プレイバックPART1

〜逢えない夜編〜



前編

 

 

TELLLLLLL・・・・・

 

清四郎は携帯を顎に挟み、ネクタイを緩める。

むなしく部屋に響いているだろう呼び出し音に、口の端が我知らず歪んだ。

 

ホテル最上階からの夜景は見事だ。

剣菱系列のホテルでは、本部役員が泊まる際は、スィートが無駄に用意される。

出張の夜眠るだけの部屋に、豪奢さは必要ないにかかかわらず。

 

夜景を眺めながら、清四郎はネクタイを取りワイシャツを脱いだ。疲れた男の顔が窓に映っている。

 

――――悠理と連絡が取りたければ、携帯に電話すればいい。

だけど、清四郎は自宅の彼らの部屋の呼び出し音を鳴らしていた。

 

まだ、“彼らの部屋”のはずだ。

離婚したとはいえ、かつて悠理の部屋であったあの部屋から、清四郎は出て行くつもりはさらさらなかった。

 『・・・・ふぁーい』

清四郎が諦めかけたとき、呼び出し音が途切れ、面倒そうな悠理の声が応えた。

「おや、居たんですか。金曜の夜だから、てっきり遊びに出かけてるのだと思ってましたよ」

『やっぱり清四郎かよ。しつっこいから、そうだと思ってた』

「何してたんですか?」

『食堂にオヤツ取りに行ってた』いつも通りの悠理の声に、先ほどとはニュアンスの違う笑みが漏れた。

 

 彼らが離婚して数ヶ月。悠理に崇拝者ができた。

清四郎との過去を知りつつ、彼女に献身的に愛を捧げる、物好きな男。

しかし、相変わらず猿で犬で食欲にしか興味のない悠理には、愛の言葉も馬の耳に念仏。

そんな悠理を誰よりも理解していると自負しているものの、清四郎は安堵の吐息を噛み殺す。

 『せーしろ、おまえこそ何してるんだ?』

電話の向こうで、シャリシャリ何かを齧る音がする。

「僕は今さっき会議が終わってホテルに戻ったところです。これから風呂でも浴びますよ。おまえは風呂は?」

『夕方、プールで泳いでシャワー浴びたから、今日は入らない』

携帯を顎で支え、両手でベルトを外しながら、清四郎はバスルームに向かった。

スィートルームの広いバスタブに湯を張る。シャワーでは疲れは取れない。

こんな夜は、風呂が一番だ。本当は、悠理と共に入りたいところだ。

家に居るときは、一緒に入るのが彼らの習慣だった。

 

 

「今夜の鍛錬は済みましたか?」

『ううん、まだ』

「じゃ、型だけでいいから、一通りしてみなさい。電話はモニターにして。呼吸音でわかるから」

『うん』

悠理は素直に電話をモニターに切り替えた。

 

結婚以来のもうひとつの習慣。

清四郎は雲海和尚から師範免状を得て、悠理が望むままにきちんと稽古をつけてやっている。

地道な日々の鍛錬など性格的に好まない悠理だが、遊び半分の組み手から始まって、今では鍛錬を習慣付けることに成功した。

清四郎はペット調教師でも食っていけるな、と自画自賛。

根気良く子供のころから躾けてやれば、悠理のあの学生時代の勉強嫌いもなんとかできたかも――――と、一瞬考えたが“無理。”と結論付けて無駄な思考は放棄した。

 衣擦れと鋭い呼吸音に耳を傾けながら、清四郎は自分も悠理と呼吸を合わせた。

清四郎程になれば、型を取らなくても呼吸法で鍛錬ができる。

 悠理の荒い息。頬を伝う汗が見える気がした。

速まる心音も重ね合わせ。少しセックスに似ている――――などと、馬鹿な連想をする自分を笑った。

 

 「・・・・やっぱり、テレビ電話が必要ですな。今度家の電話を換えましょうか」

『やだよ。おまえ、あーだこーだ煩く指示しそうだもん』

悠理はハァハァ息を切らせている。

「汗をかいたでしょう。風呂に入ってくれば?」

『うん、そうしよっかな』

「僕もこれから入ります。風呂場の電話に掛けなおしますよ。一緒に入っている気分を味わいましょう」

『・・・!!』

ガシャン。

否も応もなく、いきなり電話は叩き切られた。

 

