執事の視点 2
メイド達の話によると、ここ何年か勉強合宿は恒例化しているという。 「清四郎様は今回はご自分の部屋でなく、1Fの客間をお使いになられるそうですわ。」 「では、お荷物や清四郎様のPCをあちらに入れなければ。」 メイド達の会話のおかげで、祖父に聞くまでもなく、清四郎様の正体が知れた。正体と言っては申し訳ないが。 剣菱邸内に自室を持ち、お嬢様の家庭教師をつとめる、ご友人――――彼こそが、お嬢様の婚約者だった菊正宗清四郎様なのだと、やっと私は気づいた。
実のところ、剣菱に関係するものの間では、彼は大層有名人だ。お嬢様との婚約会見はTV中継されたし、会長代理として剣菱財閥の采配を振るった期間の数々のエピソードは伝説と化している。 言い訳をするわけではないが、私が彼の顔を知らなかったのは、ちょうどその頃保育園の方で問題が持ち上がり、園児と共に病院に詰めていたからだ。 お嬢様の婚約とその顛末を知ったのは、随分後になってから。祖父からため息交じり愚痴交じりに聞かされたのだ。
「・・・・ああ、そうか、なるほど・・・・。」 婚約者はお嬢様の元々の友人でありながら、剣菱ご夫妻に気に入られ、肝心の当のお嬢様には嫌われていたという。 いつまでも子供のようなお嬢様には、余程しっかりとした夫でなければ、という剣菱ご夫妻や祖父の意見には、私も同意だが。 規律や束縛を嫌う悠理お嬢様と、あの完璧主義かつ有無を言わさぬ強引さの元婚約者殿とは合わないだろう。 ご本人と顔を合わせて初めて、私にも婚約破棄の理由が理解できたように思った。
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清四郎様に渡された指示書通り食事や部屋の支度を手配した後、祖父のしていた仕事の真似事ではないが、ご主人様に確認を取るまでもない雑事の判断業務をこなしていると。 「清四郎くんが来ているんだって?」 外出されていた豊作様が屋敷に戻られた。 両手に書類を抱え、いつものようになにやら困り顔で廊下を急ぎ足。破天荒なご両親に公私にわたって振り回されていると、自然とあのような表情になるのかもしれない。 「あれ、裕作くんじゃないか。また五代はぎっくり腰かい。」 歳の近い豊作様とは、お嬢様同様子供の頃から親しくしていただいている。もともと私の名は、彼と彼の父にあやかって祖父が付けたものだ。 「清四郎くんが来ているなら、あとで少し時間を作ってもらえないか訊いてくれないかな。事業のことで相談に乗ってもらいたいんだ。」 婚約解消後も清四郎様は豊作様に頼りにされているらしい。 「はい、豊作様。」 私が請け負うと、豊作様は御曹司とは思えない気弱な笑みを浮かべた。
ちょうどお茶の時間になったので、私はメイドに任せずお茶と菓子を持ってお嬢様の部屋をノックした。 「失礼いたします。」 部屋に入ると、勉強机に向かっていたお嬢様がパッと顔を上げ、輝く笑顔を見せた。 私は紅茶と菓子を、勉強机から離れたソファに座り文庫本を開いていた清四郎様の前のテーブルにセットした。 「オヤツだー♪」 「悠理、演習問題が終わってからですよ。」 悠理様を叱責している清四郎様へ、私は豊作様からの伝言を伝えた。 「豊作さんが?ちょうど休憩ですし、すぐに行きますよ。」 助け舟のつもりではなかったが、席を立った彼の後ろで、悠理様は私に向かって手を合わせてサンキュ、と口を動かしている。 何かを感じたのか清四郎様が振り向くと、悠理様はサッと机に顔を向け元の姿勢に戻った。わざとらしく鼻歌を歌うお嬢様に、清四郎様は口の端を上げる。 つられて、私も思わず微笑を浮かべていた。
清四郎様が退室された後。 「新しいお友達は、お嬢様とはずいぶんタイプが違う方ですね。」 紅茶を注ぎつつ、私はのびのび体を伸ばしているお嬢様に話しかけた。 「んあ?新しいオトモダチって、清四郎のことか?新しいもなんも、あいつくらい古臭い奴いないじょ〜。幼稚舎の入学式以来だもんな。」 お嬢様はロールケーキを一口で口に放り込んだ。 「はぁ・・・幼稚舎ですか。」 それでは私がお嬢様と初めて会った頃からだ。確かに長い付き合いに違いない。
初めてお嬢様とお会いした頃のことを、懐かしく思い出す。 悠理様はあの頃から暴れん坊で、子供のみならず大人まで蹴りを入れる手に負えないほど腕白な子供だった。 あの乱暴さで、同年齢の幼子がたくさんいる幼稚舎などに入って大丈夫なのかと(他の子供の身を)案じたものだ。 そして入舎式を終えてご両親と帰宅された時、悠理様の髪はくしゃくしゃ、新品の服はボロボロ。案の定、初日早々喧嘩してのご帰宅。 仲良さげにくっついている男の子と女の子に喧嘩を吹っかけて、男の子を蹴り飛ばし女の子と取っ組み合いをしたらしい。 同年輩の友達のいなかったお嬢様は、仲の良い二人が羨ましかったのか淋しかったのか。 お嬢様と対等に喧嘩できる同じ年頃の女子がいるのか、といらぬところで感心したのは、遠い昔。
