月とビールと堪えられない欲求と。

   BY hachi様

 



悠理が熱を出してから、二週間。
体調もすっかり元に戻ったし、以前と同じように、元気も有り余るようになった。

そして悠理は、冬の薄曇に覆われた空の下、白銀の世界へと旅立った。
約束どおり、清四郎と、ふたりきりで。


横を向けば、手の届く位置に、清四郎の微笑がある。
それが、たまらなく嬉しい。
清四郎が隣にいると思うだけで、心がふわふわする。

悠理は、生まれて初めて味わう感情に躊躇いながらも、笑みが自然と零れてくるほどの幸福を感じていた。




「ちゃんと二部屋を予約しますから、安心してください。」

泊りがけで行くと決めたとき、悠理が躊躇うよりも早く清四郎がそう約束したように、ホテルにはちゃんと二部屋が用意されていた。
「ツインのシングルユースですから、伸び伸びできますよ。」
清四郎が、悠理にカードキーを渡しながら言う。その表情からは、ふたりきりの旅行に対する気負いはまったく感じられない。いつもと同じ、クールなポーカーフェイスに、悠理のほうが戸惑いを感じてしまう。

二週間前、悠理は、白一色の雪の世界で、三夜も続けて清四郎とキスをした。
一夜目は、ワインの酔いに任せて。二夜目は、ココアの芳香に誘われて。三夜目は、ミルクの温かさに後押しされて。
だけど、それ以来、ふたりは一度もキスしていない。

物足りない―― 本音をいえば、もっともっと清四郎に近づきたい。
でも、心のどこかでは、清四郎とは友達のままでいるべきだと思う自分がいた。
だから、部屋がちゃんとふたつ準備されていたことに、ちょっぴりガッカリして、ガッカリの三倍くらい安堵した。

予約の際、アーリーチェックインで頼んでいたので、正午を過ぎたばかりでも、客室の準備は整っていた。
「着替えたら、すぐにゲレンデへ行くからな!」
隣のドアを開ける清四郎に元気よく声をかけ、悠理は部屋に飛び込んだ。後ろ手でドアを閉めて、はあ、と盛大な溜息を吐く。清四郎を意識してしまうと、どうにもならないのだ。
悠理は両手を使って自分の頬をぱちぱちと叩き、軽く気合を入れた。
「今日はスノボを楽しむために来ているんだい!それだけだ!分かったか!」
馬鹿みたいに声を出して自分に言い聞かせ、バッグからウエアを引っ張り出す。
今日のウエアは、この前の特注ネコウエアではなく、ちょっとくすんだオレンジ色の、市販品だ。別に清四郎が二週間前に着ていたチョコレート色のウエアに合わせた訳じゃないけれど、何となく欲しくなって買ってしまった。
別に、効き色のラインや、ポケットの位置が同じだから、買った訳じゃない。
そう思う時点で言い訳になっている気がしたけれど、その考えごと打ち消して、乱暴に服を脱いだ。
それから悠理は、大急ぎで着替えて、鏡を覗いて笑顔の出来を確認すると、えいっと勢いをつけて部屋を飛び出した。

外では、眩しい白銀の世界が、悠理を待っている。


スキー愛好家の清四郎も、今日は悠理に合わせてボードをレンタルしてくれた。清四郎のほうから悠理に合わせてくれるなんて、珍しいことだから、何だか面映い。
清四郎は、ボードは初挑戦のくせに、係員にコツを聞いただけで、すぐに滑られるようになった。しかも、それが当然という顔をしているのだから、気に喰わない。
悠理はムキになって急斜面を滑り降りた。が、清四郎も負けてはいない。最初こそ遅れをとっていたものの、あっという間に悠理と並んで滑るようになり、それからあまり経たないうちに、悠理のほうが清四郎の背中を見るようになった。

悠理は、生来の負けず嫌いだ。余裕の表情で、難易度の高い斜面を滑り降りる清四郎を見ると、口惜しくて堪らない。
「くっそーー!」
追い越したら、また追い越される。悠理が瘤を飛べば、清四郎はもっと高く飛ぶ。
ムキになっているうちに、悠理はいつしか諸々の感情を忘れていた。

頬を切る冬の空気。内からの放熱。心地良いスピード感と、耳元で感じる風。
冬木立の上に広がる、雄大な山稜と、真っ青な空が、気分を爽快にしてくれる。

「悠理!今度は向こうに行きましょう。」
「おう!競争だぞ!」

清四郎の笑顔につられて、悠理も笑顔になる。
悠理がわざと雪溜まりに突っ込むと、清四郎もふざけて同じ場所に転がった。
雪まみれになった互いの姿を見て、ふたり一緒に声をたてて笑う。
こうやって二人でいられることが楽しくて、楽しくて、胸が膨みすぎて、弾けてしまいそうだ。

