猫怪談

   作 hachi様 

 

 

                                                                               

 

 


-4-



夜遅く、剣菱家の執事である五代から連絡が入り、悠理たちはすぐさま天吹邸へと向かった。
出迎えた美晴は、涙の跡も隠さずに、皆を居間へと案内した。
「悠理ちゃんたちにお願いするなんて、筋違いもいいところだって分かってはいるけれど、健司さんが色んな不祥事を起こしているから、地元に頼れる人がいないの。」
六人は、居間に入って絶句した。
飾り棚に並べてあったカップやグラスが粉々に割れて、床に散乱しているだけでなく、観葉植物や、AV機器までもが、あちこちに転がって壊れていたのだ。

「友春さんの奥さんが、今日、事故に遭ったの。車を運転していて、街路灯に衝突したそうなんだけど・・・原因が、飛び出してきた黒猫を避けようとしたからだって・・・友春さん、私がクロをけしかけて、ゆりさんの車の前に飛び出させたって言って、酷く怒って・・・」

それで、勝手な思い込みで激昂した友春が、突如、飛び込んできて、居間を散々に壊してしまったらしい。
美晴の細腕で、激昂した友春を止められるはずもなく、彼女は居間が破壊される間、息子を抱いて外に逃げていたそうだ。

現在、この家に住んでいるのは、美晴と、二歳になる息子だけである。ふたたび友春が侵入してきたらと思うと、怖くて、怖くて、居ても立ってもいられず、藁にも縋る想いで、五代に連絡を取ったそうだ。
美晴は、今晩だけでも皆に泊まってもらいたいと懇願した。今朝、清四郎と魅録に守ってもらったのが、よほど印象深かったのだろう。確かに、友春がいくら暴れ回ろうと、このふたりがいれば、まさしく鬼に金棒だ。


美晴は、皆が、ゆりと知り合いになったことを聞くと、眼を丸くして驚いた。
が、美晴はすっかり参ってしまっていて、長いこと会話ができる状態ではないうえに、今にも倒れそうな様子である。それでも何とか持ちこたえているのは、自分が倒れたら、我が子を守る人間が誰もいなくなってしまうという、強い母性のお陰だろう。

幸いにも、ゆりの怪我は軽く、一晩で入院も済むそうだ。
だが、激昂した友春は、ゆりが退院したあかつきには、美晴に対して何かしらの報復をしてやると、息を巻いているらしい。
警察に訴えるべきだと主張する野梨子たちに対し、美晴は首を横に振り続けた。
「これ以上、友春さんを怒らせたら、息子にまで害が及びそうで、怖いの。」
今の美晴は、非常に弱い立場だ。夫が会社にとんでもない額の損失を与え、その挙句、自殺してしまった。一粒種の息子はまだまだ幼く、世間の風当たりは非常に強い。
頼るべき人間が一人としていない中、幼子を抱えて、細腕一本で生きていかねばならないのだから、その心痛は察するに余りある。
それに加え、この母子をさらに追い詰める状況が、間近に迫っていた。

「健司さんが使い込んだお金を返すために、この家を含めて、財産はすべて処分するの。本当は、健司さんの四十九日が済んでから引っ越す予定だったんだけど、友春さんから、今すぐにでもお金を返せって言われちゃって、すぐに引っ越さなくちゃいけなくなっちゃった。」

もう、笑うしかないのだろう。美晴は涙を流しながら、声を立てて笑っていた。
そんな美晴を見て、皆はやるせない気持ちでいっぱいになったが、悠理だけは、憤懣に顔を赤く染めて、硬く握った拳を震わせていた。
「あの野郎っ!番頭の息子のくせに、威張りやがって!絶対に許さない!」
怒りのままに飛び出そうとする悠理の腕を、清四郎が掴んで引き止めた。
「何で止めるんだよ!あの野郎、一発殴ってやらないと、気が済まない!」
「殴っても状況は解決しません!それどころか、美晴さんの立場をさらに悪くしてしまいますよ!」
美晴の名を出され、悠理の頭に昇っていた血も、少し下がったようだ。
そっぽを向いたまま、清四郎の腕を振り払い、それから横目で彼を見る。
「じゃあ、何かいい方法があるのかよ?」
「いい方法かどうかは分かりませんが、健司さんの名誉を回復させることは、もしかしたら出来るかもしれません。」
そう答えると、清四郎は、にっこりと笑ってみせた。