考えてみれば、私がお嬢様のご友人として認識していたのは、この屋敷によく招待されていた剣菱財閥の関係者のご子息達だけで、学校のお友達にお会いしたのは初めてだった。 数年おきに祖父に代わりお世話する機会があるたび、お嬢様の口からご友人の名前や学校生活を聞くこともあったが、良家の御子弟ばかりの聖プレジデント学園のご学友に対しては、悪態の方が多かったように思う。 優等生の坊ちゃん嬢ちゃんは肌に会わない、とよく言っておられたのはそう遠い昔ではない。 菊正宗清四郎様などは、まさにその良家のご子息で優等生らしく見える。 だから、おふたりがご友人だという事実が意外に思えたのだ。
「ま、昔っからの腐れ縁とはいえ、仲良くなったのはここ数年、有閑倶楽部の仲間になってからだけどな。・・・と、あれ・・・?別にあたい、あいつと全然仲良くねぇよな?ううんと、仲良くないけどつるむようになったのが、高校入ってからで・・・あれ?中三だったっけ?」 お嬢様は天井を見上げ、ひとりでブツブツ言っている。 「ああ、清四郎様は有閑倶楽部のお仲間なんですね!」 私はポンと手を打った。 ”有閑倶楽部”のことは、祖父から(時に愚痴交じりの四方山話の中で)聞いていた。お嬢様を含む学園の悪ガキ連だが、時として頼りになるらしい。 有閑倶楽部のお仲間の話は、お嬢様からぜひ聞いてみたいと思っていた。 詳しく聞いたわけではないが祖父の(愚痴)話だとどうもあまりに荒唐無稽で、老人の世迷いごとのようにしか聞こえなかったからだ。
しかし、私が訊いたのは別のことだった。 「・・・・ところでお嬢様、何をなさっているんで?」 ケーキを食べ終えたお嬢様は、ベッドに座ってシーツを引きずり剥がしている。そのシーツになにやら結び目をいくつも作っているようだ。 熱心に布に向かっている姿は、手作業の苦手なお嬢様らしくない。 「んー・・・・・内職かな。」 億万長者の財閥令嬢はそうのたまった。 私の目は点になる。
「は?」
「もうすぐ清四郎が戻って来るかもしんないから、今の内に内職。」
「は??」
せっせと顔も上げず手を動かしていたお嬢様の髪がピクンと揺れた。 「やばっ、やっぱ戻って来た!」 まるで猫が耳を立てたようだ、との私の連想は正しかったようだ。人一倍五感の鋭い悠理様には、絨毯敷きの廊下を歩くかの人の足音が聴こえたらしい。 「あいつ、目ざといんだよ!隠さなきゃ!」 ベッドカバーの下に内職(?)中のシーツを悠理様は突っ込む。しかし、悠理様に元のようにベッドメイキングできるはずもない。 見かねた私は悠理様を手伝い、クィーンサイズの巨大なベッドに乗り上げ、急いでカバーを直した。 しかし、すぐに私の耳にも彼の足音が聴こえてきた。とてもベッドメイクは間に合わない。 「ええい、これでいーや!」 悠理様がやけくそ気味にベッド上に身を投げ出すのと同時に、部屋の扉が開かれた。
清四郎様は入室するなり、眉をひそめた。 「・・・・何、しているんです?」 乱れたカバーを隠すためにベッドに大の字のお嬢様と、その傍らに乗り上げている私。 「な、何って、見ればわかんだろ。休憩してるだけ・・・」 お嬢様はそう言ったが、明らかに清四郎様は私に向かって問いかけている。 温厚そうな笑みの跡形もなく消えた清四郎様の視線は、第一印象そのままに刃のように鋭い。 いや、それどころか底光りして見える。 嫌な汗が背中を伝った。 圧力の理由も意味もわからないながら、私は焦った。 ベッドからそそくさと足を下ろし、私は膝の皺を引っ張り伸ばす。あつらえ物の大事な執事服だ。 「あ・・・・いやその、お嬢様がないしょ・・・」 と、私が清四郎様に説明しかけた時。 「わーっわーっ!」 お嬢様がわめきながら弾かれたように起き上がり、私に飛び掛ってきた。 「むぐっ」 避けようもなく、お嬢様の両手が私の口を封じる。 「な、ないしょっ」 お嬢様は私の頭を抱えたまま、清四郎様に向かって叫んだ。
「内緒の休憩!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
お嬢様の取り繕う言葉に、清四郎様がどう反応したのか、私は知らない。 なにしろ、鼻まで覆われて、呼吸困難にもがいていたのだ。
しかし、なにやら暗雲と緊迫感。お嬢様のように動物的勘は発達していない私にも感知できるレベル。 悠理様の拘束から解放されてすぐ、私はダッシュでこの場から逃げようと決意した。 なにしろ本能が警戒音を高らかに鳴らしている。 「しっ、失礼しますっ!」 私はおふたりに顔を向けないまま、俯いて部屋を足早に退出した。 しかし部屋を出る寸前、 「・・・・・・赤いですよ、顔。」 思いも掛けず、清四郎様に指摘された。 私の顔が赤いのは、呼吸困難で青くなる寸前で解放されたからに過ぎない。 このままここに居れば、赤から青に変わるのは自明の理。そのまま黒くなってその先、白くなりそうで怖い。
スタコラさっさと逃げ出して正解だった。 ――――後から思えば、しみじみと。
悠理様の”内職”の実態を私が知ることになったのは、それからまもなくのことだった。
”執事の視点”というよりも、”執事の試練”ってカンジになりつつあります(汗)ので次回は方向転換して仲間達を登場させたいな。「家政婦は見た」でやりそこねたし・・・・・と、いうわけで前後篇では済みそうにないので、ボチボチのんびり続けることにしました。萌えドコロなしのこんなん連載化しても、と自ら突っ込む。(笑) |
背景:素材通り様