ミリオンダラー・ベィビー -2-

 

 

 

 「まぁ、ショッピングの次にレストランというのは、デートの基本だからね。」

 

悠理の意向を汲んで美童がエスコートしたのは、ラスベガス中心の噴水を望む高級レストランだった。名物料理だけでなく、華麗な光のアトラクションを堪能できる。

 

世界のセレブやハリウッドスターご用達の店でありながら、悠理と美童の二人組は一際人目を引いた。

モデルそこのけの美童の美貌だけでなく、悠理も彼女のセンスで目いっぱいオシャレしていたからだ。 

 

「悠理は相変わらずだよなぁ。なんだかホッとするよ。」

頭につけた派手な孔雀の羽を揺らして悠理が食事に邁進している様を、美童は呆れつつも笑顔で見守る。

「なんで?おまえも、あんま変わってないじゃん。」

肩までの髪をかき上げる美童の横顔には、かつての中性的な柔らかさこそ消えていたが。

悠理にとって、軽薄でお人良しで陽気な友人の印象は昔そのままだ。

「・・・・そりゃ、変わったさ。」

美童は組んだ手の上に顎を乗せて、悠理を真っ直ぐ見つめた。

 

「野梨子と魅録のところはもうすぐ子供が生まれるし、あれほど玉の輿を連呼していた可憐が今やいっぱしの女実業家だ。僕だって、学生時代のように暇をもてあまして気ままに過ごすことはなくなったな。今はやっと得た休暇中だけどさ、これでも結構忙しい体なんだよ。家族がスウェーデンに戻ってから日本に帰る事も減ってしまったし。」

青い瞳に浮かんだのは、大人の男の笑み。

「だからかな、悠理と清四郎を見ると嬉しくなるんだよ。相変わらず騒ぎを起こしたり巻き込まれたりしてるんだろ?有閑倶楽部健在、って感じでさ。」

食事をしていた悠理の手が止まった。口内の食物を無理に飲み込む。

「・・・・ひとのこと、騒動の元みたく言うな。」

 

―――――「悠理みたいなトラブルメーカー、僕以外の誰が面倒見られるって言うんです?」

 

清四郎の言葉が脳裏によみがえる。

 

「・・・ったく、おまえといると命がいくつあっても足りないな。」

「なんでもあたいのせいにすんな!あたいだって、おまえといるといつも事件に遭う気がすんぞ!」

「おや、僕のせいだとでも?どちらがトラブルメーカーか、統計をとってみてもいいんですよ。」

 

ニヤリと笑う意地悪な顔。

それでも、そんな馬鹿な言い争いの末はプロポーズだった。

 

「毎度毎度の騒動に、どうせ腐れ縁で一生付き合わされるんだ。」

 

そう言いながら、呆れたように肩を竦めた嫌味な男。

 

記憶の中の面影を振り切り、悠理は皿に残った料理をかき込んだ。

「だいたい、美童だけには言われたくないんだけど!倶楽部の騒動の半分くらいおまえが呼び込んでたんじゃないか?」

「それは濡れ衣ってもんだよ。」

シャンパングラスを傾けながら、美童は微笑む。

「悠理と清四郎は、有閑倶楽部のトラブルメーカーとトラブル処理班だからね。二人でいるのを見るとなんとなく安心するんだよ。」

美童の手の中で、シャンパンが虹色に輝いた。

光のイリュージョン。

 

「・・・で。」

美童の青い瞳にテーブル上の炎が映り揺らめく。

昔と同じ明るい瞳に、深みが宿る。

 

「なのに、悠理はこんなところで一人何をしているのかな?」

 

悠理は美童から目をそらした。

「・・・おまえと、デートとやらをしてるんじゃん。」

 

眼下の噴水を舞台に、ラスベガスのショーが盛り上がっている。

悠理が口を引き結んでいると、美童は小さなため息をついた。

 

「清四郎とデートすりゃいいのに。まぁ、十代の頃に婚約して悠理は清四郎しか知らないだろうから、たまには他の男と会うのもいいと思うけど。」

「・・・・・。」

 

長年の紆余曲折期間中、悠理も付き合った男がいないわけではないのだが。相手の男は知らぬうちに清四郎に排除されていた。

実際、悠理が一対一で清四郎以外の男性と向かい合うのは数年ぶりかもしれない。

 

「・・・清四郎とは、最近ちゃんと話せないし、こんな風に飯食う気もしないよ。」

 

思わず悠理の口から漏れたそれは、真実だった。

師走も押し迫った年末で清四郎が忙しかったためだけでなく、ここのところほとんどまともに彼と会話していない。

二人きりで向き合うことが怖い。彼と居ると、大好きなはずの食べ物の味もしなくなる。

何がきっかけでそうなったのかも、悠理は分かっていた。

 

「なんだよ、それ。まさか倦怠期?」

美童はからかい口調でそう言ってから、目を細めた。

「・・・な、わけないか。君らに限って。」

目をそらした悠理の横顔に、美童の視線が注がれる。

「きみらに限って、って・・・?」

 

四歳で出会って、十九で婚約して、もういい加減『倦怠期』と言われても仕方が無いのだが。

隣に居ることが自然な関係に、いつの間にかなっていた。だけどいつの間にか、悠理だけが、彼の隣に居る事が苦しくなってしまった。

 

―――――「おまえと居ると苦しい。」

そう告げた時の、清四郎の平然とした笑みを思い出す。

続く、倣岸な言葉も。

 

