握り締められた拳。への字口。

清四郎を睨みつける双眸には、凶暴な光が宿る。

ノックもなしに部屋の戸を蹴り開けた悠理を、清四郎は唖然と見つめた。

 

そう、”蹴り開けた”。比喩でなく。

仁王立ちで清四郎を睨んだ悠理は、床を踏みしめていた足をもう一度上げた。

 

ズボッ

 

今度の被害は、扉ではなかった。入口付近に積み上げてあった、布団袋だ。

悠理の鋭い蹴りに、布団袋が裂ける。いや、室内に舞い上がった羽毛で、布団も突き破ったのだと知れた。

 

ひらりひらりと、羽根が舞う。

 

羽根は、髪に服に舞い降り、悠理を飾る。

まるで、怒れる天使。イカレた天使。

  うしようもない僕に天使が降りてきた

前篇

 

 

怒らせるつもりなんて、なかった。

いや、泣き顔をみたくなかったから、怒らせたのかもしれない。

 

 

高台公園の中に位置する、夜景の綺麗なレストラン。シャンパンを掲げ、仲間たちは杯を空けた。

「へ?」

乾杯の音頭のあと仲間達皆が、今夜の主役の清四郎にスピーチを求めた。

「なんで、清四郎が主役?」

すでに食事に邁進していた悠理が首を傾げて、はじめて。

「もしかして・・・・悠理、まだ知らないの?」

テーブルを囲んだ仲間達は、清四郎に非難の目を向けた。

 

「えっ・・・・」

 

悠理は絶句している。

この夜皆が集まったのは、春休みの前夜祭だと悠理は勘違いしていた。

清四郎の留学を、悠理にはギリギリまで隠していたのだ。

 

大学一年の終わり。

共に聖プレジデント大学に進んだ仲間達だったが、清四郎が留学準備していることは、悠理も知っていたはずだ。

知らせていなかったのは、春を待たず旅立つということ。

渡英は、来週。

今夜は、その壮行会だった。

 

「あたしは、野梨子から聞いてたわよ。」

「僕も。」

「俺は・・・清四郎から直接。」

「清四郎が悠理には自分で知らせると言うから、あたくし黙っていましたのに・・・いつまで内緒にしておくつもりでしたの?」

 

野梨子をはじめ、仲間達の非難の視線が清四郎に突き刺さった。

悠理は大きな目を見開き、清四郎を見つめている。

その目には、怒りよりも驚愕が浮かんでいた。この時は、まだ。

 

「な、なんだよーーー!!知らなかったの、あたいだけ?!」

 

悠理はガシャンと手にしていた皿をテーブルに叩き置いた。

ボーンチャイナの皿は割れなかったが、シャンパンの入ったグラスが倒れた。

金色の泡立つ液体が、白いテーブルクロスに広がる。

悠理の茶色の瞳に、透明な膜がかかる。

悠理はあわてたように息を吸い込み、眉をしかめて、涙を堪えた。

 

「・・・・説明しろ、釈明しろ、セイシロー!」

 

低く唸るような声を押し出し、悠理は清四郎を睨みつけた。

無理もない。

清四郎は小さくため息をついた。それでも、悠理が涙を見せなかったことに、安堵していた。

 

 

*****

 

 

食事もろくに手をつけないまま、仲間達を残し清四郎と悠理はレストランの外に出た。正しくは、こんなところで喧嘩をするなと、仲間達に追い出されたのだ。

今にも雪が降りそうな空模様。東京とはいえ、2月の夜は零下。

夜の公園には、他に人も居ない。

 

「僕が留学するつもりなのは、知っていたでしょう?」

「でも、こんなすぐだなんて、聞いてない!」

 

吐く息は白いが、大股で歩き言い争っていれば、寒さを感じるはずもなかった。

 

「卒業式はどーすんだよ!入学式も!」

「自分の卒業式や入学式じゃあるまいし、僕はもう十分すぎるくらい送辞も歓迎スピーチもしてきましたから、他の人間におまかせしますよ。」

「春休みの旅行はどーすんだよ!先週ジャンケンで可憐が勝って、みんなで行くことに決めたじゃないか!」

「僕は今回パスって、あの時言ったじゃないですか。」

 

勢いよく前を歩いていた悠理は、足を止めて清四郎を振り返った。

 

「まさか、留学が理由だなんて、聞いていなかった!!」

 

悠理は清四郎のコートに手を伸ばし、グッと胸元を握る。

引き寄せられ、彼女との距離が縮まる。

怒りに昂揚した悠理の目が、至近距離で清四郎を捉える。

 

「そんで、釈明は?なんで皆知ってて、あたいだけ仲間外れ?野梨子なんかずっと前から知ってたんだろ!」

 

襟を締め付けられながらも、清四郎は苦笑した。

 

「野梨子には、うちの親が話したんですよ。おまえだけ仲間外れにするつもりはなかったんです。ただ・・・・」

 

息苦しさは、胸元を締め付ける悠理の手のせいだけじゃないことをわかっていた。

 

「おまえに泣かれると、困ってしまうので。」

 

清四郎の言葉に、悠理はポカンと口を開けた。

襟元を握り締めている悠理の指を、清四郎はそっと外す。身を引き、彼女との距離を取る。

 

「な・・・なに、自惚れてやがる・・・なんで、あたいが泣かなきゃ・・・」

 

悠理の語尾が震え小さく消えた。ポロリと涙が丸い頬を零れ落ちる。

清四郎はもう一歩、悠理から離れた。

 

「・・・ザマーミロ!」 

悠理は開き直ったようにしゃくりあげた。 

「な、泣いてやったぞ!さ、さあ・・・困りやがれ!」

 

