執事の視点 3

 

 

 

 しばらくの間、私は用向きをメイドに任せ、お嬢様の部屋に出向かなかった。

廊下を通りかかっただけで、あの青年の殺気に似た暗黒のオーラが漂い漏れて来そうで怖かったのだ。

 

しかし、私は臨時とはいえ、この家の執事。悠理様のお世話が仕事。

「・・・これではいけない!」

握りこぶしに勇気を湛え、私はお嬢様の部屋をノックした。

 

「お嬢様、今お一人ですよね?」

私はさっさと入室した。実はこの時間帯、清四郎様は1Fの自室に居て、お嬢様は小テスト前のおさらいを一人しているはずであることは予定表をチェック済み。つまるところ、勇気は不要。

「今夜はいつもの大浴場以外に、富士の湯にも湯を張りましたよ。今夜遅くに帰国されるご両親のリクエストで・・・・・・・あれっ?」

閑散とした室内に驚いた。清四郎様どころか、悠理様の姿もない。

私は手に持っていたお茶をテーブルに置き、広い室内をあらためて見回した。

 

乱雑に放置された勉強机。ベッドのカバーはめくられているが人影はない。

窓は開け放され、派手な柄のカーテンが風に揺れている。

「ん?」

窓枠近くでカーテンとは違う白いものが動いた気がして、私は窓辺に近づいた。

動いていたのは白い布。

窓際の勉強机の足にロープ状にして結び付けられた白い布だった。

 

窓から下を覗いた私の目と、ロープにぶら下がっているお嬢様の目がばっちりあった。

お嬢様の内職の正体はこれだったのだ。

シーツを繋げたロープ。逃亡犯の脱獄道具。

この部屋の窓は出窓で、そこからロープを垂れているため、壁に足を掛けて体を支えることもかなわず悠理様はロープに命を預け、ぶらんとぶら下がっている。

「え・・・えへ。」

あっけに取られて言葉もない私に、お嬢様は気まずそうな笑みを見せた。

 

しかしもちろん、笑っている場合ではない。

 

「お、お嬢様!!」

剣菱邸の二階は、各階の天井の高さのせいか、通常の二階の高さをはるかに凌駕している。どう見ても、お嬢様の命綱は短すぎた。

しかもしかも、手先が不器用かつ地道な作業が苦手な製作者を反映した即席ロープは、案の定ヤワな出来らしく、すでに結び目は緩んで千切れそうなのが見て取れた。下階のベランダフェンスに悠理様の足先が届くまでとても持ちそうにない。

もちろん、私は長い付き合いで悠理様の運動神経はよく存じ上げているが、いくらなんでも落下すれば無傷ではすまないだろう。

 

「何をなさっているんです!危なすぎますっ!」

私は窓から身を乗り出して、シーツを掴んだ。

「おわっ!!さ、触るな〜!!」

中空でぶら下がっている悠理様が、ゆらゆら揺れる。

「結び目が解けそうですよっ!私が押えている間に、よじ登って・・・」

「おまえが揺らしてんだっ、放せ〜っ!」

私は焦って叫んだが、怒鳴り返された。

直後、私の手元でシーツが滑る。お嬢様の大きな目がなおも見開かれる。

結び目が解けたのだ。

 

「ひぃっ!」

「おわぁああああああっっ!!」

 

裏返った私の悲鳴と、意外に野太い乙女の悲鳴が重なる。

まるでスローモーションのように見えた。

するする布が窓辺をすべり、緩んだロープから手を放した悠理様の上半身が仰向けに遠ざかってゆく。

怖ろしさに目をつぶってしまいたくても、つぶれなかった。

だから、否応なしに目に飛び込んできた。

 

空中に投げ出された悠理様の恐怖に目を見開いた顔。

同時に1Fのベランダに現れた人影。

そして、絶妙のタイミングで、悠理様の落下点に伸ばされた両腕。

 

ベランダに背中から叩きつけられるはずの悠理様は、危なげなく受け止められスッポリと収まった。待ち構えていたように現れた、青年の腕の中に。

 

「・・・せっせいしろ?!」

「おあいにくさま。」

上階から落下して来た人体はかなりの重量のはずなのに、抱き止めた清四郎様は、涼しい顔で体勢すら崩していない。よほどの力持ちか、達人だ。たぶん、両方なのだろう。

 

唖然と窓から見下ろす私の目と、達人の目がバッチリ合った。

いや、合ったというより、睨みつけられたのだ。例のあの目。刺すような強い視線。

 

---------も、もしかして、私が逃亡幇助したと思われた?!

 

なにやら喚いている悠理様を肩に担ぎ上げ、清四郎様は1Fのバルコニーから室内に消えた。まるで、『逃げるなよ』とでも言わんばかりに、私に視線を投げかけて。

 

往生際悪くひとしきり室内を歩き回ったものの、尻に帆をかけて立ち去る度胸もなく。清四郎様が階段を上がり悠理様の部屋にやって来るまで、私は所在無く待つこととなった。顔面蒼白、汗びっしょりの手のひらのまま。

 

 

*****

 

 

 どれほど怒られるのかと、戦々恐々だったのだが。

清四郎様は冷静沈着そのものの顔で部屋に現れた。

部屋の主は、その彼の肩に担がれてのご帰還。ひとしきり喚き終わったのか、シュンと項垂れて長身の清四郎様の肩から私に手を合わせた。

「・・・・ごめん、五代〜。」

「い、いえ・・・」

かついだ荷物を下ろすかのように清四郎様はお嬢様をソファに下ろすと、私にも座るよう身振りで指示を出す。

私は落ち着かない心持ちで、お嬢様の隣に腰を下ろした。

 

