悠理の口にした謝罪の言葉は、僕の胸を抉った。 すでに、叶わぬ想いであることは、明白だったにもかかわらず。
――――愛せなくて、ごめん。
そういう意味だったのだろう。おそらくは、彼女の精一杯の友情から出た言葉。
いつの間にか、時刻は夕刻になっていた。 来客は、友人達だった。 「悠理?!」 授業をサボって一人先に菊正宗家に来ていたことよりも、悠理の腫れた頬に、仲間達は驚いたようだった。
僕は仲間達に向き直った。 「悠理の傷は、僕のせいです。」 間違いなく、彼女を傷つけたのは僕だ。心にも、体にも。 仲間達が驚愕の表情で僕を見る。 「清四郎、まさか、あなた・・・!」 野梨子の声が震えた。
「違う!あたいが、清四郎に殴りかかったんだ!」 僕が答える前に、悠理が割って入った。 「殴っただけじゃなくて、蹴りも入れた!これは、清四郎の防御の手が当たっただけなんだ。」 仲間達はあっけに取られたようだ。 「ま、まさか悠理、清四郎の頭を殴って記憶を戻そう、なんて思ったんじゃ・・・」 悠理は大きく頷いた。 「そーだよ。それで、清四郎は戻って来たんだからな!」
「「「「え?!」」」」 仲間達に向って、悠理はへの字口のまま、Vサイン。
しかめっ面ながらいつも通りの彼女の姿に、僕は苦笑するしかなかった。 「心配をおかけしましたね。悠理の荒療治のおかげで、記憶が戻ったようです。」
大きな目を潤ませた野梨子。 端整な顔をくしゃりと崩す美童。 「清四郎!」 僕の首に抱きついて来たのは、感激屋の可憐だ。 魅録も僕の肩に腕を回す。
彼らは皆、僕のことを心底案じてくれていたのだ。 僕はもう思い出している。日頃クールな彼らの、本当は熱い友情を。
――――清四郎が戻って来た。
先ほどの、悠理の言葉に、痛いほど思い知らされる。 有閑倶楽部の仲間としての僕を、悠理が望んでいるのだと。
――――ごめん。
先ほど悠理の告げたそれは、許しを求める言葉ではなく、反対に、僕に赦しを与えるものだったのかもしれない。 友人としてもとの関係に戻ることが、彼女の望みなのだ。何も、なかったかのように。
僕のしたことに対して、寛大すぎる言葉だった。 そして、残酷すぎる言葉だった。
|
翌日、僕は隣家の野梨子と共に、登校した。 学園では変わりない日常が待っていた。僕の数日間の欠席も、仲間達以外は理由を知らない。
「子供の頃からずっと当たり前だと思っていましたけれど、そうではないのだと、この数日間痛感いたしましたわ。」 隣を歩きながら、野梨子は何度も僕を確認するかのように見上げた。面映そうな笑みを浮かべて。 「あなたともう一度こうして登校できることが、私はとても嬉しいんです。隣家に生まれて、一緒に月日を重ねることができた偶然に、うまく言えませんが・・・・・感謝しています。」
魅録と共にアパートへ僕を連れ戻しに来た野梨子の涙を思い出す。その時、胸を過ぎった彼女への温かな感情と。
「僕も感謝していますよ。家族以上に親身になってくれる、幼馴染の存在にね。あなただけでなく、皆に対しても。こんな友人を持てることは、当たり前のことではないんですよね。」 心からの言葉だった。 僕が捨て去ろうとした自分を、懸命に彼らが探してくれたのだから。
野梨子は小首を傾げて僕を見た。 「記憶喪失だった間のことは、覚えていますの?」
部室に顔を出した時、皆にも同じ質問を受けた。 「覚えていますよ。」 僕の記憶喪失は、やはり心因性のものだったのだろう。
放課後の部室。 いつものように席に着いた僕に、野梨子が茶を配ってくれる。彼女はなんだか嬉しそうだ。 「こうして全員揃ってテーブルを囲むのも、久しぶりの気がするわね。」 可憐もニコニコと、手作りらしいカップケーキを綺麗な皿により分けた。 美童も魅録も笑顔だ。 悠理に至っては、すでにカップケーキに齧りついてご機嫌顔。
