歓びの種−3−
悠理は用意した蝶ネクタイのフォーマルスーツを船室の壁にかけた。 ぴょんとダブルのベッドに飛び乗る。胡坐で壁のスーツを見上げた。
悠理の選んだネクタイは派手すぎるとクレームをつけられるかもしれないが、サファリシャツよりも、きっと清四郎には似合うだろう。
散髪の後、野梨子と可憐はそれぞれ自分の部屋に戻ったが、シャワーを浴びなおしている清四郎を、悠理はひとり待っていた。
「おや。」
バスルームから出てきた清四郎は、悠理を見て驚いた顔をした。
「着替えまで準備してくれたんですか。えらく世話を焼いてくれますね。どうした風の吹き回しですか?」
新しいバスローブ姿の清四郎は、短くなった髪をバスタオルで拭く。 「甥っ子ができて、世話を焼かれてばかりの立場を返上したとか?」
無理だろう、と言いたげな清四郎の嫌味にも、あまり毒を感じない。 「いいじゃんか。久しぶりなんだから、さ。」
照れ笑いする悠理に、清四郎も微笑を浮かべた。
「皆は?」
「魅録は父ちゃん達に買い物に引っ張り出された。美童と可憐と野梨子は、シャワー浴びたり昼寝したり、夜のパーティの準備するって言ってたよ。」
清四郎は壁のスーツを見上げた。 「悠理が選んでくれたんですか?」 「わかる?」 「ネクタイがね・・・」
清四郎は紺と金のストライプのネクタイを見て苦笑している。 しかし、文句を言われるかと思ったが、別にかまわないようだ。
日本に居る時は隙のない完璧主義で(悠理には)口うるさい男だったけれど、各国を飛び回るうち、鷹揚さも身につけたらしい。
でなければ、そもそも悠理に髭剃りを任せたりはしないだろう。
清四郎は悠理の隣に、ドサリと腰を下ろした。
「着替えるんなら、あたい出てるよ。」 「いや、まだ時間は早いでしょう。」
清四郎はゴロリとベッドに横たわった。長い足は床につけたまま、ベッドの中ほどに背中を沈める。
「ああ・・・・風呂も、こんな柔らかなベッドも久しぶりだ。」 清四郎は気持ち良さそうに目を細めた。
胡坐でベッドに座ったまま、悠理は清四郎の顔を見下ろしていた。
浅黒い日焼けした肌と、削げたような鋭角な顎。髪形が昔に戻っても、以前はあった繊細な柔らかさが、なくなったように思う。
この数年、清四郎がどんな生活をしていたのかは、あの小汚い格好で察することができたけれど。
「なぁ、”インディ・ジョーンズ”って、どんなことをやってたんだ?」
ハリウッド映画で有名な、考古学者で冒険家のヒーロー。キャラクターイメージは随分違うけれど、確かに清四郎なら、かのヒーロー並の活躍はできそうだ。
「研究に没頭するマッドな教授陣のアシストで、便利に使われてましたねぇ。たとえば、これまで独自に研究していた、歴史学者や文化人類学者と、風土病を調べる細菌学者の橋渡しをして、チームを組んだりね。」
「大変そうだな。んで、おまえは何の研究をしてるんだ?って、訊いても、わかんないけどさ。」
「はは、悠理だけでなく、実は僕にもわかりません。興味の範囲が広いもので、色々と顔を突っ込んでしまって。何本か論文も仕上げましたが、どうも正直、学者向きの性格でないらしい。以前から、姉貴にも指摘されてたんですが。」
「それでも、今の生活が楽しいんだろ?そんな顔してる。」
世界各地の文明を掘り起こし、様々な学者達と共同作業。文明だけでなく、太古の地層まで。地球の謎を探る旅。
学問的なことは一片の興味も感じない悠理でも、エキサイティングに感じる。
「まぁ、それなりに学術的発見の喜びもありましたし、危険も皆無ではなかったですが・・・・・・悠理が一緒でなくて、つくづく良かったと思います。」
「え?」 清四郎は仰向けで悠理を見上げ、ニヤリと笑った。
「おまえと一緒なら、地下宮殿を彷徨ったり、ミイラの呪いにかかったり、第3帝国の残党に追いかけられたりしそうですもんね。」 「なんだよ、そりゃ!」
否定できずに笑いながら、悠理もベッドにゴロンと寝そべった。 清四郎の隣ではなく、足は反対側に投げ出す。
逆さまに隣り合った清四郎の頬に、悠理がつけた薄い傷が見えた。 思いのほか近すぎる距離に、ドキンと心臓がひとつ鳴る。