翌日。
天吹邸には、念のためのボディガードに魅録を残し、残りの五人は、ゆりの見舞いという名目で、宮之松邸に向かった。

無論、友春からしてみれば、招かれざる客である。が、悠理には「剣菱財閥令嬢」の枕詞がついてくる。そうそう無下にできる相手ではない。
案の定、五人の顔を見た友春は、思い切り嫌な顔をしたが、「剣菱財閥令嬢」の訪問を聞きつけた父親は、喜色満面で一行の前に現われた。

悠理が「番頭」と呼んでいたので、皆は、何となく人の良さそうな小太りの中年男を想像していたが、実物は、真っ黒な髪をポマードでべったり撫でつけ、妙に脂ぎった、いかにも計算高そうな男だった。
可憐が評するに、父親は「銀座の高級クラブで威張り散らしているような」タイプだそうだ。のちほど、その言い得て妙な表現に、皆は失笑しながら納得することになる。

「番頭!久しぶり!」
悠理のいきなりの挨拶に、友春の父―― 宮之松忠助は、顔に微笑を貼りつけたまま、こめかみを痙攣させた。
「お嬢さま。私はもう番頭ではありませんよ。」
「そうですよ、悠理。宮之松さんは、天吹グループの会長になられたんですから、いくら何でも番頭は失礼でしょう。」
清四郎にたしなめられ、悠理は、はあい、と、微塵も気持ちの籠もっていない返事をした。

忠助は、悠理と一緒に来た四人に、さり気なく視線を走らせた。
笑顔は変わらなかったが、彼が値踏みするような目をしているのを、清四郎が見逃すはずもなかった。清四郎も、忠助に合わせて、にこやかな微笑を浮かべているが、その鋭い観察眼は、威力を保ったままである。
「お友達といらっしゃったのですか?」
忠助が尋ねる。
「うん。学校のダチなんだ。」
悠理の返事を聞いて、忠助の笑顔に媚が浮かんだ。
きっと、悠理の通う学校が、日本中の良家子女が集う、プレジデント学園と知っているのだ。忠助が、皆の素性に多大なる興味を抱いているのは、傍から見ても明白であった。
しかし、忠助にそう思わせることこそ、清四郎たちの思惑であった。
未成年の自分たちが、海千山千の強者と対等に渡り合うためにも、各々の家柄は必要だった。


一行は、応接室兼居間に通された。
ゆりは無事に退院できたものの、生憎と今は眠っているという。
忠助は、せっかくですから、ゆっくりしていって下さい、と満面の笑顔で言いながら、皆にソファを勧めた。
そして、あからさまに嫌な顔をしている友春にも、同席するよう指示した。
友春は、父に逆らえない性分らしく、心の底から嫌そうな顔をしつつも、黙ってソファに座った。

自己紹介の間に、さり気なくも、しっかりと、皆がどういう家柄かを伝えると、案の定、忠助の態度が変わった。
相貌どおり、野心に溢れた性格なのだ。きっと、悠理たちを通して、それぞれの家に繋ぎをつけようと、画策しているに違いない。
それもまた、皆の思惑どおりであった。


会話の流れは、清四郎を中心とする五人の誘導によって、健司の自殺に向かった。
清四郎が水を向けた途端に、忠助父子の笑顔が強張る。
それに気づかない振りをして、清四郎は、気の毒そうに眉を顰めた。

「世間には、健司さんの自殺によって会長になられた宮乃松さんに対して、ありもしない疑惑を囁いたり、誹謗中傷を噂したりする人も、少なからずいたのではないですか?」

逆鱗に触れても仕方ない内容ではあったが、いかにも同情的な口調だったし、清四郎は大事な剣菱財閥令嬢の学友なので、忠助も、怒るに怒られない。笑顔を引き攣らせたまま、ええまあ、と大袈裟な溜息を吐いた。

