「清四郎、あたいと結婚して!」
ほのかに化粧を施した悠理は、いつもより綺麗に見える。 清四郎は一瞬絶句したものの、じっと悠理を見つめた。 彼女の涙で潤んだ瞳を。
「・・・・少し、考えさせてください。」
キッスは目にして 前編
突然の悠理の言葉に呆然とする仲間たちだったが、清四郎は腕を組み検討に入った。 「お、おい・・・悠理、清四郎・・・」 正気を疑った魅録が喘ぐように声をかけたが、清四郎はこれ以上ないほど冷静な顔を悠理に向けた。 「なるほど、事情は推察できます。いいですよ、悠理。その話、お受けしましょう。」
「「「「ええええええ〜〜っっ!?」」」」
男女混合四人分の驚愕の叫びが聖プレジデント学園生徒会室に響き渡ったのは、その日学校を欠席した悠理が部室に飛び込んできた数十秒後。 なにしろ、扉を蹴り開けんばかりにして登場した悠理は、開口一番、プロポーズをかましたのだから。
「うるさいですねぇ。耳元で叫ばないでくださいよ。」 いち早く指で耳栓していた清四郎が、仲間たちを諌める。 「清四郎ちゃ〜ん、ありがとーーー!!」 椅子に座った清四郎の背中に、悠理が飛びつくように抱きついた。 悠理の振袖が、バサリとテーブルを打つ。これまた予測していた清四郎が、一瞬早くコーヒーの入ったマグを避難させた。
「あああ、あんたたち、いつから・・・!!」 白目を剥いて可憐はふたりを指差し。 「いつからもなにも、付き合ってなんかなかったよね?」 美童は己のアイデンティティにかかわるとばかりに蒼ざめ。 「悠理、なんでいきなり結婚なんだ?!」 魅録は理解不能な化け物に変貌した友人に慄く。 「私たちはまだ高校生ですのよ!」 野梨子は真っ赤な顔を強張らせた。
興奮する仲間たちにまぁまぁと手を振って、清四郎は自分の首に抱きついている悠理に顔を向けた。 「法的には僕も悠理も十九なのですぐにでも結婚できますが。とりあえずは、婚約でいいですよね?」 悠理は涙を浮かべてこっくり頷く。 「うん・・・。」 ポッと頬を染める悠理の顔は、恥じらう乙女そのもの――――なんてことはなく。地獄に仏、とばかりに安堵の色を浮かべていた。
清四郎はその悠理の頭を軽く撫でて、抱擁を解かせる。そして、自分の隣の席にいつものように座らせ、手に持ったままのマグカップを悠理の前に置いた。 「とりあえず落ち着いて。これでも飲みなさい。」 涙ぐんだ悠理が鼻をすすって頷きカップを手に取ったところで、清四郎は仲間たちに顔を向けた。
「あなたがたも落ち着いてくださいよ。悠理の様子でわかりませんか?」 「「「「え?」」」」 「悠理は今日学校を休みましたよね。そして、振袖で登場だ。化粧までさせられている。これはどう見てもお見合いスタイルでしょう。」 清四郎の指摘で、皆はあらためて悠理の様子を見た。 豪奢な振袖。飾りの取れかけたくしゃくしゃに崩したと思しき髪。悲壮感漂うプロポーズ。
「・・・おば様に強制されたのね?」 「それで逃げて来たんだ。」 「でもどうしてそれで『また』清四郎と?」 仲間たちの言葉に、悠理は眉を下げた。 「今回は、母ちゃんだけじゃないんだ。父ちゃんも乗り気でさ。あたい、絶対、結婚させられちゃうよ・・・」 「そういうことですのね。『また』清四郎に白羽の矢が当たったのは、おば様とおじ様が納得する相手でなければならなかったからでしょう。」 「そんだけじゃなくて、こんなこと頼んでOKするのって、清四郎くらいじゃん。」 あっけらかんと悠理に言われ、清四郎は眉を寄せた。 しかし、反論はしない。 なにしろ、彼は前科持ちだ。以前も剣菱家の事情で悠理が結婚させられそうになったとき、清四郎は格好のお相手として彼女の両親に認められ、悠理と無理やり婚約しているのだから。 当の悠理の拒絶でご破算になったものの、剣菱家の後継者になることは、清四郎としてはやぶさかではない。 しかも、今度は悠理からの申し出だ。
悠理の選択は正しい。というより、他にはいない。 いくら友情に厚くても、魅録や美童は辞退するだろう。 そう。 今回の婚約も、ふたりの関係に恋愛要素はない。 恋愛未熟児悠理のプロポーズを受けたのは、情緒障害者清四郎。 こうして、ふたりは二度目の婚約期間に突入した。
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が。 「『また』清四郎くんだか?」 万作はポリポリと気のないそぶりで顎を掻いた。 「まぁ・・・でも、どうせ悠理に泣きつかれて婚約することにしたんでしょう?まったく困った子ねぇ。清四郎ちゃんも、わがままに付き合うことはないのよ。」 百合子も笑顔ではあるが、やんわりと諌める。
