「お嬢様、朝でございますよ。」

カーテンを開けて朝陽を入れる。

光差す広い室内。クィーンサイズの天蓋付きベッドには妙齢のご令嬢。

「・・・んあ?」

が。

悠理様はヨダレを垂らした大口を開けて、羽根布団から顔を上げた。

昔と同じ、無邪気なお顔だ。

「あうっ!」

しまった、久しぶりなので、油断して避けそこねた。

寝ぼけた悠理様にうっかり近づくと鉄拳と蹴りが飛んでくる。

それもまた、変わらない。

「・・・あれ・・・五代?」

一発、腹にもらったかいがあったか、悠理様はようやく目覚めたようだ。

きょとんとした顔で、目を擦っている。

「お久しぶりです、悠理お嬢様。昨夜もご挨拶させていただいたのですが、やはり憶えておられないのですね?」 

 

執事の視点 1

 

昨日祖父より、緊急の召集連絡が久々に入った。日頃、歳のわりに異常に元気壮健だと身内ながら感心させられる祖父の、唯一の持病。またもやぎっくり腰だ。

祖父が寝込む数年ごとに召集がかかるので、僕は・・・もとい、私はもう慣れっこだった。

普段の仕事着とは違う、スーツにタイ。豪奢極めるお屋敷。

そして、やんちゃな剣菱悠理お嬢様。

 

私が祖父に替わり剣菱邸に入ったその夜、久々にお会いした悠理お嬢様は酔いつぶれてご帰還された。

悠理様はたしかまだ高校生のはずなのだが。ご幼少のみぎりよりフランスのシャトーでご父君と共にワインを浴びるほど飲んでおられた方なのだから、いまさらか。法律違反とはいえ、ご両親が容認なさっているものを、使用人の私がとやかく言えるはずもない。(いや、正しくは使用人ではなく使用人の孫であり、ピンチヒッターにすぎないのだが。)

それでも、ご両親も兄君もご不在の折。

お嬢様のお世話は私の役目。

 

ご友人二人に伴われ背負われて帰宅されたお嬢様の元へ、私は駆け寄った。

メイド頭が恐縮しつつ、ご友人方を屋敷に招き入れている。

「まぁ、お嬢様・・・!白鹿様、菊正宗様、いつも申し訳ございません。」

メイド頭と彼らは周知の間柄らしい。

ご友人の背に背負われて高いびきの悠理様を受け取るべく、私は両手を差し出した。

「お初にお目にかかります。五代と申します。」

タクシーでお嬢様を送ってくださった夜遊び仲間は、見慣れぬ私の姿に少し驚いておられるようだ。

悠理様を背負っているのはすらりとした長身の青年。とても夜遊び仲間に見えない、真面目で明晰そうな若者だ。

「あ、あら・・・五代さん・・・のご親戚?」

その彼の隣で、小柄な黒髪の美少女が小首を傾げた。淡い色の上品なワンピースを着た、人形のような美少女。大きな黒い瞳に思わず見惚れる。

「はい。孫の五代裕作と申します。」

なぜか青年が棒立ちになっているので、私は彼の首に回っていたお嬢様の腕を取り、引き寄せた。大きくなられた、とは言っても、軽いものだ。

横抱きに抱き上げた時、お嬢様は一瞬、目を開けた。

「む・・・せいしろ?」

「私です、お嬢様。五代ですよ。」

「ああ・・・・ふにゃ。」

悠理様はむにゃむにゃ口を動かしてなにやら呟いていたが、再び目を閉じて寝息を立て始める。

ご友人も大層な美少女だが、私のお嬢様もやはりとてもお可愛らしい。黙って眠っていると、余計に。

私は苦笑しつつ、お嬢様の友人お二人に頭を下げた。

「ありがとうございました。お嬢様は私が寝かせて参ります。ご友人方も部屋を用意いたしますので、お泊りになってはいかがですか。」

「あ、いいえ。タクシーを待たせていますので。」

青年が首を振り、傍らの美少女を促す。

「野梨子、帰りましょう。」

「でも、清四郎、あなた明日からどうせ・・・」

「今夜くらい、家でゆっくり眠りたいですからね。」

青年が口の端を歪めて微笑すると、堅物そうな印象が消える。

「ま、悠理を苛めるのは趣味のくせに。」

美少女が肩までの黒髪を揺らしてコロコロ笑った。楚々とした可憐な風情に似合わない皮肉な口調だ。

「?」

見えない話の内容にでなく、私は首を傾げた。

名字が違うのでご兄妹ではないのだろうが、お二方はとても印象が似ている。まるで一対の日本人形だ。

しかし、私に会釈しながら、ふいに流された青年の視線は思いのほかきつく強い。怜悧な刃物を一瞬、連想した。ナイフではなく、日本刀の白刃。

美少女を伴って踵を返した彼の後姿を、私はしばらく見送った。

腕の中に悠理様を抱いたまま。

 

 

*****

 

 

翌朝。

「五代、久しぶりだよなー!2年ぶり?3年だっけ?」

二日酔い知らずの悠理様は、いったん目覚めると至極上機嫌で、挨拶した私に明るい笑みを向けた。

お嬢様は昔から、祖父のことも私のことも同じ”五代”と呼ぶ。

「保育園の方は、だいじょーぶなのか?」

「ええ、まぁ。」

私の本業は、非常勤の保育士だ。その仕事を一時的に離れてこちらに駆けつけたことに悔いはない。

幼少時の悠理様をお世話したことが、保育士を志したきっかけなのだから。

 