「健司坊ちゃんが亡くなったとき、私たち父子はまったく別の場所にいたんですよ。それを証明してくれる人もちゃんといます。いわゆるアリバイという奴が、成立している訳ですから、私たちを疑うほうがおかしいんです。」

聞きもしないのに、忠助は、その夜のことを喋り出した。
当日、宮乃松父子は、傘下企業の研修会に参加し、その夜は、会場となっていたホテルに泊まったという。
健司が断崖の上から身を投げたとされる時刻には、ちょうど頼んでいたルームサービスが届き、ふたりとも客室係と顔を合わせたそうだ。


清四郎は、相槌を打ちながら忠助の話を聞いていたが、ある程度を聞き終えたところで、にっこりと微笑んだ。

「アリバイがあれば疑われる心配もないし、本当に良かったですね。」

笑顔のまま凍りついた忠治と、殺気を漲らせた友春に、清四郎は、完璧な微笑を向けた。
「さてと、ゆりさんもそろそろ目覚められた頃でしょう。寝室にお邪魔しても構いませんか?」
「構わないよな、番頭!」
悠理が立ち上がり、返事も聞かぬまま、居間から出て行こうとする。
忠助が慌てて後を追い、友春も舌打ちしながらソファから立ち上がった。

その隙をついて、美童がテーブルに放置してあった使い捨てライターを掴み、素早くポケットに突っ込んだ。


皆は、美童の動きを確認すると、さっと目配せをしてから、一足早く居間を飛び出した悠理に続いて、ゆりの元へと向かった。





ゆりの怪我は、額の裂傷と、軽い打撲のみで、本当は入院の必要もない程度のものであった。
彼女の無事な姿を見て、素直な悠理は、安堵の笑顔を見せた。
「あたしのせいで、友春さんがまた誤解をしたそうで、美晴さんには本当に申し訳ないわ・・・」
ゆりは、包帯よりも白い顔をして、何度も美晴に申し訳ないと呟いた。
「ゆりちゃん。飛び出してきた猫を避けようとして、事故に遭ったって、本当?」
悠理が心配そうに、ゆりの顔を覗き込む。
「ええ、そうなの。黒くて大きい猫だったから、咄嗟にクロかと思ったわ。でも、きっと見間違いね。クロのことをずっと心配していたから、黒猫だったら何でもクロに見えちゃうんだわ。そのせいで、美晴さんは・・・」
ゆりは、そこで言葉を切って、辛そうにくちびるを噛んだ。
指の関節が白く浮くほど強くブランケットを握り締めている姿には、悲壮感が漂っていた。
彼女は、天吹家で暮らしたこともあるほど、健司と関わりが深い。もちろん美晴とも交流があったろう。その美晴が、自分が事故を起こしたせいで、辛い目に遭ってしまったのだ。怪我以上に、心が痛んでも、仕方のないことだった。

「事故は災難でしたけど、軽い怪我で済んで良かったですね。」
可憐が明るい声を出して、場の空気を取り繕う。
だが、ゆりに対しては、あまり効果がなかった。

ゆりは、意を決したように顔を上げて、悠理に真剣な眼差しを向けた。
「実はね、健司さんが亡くなってから・・・夜になると、必ずどこからか猫の鳴き声が聞こえてくるの。」
「へ?」
悠理が、間の抜けた声を出したが、ゆりには気にする余裕もないようだ。
「それだけじゃない。健司さんの初七日だった日に、義父の書斎で小火騒ぎが起きたの。原因は、煙草の不始末ってことになっているし、机とカーテンが焦げた程度だけど・・・うちにはペットなんかいないのに、燃え残った書類の上に、動物の黒い毛が散乱していたわ。それに、ここ最近は、朝になると、必ず玄関に鼠の死骸が置いてあるの。こんなことばかり続くと、嫌でもクロのことを考えてしまう。ねえ、これってどういうことだと思う?」

