”天才”と言われた万作氏に対し、現在実質的に剣菱財閥のトップとなっている娘婿清四郎氏は、経済界において”怪物”と言われて久しい。

それは彼が初めて経営に参画し周囲を瞠目させた高校時代以来の、密かなあだ名であった。

 

 

 

 ラブ・ファントム   前篇

 

 

 

「・・・もろびと、こぞりて〜♪」

可憐は場内に流れるBGMにあわせて、小さく口ずさんだ。

らしくなく壁の花と化している自分を嗤うつもりはない。師走のあわただしさに追われたここ数日ではめずらしく、リラックスした気分だったのだ。

 

剣菱家恒例のクリスマス晩餐会。

まだ肩書きは会長職であるものの、万作氏が表舞台にほとんど登場しなくなり実質的代替わりが進んだ昨今。それは格式の高い会に変貌した。

ざっくばらんなパーティから、肩の凝る席へ。

まぁ、とはいっても。

剣菱家の派手で悪趣味な屋敷の装飾をこれでもかと飾りつけたクリスマスパーティだ。電飾輝く庭を見下ろしながら、温かな大広間で人々は笑いさざめく。

 

「あの子もなんのかんので、やるときはやるわよね。清四郎が居ない方が、盛況じゃないの・・・。」

可憐はグラスを傾けながら、政財界の大立者に囲まれ談笑する悠理を見守っていた。

 

 

この日、天候不順のせいもあり海外出張からの便が遅れ、開宴となっても清四郎と豊作が会場に姿を見せなかった。今夜は急遽、女主である悠理がホステスとなったのだ。

万作氏を彷彿とさせる彼女の明るいキャラクターと温かな人柄を反映して、今夜の席は賑やかで楽しいものとなった。

 

「野梨子たちも、来れば良かったのに。」

清四郎の代になってすっかり堅苦しい会となってしまい、海外在住の美童は仕方ないとしても、友人たちで出席しているのは、可憐だけ。もちろん夫婦ともに名士である招待客の松竹梅夫妻の欠席理由は、野梨子の体調不良で、意図してのものではないのだが。

可憐がクリスマスイブに恋人とふたりきりで過ごす習慣がなくなって久しい。毎年、営業でこの晩餐会に出席しているのだ。昨年離婚してからは、ひとりきりで。

可憐は小さくため息をつく。

パーティが盛況なのとは反対に、可憐の勤労意欲は失せていた。

 

つい先日おめでたが発覚して、幸福の絶頂にいる野梨子。なんのかんのでしっかり女主人として場を取り仕切っている悠理。

あいかわらずの奇抜なファッションも、輝くばかりの悠理の美しさを損ないはしない。華やかな個性は人を惹きつけて魅せる。

らしくなく壁の花と化していると、友人の輝きが目に痛かった。

 

「・・・・・怪物氏は、姿を見せませんな。」

「娘婿、といっても、夫婦仲はよろしくないようでしてよ。」

 

友人に関する下世話な噂話も耳に入って来た。可憐は苦笑する。

腐れ縁を自称している友人たちの関係は、昔なじみの仲間達はともかく、周囲の目には随分奇異に見えることだろう。

 

「いくら政略結婚といっても、離婚までされたようですよ。外聞の悪いことですわね。」

「剣菱の後継者として会長に見出されても、娘に嫌われては、ねぇ。」

「怪物の名をほしいままにしている万能青年も、あの美しいじゃじゃ馬は乗りこなせないとは。愉快なもんだ。」

 

清四郎が剣菱に入ったのは、悠理の友人であったからなのだが。政略結婚であったことも事実。

 実のところ、目下友人達は二度目の離婚中。噂話を否定することはできない。

 

――――政略結婚、腐れ縁、愛のない結婚。

 

それは、そのまま、彼らふたりが何年来口にしていた言葉であったのだし。

だけど。

悠理が少し前から、その言葉を口にしなくなっていることに、可憐は気づいていた。

 

 

*****

 

 

悠理が窓際の可憐に気づき、笑顔で駆け寄って来た。

「可憐!食ってるかぁ?」

頭には白い縁取りのついた赤い帽子。ドレスも揃いの赤。肘までの手袋とストッキングは緑。

つまりは完璧なクリスマスカラーだったが、全身に銀色の星が散りばめてあっても彼女らしく愛らしく、不思議なことにその場の女主人たる威厳はいささかも損なわれていなかった。

