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連休の前日、一行は、学校が終わるとすぐに空港へ向かい、九州へと飛んだ。
その晩は、飲めや歌えやの乱痴気騒ぎで九州の夜を満喫し、翌朝は、野梨子だけが母の名代を果たすべく、別行動をすることになった。
「じゃあ、午後にね!」 「気をつけて!」
野梨子と別れ、他のメンバーは悠理が勧めるままに、天吹家へと向かった。
意気揚々と向かったものの、天吹家に到着した一行は、玄関に貼られた「忌中」の文字に、立ち竦んだ。
「・・・誰か亡くなったのかしら?」 「じゃなきゃ、こんな紙は貼らねえだろ。」
「でも、万作おじさんと懇意にしているなら、家人が亡くなった場合、連絡くらいするものでしょう?」
「昨日の朝、父ちゃんに行くって伝えたときは、何も言われなかったけどな。」 「じゃあ、この紙は何?」
人様の家の玄関先で、無意味な相談が行われる。 今さら引き返すわけにもいかずに、皆は意を決し、チャイムを押した。
中から出てきたのは、やつれ切った若い女性だった。 「ああ、悠理ちゃん・・・」 女性は悠理を見て、力なく微笑んだ。
「美晴さん!」 悠理は、そう叫ぶと、女性に飛びついた。 「ねえ、誰か死んじゃったの?」
がくがくと揺さぶられ、美晴の身体は、激しく前後に動いた。 やつれた美晴の身体は、今にも倒れてしまいそうだ。
何も言わない美晴に、痺れを切らした悠理が叫ぶ。 「ねえ、美晴さん!ケン兄ちゃんは?」 美晴は、悠理に肩を掴まれたまま、咽び泣きはじめた。
そこで、一行は、悠理が会いたがっていた健司が、十日前に自殺していたことを、ようやく知ったのだった。
健司は、先物取引に手を出し、億単位の財産を失ってしまった。
彼は、失った財産を取り戻すべく、会社の金に手をつけて、さらなる取引に挑んだものの、結局、最初の数倍にもなる損失を出した。
家や持株を売り払い、貯金を叩いたとしても、穴埋めできる額ではない。 追いつめられた健司は、悩んだ挙句、最悪の決断をした。
十日前の夜、切り立った断崖絶壁から身を投げて、自殺したのだ。
線香の煙が立ち昇る仏前で、悠理を除く一行は、美晴に簡単な自己紹介をした。 美晴は、亡くなった健司の妻だという。
彼女の膝には、二歳になったばかりという、小さな男の子が座っていた。
健司と結婚して、まだ五年。突然の災禍に見舞われ、美晴はすっかりやつれていた。
「とんでもない額のお金を使い込んでの自殺だったから、親しくさせていただいた方にも、お知らせするのが躊躇われて・・・ごめんなさいね、悠理ちゃん。」
悠理はぽろぽろと涙を零しながら、頭を横に振った。 隣に座っていた清四郎が、泣きじゃくる悠理の頭を撫でる。
その様子に、美晴もまた涙を零した。
清四郎は、悠理の頭を撫でながら、健司の遺影を眺めた。
遺影となってしまった健司は、黒猫を抱えて、にこやかに笑っていた。 仏壇には、健司の他に、まだ新しい位牌がふたつ、並んでいる。
「失礼なことを伺いますが、もしかして、ご不幸が続いたのですか?」 清四郎の質問に、美晴は頷いた。
「ええ。義父と義祖父が、去年、一昨年と相次いで・・・夫も、いきなり二人の代わりに天吹グループを率いらなければならなくなって、大変だったんだと思います。愚痴はこぼさない人でしたけど、内心は、重責に押し潰されそうになっていたんでしょう。」
清四郎は、しばし黙考してから、また美晴に話しかけた。 「では、今はどなたが経営を引き継いでいらっしゃるんですか?」
「それは、長年にわたって会長補佐をしていた、宮乃松さんが―― 」
説明の途中で、玄関のチャイムが、けたたましく何度も鳴った。
皆が一斉に玄関のほうを向くと、今度は、ドアを激しく叩く音がはじまった。 「な、なに?」
可憐が眉を顰めている後ろで、美童がすでに逃げの体勢を取っている。 「すみません。」
美晴は、抱いていた子供を下ろすと、慌てたように玄関へ向かった。 その後ろに、清四郎と魅録が続く。
玄関扉の向こう側から、男の怒鳴り声が響いてきた。 「友春さん・・・」
