歓びの種−4−

 

 

 

清四郎の差し出した手を取らず、悠理はぴょんとボートに飛び乗った。

日本製のものよりもスレンダーなボートは、川遊び用。夜の湖に漕ぎ出すには、あまりに華奢で心もとない。

「おっと。」

揺れる小さなボートの中でバランスを取り、清四郎はオールに手を伸ばす。しかし、一対しかないオールは悠理に奪われた。

「交互に漕ごうよ。まずは、あたいが先な。」

悠理はニッと歯を見せて笑い、ふわりとしたスカートの裾を払って清四郎の向かいに座った。

 

夕日が落ちた藍色の水面を、ボートは静かに進む。

手持ち無沙汰の清四郎は、膝の上で手を組み、じっと悠理を見つめた。

まだ夕闇は悠理の姿を隠すほど暗くはない。

ドレスの裾を無造作に足に挟み、オールを操る悠理は意気揚々、ご機嫌だ。

華奢な体を際立たせるドレスは、腰から下は動きやすくフレアーとなっていたのだけど、まさか胡坐を組むことまでは想定していなかっただろう。

川風にふわふわの薄い色の髪が揺れる。薄い化粧をほどこしていても、アーモンド形の目は少年のように輝いている。

中世的な美貌は、異国の空気に不思議なほど溶け込んでいた。

 

「なんだよ?」

清四郎の視線に気づき、悠理はほのかに頬を染めた。

無邪気さと女の香りが混在している。

徐々に色の変わる夕映えの空と同じく。

清四郎にとっての悠理も、心の中で鮮やかに色を変える。

「いえ、こんな風におまえとゆっくり二人きりなんて珍しいな、と。」

「へ?」

悠理は眉を寄せた。

「そうかぁ?一緒に誘拐されたり、昔から結構あったじゃん。」

「ゆっくり、と言ったんですよ。」

本当は、あわただしい事件の渦中以外でも、部室で二人きりになったことなど何度でもある。だけど、いつでも二人の関係は有閑倶楽部の一員同士だった。たとえ二人でいても、仲間の存在を感じていたように思う。

今日までは。

 

「おまえが・・・に、見える日が来るとはね。」

「へ?なんつった?」

先ほど、甲板に悠理が現れた時。

あまりの美しさに、清四郎は目を奪われた。

それは、不思議な感覚だった。

悠理の美貌は以前から知っていた。3年が経ち、彼女が特別に女性らしく変わったのかというと、そういうわけでもない。

再会したとき、ヘリから飛び降りてみせた彼女は、むしろ以前以上にワイルドで。

甥っ子に見せる優しい表情も含め、悠理はそうあるべき成長を遂げているに過ぎないはずだ。

「悠理が女に見えるって、言ったんですよ。」

「なっ・・・あたいは前から女だっ」

「おや、そうでしたか?これは失敬。」

清四郎の冗談に、悠理は憤慨しているが。

正直、清四郎は悠理をこれまで女として意識したことはなかった。

共に過ごした日々も、離れていた月日も。

彼女を思うだけで胸の中が温かくなる、大切な存在ではあるけれど。

先ほどのように、一緒のベッドでも眠ってしまえる、身近で気の置けない関係だった。

悠理が変わらないことを信じていた。自分の悠理に対する感情も。

「・・・悠理も、いつか恋をしたり結婚したりするんでしょうね。」

「!」

ほのかに染まっていた悠理の顔が、トマトのように紅くなる。

「それとも、まさかもう、彼氏の一人や二人、いるのかな?」

 

膝の上で組んだ手に顎を乗せ、清四郎は悠理を真っ直ぐ見つめた。自分の心の裡と、彼女の反応を探るように。

 