ナチュラルメイクにもかかわらず、くっきりとしたアイラインとピンクの唇。紅潮した頬が、年齢以上に彼女を若々しく見せているのに。

 

「・・・あんた、変わったわよねぇ・・・。」

思わず可憐は呟いていた。

悠理は変わった。ここのところ、急に。

 

「ふぇ?今日の料理は剣菱ホテルのシェフが出張してきてるんでいつもよか美味いぞ!食いっぱぐれるなよ〜!」

悠理は可憐にそう言いながら、近場のテーブルから自分も皿をひょいとつかんでいる。

「・・・まぁ、あいかわらずなところもあるけど・・・。」

「なに?」

顔にクエスチョンマークを貼り付けている友人に、可憐はウインク。

「それで、清四郎とはいつ復縁するの?」

そう問うと、悠理はグッと喉を詰めた。

「さっきもそこで噂になってたわよ〜。」

可憐はクスクス笑いながら、悠理の反応を楽しんだ。

悠理は大きな目をぐるぐる回し、眉を上げたり下げたり。しばらく一人百面相を繰り広げていたが。

可憐の視線に気づくと、ムッと可憐の手からグラスを奪い取った。クイと勢いよくあおって空ける。口内の食物をそれで喉から食道に無理やり流し込んだ。

「・・・ど、どんな噂だよ!」

「あら、復縁は否定しないんだ。」

アルコールに強いはずの悠理は、シャンパンにむせてゴホゴホ肩を揺すっている。まだ咳きつきながら、無理やりにチキンをつかんで齧り付いた。やっぱり口を再び封じたいらしい。

 

このところ、悠理はすぐに挙動不審に陥る。腐れ縁のはずの彼との仲を問うだけで。

悠理と清四郎の最初の婚約から10年。結婚し夫婦となってからでももう随分経つ。

それなのに、悠理にとって清四郎が腐れ縁の悪友以外のものであると、本人が気づいたのはごく最近のことらしい。

その間、四度の婚約破棄と二度の離婚を繰り返し、噂を否定できない迷走っぷり。

 

悠理の鈍さも恋愛指数の低さも重々承知とはいえ、可憐も呆れ顔を隠せない。

「・・・噂はね、外野が的外れな邪推をしてるだけ。」

それでも、焦り顔の友人をそれ以上からかうことはせず、可憐は悠理のために話を逸らした。

「それにしても、清四郎のあだ名が“怪物”だなんて、知らなかったわ。」

悠理はほっと息をついた。可憐が復縁の件を突っ込んでこないことに、あからさまに安堵している。

「あいつが知ってっかどうかはともかく、うちの社内でも昔から言われてるよ。清四郎は寝ない食わない、なんてな。同時に二箇所以上で見たなんていう奴まで出たせいでドッペルゲンカーだとかなんとか、すっかり都市伝説扱いだぜ。」

「八面六臂の活躍がしのばれるわね。あの若さで剣菱背負って立ってんだもの。ああいう性格だから敵も多いだろうし、怪物呼ばわりも納得かも。”天才”は褒め言葉だけど、”怪物クン”は微妙ですもんねぇ・・・」

 

長年の友人の傲慢不遜な表情が脳裏に浮かぶ。

端整な顔立ちの中で印象的な意志の強い黒い瞳がもっとも輝くのは、慇懃な笑みを浮かべた唇が、酷薄な言葉を吐き出す時だ。

 

「清四郎は確かに天才というより秀才っぽく見えるけれど、学生時代から実業界にいるんだから立派に”天才少年現る”なんて言われてもおかしくないのにね。完璧主義であちらこちらに首を突っ込むから嫌われてるんじゃない?」

「父ちゃんは反対に、いつも畑にいるのにいつ仕事してんだろ、なんて言われてたんだから、対照的だよな。」

「人間性の差かしら。思えばつくづく、おじさんって偉大だったのねぇ。大変そうに見えない方が凄いもの。」

 

「・・・人間性に問題があって、悪かったですな。」

突然、背後よりかかった声に、女ふたりは飛び上がらんばかりに驚かされた。

壁際のふたりの背後といえば、バルコニーへ出る窓があるだけだ。その窓辺のカーテンの陰に男が立っていたことなど、まったく気づきもしていなかった。

 

「せ、せ、せ、清四郎っ・・・」

瞬間湯沸かし器のように悠理が顔を染める。

悠理は清四郎の顔を見ると、赤面するようになった。それはまるで、初恋を知ったばかりの少女のように。

 

