金魚

  BY hachi様


~2~



「畜生、いったい何がどうなってるんだよ。」
魅録が忌々しげに呟く。
「とりあえず、意識が戻らないだけで、命に別状はないのでしょう?」
そう言いながら、野梨子も蒼褪めた顔をしている。
可憐も、美童も、一様に顔色が悪い。
そして、ベッドに横たわる、悠理も。
「その、意識が戻らないというのが問題なんです。」
清四郎が固い表情で告げると、仲間たちの顔色は更に褪めた。
ここは悠理の部屋である。清四郎が発した緊急事態発生の知らせに、皆、すぐに飛んできた。
「元凶は、神社で遭った男の子なんだろ?その子を探し出せば、きっと悠理を助ける手段が見つかるんじゃない?」
「袋小路で忽然と消えたガキを、今からどうやって探すんだ?」
「そうよ。もう真っ暗だし、今から探すのは無理よ。」
「相手が幽霊でしたら、夜に動き回るのは危険ですわ。」
一通りの議論を交わしたが、なかなか解決策は見つからない。
その最中にあっても、清四郎は悠理から離れることができなかった。
意識のない悠理の顔を見つめながら、どうして守ってやれなかったのかと、後悔の念に苛まれる。
清四郎がついていたのに。あのとき、誰よりも傍にいたのに。
あと一秒でも早く異常に気づいていれば、悠理は無事だったかもしれない。そう思うと、胸が潰れそうなほど苦しかった。
「清四郎・・・あまり自分を責めないでくださいな。」
「そうだぜ。あのとき俺も一緒にいたのに、何もしてやれなかったんだ。」
仲間たちの慰めの言葉も、今の清四郎には届かなかった。
可憐が淹れてくれたミルクティーも、口をつけないままで、すっかり冷えてしまった。
美童が、そっとしておいてやろう、と魅録に囁いたのが、清四郎の耳まで届く。だが、大丈夫だと強がる力も、残っていなかった。
「悠理・・・起きろ。眼を醒ませ。」
冷たい手を取って、そっと声をかける。もちろん悠理は瞼を開こうとしない。それでも諦めきれずに、もう一度、悠理の名を呼んだ。
「悠理。僕はここにいます・・・」
悠理の瞼が、僅かに痙攣した。
「悠理?」
清四郎は慌てて彼女の頬を両手で包み、間近で顔を覗きこみながら、悠理の名を叫んだ。
呼びかけが聞こえたのか、悠理の眼が、ゆっくりと、開いた。
「・・・金、魚 」
悠理はぼんやりした眼を天井に向けて、呟いた。
 

「悠理っ!!」
清四郎の叫びに、皆は弾かれたように振り返った。
魅録や美童に続いて、野梨子と可憐もベッドに駆け寄る。
悠理は清四郎に肩を支えられた状態で、虚ろな眼を仲間たちに向けていた。
誰もが悠理の名を必死に呼んだ。なのに、悠理は反応を示さない。
眼は開いているのに。野梨子たちの姿が見えているはずなのに。声だって聞こえているはずなのに。
野梨子は意を決して、悠理の頬を叩いた。
ぱしん、と高い音が室内に響き、可憐が悲鳴を上げた。美童が慌てたように野梨子の肩を押さえる。でも、叩かれた張本人は、何の反応も示さない。
「・・・正気に返った訳でもなさそうですわね。」
「ええ。」
清四郎が固い表情のまま頷く。
「目覚めたとき、金魚、と呟いたのですが、それも本人の意思とは無関係でしょう。」
「金魚?」
美童が睫毛で縁取られた眼を、大きく見開いた。
「金魚って、あの?goldfishの、金魚?」
「他に何があるのよ?」
可憐の呟きに、美童がむっとしたように眉を顰めた。
「清四郎は、金魚という言葉に、意味があるとお思い?」
「そんなこと、僕にだって分かりませんよ。」
らしくもない消極的な発言に、野梨子は溜息を吐いた。
自分の目の前で悠理が倒れたことに、酷く責任を感じているのは分かるが、こういうときだからこそ、しっかりすべきではないか。
野梨子はベッドに身を乗り出して、悠理の頬を何度か軽く叩いた。
すると、悠理の瞳に、僅かだが光が戻った。
「悠理?聞こえていますの?悠理?」
「・・・赤い、金魚、と・・・遊び、ましょ・・・」
「なあに?何て言っているの?」
可憐もベッドに身を乗り出して、悠理の顔を覗きこんできた。
「・・・赤い、服・・・どこ?」
焦点の合わない瞳が、可憐を映す。
「赤い服?何のこと?悠理、分かるように喋ってよ。」
可憐の問いかけも虚しく、悠理の瞳はまた閉じてしまった。
清四郎の胸に頭を預け、くったりと脱力する。清四郎は野梨子のせいで赤く染まってしまった悠理の頬を優しく撫でてから、彼女を壊れ物のようにそっと横たえた。
皆は一旦ベッドから離れて、百合子の趣味であろう豪奢な応接セットに移動した。
悠理が呟いた言葉を、魅録が繰り返す。
「赤い金魚と遊びましょう、に、赤い服、か。いったいどんな意味があるんだ?」
野梨子は大理石のテーブルを見つめたまま、低い声で呟いた。
「赤い服の意味は分かりませんけれど・・・金魚のほうは、たぶん北原白秋ですわ。」
可憐と美童が、反芻するように、白秋?と繰り返す。
「清四郎なら暗記してますでしょ?金魚の詩くらい。」
皆の視線が清四郎に集中する。
清四郎は小さく頷いて、傍らのローボードからメモとペンを取った。
そして、描き上がった詩を見て、全員が一様に顔を顰めた。