「頼まれた通り、例の女には礼をしといたぜ。」 魅録が僕にこっそり耳打ちする。 「すみません。」 「あら、清四郎を囲っていたっていう女性ね。清四郎が挨拶に出向かなくていいの〜?」 聞き留めた可憐に突っ込まれた。 「人聞き悪いですね。とても親切にしてもらったんですよ。」 僕は苦笑する。 「でも、彼女は魅録の大ファンでしたから、魅録に行ってもらったんです。なによりのお礼ですよ。」 「そういえば、あの方、魅録と同じ色に髪を染めてましたわ。」
野梨子は、ふふ、と微笑した。 「私達がアパートに行ったとき、清四郎は私のことを家族だと思ったんですわね。いきなり『きみは妹ですか?』と問われて驚きましたわ。」 「あら、そうだったの。」 「へぇ!野梨子のことは、なんとなく特別に感じたんだ?」
「ええ・・・まぁ。」 なんと答えようか一瞬逡巡したが、正直に頷いた。 「野梨子だけではありませんよ。魅録を遠目に見たときも、すごく印象に残りました。・・・もちろん、悠理もね。」 それは、記憶の残照が疼いたせいなのか、彼らが特別な輝きを放っているからなのかは、わからない。
美童が興味に青い目を輝かせた。 「記憶がない間、僕らを見てどう思ったんだい?」
僕は皆の顔を順に見た。 非凡で特別な仲間達。 野梨子の言葉を噛み締める。 ここでこうして集まれることは、奇跡のような偶然なのだろう。
「美童は、なんて綺麗な男性かと驚きましたよ。モデルかなにかとてっきり思いましたね。」 よくスカウトはもらうんだけどね〜と、美童はまんざらでもない。 「可憐もです。美女に抱きつかれて、内心少し焦りました。」 あんたは記憶喪失の時の方が可愛かったわね、と憎まれ口をたたきながら、可憐は頬を染める。 「魅録は、伝説のカリスマリーダーだと聞かされてましたが、なるほどの威圧感とオーラで、近寄りがたいほどでしたよ。いまだに人望と影響力は健在ですな。・・・・悠理は、」 僕は悠理に顔を向けた。 それは、昨日自室で向かい合った時以来、初めてだった。 「・・・男の子に見えましたね。どこの美少年かと。」 軽く聞こえるように、肩をすくめて茶化す。 悠理は菓子を頬張ったまま、む、と顔をしかめた。
しかし、その表情は、記憶喪失の間彼女が僕に向けていた顔とは、どこか違った。 気の置けない友人に向ける、無邪気なふくれっ面。 憎しみも悔しさも、拳と涙を僕に向けたことで、彼女は洗い流したのかもしれない。
悠理は愚かで幼いが、強い。 僕などよりも、ずっと。
守らねばならない大切なものを、彼女は本能的に知っている。 僕が恋と引き換えに、壊そうとしたものを。
奇跡のような偶然。 運命的な、と言ってもいい。 ここで六人が集い、一生続くであろう友情を結べた。 出逢えた幸運を感謝するべきなのだ。
悠理と出逢ったことも、また。 それは、まだ僕を苦しめるけれど。
彼女の望みは、わかっている。 叶わぬ恋は、罪の記憶とともに葬り去ればいい。
だけど、僕には、わからない。 どうやったら、消し去ることができるのだろう? 自分自身を捨ててさえも、消えなかった想いを。
|
6人の非凡さを客観的に見たかったのが、この話を書いた理由のひとつです。本当は清四郎のカリスマっぷりも美辞麗句で書きたかった〜!さすがに、本人の一人称じゃ無理やな。(笑) 出口の見えない恋に悩む清四郎。終わりの見えない話に困っているワタシ・・・ 次回あたり急展開させなきゃ!(←まだ考えてない。) |
背景:月とサカナ様