「いつからそこで聞いてたのよ。悪趣味な男ね!」

可憐の非難に、清四郎は口の端を引き上げて笑みを浮かべた。

「大急ぎで帰ってきたら、思いのほか見事に悠理が仕切っていましたのでね。ここでゆっくり愉しませてもらってたんです。」

清四郎は右手のグラスを掲げる。

「残念なことに僕も普通の人間に過ぎませんから、たまには休息も必要なんですよ。」

「だーれが、普通よ。」

可憐は眉を寄せて肩を竦めた。

ここに居たということは、清四郎は『怪物』呼ばわりで悠理との仲を嘲笑された口さがない噂話も聞いていたに違いない。

 

いつものように感情の読み取れない余裕の笑顔。

清四郎は驚くほど変わらない。

もともとが老け顔であったこともあるが、高校時代に部室で悠理をからかっていた頃の彼と、見た目の印象もそのままだ。

 

「悠理の威勢の良い開演スピーチも聞かせてもらいました。よくやりましたね。見直しましたよ。」

「・・・そんな早くに着いてたんだったら、手伝えよ。」

褒められているのに、悠理はバツが悪そうにそっぽを向いた。

「僕の力なんて必要なかったろう?招待客もいつもより楽しんでいるようだし、これからパーティはおまえに仕切ってもらった方が良さそうだな。」

悠理は手に持っていた皿をテーブルに置く。がっついていた割には、彼女らしからず。皿にはまだ料理が残っていた。

清四郎の視線を避けるようにわずかに俯いている彼女は、蛇に睨まれた蛙。

それもまた、昔からの見慣れた姿ではあったのだけど。

 

「おや、悠理。褒めたところですが、また豪快下品に食物摂取しましたね?口の周りが汚れていますよ。」

「ん?」

先ほどまでチキンを咥えていた悠理の口元がピンクに光っているのは、口紅の色ではなく、料理油のようだ。

「あら、ほんと。一緒に化粧直しに行きましょうか。」

可憐はハンドバックからハンカチを取り出し、悠理に渡した。悠理は受け取り口にあてて踵を返そうとしたが。

清四郎が悠理の腕をつかんで引き止めた。

「いや、悠理は僕と行きます。」

「え?女子化粧室に?!」

「何を馬鹿言ってるんですか、可憐。ちょっと悠理と打ち合わせたいこともあるので、一度部屋に一緒に戻りますよ。」

二人の部屋は、大広間からさして離れていない。バルコニーから出ても向かいの棟だ。

「すぐ、戻りますので。」

清四郎は悠理の腕を取ったまま、ニッコリ可憐に笑みを向けた。

悠理は問答無用で引っ張られていく。

他の客に気づかれないようにか、バルコニーから出て行く清四郎と悠理の後姿を、可憐はため息をつきつつ見送った。

連行されるペットと飼い主。そんなふたりの姿は見慣れているとはいえ。

 

「・・・相変わらず喰えない奴だわ。悠理が可哀想になってくるわねぇ・・・。」

 

誰の目にも明らかなほど、悠理は恋をしているのに。

出逢って四半世紀は経とうという、幼馴染の元夫に、いまさらに。

 

 

*****

 

  

「おい、いーかげん放せよっ」

自室に入り戸を閉めたところで、悠理は清四郎に掴まれていた腕を振り払った。

ぷい、としかめっ面を逸らせる悠理に、清四郎は肩を竦める。

「さっきまでの見事な女主人ぶりに感心していたのに、僕には無作法なままですか。」

清四郎は悠理の手から可憐のハンカチを取った。

「こっち向いて。」

逃げる暇もなく、清四郎は悠理の頬に手をあて口元をハンカチで拭う。

「んっ・・・・」

ゆっくりと優しく、白いレースの布が悠理の肌を撫でた。

「ほら、綺麗になった。」

清四郎は悠理の顔を覗き込んで、微笑した。

 

柔らかな布の触れたむき出しの唇が震える。

彼の触れている頬が、熱を持つ。

 

「口紅だけでいいかな。」

清四郎が悠理の頬から手を放して鏡台を振り返ったので、悠理はやっと彼から離れた。

彼に触れられると、体が凝固してしまう。

「自分でやるから、いいよ。」

悠理は清四郎の横をすり抜け鏡台に駆け寄り、引き出しを開けて口紅を探す。

淡いオレンジの口紅を見つけて手に取ったところで、その手が大きな掌に包まれた。清四郎が背後から手を伸ばしたのだと気づいた瞬間、鏡台の鏡が目に入った。

 