「通常で考えれば、何者かが、この家に住む誰かに、嫌がらせをしているということになりますね。」

清四郎の低い声が、部屋に響いた。
ゆりの視線が、悠理から清四郎へと移る。
「いくら年老いて知恵をつけた猫といえども、こんな手の込んだ嫌がらせはできません。明らかに人間が仕組んだことです。」
「そんな・・・じゃあ、誰が・・・」
「嫌がらせをするということは、相手に何かしらの強い感情を抱いている証拠です。歪んだ愛情、恨み、怒り。もしくは―― 裁かれない罪に与える、私的な制裁。」
ゆりの顔が蒼白になる。
「清四郎!もう止めてください。ゆりさんが怖がっていますわ。」
野梨子が後ろから清四郎を嗜めた。
清四郎は、これは失礼、と謝罪し、軽く頭を下げたが、あまり悪いと思っていないのが、ひと目で分かった。


可憐が視線を向けた先に、古いアルバムが立てかけてあった。
仕舞い込んでいたのを引っ張り出して、とりあえず置いている、と、いったふうな置き方だ。
「あれ、ゆりさんのアルバムですか?」
可憐の指差す方向を見て、ゆりが頷く。
「ええ。小さい頃の。」
それを聞いて、悠理が顔を輝かせた。
「あたいの写真もある?」
「もちろん。」
「見てもいい!?」
ゆりが頷くのを確認してから、悠理は嬉々としてアルバムを取りに行った。

悠理を中心にして、皆がアルバムを覗き込む。
ページを捲るごとに、赤ん坊だったゆりが、大きく成長していく様が、微笑ましい。
「あ!ケン兄ちゃんだ!」
悠理が嬉しげに声を上げて、一枚の写真を指差した。
そこには、幼い少年と童女が、揃ってくちびるをへの字に結んで立っている姿が写っていた。
それからは、どのページにも、健司が現れるようになった。
女の子らしく、白いワンピースを着て、摘んだ花を手にしたゆりと、悪餓鬼そのままに服を汚した健司が寄り添っている写真に、ふたりが一緒に育ってきた歴史を感じた。
「私、母が病弱だったから、月の半分は健司さんの家で暮らしていたの。」
ふたりは、従兄妹というより、本当の兄妹のように育ってきたのだという。
「健司さんや、悠理ちゃん、それにクロと一緒になって、泥んこになるまで遊び回っていた頃が、いちばん楽しかったわ・・・」
ゆりの呟きは、昔を懐かしむというより、喪失した過去を哀しんでいるような響きに満ちていた。

もしかしたら、ゆりは、古い写真を見ることによって、死んでしまった健司との思い出を、整理していたのかもしれない。



宮乃松家を辞去した一行は、その足で天吹家へ舞い戻り、魅録と合流した。
「で、今からどうする?」
皆の話を聞いてから、魅録が咥え煙草のまま尋ねる。
「とりあえずは、コレだよね。」
美童がポケットから、宮乃松家で拝借してきた使い捨てライターを取り出した。
「クラブ幸姫。同じ店のライターが、カーポートに停めてあったベンツの後部座席にもあったから、きっと行きつけなんだと思うよ。」
ライターにプリントされた電話番号は、佐賀市内の局番だった。
「セオリーどおり、定番から攻めますか。」
清四郎が組んだ拳の上で、にっこり笑う。
「宮乃松さんたちが泊まったホテルにも、行く必要がありますね。こちらは僕が行きましょう。」
「あたいも行く!」
悠理が元気よく挙手する。
その隣では、魅録が難しい顔をしている。
「ちっ、さすがに佐賀県警までは知り合いがいないな。」
「魅録には、美晴さんのボディガードという重要な役目があるじゃないですか。」
魅録は、笑顔でそう言う清四郎を睨み、不満そうに呟いた。
「暴れるときは、俺にやらせろよ。」
「はいはい、分かっています。」
そんな二人のやりとりを他所に、可憐が美晴に話しかける。
「ねえ美晴さん。誰か、会社の人を紹介してもらえません?なるべく口が軽そうな人がいいわ。」
「え?ええ・・・」
「じゃあ、私は可憐にお供しようかしら?」
野梨子の純情可憐な微笑が、老獪な策士のそれに見えるのは、きっと気のせいではあるまい。

「さて、行動開始といきましょうか。」

清四郎の含み笑いに、皆、一斉に頷いた。

 

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