美童は、その詩を読んで、マザーグースを思い出した。
その陰鬱で、シニカルな、独特の世界観を、苦手とする人間も多いだろう。
実際、美童のガールフレンドの中にも、気持ち悪い、と言って嫌う娘がいた。
文体は違えど、金魚という詩には、マザーグースと同じ匂いが漂っていた。
「気持ち悪い・・・コレ、本当に北原白秋なの?」
美童が持つ『北原白秋』の知識は、『詩人』という程度で、どんな詩を描いたかまでは覚えていない。というより、学習した記憶がない。
「北原白秋といえば『落葉松』や『この道』だろ?全然作風が違うじゃねえか。」
「間違いなく白秋ですよ。発表当時も、文壇から残酷だと非難を浴びました。それに対して白秋は『子供が持つ母への純粋な思慕を表現しただけ』と、反論しています。」
「それ、何となく分かるよ。子供って、純粋なぶんだけ残酷だよね。」
美童はメモから顔を上げて、ソファに上体を預けた。逆に可憐は、メモの上に身を乗り出す。派手な作りの顔には、あからさまな嫌悪が浮かんでいた。
「分かるわあ。子供って、興味本位に蝶の羽根を捥いだりするじゃない?きっと、それを表現した詩なのよ。」
そう。確かに子供は残酷だ。ピュアだからこその残酷さ。それはある意味、計算高い女性より、怖い。
「感想はともかく、どうして悠理がこの詩を知っていたかを調べるべきではありませんこと?酷い言い草かもしれませんけど、私、どうしても悠理がこの詩を知っていたとは思えませんの。」
「俺も同感だぜ。歌詞ならともかく、こういう文学的な香りが漂う詩なんて、まるっきし覚えていないはずだ。」
「もしかして、少しでも悠理を賢くするために、清四郎が覚えさせたとか?」
自然と清四郎に視線が集まる。
清四郎の表情は、凍ったように硬い。
「金魚より、気になることがあるんです。」
ぼそりと呟いてから、清四郎は更に俯いた。傍目から見ても、この隙のない優等生が、著しく消耗しているのが分かる。
「悠理は、赤い服、と言いましたよね?」
「ええ。」
野梨子と可憐が揃って頷く。
それを見た清四郎の眼に、陰鬱な翳りが揺らめいた。
「あの近くで、赤い服を着た女性が、三人も惨殺されているんです。」
思いもよらなかった台詞に、美童は思わず叫んだ。
「それ・・・まさか、ワイドショウで騒がれていた!?」
「そうです。猟奇殺人として世間を騒がせた、あの事件ですよ。」
まさか―――― 美童の胸に、嫌な予感が湧いた。


