ!フツー忘れるか、あの顔を!」 清四郎を追いかけてプレジデント学園に入学してきた、古馴染みの南中番長。ずっと同じ学園に居たはずだが、彼と顔を合わせるのは久しぶりだった。 とはいえ。 「顔どころか、存在そのものを忘れていましたね。」 不要不快な存在として脳内削除。幼き頃より研鑽した自己コントロールの賜物だ。 腕組みをしてふむふむ頷く清四郎に対し、悠理は頬を膨らませた。 「せっかく、あたいが逃がしてやろうとしたのに、わざわざ寄って来やがって!」 至近距離でわめかれ、清四郎は耳を塞ぐ。 「もうちょっと離れてください。唾がかかります。」 「これ以上、離れられねーよ!」 ふたりは、現在密着中。しゃがみこんで顔を寄せ合っている状態だった。
元番長の辺りを憚らぬ大声に怖れをなして大広間をスタコラ脱出したものの、船は出航済み。3時間ほどのクルーズ時間を逃げ切れば良いと、ふたりは狭い物置に逃げ込んだ。 なにしろ船内だ。物置も家屋より随分と狭い。清四郎の身長ではまっすぐ立つこともかなわず、ダンボールに囲まれた狭い空間で、膝と額を突き合わせているふたりだった。
「だいたい、なんでアレと一緒だったんですか?」 アレ=元南中の番長は、大使子息だ。本当に悠理の花婿候補なのかもしれない。ともかくも『悠理より強い』という条件は満たしているのだし。 「某国に義理があるって、父ちゃんに頼まれて来たんだけどさ。食いモンないかなぁってさっき船の厨房を覗いてたら、同じことしてたあいつと共に追い出されたんだ。」 清四郎は大きくため息をついた。 まぁ、剣菱家サイド、特に百合子夫人がアレを花婿候補に入れるわけはないだろう。 とはいえ。 薄暗闇の中でじっと至近距離の悠理を見つめる。 「なんだよ?」 狭い物置内では顔を避けることもできず、清四郎の直視に悠理は居心地が悪そうだ。 「・・・いえ。」 この物置にも、丸い小窓からわずかに月明かりが差す。藍色の光を纏った悠理は美しい。いくら中身がガキの底抜けバカでも。 清四郎と悠理の何度目かの婚約が破綻して、数ヶ月。あの両親が悠理に新しい求婚者を引き合わす頃合ではあるだろう。 今回のアレはいくらマッチョでも論外だが、いつかどこかの男が、悠理の心を射止めるかもしれない。 「・・・せいしろ?」 悠理の瞳に怯えの色が過ぎり、清四郎は自分が顔を顰めていたことに気がついた。 胸を過ぎる不快な焦燥感。それは、幼稚な独占欲から来るものだろうとは、わかっている。 至近距離の彼女から香る、甘い体臭。きめの細かい白い肌。茶色の長い睫。桃色の唇。 彼女の唇の味を知っている男は、今はまだ清四郎だけなのだ。華奢な体の思いもかけない柔らかな感触も。 我知らず、こくりと喉が鳴った。
清四郎の直視がつらいのか、悠理は頬を染めて目を泳がせている。 「・・・・悠理。久しぶりにしてみませんか?」 「んあ?なにを?」 「キス。」 わざわざ口に出さなくても、数センチ顔を寄せれば、唇の奪える距離なのだが。 紳士的な清四郎の提案に、悠理はあんぐりと口を開けた。 「な、ななななな・・・・」 悠理は茹蛸のように真っ赤に顔を染め、ぐいっと無理に顔を引いて清四郎と距離を取った。 「あたいは、おまえの、そーゆー、スケベなとこが、嫌いなんだぁ!」 ぜいぜい息を切らして憤慨する悠理に、清四郎は苦笑する。 「どこがスケベなんですか?僕は理性的でストイックな方だと自負していますがね。」 婚約期間中、ふたりの関係はキス止まりだ。一度目は同居までしていたにもかかわらず。 まぁ、清四郎の興が乗ってベッドに押し倒した途端、股間を蹴り上げられたのが前回の婚約破棄の原因なのだから、仕方ないのだが。
仰け反るように悠理が逃げた分だけ、清四郎は顔を近づける。 「お、おい!」 「おまえも僕とキスするのは好きでしょう?大丈夫です、こんなに狭いところでは、それ以上はできません。」 と、いうのはもちろん方便だが。 清四郎は悠理の肩をつかんだ。頭の後ろにも手をやり、避けられないよう固定する。 本気で抗えば清四郎を殴りつけることもできる距離なのに、悠理は頬を染めて瞳を揺らした。 「な、なんでおまえ・・・・」 悠理の疑問に、答える言葉はない。 清四郎にも、どうしてなどわからないのだから。 「悠理、目を閉じて。」 それでも、清四郎の言葉に従い、睫を震わせながら悠理は瞼を閉じた。 「・・・いい子だ。」 清四郎は満足気に囁く。 怯えよりも、戸惑いと恥じらいに色づく唇。 惹きつけられてやまないその唇に、清四郎が触れ――――る、寸前。 悠理はパッチリ目を開けた。
激しい振動。 近くで響く爆音。 船客の悲鳴。
「な、なに?!」 「エンジンが止まったようですね。」
抱き合うように身を寄せ合いながら、ふたりは顔を顰める。 数発の銃声が船内に響くに至って、清四郎はため息をついた。
「・・・また何か事件ですか・・・ったく、おまえといるといつもこうだ。」 恨みがましく悠理を見つめる清四郎に、悠理はぶんぶん首を振った。 「おいコラ、なんでもあたいのせいにすんな!あたいだって、おまえといるといつもこーだぞ!」 「おや、僕のせいだとでも?どちらがトラブルメーカーか、統計をとってみてもいいんですよ。」 言い争いながら、ふたりは同時に動き出した。小部屋の扉をそろそろと押し開ける。 まずは、置かれている状況を確認しなければならない。
トラブルメーカーなのはどちらなのか? 水と油。気の合わない幼馴染。 そんなふたりの腐れ縁がまずいのか?
――――疑問符は、拡大中。
チュッチュッチュ〜♪と、柴崎コウちゃんの「キスして」を口ずさみながらお気楽に書いてます。 冒頭に出てくる清四郎の連れは、実は最初は男性でした。恩師の教授のつもりだったんですが、元南中の番長を登場させたがために、なんかホモの愛人みたいに見えかねないと、女性に変更。(笑) 清四郎には結婚前はそれなりに経験積んでいて欲しいから、女性関係はお盛ん設定のららら。でも、男性までは手を出して欲しくないっすからね〜(爆) |