謀(はかりごと) 

                 BY いちご様

1.

 

それは冬休みも残り数日という日、野梨子が日本舞踊のお稽古に行くため家を出ると、菊正宗家の門前に見慣れた剣菱家の車を見つけた。
横には運転手の名輪が立っている。

「こんにちは、名輪さん。寒いですわね。悠理が来てますの?」
「これは白鹿のお嬢様。いえ今日は菊正宗様をお迎えに。」
「まあ、また悠理が冬休みの課題が終わらないのでしょう。」
と、休み終盤のいつものことと、微笑みながら野梨子が言う。

「いえ、本日は別の用で・・・・。
 お嬢様は松竹梅様とお出かけになりました。」
「あら、そうですの。では、私はこれで失礼致します。」
「お気を付けて、行ってらっしゃいませ。」

(何かトラブルが起きたのではないといいですけれど・・・・。)
そう思いながら野梨子は名輪に別れを告げた。

 

**********



清四郎は剣菱邸の数ある応接室の一つに通された。
その応接室は百合子夫人専用らしく、ベルサイユ宮殿を思わせる調度品がフリルとレースで彩られている。
そこかしこに生けられている薔薇の香りにむせそうなほどだ。
清四郎がメイドに出された紅茶を飲んでいると、百合子夫人が現われ、人払いをした。

「急にお呼び立てしてごめんなさいね、清四郎ちゃん。
 明日からちょっと出かける予定があって、今日しか空いていなかったのよ。
 でも、どうしてもお話がしたかったから・・・。」

「いえ、今日は特に予定もありませんでしたし・・・。
 (休みの終わり間際はいつも悠理に泣きつかれるので、空けてるんですがね。)
 でも珍しいですね、僕にお呼び出しとは。」
妙ににこやかな百合子夫人にいやな予感がしながらも、よそ行きの顔をして応える。

「ええ、早速なんですけど、ちょっと伺いたいことがあって。
 先日の茅台の事件の時のことなんですけどね・・・。」
と、そこまで言って、夫人は優雅に紅茶を口へと運ぶ。
タリスカ王国・マーテル王子への資金援助の為の偽装誘拐は、清四郎の発案だったのだが、それを責められるのだろうか。

清四郎の表情を見て百合子夫人は続ける。
「マーテル王子のことは、もういいのよ。
 あれは万作さんの初恋の君の為になさったことですものね。
 たとえ私をないがしろにしたとしても・・・ね。」
にこりと微笑みを浮かべながら皮肉を言われ、清四郎は額に汗をかくが黙って話を聞く。

「問題は茅台の所であったことです。」
百合子夫人が真顔になった。
「昨日万作さんから聞いたのですけど、悠理がギロチンにかけられたんだそうね。」

そういえば、茅台の所に連れて行かれた早々、ひょんな言い合いから悠理がギロチンにかけられた。
幸いそのアンティークのギロチンは錆付いていて途中で刃が止まったのだが・・・。
清四郎すら、あの時は一瞬もうだめかと思った。
悠理が助かったのは、彼女が自ら持っている強運のせいだろう。

「万作さんは笑いながら話していたけど、私にとっては笑い事ではありませんでしたわ。
 一歩間違えば、悠理は死んでいたのですもの。
 万作さんは茅台の手下に体当たりをした後、気絶してしまったって言ってましたけど、その時あなたはどうしていらっしゃったのかしら?」

なんだかいやな予感が黒雲が湧くように広がってくる。
「あの時は拘束されて同じ場所にいました。
 茅台と交渉しようとしていましたが、聞く耳を持つような相手ではなかったので・・・。」

百合子夫人はゆっくりと紅茶のカップを置くと冷たい微笑を浮かべながら言った。
「それでは、あなたは悠理の危機に何もなさらなかったということですわね。」

清四郎は何も答えられなかった。背中にいやな汗がにじみ出る。
「私が万作ランドへ五代とお金を持って行った時、あなたはなんておっしゃったかしら?
 記憶力のいいあなたのことですもの、もちろん憶えてらっしゃるわよね。」

黒雲が頭の中いっぱいに広がってきた。
百合子夫人は答えを促すかのように、黙って清四郎を見据えている。

「あの時は確か『おじさんも悠理も必ず守ります。』と言ったと思います。
 ・・・・
 運良く悠理は助かりましたが、僕自身で助けることができなかったのは事実です。」

「申し訳ありませんでした。」
清四郎は潔く百合子夫人に謝罪をした。
あの時は万作さんが体当たりをしたせいで、ギロチンの刃が落ちてしまったという事実を、今言っても無駄なんだろうな、などと考えながら・・・。

「そう・・・。
 悪かったと思ってるのね。」
百合子夫人は満足そうに微笑んだ。

「なら、それを態度で示して頂戴。」
うむを言わせぬ物言いに、清四郎も従わざるをえない。
たとえ、あの言葉は百合子夫人の暴走を止めるために言った言葉だったとしても、『悠理を守る』と言ったのは嘘偽りのない気持ちだったことも本当だ。

「解りました。・・・僕にできることなら何でもします。」
清四郎は心の中で特大の溜息をついた。

何を要求されるのやら?
卒業までの勉強ならもう既に悠理と約束しているので、別に構わない。
どうせ高校を卒業してもみんなとの腐れ縁は続くだろうし・・・。
それとも豊作さんを手伝うように言われるのだろうか。

百合子夫人はニヤリとまるで獲物を追い詰めた蛇のような瞳でこう言った。
「では、あの時出来なかった事をして頂きますわ。
 悠理を・・・生涯守ってもらいます。」

**********

 

(「悠理を守る・・・?」)
清四郎の頭の中では遠雷が鳴り出した。
それはごろごろと、不穏な響きを轟かせながら次第に大きくなっていく。それとシンクロするように、自分の鼓動がうるさい。