それは、普通では見えない傷が見えたせいなのか。 罪悪感というには、甘すぎる感覚だった。
しばらく、無言で見つめ合っていた。
穏やかな時間が静かに流れる。 胸に満ちる温もり。
「・・・ね、危険って、どんなことがあったんだ?」
頬をベッドに埋めたまま、悠理は清四郎に問いかけた。 「中米のジャングルで、反政府軍に捕らえられた時は命からがら逃げ出しましたよ。」
息のかかる距離で、清四郎は静かに答える。 「スタッフに騙され機材やらテントやらすべてを盗られて、西アジアの砂漠で数日野宿したこともありましたっけ。」
話の剣呑さと反対に、清四郎の穏やかな声は、悠理を安心させ落ち着かせる。
「掘り出した遺物も色々でしたよ。探してるものと違って、砲弾を掘り当ててしまったり。」
「・・・清四郎は、何を探してるの・・・?」
至近距離に感じる清四郎の気配。思い出よりもそれは温かい。
悠理はゆっくりと瞼を閉じた。
「探しているものは、その時々ですよ。遺跡だったり、地層だったり、歴史的事件の証拠だったり。」
清四郎はクスクス笑った。彼の息で悠理の睫が揺れる。
「トラブルメーカーの悠理が居なくて良かった、と言いましたが、おまえが居た方が、ツタンカーメン級の世紀の大発見ができたかもしれませんねぇ。」
シャンプーの香り。穏やかな声。
「・・・・おや、悠理?眠ってしまったんですか?」
悠理はいつしか心地良い眠りに落ちていった。
呆れたような声を出しながら、清四郎も欠伸をひとつ。悠理にシーツを引っ張りかけて、自分も隣で目を伏せた。
お互いを近くに感じられる。 それは、離れていた時からずっと。 変わらないものと、変わったものがある。
こそばゆい安堵が、胸に満ちる。
穏やかな午睡。
ふたり同じ夢を見たいと思った。
心地良い眠りに、夢も見なかったけれど。
******
Pipipipipipip
眠り込んでしまったふたりは、電子音に起こされた。 「・・・わっ、今何時?!」 ガバリと悠理は身を起こす。
「・・・・18時ですかね。」 清四郎も起き上がり、電子音を発した時計を手に取った。 小さな目覚まし時計だ。
「なにそれ、目覚ましセットしてたのか?って、遅いぞ!あと30分もしたらパーティ始まっちゃうよ!」
着替えなきゃ、と悠理が焦るのをよそに、清四郎は彼女の目の前に小さな紙を差し出した。 「僕もセットなんてしてません。美童のようですね。」
白い紙はメモ。 『気持ち良さそうに熟睡してるから、先に行くよ。ゆっくり後からおいで。ふたりで消えちゃっても探さないけどね。』
文章の最後には大きなハートマーク。 「なんだこりゃ?」 悠理は首を傾げたが、清四郎は問いには答えず、眉を下げて苦笑している。
少し照れたような笑み。
サングラスも髭もない今、むき出しの彼の表情に、悠理も落ち着かなくなった。
悠理は清四郎に背中を向ける。
「あたい、シャワー浴びて着替えて来るよ。」 「ええ。僕も準備をします。デッキで落ち合いましょうか。」 「うん。・・・あ、そだ。」
悠理は部屋を出る前に振り返った。 「あたいのドレス、ライオンキングバージョンと、スフィンクスバージョン、どっちがいいと思う?」
「おや、僕に選ばせてくれるんですか?」 清四郎は愉快気に目を細めた。
「どっちもおまえらしくキテレツなんでしょうねぇ。場所柄を考えると、スフィンクスかな?できれば、被り物ナシで。」
清四郎の言葉に、悠理は手でOKサインを出して部屋を出た。
悠理は船内を小走りに駆ける。
他愛ない会話や何気ない清四郎の表情に、どうしてこれほど心打たれるのかわからない。 胸がざわざわして、落ち着かなくて。
だけどそれは不快な感覚ではなかった。
心の奥で、何かが動き始める。 それは、萌芽。変化の兆し。
******
悠理が着替えて甲板に駆け上がった時。
ナイルに沈む夕日が、清四郎と共に悠理を迎えてくれた。
「うわ・・・・」
日没が大陸の空気までも変える。空と水と大地が織り成す奇跡のコントラスト。あまりに雄大な光景に、悠理は息を飲んだ。