可憐はわりとワイドショウが好きだ。
エクササイズをしながらの暇つぶしには、頭を使わないワイドショウがぴったりだから。
だから、清四郎が言う『猟奇的殺人』も、何を差しているのかすぐに分かった。
「・・・まさか、それって・・・全身の骨が粉々になるくらい殴られていたっていう、あの事件こと?」
「―――― ええ。一人目はね。」
その答えに、可憐は軽い眩暈に襲われてしまい、力なくソファに凭れた。
「可憐、真っ青ですわよ。貧血ですか?」
野梨子も青褪めているくせに、可憐を介抱しようとする。可憐はその手をやんわり払い、もう一度身を起こして清四郎を睨みつけた。
「あれは複数犯の犯行だって、テレビで言っているわ。幽霊のくせに、複数で殺せるはずないじゃない!」
「幽霊なら人間に出来ないことも出来ますよ。」
正直、冷徹な男だと思った。でも、そんな清四郎の顔は土気色に染まり、いつもの覇気も消えてしまっている。
ああ、そうか――――
悠理に起こった変異に、一番ショックを受けているのは、この男なのだ。
清四郎は人一倍に責任感が強い。間近にいたのに助けてやれなかったことを、余程悔いているのだろう。
「清四郎・・・まさか、あの子供が犯人だって言うのかよ!?」
魅録が叫ぶ。
「その可能性が大きい、と言っているのです。」
それを聞いた魅録は、派手な色に染めた頭を掻き毟って、苛立ちを露わにしている。
可憐だって、吐きそうなくらい焦燥感にかられている。でも、何とか頑張って気持ちを落ち着けようと努めた。いつもなら誰もが頼りにする清四郎が憔悴しているのだ。普段なら彼が受け持つパートを、誰かが肩代わりしなければ、話し合いも進展しない。
「万が一、その子供が連続猟奇殺人の犯人だとしてよ。どうして悠理は生きているの?それって、悠理が助かる道が残されているって証拠じゃない?」
可憐の言葉に反応したのは、清四郎ではなく、魅録だった。
「そうだぜ!野梨子や可憐だって幽霊に襲われたけど生きているじゃねえか!助かる道はきっとある!」
「可憐と一緒にしないでください。私は人助けをして襲われたんですのよ。可憐は鬼子母神の像を燃やすなんてことをしたからバチが当たったんです。自業自得ですわ。」
「自業自得で悪かったわね!」
可憐の怒りなど我関せずといった顔で、野梨子はミルクティーを啜っている。
まあ、確かに、瀬戸内の蛇様事件と、鬼子母神事件では、同じ悪霊事件でも標的にされた原因が違う。
「僕もキヌさんの霊に狙われたけど大丈夫だったよ。」
「今は霊体験自慢をしている場合じゃないでしょ。」
可憐は苦虫を潰したような顔をしながら、話を進めた。
「清四郎、あんた、腑抜けている暇があったら、もっと考えなさいよ。野梨子、あんたも賢いんだから、清四郎のぶんまで考えて。」
「僕は?」
うきうきと尋ねる美童を一瞥して、可憐は冷たく言い放った。
「あんたは黙ってて。」


ソファの隅でいじけている美童を横目に、魅録は懸命に記憶を逆回転させていた。
現場に居合わせたのは、清四郎と自分だけなのだ。だが、悠理だけを目指して石段を駆け上っていた清四郎に、周囲を観察する余裕があったとは思えない。
ならば、頼りになるのは、自分の記憶だけである。
眼を閉じて、頭のスクリーンに記憶を映し出す。
長く延びた石段。それを必死に駆け上がる清四郎の後姿。鳥居の前に佇む悠理の背中。
―― そして、夕陽に燃えた、少年の姿。
夕陽の加減か、それとも人ならぬ人の成せる技か、顔はまったく見えなかった。
だが、半ズボンから伸びた足や、青いTシャツは、はっきりと見えた。
「・・・Tシャツだ。」
魅録が思わず漏らした呟きに、全員の眼が集中した。
「そう!Tシャツだ!何か妙だと思っていたら、そうだ、あれだぜ!」
「何か思い出しましたの?」
黒目がちの野梨子の瞳が、魅録をじっと見ている。思わずその肩を叩いて、もう一度、あれだぜ!と叫んだ。
「あのガキ、スポーンのTシャツを着ていやがった!」
「スポーン???何、それ?」
「可憐は知らないか?何年か前に上映された近未来アクション映画だよ。ヒーローが恐ろしく悪人面のうえ、設定がダークでさ。前評判のわりに流行らなかったんだ。」
「別に悪人面したヒーローのT シャツを着ていたって良いじゃない。本人の趣味かもしれないし。」
「俺が言いたいのは、何年も前に流行った映画のTシャツを、どうして今時のガキが着ていなきゃならないかってことだよ。」
「魅録は、神社にいた子が亡くなったのが、その映画が上映されていた時期かもしれないと仰りたいのでしょう?」
野梨子の言葉に、魅録は我が意を得たりと言わんばかりに何度も大きく頷いた。
そこで、俯いたままの清四郎が、ようやく顔を上げた。
「魅録・・・ 可能な限りで結構ですから、警察しか知り得ない情報を引き出してもらえませんか?もちろん、時宗おじさんに迷惑がかからない程度で結構です。」
「ああ、例の連続殺人についてだな。任せておけ。」
「もちろんそれもですが、その映画が上映された時期に、事件現場近隣で死亡もしくは行方不明になった子供のリストが欲しいんです。対象年齢は、小学校低学年・・・いいえ、幅を持たせて、五歳から十一歳。お願いできますか?」
清四郎は、魅録に黒い瞳を真っ直ぐに向けた。
いつの間にか、その眼にはいつもの力が戻っていた。