立ったままの清四郎様に見下ろされ、私は緊張に体を強張らせているしかなかった。

「・・・・そりゃあ、五代さんは絶対的に悠理の味方なんでしょうけどね。仮にも執事職なんだから、馬鹿な行動に付き合うのもどうかと思いますねぇ。」

「い、いえ、私はお嬢様に協力していたのではなく、むしろ止めようと・・・・」

「うん。あたいは邪魔するこいつに振り落とされたよーなもん。」

庇っているのかなんだか、な悠理様が口を挟む。

清四郎様は大きなため息をついた。

「あんなところから落ちて、僕が受けとめなければ、どうなっていたと思う?こんなこともあろうかと、下の部屋を用意してもらっていて良かったですよ。」

私は驚いて思わず顔を上げた。

「こんなこともあろうかと・・・?」

清四郎様は呆れ顔でお嬢様を見下ろしている。悠理様は口を尖らせた。

「だあってぇ、期末テスト前からだから、何日勉強続けてんだよ〜!息抜きしたくもなんよ〜!」

「課題を三日で済ませたいと、僕に泣きついたのは誰だ?まぁ、確かにテスト前からの長丁場ですから、そろそろかとは思ってましたけどね。」

「よ、予測されて下の部屋におられたんですか?」

私の質問に、清四郎様は肩を竦めた。

「いつもの僕の部屋では逃げられてしまいますからね。まったく、嫌になるくらい予想通りの行動をしてくれる。まぁ、落下して来るとまでは思いませんでしたが。」

 

 不意に。

先ほどからの私のいたたまれなさは、ゲストから不始末を糾されているというより、ご主人様に叱責されている気分であることに気づいた。

清四郎様と悠理様の婚約はとうに解消されたはずなのに、彼はこの家の主人のようだった。まるで自然に。

 

「ご〜め〜ん〜って〜清四郎ちゃぁあん〜っ」

うるうる涙目で悠理様は可愛く媚を売る。

「見捨てないで?ね?」

上目遣いの悠理様に、清四郎は容赦ない。

「ぶりっ子してもダメです!」

清四郎様は握りこぶしを悠理様の頭に落とした。

「ったく手のかかる・・・・」

小言を言いつつ、清四郎様の口調は、さして厳しくはない。

彼の顔には、皮肉な、だけど少し面映そうな笑みが浮かんでいる。

「・・・まぁ、今夜小テストをクリアできたら、明日はご褒美に数時間息抜きも許可しますよ。」

「え、何?遊んでもいーの?」

悠理様の泣きっ面が輝いた。

「どっか行く?あ、そだ!一緒に温水プールで遊ぼうよ!ここんとこ、おまえとは競争してなかったよな。あたい、負けないじょー!」

「それもいいですが、明日はあいつらが顔を出すと言ってましたよ。」

「うぇぇ〜?あたいが唸ってるとこ、からかいに来るだけじゃねぇの〜?まさかあいつらの来ることが”ご褒美”なんてんじゃねーだろな!」

「いいですよ、プールの方が良ければ。まぁ、競争しても僕が勝つでしょうから、”ご褒美”になんないですよ。」

「しょってら!」

ふたりは顔を見合わせて、微笑みあう。まるで、仲の良いカップルのように。

 

 

この二人の相性は合わないだろうと思った印象を、私は撤回せざるを得なかった。

破れ鍋には綴じ蓋。

お嬢様には、彼のような人が必要だ。

どうして、婚約破棄などしたのだろう?

 

祖父の話では、お嬢様の婚約はご両親の無理強いで、お嬢様はたいそう嫌がっておられたらしいが。それは、先ほど窓から脱出して彼の元から逃げようとした行為と、同程度のものではないのだろうか。

考えなしの行動は、お嬢様の十八番。

逃げ出そうとしながら、見捨てないで、と縋りついているのだから、お嬢様が清四郎様を嫌っているということはないだろう。

そして、彼の方も。

お嬢様を見つめる彼の目は、優しい。

悠理様がたいそう手のかかる人であることは、私も骨身に沁みて知っている。

プロの保育士としても、執事としても。

仕事でもないのに、清四郎様はそれに付き合っているのだ。私よりよほど優秀な執事のように。

 

「・・・はっ、まさか!」

私は思わず声を上げていた。

「なにか?五代さん」

清四郎様が、お嬢様から私に視線を移した。

 

悠理様を映していた温かな黒い瞳が、一転、刃を宿す。

私を射抜く、冷たい視線。

 

「い、いえ、なんでも・・・・・」

私は冷や汗を拭いながら慌てて首を振った。

 

---------もしや、私は彼の地雷を踏みつけていた?!

 

 

私のことを”若い男”と連呼していた彼の、あの視線の理由に、やっと思い至った。

”悠理様に近づく男”として私が認識されていたのなら、あんなシーンやこんなシーンは、彼の目にどう映ったことだろう。

 

冷や汗が、脂汗に変わった。

 

 

 

NEXT

 


本当に、なんで悠理は清四郎と婚約解消しちゃったんでしょうね〜?いじゃん、仲良い友人同士なんだから、そのままゴールインしちゃえば!そのうち愛も芽生えるさ♪→あ、それじゃ「ららら」か。(笑)

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