怒鳴り声に聞き覚えがあったのか、美晴の顔に戸惑いが走った。
美晴が玄関を開錠するなり、外側からすごい勢いで扉が開いた。
扉が開くと同時に、憤怒の形相をした若い男が飛び込んできた。 「いい加減にしてくれ!何度も何度も幼稚な嫌がらせをしやがって!!」
男はそう叫ぶなり、手にしていたビニール袋を床に叩きつけた。 中から転がり出た鼠の死骸に、美晴が悲鳴を上げる。
「あんた、いきなり何なんだよ!?」 魅録が前に出て、美晴を背中に庇った。
目つきの悪い若者の登場に、男は一瞬だけ怯んだが、すぐに魅録を睨み返してきた。 「あんたこそ何なんだ!?僕は、この女に用があるんだ!」
男は手を伸ばして、美晴の腕を掴もうとした。 美晴を捕らえようとする腕を、逆に魅録が掴む。 その隙に、清四郎が美晴をさらに奥へと匿った。
「どうした!?」 緊迫の中、悠理が玄関に向かって、突進してきた。 ドタバタうるさい足音に、皆、一斉に悠理を振り返る。
駆け寄ってきた悠理は、男を見るなり、あっと声を上げた。 「番頭の息子!!」 男のほうも、悠理を見て、あっと声を上げる。
「剣菱のお嬢さん・・・!」 男は悠理が剣菱の令嬢だと気づくなり、戦意を喪失した。 魅録の手を振りほどき、二歩、後ずさりする。
「剣菱のお嬢さんもいらっしゃることだし、今日はこのまま帰りますよ。だがね、美晴さん。今後一切、こんな性質の悪い嫌がらせはしないでください。もしも、また鼠の死骸をうちの玄関にばら撒くような真似をしたら、そのときは法的処置を取らせてもらいますからね。」
「こら番頭の息子!何を言っていやがる!?美晴さんが嫌がらせなんかするもんか!」
二度も番頭の息子呼ばわりされた男は、忌々しげに眉を顰めながらも、悠理に向かって微笑んだ。
「お嬢さん。僕の名前は番頭の息子ではありませんよ。宮乃松、友春。それが僕の名です。」 男は最後に魅録を睨みつけてから、足早に去っていった。
清四郎は、今にも倒れそうな美晴を悠理に預け、玄関の鍵をふたたび閉めた。 それから、床に散らばった鼠の死骸を見下ろし、眉を顰める。
「酷いですね・・・」 鼠の死骸は、どれもこれも腹部が食い千切られ、中から赤黒い内臓が覗いていた。
「こんなもんを玄関先にばら撒くなんぞ、並みの人間がやることじゃねえぞ。」 魅録も、嫌悪を露わにして、足元を見下ろしている。
清四郎は死骸から顔を上げて、美晴に視線を向けた。
「そういえば、先ほどお話を伺っているとき、美晴さんは、宮乃松さんの名前を出しましたね。」
そういえば、と言いながらも、清四郎に、思いつきで話している様子はない。おそらくは、ずっと気になっていたのだろう。 「え、ええ・・・」
美晴が頷く。 「では、健司さんに代わって天吹グループを引き継いだというのは、あの宮乃松友春さんですか?」
「いえ、引き継いだのは、友春さんのお父さんです。」 「番頭が会長になったの!?」 美晴の答に驚いたのか、悠理が頓狂な声で叫んだ。
「何なんだよ。その番頭って。」 魅録の質問に、悠理ではなく美晴が答える。 「宮乃松さんの家は、先祖代々、天吹家に仕えているんです。」
「だから番頭ですか。」 清四郎が、溜息混じりに呟いた。 「とにかく鼠の死骸を片づけましょう。こんなもの、猫の餌にもなりはしませんし。」
「あ!」 また悠理が頓狂な声を上げた。 「美晴さん!クロは!?」 「それが・・・」
美晴は困惑と、少しばかりの恐怖を表情に滲ませながら、皆の顔を見回した。
「健司さんの葬儀のあと、いなくなってしまったんです。」
皆の視線が、一斉に鼠の死骸に集中する。
「まさか・・・」
誰も、何も言わなかったが、考えていることは、一緒だった。 皆の脳裏には、鼠の死骸を咥えた黒猫の姿が、ありありと浮かんでいたのだから。
それはともかくとして、齢十八になる老猫クロが、主人の葬儀のあと、忽然と姿を消してしまったのは、紛れもない事実だった。
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