BY いちご様
4.
2月14日。聖バレンタインデー。 いつものように、登校時からプレゼントをもらいまくった悠理は、 今日の戦利品を部室の大きなテーブルに乗せ、 これ以上の幸せは無い、というくらい嬉しそうな顔をして、 チョコを頬張っていた。 部室にはまだ女性3人だけ。 男性陣はあちらこちらで引き留められているらしく、 まだ姿を現さない。 可憐と野梨子は部室に届いたチョコレートを分けている。 やはり一番多いのは悠理のようだ。 「相変わらずすごい量ね。甘い匂いに酔いそうだわ。 ほら、悠理。これもあんた宛てよ。」 悠理へのプレゼントを渡す。 「ありはほー。」 満面の笑みで受け取る悠理。 「本当にお店が開けそうですわね。 まあ、悠理ったら、何も飲まずにチョコをそんなに食べて・・・。 のどにつかえませんの? 今、お茶を入れますわ。」 可憐と野梨子がミニキッチンに消えると、男性陣が現れた。 「あぁ、もてるってつらいよね。こんなにもらっちゃって。 でもかわいい女の子達の、せっかくの気持ちを断るのも悪いし・・・。」 口調はつらそうだが、表情は笑いが止まらないといった美童。 「はいはい。」 続いて苦笑しながら入ってきた魅録と清四郎が肩をすくめる。 魅録と清四郎も美童ほどではないが、紙袋や、かわいらしい包みを両手に抱えていた。 テーブルに荷物を乗せながら魅録がつぶやく。 「すげー量だな、悠理。あんまいっぺんに食うと鼻血出すぞ。」 「本当に多いですね。美童よりあるんじゃないですか。」 清四郎の言葉に美童のプライドが刺激される。 「悠理宛てのはみんな包みが大きいから、そう見えるんだよ。 僕のは量より質だもんね。大体、女の子が女の子にあげるなんておかしいよ。」 「まあまあ・・・。美童も紅茶飲むでしょ?」 お盆にティーポットとカップを乗せ、キッチンから出てきた可憐が宥めるように言う。 「あ、ごめん、僕いらなーい。 今日、デートなんだけど、一度家に帰るからさ。 じゃ、また明日。」 と、部室に届いていた美童宛てのチョコレートもしっかり抱え、 ひらひらと手を振って部室を出ていった。 「まったく・・・、今日は何人とデートするのかしらねー。 今年はおじ様や杏樹に勝てるのかしら。」 可憐は紅茶を配りながら、また新たに増えたチョコの山を見た。 「魅録と清四郎も結構もらったみたいね。 そういえばあんた達はもらったチョコどうしてるの?」 魅録や清四郎は甘いものがあまり得意ではない。 「んー、少しは食べるけど、家に置いとけば、その内無くなるな。 お手伝いさんか親父が食べてんじゃないかな。」 「僕もそうですね。疲れている時に口にすることもありますが、 ほとんどは姉貴やオフクロが食べてるようですよ。 親父がナースステーションに持って行ったこともあるようですけどね。」 「ふーん、二人とも全部自分で食べるっていう訳じゃないのね。」 全て自分で食べるにはあまりの量なので、それも仕方がないだろう。 「食べないんなら、あたいにちょうだい!」 その会話を聞いていた悠理が顔を輝かせながら叫んだ。 「お前そんなにもらってて、まだ欲しいのかよ。」 魅録は呆れ顔だ。 「悪いけどやれないよ。 学校内でもらったもんだし、それをお前が持ってるの見たら、いい気持ちしないだろ。」 仁義に厚い魅録らしい心遣いだ。 「僕もやめときますよ。 第一、それ以上食べたら病気になりますよ。」 清四郎の言葉は、優等生としての外面からだろう。 そう言われて、悠理も少し思案顔になる。 「そっか、そうだよな。 自分があげた物を、他の人に渡されたら悲しいよな。 そんなこと言うならお前ら、もらった包み一つにつき、いっこは絶対食えよ。」 「ぐ、それはちょっと・・・。」 魅録も清四郎も言葉を濁した。 悠理のらしくない発言に可憐が驚く。 