プルシアンブルーの肖像   -7-   

 

 

 

放課後、帰路の途中。所用を思い出したと、野梨子を先に帰した。

僕が向ったのは、学校から程近い公園だった。

 

都心にもかかわらず緑豊かなこの公園には、下校途中にそばを通るにもかかわらず、僕が足を踏み入れたのは数えるほどしかない。

そのほとんどが、悠理と共に。

自然児悠理は、都会のオアシスのようなこの公園がお気に入りで、試験前合宿などで僕や野梨子と帰る時は、必ず寄りたがった。

僕はそんな時、勉強からの現実逃避だと、叱ったものだけど。

公園の中ではしゃぐ悠理を見るのは、楽しかった。

 

今、僕が逃避してはならない現実は、この公園だ。

そう。

ここは、あの日悠理に対して、僕が許されざる罪を犯した場所だった。

 

罪の記憶から逃げてはならないという思いが、忌まわしい場所に僕を向かわせた。

いや、赦すことで、すべてをなかったことにしようとした悠理が、僕をそこに向かわせたのかもしれない。

 

 

部室に集まった仲間達が早々に下校し、僕と悠理がはからずもふたりきりになった、あの日。

 

――――そろそろ僕達も帰りますか。悠理、お迎えは?

――――なんか歩きたい気分なんだ。途中まで、一緒に帰ろ!

 

ふたりきりになる機会を、避けていたのは僕。もう、彼女への抑えきれない想いを自覚していたから。

それでも、彼女の無邪気な申し出に、面映い思いで応諾した。

 

あの日も、公園の林の中に僕を誘ったのは悠理だった。

この公園から見る夕日は、ビル群に邪魔されず木々に縁取られ、美しく沈む。

公園内の道やベンチには、この夕刻の静寂を楽しむ老人やカップルの姿が見られた。

 

――――もっといい場所、この前見つけたんだ!

 

悠理は僕の手を引いて林に分け入った。日没に間に合うように、息をはずませ早足で。

そこは、木々に遮られ喧騒から離れた小さな草地だった。

寝転んで見上げなきゃだめだと袖を引かれ、悠理の隣で草の上に横たわった。

確かに、彼女の言葉通り、爽快で美しい光景だった。ここが東京の片隅であることを忘れさせる、見事な日没。

 

ふたり、そうして夕焼け空を見上げていただけならば、美しい友情の思い出になっただろう。

 

――――いつもは、野梨子と一緒だろ。清四郎とふたりで、ここに来たかったんだ。

――――え?

 

思いがけない言葉に驚いて、僕は半身を起こし隣の悠理を見つめた。

夕映えに照らされた彼女の表情は、照れたように赤らんで見えた。

 

――――だ、だって、野梨子は草の上に寝転んだりしないだろ。この気持ち良さのわかんない奴に、とっておきの場所を教えてやるもんか。

 

悪戯っ子のような笑みを浮かべる、彼女の幼さを知っていて、なお。

甘えるように擦り寄ってくる髪の甘い匂いが。

夕映えの中の悠理の美しさが。

友人の一人のままでいたくはないと、僕の感情を昂ぶらせた。 

 

 

 

 

 

冬の性急な訪れに葉の散った林を、ひとり進む。

空はあの日と同じ、見事な夕焼け。

ゆっくりと草を踏んで歩いていた僕は、目指す場所にあるはずのない姿を見出し、足を止めた。

我が目を疑う。

 

「清四郎・・・?」

草の上に寝転がっていた悠理は、上体を起こして僕を見た。

制服の背についた落ち葉が何枚か落ちる。

 

あの日と同じ彼女の姿に、息さえ止まった。

確かに、ここは悠理のお気に入りの場所だった。だけど、僕のせいで忌まわしい場所となったはずだ。

 

「ゆう・・・り・・・」

喉がかすれて声が出ない。

彼女が理解できない。

 

 

 

 

あの日。

突然組み敷いたとき、驚きのあまり大きく目を見開いていた悠理。

 

――――どうして、こんなことするの?!

 

そう問われて、想いを告げた。

 

――――愛しています。

 

だけど聞きたくないとばかりに、悠理は自分の耳をふさいで、顔を背けた。

 

無理やりに奪った口付け。止まらない感情と欲望のまま、悠理を抱いた。

それでも、ただのレイプにはしたくはなかった。

 

泣きながら身悶える彼女を、丹念に責めた。

痛みだけではなく、快楽を感じるように。

僕の想いが、届くように。

 

強張っていた体は、しだいにほぐれ濡れて開いた。

力ではなく言葉と愛撫で、抵抗を封じた。

 

交わり重なった肌と肌のぬくもり。

蒼ざめていた頬に色が差し、全身が薔薇色に染まる。

伏せた睫が、何度も震えたのは快感ゆえに。

抵抗の言葉は、甘い吐息に変わった。

 

