紅葉狩りには、少しまだ早いと思ったけれど。

都心から1時間も走れば、山は鮮やかな彩りで装っていた。

「うわぁ、すごい景色だな!」

蛇行した山道の端で車を停め、外の空気を思いっきり吸い込む。

高い空に澄んだ空気。心躍る休日。

 

「・・・ここ、覚えていませんか?」

「え?」

 

紅葉の山々を眺めていた悠理の視線が、隣りに立つ友人に向かう。

清四郎は秋風に吹かれ、微笑していた。

いつもの、意地悪な笑みではない。少し、照れくさそうな、困ったような。

それは、遠いあの日の彼を、悠理にも思い出させた。

セピア色の、記憶の中の。

 

 

セピア

   〜前篇〜

 

 

 

『今週末、紅葉狩りに行きませんか。』

清四郎から電話があったときは、悠理はてっきり六人全員で行くのだと思っていた。

だけど、その朝剣菱家に迎えに来たのは魅録の4WDでなく、初めて見る新車のセダン。

「皆は?」

運転席から降りてきた清四郎に、悠理は首を傾げた。

「今日は、僕らだけですよ。嫌ですか?」

「うん?別に・・・」

清四郎と悠理がふたりだけで出かけるなど、東村寺への修行くらいしかなかったので、不思議には思ったものの。秋晴れの行楽日和、閑をもてあましていた悠理が、嫌なわけはない。

「この車、おっちゃんの?」

「いえ、僕のです。買ったんですよ。遠出は初めてなんですが、付き合ってもらえますか?」

「もっちろん!」

ピカピカの新車での、初ドライブだ。悠理はご機嫌で車に乗り込んだ。

 

清四郎にカーステレオに凝る趣味はないらしく新車で聴けるのはラジオだけだったが、悠理はしこたま持ち込んだオヤツを食べながらドライブを楽しんだ。

蛇行する山道にも、清四郎の運転に危なげがあるはずもなく。

彼が明確な目的を持って走っていたのだと気づいたのは、だけど、車が山道の半ばで停車してからだった。

 

その場所は、景勝地でもなんでもない、山の中腹。それでも、空気は澄み、紅葉が見事だ。

「ここって・・・・ひょっとして・・・・」

悠理は周囲を見回す。

清四郎は、はにかむように微笑んだ。

「ええ、そうですよ。僕らが救助された場所です。この道路で車に拾われて、助けられたんだ。」

悠理がその場所を正確に見覚えていたわけではなかった。

憶えていたのは、清四郎の笑顔。

まだ、友達になったばかりの、少年の日の。

 

 

 

*****

 

 

中三の初秋。

クラスの親睦ハイキングなるものを、校外学習の名目で行ったのは、悠理のクラスだけだった。

季節はずれの編入生のリクエストにより、学級会議で決めたのだ。

貸し切りバスにて山頂の牧場まで、ほんの数時間。クラス全員で主役たる編入生を囲んでの、優雅なランチ。その後、数時間は自由行動だが、夕方には帰路につく。

海外旅行慣れした学園生には、かえって新鮮なのかもしれないが。こんな子供じみたハイキングなど、本来悠理は無視を決め込みサボるタイプだ。

しかし、この時は逃げ損ねた。主役の編入生は、仲間となって間もない美童グランマニエだったし、この日の予定を決議した学級委員は、悠理自身と菊正宗清四郎だったのだから。

 

「では、二時間後に山頂カフェテリアで集合。それまでは、自由時間です。ただし、牧場の外には出ないでください。山には鹿や猿など野生動物がいますからね。特に北側は急斜面になっているので、柵から絶対に出ないように。」

委員長が自由時間を告げ、クラスメイト達は談笑しながら、牧場に散った。とはいっても、セレブ子息の彼らが、牛舎や羊の毛刈りに興味があるはずもなく。

ほとんどの生徒は牧場の中心に作られた森の木陰で、懇親を深めていた。もちろん、中心は美童だ。

 

悠理は、無意識に仲間の姿を探していた。

以前の悠理なら、間違いなく単独行。リュックに満載したオヤツを平らげ、木陰で昼寝を決め込んでいる。しかし、美童の編入を機に、学園内外で友人達と過ごす時間が増えて、悠理の意識も変わりつつあった。