悠理は、雪原に寝そべって、抜けるように青い空を眺めた。
清四郎も、同じように隣で寝転んで、弾む息を吐きながら、青い空を見上げている。

なんだか―― 悠理を包むすべてのものが、きらきらと輝いているように感じた。



二人はナイター終了ギリギリまで滑りまくり、ようやくホテルに戻ってきた。
気づかないうちに、ずいぶん無理をしていたのだろう。乾燥室にボードを置いたときには、身体はすっかり凍えて動きが鈍くなり、足は使い過ぎでガクガクになっていた。

「足が自分のじゃないみたいだ〜!」
ブーツを脱いだ途端、開放感とともに、疲労が全身に回った。乾燥室の床に座り込み、足を投げ出す。
「温泉に入りたいけど、メチャクチャ腹減ったよぉ!何か食べたいっ!」
このホテルには、自らボーリングをして掘り当てた、自慢の温泉があった。
「では、部屋でさっとシャワーを浴びてから、ラーメンでも食べに行きましょう。温泉はそのあと、ゆっくり楽しみましょう。」
清四郎の提案に、悠理は一も二もなく賛成した。

熱いシャワーで身体を温め、さっぱりしてから、ふたり揃って地下の居酒屋へ向かう。ラーメンと大量のツマミ、そしてビールを頼み、二人きりの宴会がはじまった。
趣味がまったく違うので、話題なんかないと心配していたけれど、話はなかなか尽きなかった。清四郎と喋っていて、こんなに笑ったことなんて、今までなかった。
二週間前にあった甘い雰囲気はまったくなかったけれど、これはこれで、とても幸せなひとときだった。

やがて、居酒屋も閉店の時間となり、二人は急かされるようにして店を出た。
時刻は十二時十五分。宵っ張りの二人にしてみれば、まだまだ宵のうちだ。
「せいしろー!まだ飲み足りないよぉ!」
悠理が腕に縋って喚くと、清四郎は、やれやれと困った笑みを浮かべた。
「本格的に飲むのなら、その前に、温泉にしませんか?」
清四郎は、腕に縋る悠理の頭をよしよしと撫で、諭すように優しく言った。
「温泉に入ったあと、まだ飲む元気が残っていたなら、朝まで付き合いますよ。」
「本当だな?嘘はナシだぞ。温泉に入ったら、きっちり朝まで付き合ってもらうからな!」
悠理が念を押すと、清四郎はくすくす笑いながら、はいはい、と軽い返事をした。
「いっぱい遊んで、たらふく食べて、温泉で温まって、それでも眠くならなかったら、ですけどね。」
同じ歳なのに、子ども扱いされ、妙に口惜しくなる。

「今晩は、絶対に離さないからな!」

悔し紛れに悠理が叫ぶと、清四郎は、いきなり真顔になった。
いきなり変わるものだから、悠理は訳が分からずにきょとんとした。
清四郎は、じっと悠理の顔を見つめてから、諦めたように溜息を吐いた。
「・・・自分が何を口走ったのか、まったく意識なし、ですか・・・」
「???」
「まあいい。ほら、早く温泉に行きましょう。」
苦笑いを浮かべる清四郎に首を傾げつつも、悠理の心は温泉へと飛んでいた。



温泉大浴場は、もちろん男女別だ。
清四郎とは、隣り合った暖簾の前で分かれ、女湯の中に入る。
夜も遅いせいか、他には誰もいない。悠理の家ほどではないが、それなりに広い大浴場を独り占めだ。
「んん〜、気持ちイイっ!」
広い湯船に身を沈め、唸り声を上げる。温泉は無色透明だけど、とろりとしていて、肌触りがとても良い。
湯に浸かりながら、周囲を見回すと、露天風呂への入口を発見した。近づいて、曇った窓ガラス越しに覗いてみると、ちんまりとした岩風呂が見えた。男湯と繋がっている様子もないし、これは入らない手はない。

扉を押して外へ出ると、肌を刺すような冷たい空気が全身を包んだ。急いで岩風呂に飛び込み、肩まで湯に沈める。こちらの湯は、内湯よりとろりとして、ちょっと熱めだった。氷点下の気温が、逆に快適なくらいだ。
身体はぽかぽか、頭はひえびえ、この上なく気持ち良い。
「うはぁー!極楽だぁーー!」
気分は上々、自然と言葉が口から出る。
そのとき。