川風に吹かれ甲板に佇んでいた清四郎が振り返った。
悠理のドレス姿に目を細める。
「・・・それが、スフィンクス?」
「被り物ナシにしたら、それっぽくないだろ?」
黒いドレスに、透けた砂色の薄布。アクセントはトルコブルーと金の縁取り。
悠理は肩を竦めて体にぴったりとしたドレスをつまんだ。赤らんだ頬を夕日がごまかしてくれることを願いながら。
「これね、頭に被る帽子が肝心なんだよ。やっぱ、とって来る!」
「いえ、そのままで。」
悠理は踵を返そうとしたが、清四郎に手首を取られ止められた。
「・・・十分、綺麗だ。」
「な、何言って・・・」
軽く掴まれただけなのに、手首が熱い。
言われ慣れない形容詞に、胸が落ち着かない。
財閥令嬢である悠理には、美辞麗句はつきものだったけれど、清四郎からは馬鹿だの犬だのしか言われた記憶がない。
落ち着かないのは、いつの間にか大人になってしまったお互いを感じたからかもしれない。
悠理の中ではいつまでも嫌味な優等生面をしている清四郎が、いきなり大人の男になってしまったようで。
派手なだけじゃないドレスが似合うようになった、悠理自身も。
夕映えが清四郎の表情をはっきりと見せる。
いつだって、悠理を安堵させる清四郎の微笑。
変わらない笑顔に、高鳴っていた鼓動が落ち着きを取り戻した。
清四郎の黒い瞳の色は、大人になってより深まった。
沈降するでなく、大きな情熱がゆっくりと流れている。
少年のような好奇心や悪戯心に、表面がきらめくことはあっても。
深く広い心は受け入れ包み込む。
まるで、悠然と流れる目の前の大河のように。
そう、大河。対岸は遠い。
「えええ?!」
突然の悠理の奇声に、清四郎は目を丸くした。
向かい合っていた清四郎を置いて、悠理は甲板を走り出す。
「なんで?!岸辺はどこ?!街は?!」
周囲はすべて水。岸辺は遠い。
舳先の柵を掴み、身を乗り出した。
見下ろした水面は、穏やかに波打つ。碇が下ろされ、船は完全に停止している。
「身を乗り出すと危ないですよ!」
清四郎が悠理を追いかけて来た。
後ろから悠理の腰に手を回す。
悠理は清四郎に顔を向け、遠い対岸を指差した。
「だって、街がぜんぜん見えないよ!もう時間なのに、まだ河のど真ん中じゃんか!」
「いえ、ここは河じゃなく、ナセル湖ですよ。いくらナイルが大河といっても、広すぎるでしょう。ナセル湖はアスワンハイダム建設でできた湖で、ナイル川と繋がっているんです。」
「薀蓄はいいけど、どうすんだよ〜!てっきり船が街に着いてるもんだと思ってたのに。」
「船員に聞いてみたら、皆はヘリと小型艇に乗って出かけたそうですよ。」
「じゃ、あたいらもボートで行こう!」
「あのね、悠理。」
清四郎は呆れ声で肩をすくめる。
「残っているボートは避難用のものを除くと、手漕ぎの小型ボートですよ。ここから対岸まででさえ、数キロあります。いくら僕たちでも・・・」
悠理はかまわず、甲板の階段を下りはじめた。
「行こうよ、清四郎!河を下ればいいんだろ。」
清四郎を振り返って、ニッと笑う。
「あたいらなら、できるって!」
悠理の挑戦的な笑みに、清四郎も苦笑を浮かべた。
「そうですね、行きましょうか。」
階段の手摺を握る悠理の手に、清四郎の手が重なる。
また、悠理の胸がドキンと疼いた。
なんてことのない、触れ合いなのに。
以前から、仲間たちとは手を繋いだり抱きついたり。もちろん、清四郎とも。
だけど、大きな手のぬくもりは、昔よりも胸に沁みた。
いや、以前から知っていたぬくもりを、初めて意識しただけかもしれない。
笑みを浮かべる瞳の、優しさも。
NEXT
元が夢とはいえ、ほのぼの淡々とした話ですみません。
「E.O」を書いている時に、何かきっかけがなければこの人たち友人のままで一生過ごしてしまいそうだなぁ、と思ってしまいました。ふたりとも他に彼氏彼女を作りそうにないし。倶楽部の関係で満たされちゃってるんですよね。
これは、そんなふたりのその後の話かもしれません。
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