彼女の意思ではなく、僕の意思で体を溶かした。

ひょっとしたら、それは、より残酷な行為だったのかもしれない。

女であることの自覚さえなかった幼い悠理に、体は女であることを思い知らせたのだから。

 

――――おまえは、もう僕のものです。僕の女だ。

 

たったひとりの、女。

他の誰にもこんな感情を抱いたことはなかった。

愛も所有欲も征服欲も、すべてが悠理だけに向かった。

 

半ば意識を飛ばし力なく横たわった悠理の髪を梳きながら、僕は想いを遂げた充足感に浸っていた。

悠理は僕を受け入れてくれたのだと、錯覚していた。

 

――――愛してる、悠理。少しは、僕を好きですか?

 

問いは、睦言。彼女が僕を好いていてくれることはわかっていた。

いつも僕を頼り甘えてきたのは悠理だったから。

それが、恋でなくても良かった。

いつか、僕に惚れさせてみせると自惚れていた。

 

 

悠理は目を開けて、僕を見つめた。

涙に濡れた茶色の瞳は、ガラス細工のように透明だった。

 

――――おまえなんか、だいっ嫌いだ!

 

嫌悪に満ちた泣き声に、傲慢な自惚れは、砕け散った。

 

 

 

 

 

 

 

黄昏時は一瞬。

陽の落ちた空は、急速に藍色に染まる。

 

「清四郎、野梨子と帰らなかったのか?」

悠理の問いかけが、僕を回想から引き戻した。

 

「・・・・。」

愕然と言葉も出せず立ちすくむ僕に、悠理の表情が曇った。

「なんだよ、幽霊を見たような顔してさ。」

幽霊を見たほうが、驚かなかっただろう。

 

 

この場所で平然とした顔を僕に向ける悠理が信じられなかった。

 

記憶を失った僕に対して、悠理が抱いたであろう怒りと悔しさが、少し理解できた。

切られるような胸の痛みと共に。

ひとり取り残された気がする。

それが忌まわしい思い出であっても、共有した時間を否定された気がして。

 

「夕日に、間に合わなかったな。」

凍りついたように動けない僕の前で、悠理は立ち上がり、スカートについた落ち葉を乱暴に払った。それは、いつものような粗雑な態度に見えた。

だけど、僕は気づいた。

悠理の手が震えている。

 

「・・・悠理。」

「・・・ん?」

顔を上げて僕と目を合わせた悠理の瞳の中に、怯えと惑いを読み取る。

平気なわけはない。

忘れたわけでもない。

友情ゆえに僕を赦そうとしても、いまだ拭えない過去に、苦しんでいる。

 

 

僕は竦んでいた足を叱咤し、悠理に背を向けた。

「安心してください。僕はすぐに去りますから。」

「え?」

「ここに、来るべきではなかった。」

「・・・・。」

僕は下草を踏みしめ、悠理に背を向けたまま歩き始めた。

「待ってよ!」

悠理が駆け寄って来た。

「あたいも帰る。もう陽も落ちたから、すぐ暗くなっちゃうし。」

 

僕の隣で、悠理も歩き始める。

悠理との距離は、十数センチ。

だけど、心の距離は計りかねていた。

薄闇の中、表情も見えなくなる。

 

「帰りの車は?家まで送って行きましょうか?」

「いいよ。携帯で呼ぶから。」

内心安堵する。何食わぬ顔で悠理と過ごすのは、まだ苦しい。

悠理が嫌悪や恐怖を僕に感じていたとしても、彼女はそれを表に出そうとしなかった。

精一杯の虚勢を張って、元の友人関係に戻ろうとしている。

 

「・・・・悠理、もう大丈夫ですよ。」

「な、なにが?」

 

優しい悠理。

強い悠理。

僕も、彼女に報いなければならない。

 

「もう、吹っ切れました。事故と記憶喪失が、結果的に良い機会になったようです。」

「・・・へ?」

 

薄闇の中、僕は足を止めた。

悠理も立ち止まる。

 

悠理に笑顔を向けて、僕は続けた。

「一時の熱病みたいなものだったんでしょうね。今は、憑き物が落ちたように、すっきりしていますよ。」

ぎこちない笑みだったが、夕闇がごまかしてくれるだろう。

 

「僕達は、友人に戻れますよね?酷い事をした僕を、おまえが許してくれるなら。」

「・・・・!」

 

夕闇は、僕のついた嘘をごまかしてくれるけれど。

悠理の表情をもまた、見えなくさせた。

 

こんなに近くに居ても見えない。

触れることは出来ない。

それは、心の距離そのままに。

 

 

 

 

NEXT

TOP

 

 

・・・・あと少しで終われるかな?

背景:月とサカナ