プルシアンブルーの肖像   -2-   

 

 

翌朝の空は、前日までの雨が嘘のように晴れ渡っていた。

顔を洗い、アパートの窓を開けた。すえたような部屋の空気を払いたかったからだ。

二階の窓からなにげなくアパートの前の道路を見下ろした僕と、こちらを見上げている男の目があった。

 

「・・・・!!」

 

狭い道路に停まっている黒い4WD。

その車に寄りかかり、携帯を手にしている男。

 同時に、室内の電話が鳴る。

 

「・・・はぁい?」

布団の中で惰眠を貪っていた女が寝ぼけ声で応答したが、僕は振り返らなかった。

男が携帯を閉じたからだ。

「あれ?切れちゃったわ。」

「・・・・来客のようですよ。」

 

じっと僕を探るような目で見上げている男は、見間違いようのないピンク色の髪。

昨夜見かけた、暴走族のリーダー。朝の光の中でも、強烈なオーラはいささかも減じていない。

 

「み、魅録さん!なんでっ?!」

僕の肩越しに窓から外を見た女が、息を飲んだ。

彼女の驚愕をよそに、僕自身に驚きはなかった。どこかで予感していた。彼が、再び僕の前に現れることを。

昨夜、逃亡した自覚があったからだ。

 

男は車の助手席を振り返り、何事か告げた。車の扉が開く。

強烈な既視感に、僕はまた眩暈に襲われた。

 

――――清四郎!!

そう叫んで、駆け寄ろうとするライダースーツの娘の姿が脳裏に蘇る。

彼女が呼んだのは僕の名だと、一瞬で確信した。随分と距離があったし、彼女と僕の間には人の壁が幾重にもあったにもかかわらず。

 

昨夜、僕は彼女から逃げ出したのだ。距離があることをいいことに何も気づいていない連れを急かし、アパートに戻った。

頭痛、眩暈。それは本当だった。より痛むのは、胸だったけれど。

 

 

 

「清四郎・・・。」

車から降り立った少女が、同じ名を呟く。

透明な高い声。

昨夜聞いた、少しハスキーなアルトの声とは違った。

魅録の車から降り立った小柄な娘は、昨夜の娘とは明らかに別人だった。

肩で切り揃えられた黒髪。清楚なワンピース。

厳つい4WDに不似合いなほど上品で可憐な美少女が、二階の僕を見上げている。

 

「・・・誰?」

隣で家主の女が僕に問う。記憶喪失者にそれを訊くのか、と苦笑した。

だが、僕は彼女を確かに知っていた。

それは、鏡で自分の顔を見た時にさえ感じなかった感覚だった。

 

 

 

 「清四郎、心配いたしましたわ!どうして、帰って来なかったんですの?」

アパートの扉を開けるなり、突然の来訪者は僕に食って掛かった。

「・・・。」

少女を見下ろしながら、僕は無言で曖昧な笑みを浮かべる。

彼女の背後に立つピンク色の髪の男が、僕を見ていぶかしげに目を細めた。

 

「み、魅録さん、どうしてあたしんちなんかに・・・」

大急ぎでTシャツを着込んだ家主の女は、憧れのカリスマリーダーの来訪に、彼と同じ髪の色に顔まで染めた。

「昨夜の集会で、あんたと一緒にいる清四郎を見た、って悠理が言うんでな。周囲の人間から、あんたの住所と電話番号を訊いて、早朝で悪いと思ったが、押しかけさせてもらった。」

来訪前に一応電話をしようとはしていたのだろうが、それより先に、僕の姿を見たというわけだ。

 

 

「・・・心配かけてすみません。きみは、僕の妹ですか?」

そう言ったのは、彼女を一目見るなり感じた感覚が、身内に対するものに違いないと思ったからだ。

しかし、僕の言葉に少女は身をこわばらせた。

「私が・・・わかりませんのね?」

赤い唇が引き結ばれ、大きな黒目がちの瞳が揺れる。

「”記憶喪失”なんだな?」

魅録が唇を歪めた。

「清四郎が二晩も音信不通で行方不明になるなんざ、何か理由があると思っていた。本町で事故の報告もあったしな。」

「あ、あたし・・・あたしが、拾ったんや。本町の交差点で!」

「ああ、ガードレールに事故の痕があった。昨夜の集会は、こいつを探す協力を頼むためだったんだ。そこに、まさか当人が現れるとは思わなかったがな。あんたには、感謝している。」

