謀(はかりごと) 

                 BY いちご様

5.

 

清四郎と悠理は付き合い始めたことを、倶楽部のみんなに言わなかった。
清四郎は言ってしまっても良いと思っていたが、悠理がからかわれるのと、恥ずかしいのとで強硬にイヤがったのだ。

悠理はお互いの家族に知られるのもイヤがった。
菊正宗家へは前回の婚約騒動の時に迷惑をかけたから、
剣菱家は、また、いらぬ大騒ぎをするからと。
清四郎としても、百合子夫人の思惑とは関係無く、本人達の意志である事を明確にしてから報告したいと思っていたので、黙っていることに反対はしなかった。

だから登下校は今まで通り。
清四郎は野梨子と共に。
悠理は家の車で。
唯一変わったことと言えば、二人の視線が合うことが多くなったことくらいだろうか。

一度帰宅した後に二人で会う。
会えない日は電話かメール。
友達としての付き合いが長かった二人は、少しずつその距離を縮めていった。

菊正宗家も剣菱家も両親は不在のことが多かったが、菊正宗家には和子がいる。鋭い姉を避ける為、自然と清四郎が悠理の部屋に行くことが増えた。
剣菱邸の使用人達も、清四郎の訪問はいつもの勉強のためだと思い、なんの疑問も感じなかったようだ。
実際、多少の勉強はしなくてはならなかったが・・・。

***********



土曜日。
清四郎は修平の用事で半日をつぶされ、剣菱邸に着いたのは2時を過ぎていた。
雨も降っていたので、出かけるのは翌日にして、週明けにある小テストの勉強をした。夕飯の後は、DVDを見ることにする。

剣菱家には万作自慢の立派なシアタールームがあった。
悠理が選んだのは香港のアクション映画。
ゆったりしたソファに並んで座る。
クッションを抱えてDVDに熱中している悠理は、主人公の動きに合わせるように、時折体が揺れる。
そんな悠理を、面白そうに、そして愛しげに清四郎は見ていた。

映画が終ってエンドロールが流れている時、突然
「すきあり!」
と悠理が清四郎に空手チョップをお見舞いした。
いや、しようとした。
悠理の右手は、平然としたままの清四郎の左手に捉えられてしまう。
「抜き打ちとは卑怯ですよ。
 でも悠理はアクション物の映画の後は、いつもこうして飛び掛かってくるから、予想できる範囲内でしたけどね。」
「くっそー、今度はラブストーリーの映画の後に飛び掛かってやる!!」
そんな悠理の言葉にニヤリと笑う清四郎。
「悠理がラブストーリーを選ぶとは思えませんがね。
 それにラブストーリーの後だったら、飛び掛かるより他にすることがあるでしょう?」
「・・・何だよ?」

清四郎は、つかんだ右手ごと悠理の体を引き寄せ、
脇の下に手を入れ、くるりと反転させながら、そのまま横向きに膝の上に乗せた。
「こういうこと。」
右手は首の後ろから髪に梳き入れ、左手は頬に添え、顔を背けられないようにする。至近距離で見つめられ、悠理の顔はどんどん赤味を増していった。

清四郎の唇が悠理の唇に重なる。
ついばむように幾度か角度を替え、清四郎の舌が悠理の唇を優しくなぞる。
その優しさに悠理の緊張が溶け、ほんの少し唇が開いた。
ゆっくりと清四郎の舌がその間に入りこみ、
そのほんのすぐ内側を愛撫する。

悠理は体がしびれるような感覚に襲われ、
清四郎の腕をギュッと握り締めた。

清四郎は深く追い詰めることはせず、軽く上唇を食み悠理を開放した。
悠理が潤んだ瞳で清四郎を見上げる。
その表情は、いつもの子どものようなものではなかった。
見つめ合い、再び重なる唇。
キスを少しずつ深めながら、清四郎の左手は顎から鎖骨にかけてゆっくりと愛撫していった。