「二人目も・・・酷い殺され方ですのね。」
野梨子がプリントアウトされた紙に視線を落としたまま、掠れた声で呟いた。
それは、魅録が自宅から送ってきたファイルを印刷したものだった。
メールの本文には『とりあえず分かったぶんだけ送る。子供の件は、現在調査中。』とだけあった。いったいどんな方法で『調査』しているのか、考えただけで恐ろしくなる。
「きっと時宗おじさんのパソコンから不法アクセスしてるんだろうな・・・」
美童の呟きに答えるものは、誰一人としていなかった。
「直径五センチって言ったら、ちょうど輪ゴムくらいよね。そこまで細くなるよう首を絞めるって、いったい何を使ったのかしら?」
「っていうか、輪ゴムの大きさになるまで首を絞める、犯人の気がしれないよ。」
魅録から送られてきた資料によると、一人目の被害者が出たのは五年前、仕事からの帰宅途中に殺害されている。死因は内臓破裂。棒状の凶器で執拗に殴打され、死に至った。
二人目は二年前、夜七時頃、友人宅に向かう途中に殺害された。絞殺だが、死因は窒息、もしくはショックによるものと考えられている。
そして、三人目は半年前。深夜、駅前のコンビニまで買い物に出かけ、そのまま帰らぬ人となった。死因は―― 生きたまま胴体を捻じ切られたことによる、ショック死。
「殺害方法はばらばらだけど、共通点は多いのね。」
可憐が野梨子から用紙を奪う。野梨子は既に読み終えていたらしく、文句を言わない。
「そうですわね。まず、同じ駅前商店街を通過していた。それから、全員が女性で赤い服を着用していた。死体遺棄現場も同じとくれば、やはり警察も同一犯の犯行だと考えているはずですわ。」
「死体を捨てた場所って、隣町でしょ?いくら幽霊でも、死体を運んではいけないんじゃない?」
「こちらに来て、地図を確かめてください。悠理が倒れた神社が建立された山と、死体遺棄現場は恐ろしく近いんですよ。」
清四郎の声が飛んできた。彼は悠理が眠るベッドの横で、休む間もなくパソコンを操作している。
三人は清四郎の背後に回り込んで、揃って液晶画面を覗いた。清四郎が指差す先に、鳥居のマークがある。
「ここが、悠理が倒れた場所です。それからここが、赤い服を着た女性たちが遺棄された場所になります。」
清四郎の指が、神社から僅かに動いて、山の裏にある貯水池の上で止まった。
「なあに?神社のすぐ裏じゃない!!」
「実際には、神社の裏は密生した林になっていて、人が通られるような道はありません。神社から貯水池へ行くには、いったん石段を下って、山を迂回するかたちになります。」
清四郎は、山裾に沿うように伸びる道をなぞり、これが最短ルートです、と付け加えた。
「警察は、車を使って拉致したあと、どこか違う場所で殺害し、わざわざ戻って死体を遺棄した、と考えているでしょう。三人目に関しては、模倣犯の可能性も持っているでしょうし、捜査範囲をかなり広げていると思いますよ。」
「それならば、当然神社も調べているのじゃありません?」
「調べても、殺害の痕跡が残っていなかったら、捜査範囲から外すでしょう?」
清四郎は液晶画面を睨んだまま、吐き捨てるように言った。
「相手が幽霊なら、痕跡を残さなくても当然です。」
美童は思わず時計を見た。間もなく日付が変わろうかという時刻だ。幽霊が現われたって、おかしくはない―― 
「きゃっ!!」
可憐の悲鳴に、美童は飛び上がって驚いた。
「悠理!!眼が醒めたの!?」
ばくばく鳴る心臓を押さえて振り返ると、寝ていたはずの悠理が身を起こしていた。
「赤い・・・服、着ないと・・・」
虚ろな視線を空に向けたまま、悠理はゆっくりと絨毯に足を下ろした。






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