「えっ、それは・・・、どういう・・・?」
困惑顔を浮かべる清四郎に、百合子夫人は勝ち誇ったように続ける。
「それはね、パートナーとして・・・。
 もちろん、いずれは結婚してもらいます。」

「・・・・・・」
その言葉に清四郎は自分が嵌められた事に気付くが、時すでに遅し。
頭の中は今や暴風雨が吹き荒れている。
嵐に吹き倒されそうになりながらも、体勢を立て直す。
「しかし、以前の婚約騒動の時だって悠理には相当嫌がられていましたし、それは無理かと思いますが・・・。」

あの婚約騒動は清四郎にとって、抹消したい過去だ。 
剣菱の魅力と、万作おじさんに対する男のプライドを刺激され、思わず受けてしまった婿入り話。
悠理には思いっきり嫌がられ、決闘まで挑まれたものの結局はだまし討ちして、話を進めた。
あげくに大々的に婚約発表しておきながら、みんなの前で雲海和尚に無残に負け、婚約は無かったことに・・・。

自分の思い上がりと高慢な態度で、大事なものを失うところだった。
あの後も悠理や倶楽部の皆と変わらぬ付き合いが続けられている今、蒸し返したくは無い。

「そう。確かにあの時は事を急ぎすぎました。
 また雲海和尚に出てこられても困りますしね・・・。」
雲海和尚の顔を思い出したのか、百合子夫人は身震いをした。
「それなら、もうこの話は・・・」

「ちょっと聞いてちょうだい。」
百合子夫人は清四郎の言葉をさえぎって話し始めた。

「・・・・・・
 悠理はまだまだ子どもです。恋愛の「れ」の字も知りません。
 人を疑うことも知らず、まっすぐに育ちました。
 それがあの子のいい所ではありますが、でもそれだけ世間知らずで騙されやすいということです。」

百合子夫人は頬に手をあて、溜息をつく。
「私はあの子が心配でならないの。
 これから先、剣菱目当てにあの子に近づく者もたくさん現れるでしょう。 あの子がいくら子どもっぽいと言っても、世間から見れば年頃ですからね。」

それはそうかもしれない。
彼らは留年したせいで大学1年で成人を迎える。
プレジデント学園の中には、高校在学中に婚約する生徒もいるのだし、財閥怜嬢の悠理なら尚更そんな話もあるだろう。

百合子夫人は清四郎を正面から見据えて言う。
「今の状況であの子を託すことができるのは、
 清四郎ちゃん、
 あなただけだと思ってるのよ。
  ・・・・・・
 まあ、でも悠理の気持ちも大切にしなければいけないということは、解っています。
 ですから、悠理がもし他の方に恋をするようなことがあれば、
 この話は無かった事にします。」

悠理のことを思いやっているのか、剣菱の後継者候補を確保しようとしているのか、それともその両方なのか、百合子夫人の意図は計り兼ねたが、清四郎はほっと息をついた。
万が一とはいえ、悠理が恋に落ちるという可能性はある。

しかし、追い討ちをかけるように百合子夫人の話が続く。
「だからその前に、悠理が清四郎ちゃんに恋するように仕向けてくれればいいのよ。
 悠理の意志だったら、雲海和尚も出てこないでしょうしね。」
いとも簡単に発せられた、そのあまりに突拍子も無い考えに、清四郎は開いた口がふさがらない。

美童じゃあるまいし、恋愛不適格者と言われる清四郎に何ができるというのだろうか。
悠理に対しては女性扱いどころか、人間扱いも怪しい清四郎にはどう考えても無理であろう。
 
「それに清四郎ちゃんだって、もう一度剣菱の経営に携わってみたいと思うでしょ?」
百合子夫人は今度は、清四郎のプライドをくすぐるような事を言いだした。
「いえ、僕はおじさんには適いません。
 あの会長代理の時にそれを思い知らされましたし・・・。」

「あの時は突然全権を任されたんですもの、無理も無いわ。
 豊作は全然頼りにならないし・・・。
 それでもよくやってくれたと、万作さんも感心してたのよ。
 できればもう少し続けて欲しかったって。
 だから今度はもっと勉強して、じっくりやればいいのよ。」
百合子夫人の言葉は、まるで思考を絡め取るように頭に響いてくる。

清四郎は何も言葉を発せずにいた。
いつもなら、冷静に的確な判断を下せる頭脳が、今日は答を導き出せない。
 
「『できることなら何でもしてくれる』のよねえ、清四郎ちゃん。
 まさか、断るなんて事はなさらないわよね。」
首を縦にふらない清四郎に、百合子夫人が駄目押しをする。 

この世の中で誰がこの人に逆らえるのだろう。
もはや蛇に睨まれた蛙。 あの目で睨まれると、途端に自分の回りの空気が薄くなったようにさえ感じる。

「・・・解りました。」
清四郎はそれだけ答えるのが精一杯だった。

その言葉を聞くと百合子夫人は上機嫌になり、サイドテーブルの引出しから小型のテープレコーダーを取り出した。
今までの会話は全て録音されていたらしい。
もう清四郎には抗う気力さえ残されていなかった。

「これは、今日の証拠として残しておくわ。
 もちろん悠理には内緒よ。私と清四郎ちゃんだけの秘密ね。
 ・・・ ああ、これから楽しみだわ。
 悠理だって恋をすれば少しは大人しくなるでしょうし、
 清四郎ちゃんと悠理の子ならきっとかわいいわ。
 じゃあ、悠理のこと、よろしくね。」
と、にこやかに百合子夫人は応接室から出ていった。




NEXT

作品一覧

 背景:PearBox