「なんですかねー・・・いまさら、照れもしないくせに」

清四郎はもう通じていない電話に毒づき、全裸になった。

ゆっくりと広いバスタブに身を沈める。目前には高層階からの夜景が広がる。

贅沢な空間だが、ここに彼女のいないことが、どうにも物足りなかった。

 

 彼らの結婚は打算に満ちたものであり、その関係は腐れ縁の延長に過ぎない――――はず。

それでも、悠理の柔らかな体を抱きしめ、温かな湯に浸る時間は、何物にも代えがたい寛ぎの時間だった。

 

初めて肌を重ねた、結婚式の翌朝。

嘘つきだの、腰が痛いの、ギャーギャー煩い悠理を抱き上げ、湯に浸かった。

丹念に隅々まで洗ってやると、破瓜の痛みに痺れていた体が甘くほぐれた。

それ以降、開けっぴろげな性格の悠理が、娘らしく初々しい羞恥心を示した記憶はない。彼が痴態を強要しない限りは。 

両腕を伸ばし輪を作る。波打つ水面に、腕の中にすっぽりと収まる白い体を思った。

 背後から抱きしめ柔らかく胸をもんでやると、上気したピンクの可い乳首が立ち上がる。掌でゆっくり引き締まった体を撫で上げ、指でくすぐる。

そうしてやるとようやく、悠理の吐息に甘い色が混じるのだ。

潤む瞳が口づけをねだり、応えて舌を絡めると、猫のように喉を鳴らす。

 ――――ちゃぷりと湯が波打ち、清四郎は苦笑を落とした。

 疲れたときほど、癒しが欲しくなるものだ。

身のうちに熱が篭る。冷ましたくて、清四郎はシャワーのコックを捻った。

 “清四郎のスケベ!洗うなら、ちゃんと洗ってよ。”

金色の産毛に弾かれるシャワーの水流。滑らかな肌を撫でる細かな水滴。

ほんの少しの刺激にも敏感に震え、甘い声を上げる悠理。

意地悪心を刺激され、焦らしてやると、怒って頬をふくらませ、清四郎の髪をつかむ。

彼女が乱すの黒髪。清四郎の体や髪を洗うのは、彼女も嫌がらない。

シャボンと共に彼女の小さな手が胸板や背中を這うのは、心地よい陶酔をもたらす。

手をつかんで熱を帯びた箇所を握らせてやると、火傷でもしたように焦る反応が、可愛くて。

日頃はサバサバと羞恥心のない悠理が、時折見せるそんな顔がたまらない。

無意識の媚態。清四郎しか知らない、彼女の顔。

  ――――悠理の声と肢体が、脳裏から去らない。

シャワーの水流は、猛りそそり立とうとする欲望を鎮火してはくれなかった。

 

「・・・ちっ」

清四郎はタイルに手をつきシャワーの水流に身を預けながら、舌打ちした。

どうすればこの熱が収まるのか、わからない。清四郎は独り寝をしようとも、己で慰めたことはないのだ。

自分では、ストイックな人間だと思っている。

実際、享楽的な友人達とは違い、ゲイの噂が立つほど対外的にも堅物で通ってきた。

悠理との最初の婚約がまだ高校在学中の十代だったからと言って、もちろん、他に女を知らないわけではない。

何度も繰り返した婚約破棄の間も。

彼と彼女の関係に恋愛要素は微塵もなかったのだから、裏切りの意識はなかった。

結婚してからは、剣菱家の婿であるから当然浮気などしたことはないが。

義母にバレれば命の危機に陥るためだけでなく、興味がなかったのだ。

 

離婚してフリーになってからは、それこそ振るように誘惑はあれど――――悠理以外、欲しくない。

 

 

清四郎は洗面台に置いてある携帯を、まだ水滴をまとった腕で掴み取った。

剣菱家の内線を直接呼び出す。まず、自室とバスルーム。

応答がないことに苛立つ。

悠理は大浴場の方を使っているかも、と思い至り、そちらの番号を押した。

 

『ハイ、なんだがや?』

「!!」

 

受話器から聴こえる声に、きんぴか大浴場で鼻歌を歌う元義父の姿をありありと脳裏に描いてしまい、清四郎は反射的に電話を切った。

「・・・・しまった。切るんじゃなかった」

不審に思われ逆探知されるかも、と冷や汗が出た。

まぁ、言い訳はいくらでもできるが。

 

「・・・ふむ」

しかし、万作効果。清四郎はバスタオルで体をふきつつ、満足げに頷く。

なんらかの処置が必要なほど盛り上がっていた危険箇所が、見事に沈静していた。

 

 

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