そんな自分の変化が、ほんの少し腹立たしくも、面映い。

 

探すまでもない美童はともかく、いつも一緒の清四郎と野梨子も目立つので見つけ易いはずだった。

しかし、視界に入った幼馴染は、野梨子一人。野梨子は可憐に引っ張られ、売店へと向っている。強引で明るい可憐の誘いに、野梨子は苦笑を浮かべていた。

彼女もまた、悠理と同じく、これまでと違う自分に少し戸惑っているように見える。端から見ていると、素直に微笑ましかった。

野梨子とは10年同じ学園にいるが、彼女があんなに素の顔を見せた記憶はない。幼馴染の清四郎以外には。

 

その清四郎の姿は、解散を告げて以降、消えていた。

思わず彼の姿を探して視界を巡らせた悠理だったが、そんな自分の反応が恥ずかしくなった。

金魚のフン、と野梨子を揶揄したのは、10年前の自分だ。

いくらつるむようになったと言っても、四六時中一緒にいるわけではないし、そこまで馴れ合ってもいない。

正直、皆で居るのならまだしも、清四郎とふたりだけになるのは、まだ気詰まりなのだ。

堅苦しい優等生の顔は仮面だとすでに知っているけれど、油断のならない奴だという認識は、今でも変わっていない。

反目していた野梨子に対して以上に、彼を嫌い警戒し続けた悠理の本能は、ある意味正しかったのかもしれない。

 

悠理は久々に乗馬でもするかな、と一人厩舎に向った。

厩舎は北側の端にある。この牧場には、剣菱の持ち馬を数頭預けているはずだ。

広い牧場を突っ切り、クラスメイトの声も遠くなった時になって、悠理の視界に、相方の学級委員の姿が見えた。

「あ・・・菊正宗!」

さっきまで探していたから、つい声を掛けてしまったけれど。

悠理の声に振り返った彼は、一瞬、気まずそうな顔をした。

「?」

悠理は不審に思ったものの、清四郎にひらひらと片手を振ってみせる。

そのまま興味を失ったとばかりに、彼に背中を向け、厩舎に向って足を速めた。

背中に、清四郎の視線を感じる。

悠理の胸が、ドキドキと高鳴った。

建物の角を曲がるなり、悠理は壁に張り付いて、清四郎の方を伺う。悠理の本能が、何かあるぞと告げているのだ。

 

悠理の姿が消えたことを確認して、彼は踵を返した。

優等生の委員長は、自らが皆に禁じた柵に手を掛け、ひらりと飛び越える。

山の斜面を森の方へ降りてゆく清四郎の後姿に、悠理はニヤリとほくそ笑んだ。

気づかれないよう気をつけつつ、悠理は清四郎の後を追い始めた。

 

 

鬱蒼と木の茂った斜面を、清四郎は危なげなく下って行く。悠理も木に隠れながら森の中に入った。

柵が見えなくなって5分ほど下ったところで、清四郎は足を止めた。斜面は緩やかになっているが、彼が掴まっている張り出した枝の向こうは崖。これ以上は山を下りられなくなったのだ。

どうするのだろう、と悠理が木陰から覗いていると、細身ながら広い肩が、ひょいと振り返った。

「この山の猿は、物見高いようだな。」

ぎょ、とする悠理の方を、清四郎は正確に見つめている。

「何をたくらんでいるんでいるんですか、剣菱サン?」

口の端を上げた笑み。

最近、『悠理』と呼ぶことが多くなった清四郎がサン付けで苗字を呼ぶのは、悠理を揶揄している時だ。仲間となってからも長年の呼び方を変えないのは、悠理の方だから。

野梨子のことは名前で呼ぶことに慣れた悠理が、今も彼のことだけ苗字で呼ぶのは、どこかで馴れ合うことを拒否しているからなのかもしれない。

 

悠理は仕方なく木の陰から出た。

「たくらんでいるのは、そっちだろ!こんなところで何しようってんだ!」

「僕はただ、一人になりたかっただけだよ。」

清四郎は体操服のズボンに両手を入れて、肩を竦めた。

「あたいだって、一人でオヤツを食べられる場所を探してただけだい!」

悠理は背負ったままのリュックを下ろし、見せ付けるように握って前に突き出した。

 