魅録に礼を言われ女は夢見心地。

「良かったなぁ、ケイちゃん!家族の人が迎えに来てくれて。」

「家族・・・では、ありませんわ。ご家族には居所がわからなかったことも事故のことも伏せています。」

少女の震える白い手が、僕のシャツを掴んだ。僕の胸元に、彼女はうつむいて額を寄せる。

僕は華奢な肩にそっと手を置いた。

 

「では、・・・・恋人ですか?」

もしそうであれば、残酷な言葉だったかもしれないが。

 

僕のどこかが確かに彼女を憶えていた。

喚起される温かな感情。

とても、大切な存在であったに違いない。

 

「それも、違います。」

泣いているかと思った少女は、顔を上げた。

大きな黒い瞳は濡れていたが、凛とした光が宿っていた。

「かけがえのない、友人ですわ。私たち、みんな。」  

 

 

 

 

みんな――――と、僕とは幼馴染だという少女、白鹿野梨子は言った。

 

二晩世話になった女に礼を言い、僕は魅録の運転する車に乗せられ、家路に着いた。

『菊正宗』と表札の出た大きな家の前で、三人の男女が僕を待っていた。

車中で野梨子が話してくれた、仲間たち。

彼らも僕を案じ、奔走していたという。携帯からの連絡で、駆けつけてくれたのだ。

 

 

「清四郎!!」

涙目で僕に駆け寄るのは、巻き毛のゴージャスな美女、黄桜可憐。

心配顔で長い金髪を揺らすモデルのような外人は、美童グランマニエ。

そして、剣菱悠理。

ショート丈の派手なジャケットに革パンツ姿の彼女は、やはり少年のように見えた。不機嫌そうなへの字の口。眉根の皺。僕を見つめる不審気なきつい眼差し。

だけど目が合うと、長い睫が伏せられ色の薄い瞳を隠した。

 

野梨子に感じた温かな感情とは違う、苦い痛みが胸に走った。

彼女に呼び起こされる不快な感情の揺らぎに、僕は顔をしかめた。

 

「本当に・・・記憶喪失なんだ。」

僕の姿を見て、美童が愕然と呟いた。

「?」

彼の驚愕の言葉に、僕は首を傾げる。

「そうですわね。服装や髪型だけで、随分違いますわ。悠理はよく昨夜気づきましたわね。」

そんなに、僕は普段と違う姿をしているのだろうか。

自分の服装を確認する。

昨夜とは違い、上着は事故にあった時に着ていたバーバリーのコートで、元々の僕の服のはずだ。

借り物なのは、ジーンズのパンツとキャラクタープリントのTシャツ。

まぁ、アンバランスな格好ではある。

 

「なんか可愛くなっちゃったわね。前髪が下りているからかしら?」

可憐がため息をついて苦笑した。

「清四郎もこうしていると、歳相応に見えるわ。」

あんまりな言い草に、片眉を上げた。

「言いたい放題ですな。」

思わず口をついて出た言葉に、全員の表情が動いた。

「清四郎、記憶が戻ったのか!?」

僕は肩を竦める。

「いえ。」

一瞬、安堵の色が浮かんだ皆の顔が、落胆に陰った。

 

ただ、悠理だけが、ずっと強張った表情で僕を見つめていた。

それは、僕を『菊正宗清四郎』の名を騙る偽者とでも思っているのかのような、不信感もあらわな眼差しだった。

昨夜、涙声で名を呼び駆け寄ったのは、彼女であったのに。

 

 

「清四郎、とにかくご両親に事情を話して、病院へ行きましょう。」

野梨子に促され、頷く。

友人たちは皆、同情の視線で僕を見送った。友情ゆえの、困惑。

たぶん、彼女以外は。

 

僕を不快にさせる剣菱悠理の存在を無視し、真っ直ぐ前を向いて自宅だという見知らぬ家の玄関をくぐった。

彼女の視線を、痛いほど背中に感じながら。

 

 

 

 

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ここら辺でお気づきでしょう、私が書きたかったテーマ。それは「清四郎着せ替え大作戦」!!(←大馬鹿者)

前回はパンクルック。今回はカジュアルな普通の高校生スタイルでーすv って、バーバリーのコートは余計か。(笑)

背景:月とサカナ