婚約報告をしたふたりは、剣菱夫妻の予想外の反応に顔を見合わせた。 「でも、父ちゃん母ちゃん!清四郎だったら、いいだろ?!」 「今度は、僕も自信があります。悠理の嫌がるような無理は強制しません。すべてお任せくださいとは言えませんが、剣菱財閥もいつか・・・」 清四郎の言葉を、万作は首を振って制した。 「いや、清四郎くんは前の時もしっかりやってくれただよ。おめに不満があるわけじゃねえだ。」 「ええ、清四郎ちゃんのお気持ちは嬉しいですが、悠理のお相手は決まっていますの。」 「は?」
清四郎のこめかみが引きつった。 「・・・僕よりもふさわしい人物ですか?」 高いプライドに引っかかり、顔面に影が下りる。 清四郎の隣で、悠理はビクリと身を強張らせた。
「今回は剣菱家の後継者を求めているわけではありませんのよ。悠理は、お嫁入りさせます。」 決定事項とばかりに言い切った百合子に、さすがの清四郎も悠理に同情する。 清四郎は隣に立つ悠理の手をそっと握った。小さな手は、冷たく湿っている。
「そうだよ。悠理は、王妃にさせるだ♪タリスカ王国だよ!あそこのマーテル王子と結婚させることで、クロワーゼ王妃と話がついただ!」 万作は嬉しそうに相好を崩した。クロワーゼは万作の初恋の君である。 以前は、王妃に嫉妬の炎(それも暗黒の)を燃やしていた百合子だったが、実際に会った彼女とはすぐに意気投合(王妃の肥満が最大の原因と思われるが)今では、万作よりも百合子の方が王妃と親しく付き合っている。それで、今回の話になった模様だ。 「金髪碧眼のハンサムな王子と悠理は(見た目は)お似合いよ♪きっと綺麗な子供が生まれるわ〜♪♪」 以前来日の際にはイケメンプリンスとして、週刊誌の紙面をにぎわせ日本中の女子をときめかせた王子が、本日お忍び来日し、この剣菱家に逗留中。 悠理はお見合いなどと思いもせず彼を歓待したものの、母たちの陰謀を突きつけられ、パニクって清四郎に泣きついたのだ。
なにしろ、今回は父母の夢とロマンが完全一致。 成金の剣菱家と、金欠王家の婚姻は、現実的な利害も一致。 悠理の意思など二の次三の次。
「悠理、マーテル王子に不満あるだか?あいつはクロワーゼに似て、性格良いべ。オラだって、おめに幸せになって欲しいだよ。」 父親の言葉に、悠理は涙声で叫ぶ。 「そりゃ王子はイイヤツだけど、あたい、結婚なんてヤダーー!!」 そして、ぎゅっと清四郎の手を握り締めた。 「どうせ結婚しなきゃいけないんだったら、清四郎とがいいーー!!」
この悠理の言葉には、両親のみならず清四郎も驚いた。 悠理は清四郎を見上げる。 涙がぽろりと丸い頬を転がり落ちた。 「おまえ、今度はあたいの嫌がるようなことしないって言ったもんな?」 「あ・・ええ、まぁ・・・レディ教育なんて、無理でしょうし。」 「だろ?」 悠理は再び両親に顔を向けた。 「王子の国は英語と独語が公用語なんだぜ!あたい、絶対そんなとこにお嫁に行くのヤダーーっっ!」
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「・・・まぁ、そんなこったろうとは思ってましたけどね。」 悠理の部屋で、清四郎はドサリとソファに沈み込んだ。 ネクタイを緩める。
「何が?」 「どうせ、僕と結婚しようと思ったのは、他に選択肢がないからでしょうって、言ったんですよ。」 清四郎が背後の悠理を振り返る。
「あ、あ、こっち見るな!ちょっとの間、前向いとけ!」 着物を脱ぎかけていた悠理は、慌てて前を合わせた。 しっかり華奢な半裸を目に焼きつけつつ、清四郎は言われた通り前を向いた。
シュルリバサリと、衣擦れの音。
清四郎は苦虫を噛み潰し、その音を聞いていた。 とりあえず、剣菱夫妻の野望を頓挫させることには成功した。 かつてのように娘の意思を踏みにじれば、人間国宝が出動することを思い出させたのだ。 清四郎にすれば不本意な脅しだ。 『あ、あなた方が本当に結婚の意志があるのなら、私はもちろん賛成しますわ!』 『オラも清四郎くんなら、異存はねぇだよ!ジジイの息子よりはよっぽどいいだ!』 と、剣菱夫妻は冷や汗をかきながら退散。 ふたりの婚約は、事実上公認された。 しかし、清四郎のプライドはもちろんいたく傷ついた。 悠理の単純な思惑は、予想のうちとはいえ。