その時だ。

「うわっ」

グイ、と引っ張られる感覚に、悠理の体が傾いだ。

「猿だっ!」

「え?・・・ぎゃっ!」

大きな猿が、悠理のリュックに飛びついたのだ。

奪われてなるか、と悠理も咄嗟に力を込める。踏みしめた足の下で、枯葉が滑った。

ヤバイ、と思った時には、体が宙に浮いていた。

 

「悠理、この馬鹿!」

清四郎が顔色を変えて駆け寄って来るのが見える。

数メートルの距離があったにもかかわらず、彼の手が悠理の腕を掴む感触。

引き寄せられ、視界から紅葉が消えた。

清四郎の胸に抱きしめられたのだ――――と気づいたが、足はまだ空を蹴っていた。

 

耳元で風が鳴った。

バサバサと打ち付ける葉。枝の折れる音。

そして、衝撃。

悠理の意識は、そこで途切れた。

 

 

*****

 

 

「悠理、悠理!」

頬をピタピタ叩かれ、悠理は目を開けた。

至近距離で、強張った顔の清四郎が悠理を見つめていた。

「?!」

悠理はガバリと身を起こす。

「良かった・・・怪我はないか?」

周囲を見回すと、森の中だった。

頭上を覆う枝越しに見上げた空は遠い。

「もしかして、あたいたち、あそこから落っこちた?」

はるか上空に、見覚えある枝の張り出した崖が見えた。

「運が良かったよ。まだ葉が散りきる前だったから、かなり木々がクッションになってくれたんだ。それでも、結構な衝撃で、僕もしばらく気を失っていたらしい。」

清四郎は体操服の袖をめくり上げ、腕時計に目をやった。

「集合時間に、委員が二人とも欠席とはね。」

「ええ!もうそんな時間か?!」

清四郎に顔を向けた悠理は、彼の姿に驚いて息を飲んだ。

「き、菊正宗・・・おまえ、ひょっとして、怪我してる?」

彼の白い上着には、血がついている。いつもはきちんと整えられた髪は葉と土にまみれ、頬には血が滲んでいた。

「小枝にやられた擦り傷ばかりなんで、大丈夫ですよ。地面も枯葉が積っていて、柔らかかったしね。」

清四郎は頬の傷を無造作に手で拭った。

服に覆われていない首や手など、むき出しの肌が裂傷だらけだ。

「あ・・・あたい・・・」

の、せいだろう、やっぱり。

彼が咄嗟に悠理を抱きかかえてくれたことを憶えている。

ショックで気を失ったとはいえ、悠理自身には傷ひとつなかった。

「あ・・・えと・・・・・」

ありがとう、と言おうとして、悠理の喉で言葉は詰まった。

意地っ張りで勝気な悠理だけど、感情表現はストレートだ。だけど、なぜかこの優等生の幼馴染には、素直な態度を見せることができないのだ。昔から、ずっと。

 

「・・・・さすがだよね。」

清四郎は腕を組んで、悠理に微笑を向けた。

「え?」

清四郎の視線を追って、悠理は自分の右手を見下ろした。

無意識で握り締めていたリュック。持ち手は片方千切られていたが、猿に奪われずにすんだらしい。

「あ・・・っと、オヤツ!」

思わず口に出したら、彼はプッと吹き出した。

笑われて、悠理の頬が熱を持つ。

悠理は清四郎から顔を逸らし、リュックをごそごそ探った。オヤツを食べるためではない。リュックに放り込んでいた携帯を思い出したのだ。

携帯を取り出し開いた悠理の手元に、清四郎も顔を寄せて覗き込む。

「電話は圏外でしょう?牧場も、建物の回り以外ダメだったから。」

「うん。仕方ねーな、あの崖を登って帰ろうぜ。」

「軽く言うねぇ。けど、どうやって?」

清四郎に言われて、悠理はあらためて崖を見上げた。

「げ・・・」

反り返った岩棚。まさに絶壁だった。頭上の木に登っても、まったく届きそうもない。

「まだ、山を下りる方が早いかも知れないよ。」

秋の高い空が、紅に染まっている。もう夕刻だ。つるべ落ちに日が暮れるまで、数刻もないだろう。

 