「へー、あんたも少しは乙女の気持ちが解るようになったのね。 お姉さんは嬉しいわ。」 常日頃から野梨子や悠理の恋の目覚めを待ち望んでいる可憐は目を輝かせた。 「誰がお姉さんだよ。」 悠理は憮然と呟き、また一つチョコを口に放りこんだ。 デートの予定があると可憐が帰り、魅録は秋葉原に、野梨子は両親と食事の予定があると帰っていった。 部室に残ったのは清四郎と悠理。 悠理はお菓子を食べながら魅録の置いていったロック雑誌を眺めていた。 清四郎は学校にいる間は、なるべく部室にいるようにしていた。 クラスの違う悠理とは、部室の方が会える確立は高い。 そして、用事を作っては最後まで残っていた。 次期生徒会への引継ぎ、PTA役員会への報告書の作成、部室に置いてある私物の整理、・・・などなど。 想いを告げる事が難しい分、そばに居たかった。 「悠理はまだ帰らないんですか?」 時刻は4時を過ぎたところだ。 他のみんなが帰ってしまったのに、まだ残っているのは珍しい。 「うん、名輪が兄ちゃんの用で出てて、その帰りに寄るから5時くらいになるんだって。そんでその後兄ちゃんに付き合って食事会・・・。 清四郎は?まだ帰らないの?」 「ええ、答辞の草稿を書いていこうかと。 学校にいる時の方が、気持ちの上でも書きやすいですからね。」 残る理由は本当は悠理がいるからだけど。 「そっか、あと一ヵ月で卒業式だもんな。」 悠理はみんなとこうしていられるのもあと一ヵ月だと思うと、淋しさが込み上げてきた。 部室を見まわして、溜息をついている。 「学部は違うけど皆同じ大学ですし、いつでも会えますよ。 一般教養で同じ講義を受けることも可能ですしね。」 「うん、そうだよな。」 顔を上げると清四郎の優しい瞳がそこにあった。 それからしばらく悠理はお菓子を食べながら、 清四郎は答辞の草稿を書きながら、 この波瀾万丈だった4年間の出来事を振り返った。
********** 時計の針が5時に近づく。 「そろそろ時間ですから、片付けましょうか。 車まで荷物、手伝いますよ。」 清四郎もいつもより荷物が多いが、悠理の比ではない。 悠理はテーブルの上に散らばった包みを、中身を確認しながら仕舞っていく。 食べ終ってしまった物はゴミ箱へと運ぶ。その量は結構な物だ。 「随分食べましたね。お腹大丈夫ですか?」 「うん、全然オッケーだじょ。」 気が付くと、バタバタとチョコをしまっていた音が止んでいた。 テーブルの上に置いた鞄の上に手を置いて、悠理の動きが止まっている。 「どうしました?悠理・・・。」 荷物を手伝おうと近づいた清四郎も動きを止める。 悠理は、しばらく何か考えているようだったが、意を決したように鞄を開け、小さな箱を取り出した。 その小さな箱は黒の包装紙に包まれ、シルバーのリボンがかけられていた。誰もが知っている有名なチョコレート店のものだ。 悠理は、それを清四郎に差し出した。 「あっ、あのさ、清四郎。 ・・・これ、やる。」 清四郎の手に箱を押しつけるように渡す。 悠理に渡された、その小さな箱を掌に乗せたまま、 清四郎はどう反応していいのか戸惑った。 このチョコをどういう意味で受け取ったらいいのか。 喜べばその分、失望の痛みは大きくなる。 自分の心を制しながら悠理に尋ねる。 「悠理、これは・・・?」 「甘いの苦手だって知ってるから、小さいのにしといたぞ。」 そっぽを向きながら、悠理は話し続ける。 「お前には色々と迷惑かけたし、勉強もずっと面倒みてもらったし・・・。それでだぞ。」 (「・・・そうですよね。これは義理チョコの類ですよね。」) 清四郎がほんの少しがっかりした気持ちを表情に出さないよう、礼を言おうとした、その時。 「べっ、別に特別な意味なんてないんだからな。 あたいがお前を好きなんてことは、絶対、無いんだからな。」 (「えっ。」) 清四郎は悠理の言葉を聞いて、一瞬茫然となった。 心の中で、今聞いた言葉を反芻する。 (「悠理が、僕のことを・・?」) 今までの経験から言って、悠理が必死に否定する事柄は、 その言葉に反して、実は真実だという可能性が高い。 今回もその事例にのっとっていいのだろうか? 悠理の表情は読み取れないが、その横顔は朱に染まっている。 清四郎は顔の筋肉が弛んでくるのを止められなかった。 ちゃんとしようと思えば思うほど、微笑まずにはいられない。 悠理がちらりと清四郎を見る。 「なんだよ、笑うなよ。どうせガラじゃないよ。 これは、・・・そう、・・・義理・・・、義理チョコだからな!」 悠理は涙目になって怒りだした。 「いや、違う、そうじゃない。おかしかった訳じゃない。 悠理、・・・ありがとう。」 清四郎がそう言うと、悠理はほっとしたような顔をした。 「僕は・・たとえ義理でも、悠理からなら喜んでいただきますよ。」 続くその言葉に悠理は「えっ。」という顔をした。 「・・・喜んでくれる?・・・迷惑じゃなく?」 「ええ。悠理。」 清四郎は次の言葉を口にするのに、ひどくためらいを感じた。 今までの関係を崩すことになりかねない。 そしてもう戻ることができなくなる。 それでも、悠理がこのチョコをくれた気持ちを確かめたかった。 「悠理・・・これは義理チョコ、じゃ、ないんですよね・・・。」 悠理は一瞬目を見開き、下を向いてしまった。 その耳は真っ赤になっている。 ゆっくりと顔を上げ、 上目遣いに伺うように清四郎の顔を見ていたが、やがて・・・ こくりと頷いた。 「うん・・」 清四郎は一歩踏み出して悠理を抱き締めた。 悠理との距離を縮めて、その気持ちを確認するかのように。 「ありがとう。嬉しいです。」 『愛しい』という気持ちを19歳にして初めて知った。 たった一人の大切な人を、この腕に抱き締めることで、 心が満たされていくのが解る。 こんな満足感はいくら勉強しても、どんな経験をしても、 味わえるものではない。 清四郎の右手は悠理の背に、左手は髪を撫でる。 最初は体を固くしていた悠理だが、頭を撫でられているうちに、 落ち着いていった。 おずおずと悠理の手が清四郎の背中に回る。 清四郎の左手が悠理の頬に添えられる。 「悠理。」 かすれた声。 この沈着冷静な男が緊張しているのが伺える。 顎に手をかけ、顔を上げさせる。 悠理の目は潤み、頬はピンクに染まっている。 清四郎が顔を近づけると、目も唇もぎゅっと閉じられた。 そっと触れ合わせる唇。 清四郎の唇がついばむようにほんの少し悠理の唇をなぞり、 小さく音をたてて離れた。 初めてのキスは、チョコレートの味。 清四郎はそのまま悠理を離すことができず、腕の中に囲うように抱き締めていた。 ♪♪♪〜♪ 突然二人の間で軽やかなメロディーが流れた。 いたずらをしていた子どもが見つかったかのように、びくりと体を震わせる二人。 すぐ途切れたその音は悠理の携帯にメールの着信を告げる音だったらしい。 それまで夢の世界を漂っていた悠理は、即座に反応できない。 清四郎が悠理の肩に手をおいて、少し距離を取る。 「悠理? 今のは?」 「ん・・・、ああ、名輪。」 「もう帰らないとダメですね。」 そう言いながら、悠理をまたぎゅっと抱きしめた。 「このチョコレートは、ちゃんと僕が全部いただきますよ。」 「うん。」 悠理ははにかんだ微笑を見せて頷いた。 校舎を出ると、車の横で名輪が待っていた。 「お嬢様、遅くなりまして申し訳ございません。」 「ん、いいよ。」 名輪の開けた後部ドアに乗り込んだ悠理の後から、清四郎が荷物を運び入れる。 「じゃ、悠理、また明日。」 「うん、じゃね。」 清四郎は悠理を乗せた車が校門から出て行くのを見送った。 |
背景:PearBox様