「悠理?」

竹でできた塀の向こうから、清四郎の声がした。


悠理は慌てて顎まで湯に浸かって、清四郎の姿を探し、眼だけをきょろきょろ動かした。
「せ、せいしろ?」
「見えないから安心してください。」
くすくす忍び笑いが、竹塀越しに聞こえてきた。しかし、いくら安心しろと言われても、見えていない保障はどこにもない。悠理は竹塀に近づき、眼を凝らして、隙間がないか探してみたが、調査の結果、二重に作ってあるのか、いくら眼を凝らしても、隙間から男湯は見えなかった。
安堵はできたが、素っ裸でいる隣に清四郎がいるのは変わりない。悠理は薄い胸を両手で隠しながら、竹塀を見上げて、清四郎に話しかけた。
「本当に見えないんだな!?嘘吐いていたら、ただじゃおかないぞ!」
「大丈夫ですって。ホテルだって、覗き見できない作りを心がけているでしょうし。」
それよりも、ほら、と清四郎は続けた。
「月が綺麗ですよ。」
そこで、悠理はようやく天上に冷え冷えとした月が浮かんでいることに気づいた。

「うわぁ・・・」

真ん丸い月が、ぎんいろに輝きながら、黙りこくって、悠理を見下ろしていた。

「本当、きれい。」
「ええ、本当に。」

竹塀を隔てて、ふたりは同じ月をうっとりと眺めた。
姿は見えないけれど、ふたりは、確かに同じ時間と空間を共有していた。
とろりとした湯に浸かりながら、同じ月を見上げる。
至福といって良いほどの、満足感が、そこにあった。

しばらくして、悠理ははっとした。
ざぶりと湯を弾き、立ち上がる。
「清四郎!待っていて!」
そう言うと、悠理は露天風呂を飛び出して、走り出した。
大急ぎで浴衣を羽織り、大浴場前の自動販売機に向かう。
目的のものを手に入れた悠理は、すぐに大浴場へ戻り、大慌てで浴衣を脱いで、露天風呂に飛び込んだ。
「清四郎!キャッチ!」
叫び終わらないうちに、悠理は缶を竹塀の向こう側に放り投げた。
「うわ!」
短い叫び声。でも、しっかりキャッチした気配は、塀を挟んで伝わってきた。
「今から月見酒だあ!」
悠理は、塀の向こうにいる清四郎に向かって大声で叫び、ビールのプルトップを開けた。

清四郎に投げ渡したのも、缶ビール。
この瞬間を、ふたりでもっともっと共有するための、魔法の飲み物だ。

竹塀越しに乾杯をして、温泉に浸かりながら、ビールに口をつける。
頭上には、煌々と輝く月。
悠理を包む、ふわふわとした高揚感。
悠理は、夢見心地で清四郎に話しかけた。
「清四郎・・・あたい、今、すっごく楽しい。」
咽喉を通るビールは、ほろ苦いけれど、清四郎と共有する空間は、ちっとも苦くない。

さあっと風が吹いた。
風に流された雲が、煌々と照る月にかかる。

僅かながら暗くなった空間に、清四郎の声が響いた。
「悠理・・・今、ひとりですか?」
「うん。」
ふわふわとした気分のまま、問いに答える。
竹塀の向こうから、ちゃぷ、と水音がした。

「今、悠理にとてもキスがしたい。」

ふたたび氷点下の風が吹き、月にかかる黒雲を押し流した。

「あたいも―― 清四郎とキスしたい。」


それは、堪えられない衝動。

キスしたくて、キスしたくて、じっとしていられない。


竹塀を挟んで、ほぼ同時に、立ち上がる水音がした。


悠理は大浴場を駆け抜け、脱衣場に飛び込むと、乱雑に浴衣を着た。
バスセットを袋に突っ込んで、襟元の乱れもそのままに、廊下へと飛び出す。
扉を開けながら、男湯のほうへ視線を向けると、同じタイミングで清四郎が飛び出してきた。

無言の視線が、深く絡む。

清四郎が、怒ったような顔をして、悠理の手を掴んだ。
ぐい、と強い力で悠理を引っ張る。
ふたりは、黙ったまま、大股に廊下を抜けて、エレベーターに乗った。
エレベーターの中では、ふたりとも、現在位置を示す数字が点滅するのを睨んでいた。


目的の階に着く。
清四郎は、悠理の手を引いて、自分の部屋のドアを開けた。
悠理は、何も言わずに清四郎の部屋に入った。

ドアが閉まる。

その瞬間を待たずして、悠理と清四郎は、貪るようにくちびるを重ねていた。


長い、長いキス。

その途中で、清四郎が呟く。

「悠理・・・愛してる。」

あまりにも熱い呟きに、悠理も答える。

「清四郎・・・あたいも、愛してる。」

そして二人は、また、深く、深く、キスを交わした。




互いを求める衝動は、もう、止められない。





・・・・ To be continued ?

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