潤んだ双眸は、清四郎を睨みつけている。

ぽろぽろ零れる涙が、街灯に光る。

くしゃりと、悠理の表情が崩れた。

子供のような泣き顔。清四郎の一番弱い顔だ。

 

清四郎は背中の後ろで手を組み、悠理から視線を外した。

「・・・・ハイ、困りました。すみません。」

素直に謝罪したのに。悠理はますます顔を歪めた。

「嘘だ!おまえ、本当はあたいを泣かすの、好きだろ。わざと意地悪、してんだろ!」

悠理はブンと顔を背けて、そのまま清四郎に背中を向けた。

華奢な背中が震えている。

「だいたい、なんで・・・・なんで、留学なんかすんだよぉ・・・高等部卒業の時は、みんなでもっと一緒に遊んでいたいからこの大学にするんだって、おまえも言ってたじゃないか・・・・」

 

涙声。震える肩。

清四郎は後ろで組んだ自分の両手を固く握りなおした。

 

「ええ、本当に楽しい学園生活でした。不満は何もありません。だけど、そろそろ僕も外に出て成長しなければと思ったんですよ。」

それは、この一年、何度か繰り返されて来た問答だった。

高等部卒業前から、旅立ちは決意していた。傲慢で井の中の蛙に過ぎない自分を自覚した時から、岐路を意識していた。

悠理も本当は、わかっているはず。

別れは一年前に訪れていたかもしれなかったのだ。清四郎も魅録も、当初は別の大学を受験するつもりだったのだから。

だけど、あまりに心地良くて。楽しくて。もうしばらく、このままでいたいと思ったのも、本当だった。

 

悠理は清四郎に背を向けたまま、地面の小石をひとつ蹴った。

 「おまえが居なくなって・・・有閑倶楽部は、どうなるんだよ?」 

うつむいた悠理の細いうなじ。 

「あたいは・・・どうすればいいんだよ?」

 小さく呟かれた言葉に、胸が締め付けられた。

「おまえは、何も変わりませんよ。みんなだって。楽しい学園生活はもうしばらく続くし、僕だって・・・・・離れていても、友達は友達です。」

 

子供の頃から、ずっと。

安寧な巣箱で、守られてきた。世間も自分をも俯瞰することなく。

当然のように、いつもそばにいた。友情に包まれて。

 

「・・・友達?そんなの、嘘だ。」

唐突に、悠理は首だけで振り返った。

油断していた清四郎はふいを衝かれる。

悠理の潤んだ目が、まっすぐ清四郎を捕えた。

「今度のことだって、おまえは野梨子や魅録には相談しても、あたいには・・・・あたいには、何にも言わないんだよな・・・・」

悠理は鼻をスンとすすった。

「どうせあたいなんか、オモチャかペットぐらいにしか思ってないだろ?」 

 

清四郎は組んでいた腕を解いた。

無意識だった。

 

「おまえが、オモチャかペットなら、僕は・・・・」

 

しまった、と思った時には。

伸ばした手が、清四郎の意思に反して悠理を抱きしめていた。

 

「・・・・・スーツケースに入れて、連れて行きます。」

 

馬鹿なことを口走りながら、強く抱きしめる。

悠理のぬくもりが、胸に沁みた。

 

こうなることを怖れていた。

当然のように、いつも隣にあった存在。

手を伸ばせば触れられる、近すぎる距離が、怖かった。

 

悠理に喚起される、抑えがたい衝動。

感情の理由。

 

これは、友情なのか――――愛なのか?

 

 

*****

 

 

都会の喧騒は遠い。

静まりかえった公園は、まるで世界にふたりきりのような錯覚を感じさせた。

 

強く抱きしめたのは、一瞬。

悠理は身じろぎ一つしなかった。

寒かったせいか。

淋しかったせいか。

それとも、驚いて動けなかっただけなのか。

 

清四郎は腕を解いて、悠理を解放した。

遠ざかるぬくもりを惜しみながら、身を離す。

 

「・・・・見送りには、来ないでください。本当に、おまえの涙は苦手なんです。」

 

悠理はじっと佇んだまま、振り返らない。

 

たとえ、悠理を愛しいと思う気持ちが、友情を越えたものであっても。

今の清四郎には、何もできない。

してはいけない。

告白も、約束も。

 

清四郎は踵を返した。

足早に、その場を離れる。

夜の公園に悠理をひとり置き去りにすることになったが、これ以上彼女のそばに居たくはなかった。

 

本当に、連れ去りたくなる。

不確かな感情のまま。

彼女を愛する、覚悟もないまま。

 

必要なのは、時間と距離。

離れてはじめて、見えるものがあるだろう。

これまでが、近すぎたのだから。

 

 

ふわりと、暗い夜空から、雪が舞い降りた。

春の雪。

淡く肩で溶ける雪が、雨にならなければいいと願った。

 

羽根のように静かに、優しく雪は降る。

それで、彼女の笑顔は、望めないにしても。

 

 

 

 

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タイトルは槇原敬之のお歌から。マッキーの歌詞はそのまんま物語になっているので、ついつい歌詞をなぞってしまいそうになるんですよね。最初は清四郎に元カノがいて、その彼女の置き土産をぶっ壊す悠理の話にするつもりでした。私は乱暴な悠理ちゃんが好きv(笑)

んでも、あんまりそのままじゃなんなので、チューリップの「心の旅」のイメージで書き始めました。だから、本当はスーツケースじゃなく”ポケットに詰め込んで〜♪”なんです。やっぱ、そのままやん!(殴)

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