夕焼けに背を押されるように、ふたりは清四郎の提案通り山を下り始めた。

道などない急斜面を滑り降りるように進む。

子供の頃から万作に連れられ山歩きをしていた悠理には苦でもないし、清四郎も遅れずついてくる。

しかし、木々をぬって駆け下りながらちらりと見た彼の額には、汗が光っていた。野猿もかくや、枝から枝へ飛び移るように楽々下山する悠理とは対照的に、清四郎は息を荒げ、端整な顔を歪めている。

少し意外な気がした。

長い付き合いながら、最近知った意外な彼の側面。子供の頃のイメージのまま、ひ弱な優等生だとばかり思っていた清四郎は、今では武道の達人なのだ。

悠理が彼に優越感を感じることは、皆無といっていいのに。

 

20分も進まないうちに、とうとう陽が落ちて、足元も見えなくなった。ふたりの足は止まる。

「この山、バスで結構登って来たよな?そもそも、人家なんかあるのか?」

「北側を下りれば、展望ハイウェイが横切っているはずなんですがね。ハイウェイは夜間は閉鎖されるし、この暗さじゃ、これ以上うろつかない方がいいかもしれない。携帯のGPS機能は期待できないとしても、牧場付近から捜索を始めるだろうし。」

「おい!おまえが下りようって言ったんだぞ!」

「真冬のように凍死はなくても、朝晩はかなり冷え込むよ。数メートル標高が変わっただけで、気温が違うんだ。捜索隊を待つにしろ、自力で下りるにしろ、今夜は山中泊を覚悟しなければ。」

悠理は薄いシャツの上にジャージを羽織っただけの自分の体に両腕を回し、ぶるると身震いした。

「・・・山中泊ぅ?」

山の斜面を走り下りて来たため汗ばんでいる体に、じわりと日の落ちた山の冷気が滲みこんで来る。

清四郎は、すっかり夜空となった頭上を見上げた。

「運良く、天気は上々だ。雨でも降れば最悪だからね。」

澄んだ空気に、冴え冴えとした満点の星が目に痛い。

星明りでお互いの姿こそ見えるものの、周囲の木々はもう漆黒に覆われ、さすがにこれ以上下山するのは危険だった。

14の子供がふたり過ごすには、秋が深すぎる山。

明かりもテントもない。食料は悠理のリュック内の菓子だけ。

 

突然、ヒーッともキーッともつかない声が聴こえた。

「わっ!」

悠理は竦みあがった。

「きっと猿ですよ。」

清四郎にぎゅっと肩を抱かれ、初めて悠理は自分が彼の腕にしがみついたのだと気がついた。

「わ、わかってるよ!リュック狙われたらマズイって思っただけだ!」

悠理は清四郎から飛んで離れ、リュックを抱きしめた。

清四郎は手を口元に持ってゆき、笑みを押し殺している。

「?なんだよ。」

「いや・・・・ふたりきりの夜なんだな、と。」

悠理はぶっと吹き出した。

「へ、変な言い方すんな!」

「一人よりも二人で良かった、と言いたかったんです。」

なんだよ、こいつも心細かったのか、と、悠理は一瞬共感を覚えたのだが。

「気温が下がったら、体温で温めあえるよ。素肌で抱き合っていれば、寒さも感じないさ。」

ニヤリ。

「!!」

暗闇の中でも清四郎の笑みがしっかりと見え、悠理は無言で数メートル飛びのいた。

この男のそばより、夜の森の方がよほど安全に思えるのは、気のせいだろうか?

 

 

 

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この秋、家族とキャンプに行って、山の中でゆっくり妄想したお話です。いや、妄想どころか、ひとつ寝袋にくるまるふたりを幻視しましたとも!(←病気)

残念ながら、寝袋は出せませんので、そーゆーシーンは書けそうにもありませんが。(笑)

 以前から、中坊エピ好きを表明しておりますが、なかなか書けなかったんです。なんか私が書くと、清四郎に中学生らしい爽やかさが出せなくって。結局、ぜんぜん爽やかじゃないまま書いてます。(笑)

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背景:めぐりん