鏡に映っているのは、真っ赤に頬を染めた女と、背後から彼女を抱きしめるように覆いかぶさる男の姿。

同時に背中がぬくもりに包まれる。

 

「・・・悠理。」

 

清四郎は鏡の中の悠理の顔を見つめながら、目を細めた。

「今日は本当に、驚きましたよ。」

清四郎は右手を悠理に重ねたまま、左手で悠理の帽子を取る。紅い帽子は鏡台の上にポンと置かれた。

 

左手はそのまま、悠理の髪を梳き撫でる。大きな手はゆっくりと髪から離れて耳から頬を滑り落ちる。首筋と鎖骨を指先はわずかに辿り、ベルベットのドレスの感触を愉しんでから、悠理の胸の下に落ち着いた。

 

ぐ、と軽く抱き寄せられるだけで、体が密着する。

 

ドレスの上から添えられた手には力が入っていないのに、ひどく苦しかった。まるで、心臓を直接掴まれているようで。

ドクドクと鼓動が耳を打つ。その落ち着かない鼓動すら、清四郎の手の中で跳ねる。

 

 

清四郎は身をかがめ、悠理の耳を唇に含んだ。

「熱いな・・・。」

清四郎の手がゆっくりと服の上から胸を掬い上げる。

「なんだか妙な気分だ。処女に悪戯しているみたいで。」

極限まで真っ赤になった耳を甘く噛みながら、清四郎はクスクス笑った。

「長年、羞恥心のかけらも見せなかったくせに。なんだってそんなに初々しくなってしまったんですか?」

 

抱きしめられていると、彼の触れたところから、体が溶けそうになる。

足が震えた。

怯えに似た感情に襲われ、胸が締め付けられる。

それなのに、ゆるく回されたにすぎない腕の中から、悠理は逃れることができない。身動きもままならない。

 

「さっきまでは、政財界のお歴々を前にして一歩も引いていなかったおまえが、どうしてそんな怯えた顔をしているんですか?まさか、僕が怖いのか?」

 

問いかけながら、答えを期待していないのか。清四郎は悠理の顎を持ち上げ、覆いかぶさるように唇を寄せる。

ほんの数センチの触れそうな距離で、彼は満足そうな息をついた。

 

「まさか、おまえがこんなに可愛い女に変わるとはな。キスするだけで殴られていた頃が嘘のようですよ。」

 

軽くついばむように唇が触れ。

やがて深く合わせる。吐息が絡み、奪われる。

慣らされてしまった、悠理にとってはそれしか知らない、彼の口付け。

頭の芯が痺れ、快感の電流が体の内側を走った。

 

触れたところから、溶けてしまいそうになる。すべて彼に奪われ、自分の存在が消えてしまいそうになる。

それでもいいような気さえする。

 

唇が離れても、悠理の意識は眩んだまま。

 

「・・・ここもずいぶん育ちましたよね。僕好みの感触だ。」

大きな手が服の上から胸を揉む。

それすらも慣らされた手順。

ノックするように悠理の胸の先を突く意地悪な指。

厚い生地の上からでも、くすぐられた先端が疼いた。

 

「期待していなかった社交もね。今日は良くできました。」

清四郎は愉快気に笑うと、悠理の唇にもう一度キスを落とし、わずかに身を離した。

「・・あ・・。」

力の抜けていた悠理の体がグラリと傾ぐ。

崩れ落ちる前に片手で支え、清四郎は片目を瞑った。

「これ以上はまずいでしょう、客が待っている。続きは後でたっぷりと、ね。」

 

清四郎は悠理の腰に左手を回し、バルコニーへ誘った。

「さぁ、そろそろパーティに戻りましょうか。」

いつの間にか清四郎の手の中には、オレンジのリップ。指に挟んで手品を見せるように悠理に差し出す。

それを見て、ようやく悠理はここに来た理由を思い出した。

「う、打合せ・・・は、いいのかよ。」

「おや、本当に打合せをしますか?」

清四郎は思わせぶりに口の端を上げた。

「僕たちの、今後のことを。」

 

清四郎が悠理に復縁を迫るのは、それこそ毎日のように。

籍を入れていようがいまいが、剣菱の中で清四郎の地位はもう揺るぎようがない。

口さがない外野の噂など、気にする彼でもない。 

「新年の挨拶とともに、復縁披露なんてどうです?」

それでも清四郎は復縁を望み、悠理を妻という名の所有物にしようとする。

そんなことをしなくても、悠理は彼のものなのに。

捕らわれてしまっているのに。

 