「・・・振袖、ぐしゃぐしゃに放り出しとくんじゃありませんよ。」 「うん、すぐメイドに渡すよ。」 男が部屋にいるのに着替える悠理の無神経さに、清四郎はため息をつく。
悠理が清四郎を男として意識していないのは明らかだった。 だからこそ、結婚を申し込んだのだろう。 清四郎となら、これまでの友人関係のまま楽しく過ごせる――――という彼女の思惑は、彼にとっても願ったり叶ったり。
悠理ごとき、簡単に思い通りにできる――――という、彼の傲慢は、前回雲海和尚の手を借りた悠理自身に粉砕されてはいるが。 悠理と結婚して剣菱の実験を握る、という野望は、いまだに清四郎にとって魅力的だった。 どうせ、有閑倶楽部の面々とはこれからも長く付き合っていくことだろう。ふたりの関係性はこれまでの延長。トラブルメーカーの彼女と過ごす人生は、退屈知らずでおもしろそうだ。
しかし。 清四郎は恋愛不要論者であるが、女に興味がないわけではない。 そこが悠理とは決定的に違う。 いずれ結婚する以上、悠理にも清四郎が男であると認識させなければなるまい。 健康な男として、若くして禁欲生活を送る気など、彼はサラサラないのだから。
「悠理、ひとつ言っておきますが・・・」 清四郎はもう一度悠理を振り返った。 確信犯的行動だったが、すでに悠理は普段着に着替え終わっていた。 「なに?」 ショートパンツにモヘアのセーター。男の子のようなすんなり伸びた素足が眩しい。 「あのですねぇ・・・・」 清四郎は悠理の脚を見ながら、ゆっくりと立ち上がった。 「悠理は僕と結婚するんですよね?」 「うん。」 「じゃ、初夜に殴られるのは僕も避けたいので、おいおい慣らしていくとしますか。」 「うん?」 小首を傾げた悠理の肩に清四郎は左手を置く。 そして右手は、悠理の顎にかけた。 「???」 悠理の顔に清四郎の影がかかる。 「!!」 彼女の無垢な唇に清四郎が顔を近づけた時。 この期に及んで、ようやく悠理も清四郎の意図に気づいたようだ。 清四郎の顔がぐっと上を向いた。悠理が両手で清四郎の顎を持ち上げたのだ。
「・・・・・・。」 「・・・・・・。」
至近距離で向かい合うふたりの間を、白々しい空気が流れた。 妙な緊迫感に耐えられなくなったのは悠理だ。 「おまえなっ、なに考えてんだよ!」 「何って、婚約者なんだから、キスぐらいして当然でしょうが。」 「げえっ!前の時はそんなこと言わなかったじゃんか!」 「前の時は、僕も余裕や余暇がありませんでしたからね。しかし“げぇ”は酷くないですか?」 「余裕余暇でキスされてたまるか!」 どっちが酷いかは微妙ながら。 今回の婚約も、ふたりの認識にはズレがあった。
「せっかく、おばさんやおじさんは静観してくれることになったのに、これではとても婚約者として認めてもらえませんよ。そんな調子で部屋を同室に、ってことになったらどうするんです?」 「別にあたいはおまえと同室でもかまわないけど、今回はその必要ないじゃんか。すぐ剣菱の仕事をするわけじゃないし、結婚するったって、数年後だろ。」 そうなのだ。 悠理にすれば、今回の婚約は目前に迫っていた危機回避のための避難策に過ぎない。彼女だとて、清四郎とは本当に結婚するつもりのようだが、それは数年後。今後永続的に、両親から見合いや嫁入りを強要されないため清四郎という婚約者の存在を必要としているに過ぎない。 「同室でもかまわない、ですか・・・」 清四郎は大きくため息をついた。 「あのね、おまえは全然わかっていないようだから、一度言わなければならないと思っていました。いい機会だから、教えてあげます。これまで僕たちは友達でしたが、婚約したということはいつか結婚するということです。そして、結婚というのは、男女の・・・」 コンコン と、清四郎の言葉を遮るように部屋の扉がノックされた。 「はーい。」 悠理が返事をして扉を開けた。が。 扉の向こうの人物が誰かわかるなり、悠理はぴゅんと清四郎の元に戻り、背中に隠れる。 「・・・こんばんは、悠理、清四郎。」 艶やかな短い金髪。洗練された気品と美貌。穏やかな眼差し。 「随分と僕は嫌われてしまったようですね。」 流暢な日本語で挨拶したあと、マーテル王子は悠理の態度に苦笑した。
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背景:イラそよ様