「悠理・・・・自分に自信ないの?」

悠理は視線を美童に戻した。

優しい眼差しで、友人は悠理を見つめている。

「たまには、清四郎と離れてみるのもいいかもしれないね。」

美童の言葉に、悠理は素直にコクンと頷いていた。

久しく会ってなかったにもかかわらず訳知り顔の彼に、なぜか反発は感じなかった。

いつでも、悠理自身よりも友人たちの方が、彼女のことを知っているのだ。

 

悠理は手に持ったグラスを呷った。

グラスの向うでは美童が穏やかに微笑んでいた。

 

ラスベガスの真ん中で、喧騒に包まれながら。

軽やかで優しい美童と過ごす時間は、芳醇なワインを味わうようで心地よかった。

 

 

******

 

 

ナイトショーを楽しんだ後、ドレスアップした悠理と美童は、カジノに繰り出した。

スロットルやルーレット台がひしめくホテルの大型フロアではなく、特別なVIPしか入る事を許されないスペシャルルームに向かう。

慇懃なドアマンからセキュリティチェックを受け、重厚な扉を幾つも通り抜け、建物の最奥の部屋に通された。

小ぶりな部屋だったが、大勢の男女が既にゲームを楽しんでいた。

美童にエスコートされた悠理がハイヒールの踵を鳴らして颯爽と入室すると、正装した紳士たちがウインクを寄越した。

肩までの髪を後ろで束ねて白いタキシードに着替えた美童と、薄い絹のドレスに金のアクセサリーをつけた悠理は、それまでよりもシックで大人しめの姿だったが、この場にはその方が似つかわしい。

本来、ラスベガスのカジノではドレスコードはないのだが、この部屋だけは別世界のようだった。

室内装飾は豪奢で煌びやかなVIP達が集っているにもかかわらず落ち着いた独特の空気だ。

差し出されたカクテルを口にしながら、悠理は美童の耳に囁いた。

「なんかこーゆー雰囲気って、ラスベガスってよりもヨーロッパぽくない?」

「まぁ、あちらが本場だからね。」

しかし、この部屋に入室する権利を得るのに『世界の剣菱』の名はいらなかった。ここはアメリカだ。悠理の預けたジェラルミンケースがカジノのどんな扉をも開けさせる。

 

ルーレットやポーカーテーブルをしばらく眺め、悠理が選んだのは半円形の小さなテーブルだった。

ポーカーよりも簡単で大金の動くバカラだ。ちょうど勝負が一段落したところのようで、ディーラーが卓上のチップを集めていた。

悠理は空き席を見つけ、中国系の老婦人とシルバーの長い髪をオールバックにした怪しげな紳士の隣の席に着いた。テーブルには他に二人、壮年のカップルがついている。

ディーラーがカードを配り始め、ゲームが始まった。

バカラは単純なゲームで、カードで勝敗を決めるとはいえ、プレイヤーは触ることを許されず、チップを置く場所を選ぶだけだ。それも、二者択一。

悠理の隣の老婦人などは確率計算しているらしくしきりに紙とペンで計算しながら賭けていたが、もちろん悠理があてにするのは野性の勘だ。

悠理は本来、ギャンブル運が強い。

美童は悠理から離れた別のテーブルで楽しんでいるようで姿を見せなかったが、悠理は気にしなかった。彼が近くに居るとツキが逃げる気がするから願ったりかなったり。

 

小額負けて、大勝負に勝つ。

数時間が瞬く間に経ち、夜も深まる頃には、悠理の前に置かれたチップはかなりの高さ量で周囲を圧倒し始めていた。

 

「・・・マイガッ」

プレイヤーの顔ぶれは何度か変わったが、悠理が始めた頃からずっと隣で粘っていた銀髪の紳士が天井を仰いでギブアップを表した。

最初の頃、盛んに悠理を口説こうと無駄な努力をしていた男だ。

恣意的に彼を潰すことができるわけではないが、結果的に悠理が一人勝ちしてしまったため、もう秋波を送る気力もチップと共に消えうせたようだ。

 

悠理がウエイターから勝利の美酒を受け取っている時、銀髪の紳士が退散した椅子が引かれた。

先ほどまでのきつい葉巻の香りの代わりに、上品なオーデコロンの芳香が悠理の鼻腔に届く。

憶えのある、心地よい香り。

なにげなく新しいお隣さんに目を向けた悠理は、危うくカクテルグラスを取り落としかけた。

いや、悠理の震える指は空をつかみ、グラスを手放していた。透明なカクテルが、悠理の絹のドレスをわずかに濡らす。だが、放り出されたグラスは空中で予想していた者の手の中に受け止められていた。

 

黒いタキシードに身を包んだ男が、悠理の方に顔を向けないまま空になったグラスをウエイターの盆に返す。チップをスマートに渡す指は細く滑らかだ。だが、武道家らしく節は潰れ平らだった。

 

「・・・・・景気よく勝っているようですね。」

不機嫌そうな低い声を聞く前に、悠理は椅子を鳴らして思わず立ち上がっていた。

 

「せ、せ、せ、清四郎っ!!!!」

 

幼馴染で腐れ縁の友人で元夫でもある菊正宗清四郎は、悠理を一瞥もせず横顔を向けたまま。

丁寧にセットされた前髪の下の表情は硬かったが、鋭角な横顔から伺える口元には笑みが浮かんでいる。

 

「座りなさい、悠理。カードは配られた。勝負を降りるなら別ですが。」

 

聞きなれた命令口調に、悠理の全身がカッと火照った。

 

 

 

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美童と悠理のつかの間の逢瀬はあっけなく終了〜♪なにしろ、007カジノロワイヤルで見たジェームスボンドの渋いタキシード姿を、清四郎でやってみたい!・・・といういつものごとくアホな動機で書き始めたお話だったりします。

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