「ところでお嬢様、今日から学校はお休みなんですよね?」

悠理様はパジャマのままベッドの上で胡坐をかいて、気持ち良さそうにウンと身を伸ばす。

「そうだよん、今日から試験休みだよん。だから昨日は打ち上げだったんだよーん♪」

「ああ、それはようございましたね。お起こしせず、ゆっくり寝坊していただいた方がよろしかったですね、すみません。」

「ううん、どうせ起きなきゃ・・・」

悠理様の言葉が終わらないうちに、内線が鳴った。

 

『お嬢様、菊正宗様がお越しになりました。』

メイドの声に、悠理様は、げ、と表情を曇らせた。

「・・・ほらな、休みもゆっくりできねーんだよ、こいつのせーで。」

「?」

”菊正宗様”とは、昨夜会ったご友人の青年だろう。

私が問いの言葉を発するよりも早く、足音が近づいて来た。

 

「悠理、僕です。起きているか?」

申し訳程度の軽いノックの後、すぐに扉が開かれる。

「おはよう、悠・・・・」

扉を開けた彼は、ベッドの横に立っている私に気づき、目を見開いた。

彼も驚いているようだが、私も驚いていた。

広大なお屋敷は、玄関からかなり距離がある。それなのにもう二階のこの部屋に到着したということは、内線が鳴った時にはすでに通されていたということだ。

剣菱家において、彼は家族待遇らしい。

 

「お、おはようございます、菊正宗様。」

私はあわてて頭を下げた。

もしかして、彼はただのご友人なのではなく、もしやまさかと思うがお嬢様のイイヒトなのだろうか?お嬢様ももう十八歳。子供の頃のままのお顔を見ているとつい失念してしまうが、そんな話があってもおかしくはない。

 

「ああ、あなたは五代さんの・・・昨夜お会いいたしましたね。」

少し冷たく見えるほど整った白皙の面に、礼儀正しい笑みが浮かんだ。

「朝早くからすみません。僕は菊正宗清四郎と申します。悠理とは今日から三日間の勉強合宿の約束をしておりまして、押しかけさせていただきました。」

「勉強合宿ですか?」

「悠理は試験結果が散々だったものですから、進級の条件として課題を出されてしまいましたのでね。それを三日で片付けたい、とは彼女の希望です。」

丁寧で誠実な言葉。さわやかな笑顔。

彼は手に持ったファイルから折りたたんだ紙を取り出し、私に手渡した。

「この三日間の悠理のスケジュールを立てて来ました。五代さんにこちらをお預けしますので、よろしくご手配お願いいたします。」

紳士的な態度ながら、なぜか私は気圧された。有無を言わさぬ強引さを感じるのは気のせいか?

「あ、はぁ・・・承知いたしました。」

レポート用紙に綺麗な字で書かれていたのは、今朝この時間からのみっちり詰まった学習スケジュールだった。それどころか、食事の内容やオヤツ休憩の回数まで書き込まれてある。それが、尋常ならざる悠理様の胃袋仕様になっているあたり、彼の完璧主義で緻密な性格がうかがえた。

後光が差さんばかりの笑顔に、私だけでなく、悠理様も眩しそうに彼から顔を背けている。

「で、では、ごゆっくり。」

私は一礼してそそくさと部屋を退出した。

扉を閉じて、やっと息をつく。

昨夜も感じたが、あの青年には妙な迫力がある。

 

『・・・・悠理、僕はちょっとどうかと思うんですがねぇ・・・』

扉を背にして額に浮かんだ汗を拭っていると、室内から固い声が聞こえて来た。

『五代さんの孫らしいが、あんな若い男に剣菱家の執事が務まるんですか?』

――――私のことだ。

立ち聞きなど不作法だと知りつつ、思わず聞き耳を立てていた。

『だいたい、一応年頃の女性の部屋に、若い男の使用人が出入り自由というのはどうかな。おまえは彼にパジャマ姿を見られて恥ずかしくないんですか。』

若い若いと連呼されているが、私は大卒後専門学校に入りなおし就職したので、彼より随分年上だ。

『五代のことか?五代は執事ちゅ−よか、あたいの世話係みたいなもんだ。ガキん時からだから、恥ずかしいもなんもねーって。』

『・・・ふん、世話係、ねぇ。』

苦々しく吐き捨てられた口調は、先ほどまでの礼儀正しい笑顔の青年のものとは思えなかった。

『とにかく、さっさと着替えて勉強を始めましょう!時間はあまりないんですよ。食事時間を減らされたいんですか?』

『げっ、朝飯食ってからじゃねぇのぉぉ?!』

お嬢様の悲痛な声を背中で聞いて、私は慌ててその場を離れた。

先ほど渡された用紙には、朝食の指示もきっちり書き込まれてあったからだ。

 

しかし、私のことを”若い男”と連呼していた同じく若い男性である彼が、パジャマ姿の悠理様の部屋から出てくる気配はなかった。

まぁ、お嬢様のお部屋には広いドレスルームもついているので、着替えには不自由はないだろうが。

 

慇懃無礼な言葉と、アルカイックスマイル。

迫力に満ちた強い態度と、皮肉な口調。

ご友人というには、お嬢様に対する態度はあまりに上目線。

 

彼は悠理様といったい、どういう関係なんだろうか。

後で、祖父に問いただす必要があるかも知れない。

 

 

 

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「家政婦は見た」の続編ではありませんが、今度は剣菱家の臨時執事視点のお話です。そんでやっぱ執事は若いオトコマエがいいなーっと、五代氏はぎっくり腰になっていただきました。んでも、五代裕作くんは「めぞん一刻」のあの五代くんより名前をもらってますので、イマイチ風采は上がらないイメージです。残念。(笑)

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