いつでも邪魔は入るもの。
内線電話のベルが鳴りだした。
慎ましやかなその音は少しずつ、二人を現実へと引き戻していった。
なごり惜しげに唇を離す。
「出られますか?」
「ん、」

清四郎が体を伸ばして受話器を取り、悠理に渡す。
悠理は半ば夢見心地でそれを耳にあてた。
「もしもし・・・、何?」

『嬢ちゃま、豊作様が清四郎様に、ご用事があるそうなので
 帰りにコンピュータルームに寄って欲しいとの事です。』
「ん、解った。伝えとく。」
受話器を返しながら清四郎にもたれかかる。

「僕にですか?」
「うん、兄ちゃんが用があるからコンピュータルームに寄ってくれってさ。」

時計を見るともう10時に近い。
「じゃあ、豊作さんの所に行きますね。」
「う・・・ん、」
そう言いながらも、悠理は清四郎にもたれたまま。
清四郎も抱きしめた手をほどこうとしない。
離れ難い気持ちは二人一緒のようだ。

しばらくそうしていたが、どちらからともなく、くすくすと笑い出した。
「もう行きますね。」
「うん・・・。」
「明日は横浜にでも行きましょうか?」
「うん!じゃ、お昼は中華街な!」

「じゃ、また、明日。」 
「ん、明日ね。」
先に清四郎がシアタールームから出た。

コンピュータルームに向かう途中、外出帰りらしい百合子夫人に出くわした。
「あら、清四郎ちゃん、いらっしゃい。また悠理の勉強かしら?
 それとも、例の件に何か進展があったのかしら?」
「こんばんは、おばさん。
 来週小テストがあるので、今日はその勉強を・・・。」
「コンピュータルームに行くところなの?
 豊作まで面倒掛けてごめんなさいね。」
と、にこやかに言われる。
「いえ、僕も勉強になりますし・・・。」

忙しい百合子夫人とはそうそう会えない。
清四郎はこんな場所でとは思ったが、ここのところ考えていたことを、ある程度、伝えておくことにした。
「おばさん、ちょっといいですか?
 その、・・・例の件なんですけど、無かったことにして欲しいんですが・・・。」
清四郎のその言葉に、百合子夫人の表情が鋭くなった。
「今更、悠理のことを無かった事にしてくれって言うの?
 それは無理よ。
 証拠のテープの存在を忘れた訳では無いわよね。」
「いえ、そう言うことではなく・・・」

「清四郎くん?」
豊作が二人の声を聞きつけたのか、コンピュータルームから顔を出した。
待ちかねていたらしく、その場で清四郎が来るのを待っている。
「あ・・・、はい、今行きます。
 おばさん、この話はいずれちゃんとさせて下さい。」
この状況ではこれ以上話を続けるのは無理と判断した。
「はいはい。でも逃げちゃダメよ、清四郎ちゃん・・・?」
清四郎の背中にそう言葉を投げかけると、
百合子夫人はくすくすと笑いながら去っていった。

 

**********

 

明くる日曜日、横浜に行くため清四郎は車で剣菱邸を訪れた。
悠理との約束は11時だったが、着いたのは10時を少し過ぎた頃。
できれば百合子夫人と、話がしたかった。

玄関で五代に迎えられる。
「おはようございます。五代さん。
 今日は悠理と出かける約束をしているのですが、
 その前に、もし、百合子夫人がお暇なら、お会いしたいのですが・・・。」
「おはようございます。清四郎様。
 あいにく、奥様は今朝早くにお出かけになられました。
 お帰りは3日後の予定です。
 嬢ちゃまは、お部屋にいらっしゃいます。
 起きてはいらっしゃるようですが、今朝はまだ朝食を召し上がってないのですが・・・。」
五代が少し、心配そうに告げる。

「そうですか、解りました。
 部屋に行ってみます。」
(「昨日、夜更かしでもしたんですかねえ・・・。」)

コンコン
「悠理、清四郎です。」
返事は無い。五代の話では起きているということだったが。
「入りますよ。」
続けて告げ、ドアを開けた。

静かな部屋の中、悠理はソファに座っていた。
両足を抱え、膝の上に顔を埋めている。
「悠理?
 どうしました? 具合でも悪いんですか?」
清四郎はそう言いながら、近づこうとした。
が、