部屋から中庭に通じる扉を清四郎は開けたが、悠理は動かなかった。

12月の寒さに自分の肩を抱きしめる。

「悠理?」

立ち止まった悠理に、怪訝顔で清四郎は振り返った。

悠理は俯いて、小さく呟く。

 

「怖い・・・よ。」

 

やっと押し出した悠理の声は震えていた。

それは、”僕が怖いか”と問いかけた彼への答え。

 

「は?いまさら結婚が、ですか?」

 

四度の婚約破棄、二度の離婚。

いつだって、悠理から言い出した。

売り言葉に買い言葉で喧嘩はしても、彼の方から彼女と別れようとしたことはない。

 

自分に伸ばされた清四郎の手が体に触れる前に、悠理は咄嗟に振り払った。

清四郎は驚いたように悠理の顔を見つめている。

清四郎は当然のことだと思っているのだ。いつまでも、悠理が彼の手の中にいるものと。

 

「あたい、おまえと一緒にいると苦しい・・・!」

 

――――変えられてしまうのが怖い。彼の思い通りに。

 

「馬鹿なのは前からだけど、何も考えられなくなる・・・・」

 

――――自分を見失ってしまいそうで。

 

「おまえといると、息ができないんだ!」

 

ずっと、怖かった。

彼を失うことをではなく。

 

最初から悠理は手に入れてなどいないから。

何かを成し遂げた自信も、愛されている確信も。

清四郎にとってペットやオモチャにすぎない自分をわかっていたから。

 

 

清四郎はあっけに取られた顔で、悠理をしばし見つめていた。

ふう、と小さくひとつため息をつき。

しごく真面目な顔で、清四郎は呟いた。

 

 

「・・・それは、おまえが僕に惚れているからですよ。」

 

 

その言葉で、悠理の頭に血が上った。

彼は嘲笑したわけではないのに。

 

「この・・・・っ」

 

 

――――この男は、怪物だ。

何年も何年もかけて、悠理をここまで追い込んだ。

変わりたくなかったのに。彼は変わっていないのに。

恋なんて、したくなかったのに。

 

「・・・っ」

 

悠理は絶句して二の句が告げない。罵倒の言葉すら。

 

――――愛しているから愛されたい。同じ強さで。

そうと気づいてからは、息をするのも苦しいほど。

こんなに近くに居るのに、一方通行の、想い。

 

「う・・・・」

 

――――泣きたくない。涙を見せたくない。

こんな不毛な片思いをこれ以上晒したくはない。

それなのに、悠理の惰弱な涙腺は意思に反して緩み、鼻の奥がつんとする。

視界がかすみ揺らいだ。

 

その時。

 

 

「?!」

 

いきなり、目が見えなくなった。暗闇だけが視界に広がる。

 

「停電か?」

 

清四郎の怪訝な声音で、悠理の視界だけでなく、本当に電気が消えたのだと気がついた。

部屋の中だけでない。窓の向こうの大広間の灯かりも消え、庭の電飾もすべて消えている。

屋敷の電源が落ちたのだ。

  

暗い部屋の中で清四郎の腕時計が光っている。

「・・・おかしいですね。すぐに補助電源が作動するはずなんですが。」

 

小さな中庭を隔てた広間で、来客たちの困惑するざわめきが聞こえた。

清四郎が携帯を取り出している。

「保安室に通じない。五代も豊作さんも通話中で出ない・・・。」

闇の中で、悠理は清四郎に腕を掴まれた。

 

「行こう、悠理。非常事態です!」

「し、侵入者か?!」

「おそらくは。来客は要人ばかりだ。」

 

目が慣れて来ると、闇の中でもお互いの姿が見えた。

ふたりは顔を見合わせる。

 

「中庭には人気はなさそうだ。侵入はこちらからではないだろう。僕は母屋の方に回りますので、悠理は・・・」

「わかった、バルコニーを確保するよ。可憐や客を逃がさなきゃ。」

清四郎は頷く。

それ以上、言葉はいらなかった。

何度も修羅場をくぐって来たのだ。

 

 

ふたりが、六人の中の二人に過ぎなかった頃も。

ふたりが、時にもつれ絡んだふたりだけの人生を始めてからも。

 

 

 

 

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