「“まさか“で悪かったなっ!んなの、イルワケナイだろっ」

悠理の返答に、清四郎は緊張を解いた。肩をすくめ苦笑する。

「で、しょうな。」

笑みは、自嘲の笑み。

思いがけないほど安堵した自分に、驚いていた。

しかし、馬鹿にされたととったのだろう。悠理は頬を膨らませた。

「おまえだって、どーせ男にしかモテてないんだろっ!あんな髭面だと、前みたく外面に騙される女はいないだろーし!」

「そんなに酷い格好でしたかね?」

清四郎は悠理の剃ってくれた顎を掌で撫でる。

「いや、結構カッコ良かったけど・・・・。」

悠理の呟きは小さかったけれど、清四郎は意外な言葉に片眉を上げた。

悠理は慌てて両手を広げ、自分の顔の前で振る。

「い、今のナシっ!嘘っ!」

「悠理、オール!」

悠理が両手を離したため、オールはするすると水中に吸い込まれる。

「わっ!」

さすがの反射神経。悠理は素早くオールの先を掴んだ。清四郎と同時に。

二人の手が重なる。

しっかりと握り締めたオールの感触に、二人同時に安堵の息をついた。

川風が心地良く身に纏わりつき、悠理の甘い香りを運ぶ。

ドキンと、胸が大きな音を立てた。

物理的な圧迫さえともなって、胸の奥から感情があふれ出す。

心の奥深くに埋まっていた何か。

ずっと感じていたそれが、表面に現れる。

悠理に喚起される感情が、なんという名であるのか、もうそろそろ認めてもいい頃だ。

「・・・・せーしろ?」

悠理の手の上からオールを握り締めたままの清四郎に、悠理は小首を傾げる。

それでも、清四郎は悠理の小さな手を離せなかった。

この手の温かさを、これからも感じていたい。思い出の中だけでなく、こうしてずっと。

「・・・僕は、恋愛など興味がないままに、この歳まで来てしまったと思っていましたが・・・」

「うん?」

清四郎が変わったわけではない。悠理が変わったわけでも。

ずっと抱き続けていた想いに、気がついただけ。

「どうも、そうではなかったようです。」

「?」

 

悠理は眉を顰めた。

悠理の表情に影が下り、視線が戸惑うように逸らされる。

「なんだよ・・・やっぱりおまえは、器用で要領の良いヤナ奴だよな。」

「は?」

悠理はぞんざいな口調で、嘲笑するような言葉を投げつけた。

「あっちこっち飛び回ってるくせに、どっかで待ってる女がいるんだ?」

だけど、顔は逸らされたまま。

 

悠理の誤解に、清四郎は苦笑した。

「悠理、こっちを向いてください。」

「・・・・。」

 

悠理は顔を背けたまま、動こうとしない。

陽が暮れ、そろそろ湖上には闇が満ち始めていた。

だけど、湖上に浮かぶクルーザーと遠い対岸の灯り以外に、日本とは比べ物にならない星明りが二人を照らしている。

ほとんど波のない湖面に、月が映る。ゆらゆら揺れるその影を悠理は頑なに凝視している。

 

清四郎は重ねていた手を離した。

右手を悠理の頬に添え、顔をこちらに向けさせる。

悠理は唇を尖らせて睨みつけてくる。

その子供っぽい表情に、清四郎は笑い出しそうになった。

 

悠理を見ているだけで、飽きない。

このままでいる方がいいのかも知れない。

だけど。

 

「僕は美童じゃありませんよ。あちらこちらの港に、女を作っているとでも?」

 

至近距離で覗き込んだ悠理の目には、疑念と不信が浮かんでいた。

当然だろう。

3年も音信不通で不義理をし、再会したばかり。

予想外の再会がなければ、清四郎自身も気づかずこれから数年を過ごしただろう。悠理と顔を合わさないまま。

そして、いつか剣菱家令嬢の結婚を遠い空の下で知らされるのだ。それとも、今日のようにどこにいても急襲されるのだろうか。彼女の結婚式に出席するために。

 

だけど、もうだめだ。

気づいてしまったから。

埋め込んでいた、想いに。

 

だから、清四郎は悠理に告げずにはいられなかった。

 

「僕は、どうも・・・おまえを、愛しているようです。」

悠理の目がまん丸になった。

衝動的な告白。

要領が良いどころか、不器用極まりなかった。

 

 

――――“清四郎は、何を探しているの?”

 

探していたものは、いつも自分自身の中にあったのだと、今なら答える。

あまりに自然にそばにあったため、気づかなかったものなのだと。

  

 

 

 

NEXT

 


ナイル川に落ちてタイムスリップした悠理は、清四郎と瓜二つの古代の王に出会うのであった・・・・なーんて話じゃなくてゴメンなさい。いや、そんな話にした方がゴメンなさいか?(笑)

しかし、悠理は簡単に古代に馴染みそう。もちろん「王家の紋章」のキャロルのような未来の叡智はカケラもないから、石切り場で労働力として重宝され、ピラミッド建築に励む、とか。←殴

いやいや、その美貌で年若い王に召し上げられるのv が、顔面に蹴りを入れて拒否!しかし清四郎の前世である王には気に入られ、愛妾兼武術師範として・・・って、それじゃ「君の名残を」の巴御前だわ。悲恋はヤダー!

 

TOP

背景:季節素材の雲水亭