「来るな!」

叫ぶように放たれたその言葉に、清四郎の足が止まる。
悠理がゆっくりと顔を上げた。
清四郎をまるで睨むかのような目つきで。

その頬には涙のあとが、幾筋も光っていた。

「悠理、どうした・・・?
 何があったんだ?」
再び近づこうと一歩踏み出した清四郎に向って、
悠理が立ちあがり、何かを投げつけた。
「なんだよ、これは!!」

清四郎はとっさに手を出して受け留める。
思いの他、固い物質に手がジンとしびれた。
その手の中に納めた物は、
・・・それは、いつぞや百合子夫人の操作していた小型のテープレコーダーだった。
中にはテープが入ったままだ。

あの時の会話が瞬時に清四郎の頭を駆け巡る。
このテープを聞いたのなら、悠理の怒りの訳は聞くまでも無い。

「おまっ、お前・・・
 そんなに剣菱が欲しかったのかよ・・・
 母ちゃんに言われて、こんな話受けるなんて・・・」
言いながら悠理の目からは止め処も無く涙があふれてくる。
が、その目は怒りに燃えているようだった。

 

**********

 

清四郎と百合子夫人の会話を聞きつけたのは、豊作だけではなかった。
「(証拠?テープ?)あたいの事って言ってたよな。
 なんだろ。」

明日の時間を確認しようと清四郎を追ってきた悠理も、
その謎めいた会話を聞いてしまった。

どうにも気になった悠理は、話を聞こうと母の部屋を訪れたが、
母は入浴中らしく不在。

チェストの中にテープレコーダーを見つけ、躊躇いながらも、再生ボタンを押した。
しばらくそれを聞いていた悠理は、真っ青になり、
テープレコーダーを握り締めたまま、母の部屋を後にした。



**********



「違うんだ、悠理。
 確かにおばさんとの会話は事実だが、僕の気持ちは・・。」

「何が違うんだよ。」
悠理は頭を振りながら叫ぶ。涙がはたはたと散った。
「このテープ、正月の時のだろ。
 野梨子が言ってた、母ちゃんとの話って本当はこれだったんだろ!
 勉強を見るように頼まれたなんて嘘つきやがって・・・。」

「お前、冬休みが明けてからなんか変だったじゃないか。
 あたいが何も気付かないと思ってたのか!」

「悠理、話を聞いてくれないか。」
少しずつ悠理のそばに近づく。

「お前があたいに優しくしてくれるなんて・・・、おかしいと思ったんだ・・・。
 あたいのこと騙す為に優しくしてくれただけなんだ。
 またあたいは剣菱のおまけだったのかよ。」
悠理は溜め込んでいたものを吐き出すように、嗚咽しながら言葉を続ける。

「悠理・・そんなことは・・・」

「あたいは・・・、あたいは・・・、
 お前のこと・・・本当に・・・。」
悠理の目から涙があふれてくる。

以前ならば、簡単に悠理を言いくるめることが出来たであろうに、
今は泣いている悠理を前にして何も出来ない。
悠理を守ると心に決めていたのに・・・。
悠理を傷つけたという事実が、清四郎を動揺させる。

悠理に近づこうとするが、悠理は清四郎を睨みながら後ずさる。
「悠理・・・。
 そうじゃない、そうじゃないんだ。
 それより前からお前のことを」

「そんなこと、信じられるか!」
清四郎の言葉をさえぎるように、悠理は絶叫する。
「もう、あたいに関わるな!
 もう、お前の話なんか聞かない!
 清四郎なんか大嫌いだ!」
悠理は耳を両手で塞ぎ寝室に駆け込み鍵をかけた。
ドアの向こうからは悠理のくぐもった泣き声が聞こえてくる。

目の前で閉ざされ、鍵を掛けられてしまったドア。
それはまるで悠理の心のようだった。







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