謀(はかりごと) 

                 BY いちご様

6.

 

あれから5日。
いつもと変わらぬ朝を迎え、野梨子と学校へ向かう。
「おはようございます、清四郎。
あら、なんだか顔色が悪いですわよ。また夜更かししてましたの?」
「おはようございます、野梨子。
 ええ、親父に論文の和訳を頼まれてましてね。
 ここのところ、それに時間を取られてるんですよ。」
「顔色のせいかしら、ちょっと痩せたようにも見えますわね。」
この鋭い幼馴染は、清四郎の異変を的確に見抜いた。

「そうですか?
 ちょっと胃の調子が悪くて、食事を控えているせいかもしれません。」
「大丈夫ですの?」
「心配いりませんよ。
 ちょっと美味い酒が手に入ったものですから、つい、ね。」
「まあ、二日酔いですの?
 あきれた。ほどほどになさいませね。」
「心しておきます。」

誰よりも鍛え、頑強な体を持つ彼が、徹夜や二日酔いで、
こんなにやつれる訳は無いだろう。
そうと解っていても、野梨子はそれ以上踏み込もうとは思わなかった。
人一倍プライドの高い幼なじみが、他人に弱味を見せることなどないと解っているからだ。

学校までの道を、たわいも無い会話で過ごす。
そうして学校ではいつもの優等生の仮面をつけ、
普段と変わり無い日々を送る。
清四郎としては、むしろその方が気が楽だった。
一人になると、体から心が離れてしまうようだ。



**********



一人の時間。
頭に浮かぶのは悠理のこと。
しかし、考えたからと言って答えが出るわけではない。
正解の出ない問題をいつまでも解こうとしているようだ。
考えれば考える程、悠理を傷つけたという事実に責め苛まれる。

その責め苦から逃れる為に酒を煽る。

いつの間にか引きこまれた眠りの中・・・
悠理が泣いている。
なぐさめたくても僕の声は届かない。
抱きしめたくても僕の腕は届かない。
顔を背け、逃げるように遠ざかる背・・・
目の前で閉ざされたドア・・・
その名を叫んだところで目が覚める。

そんな事を何回繰り返しただろう。

 

**********

 

校門をくぐったところで、後ろから元気な声が耳に届く。
「おっはよー、野梨子、清四郎。」
「「おはようございます、悠理。」」
二人は振り向きざまに挨拶をする。

ポーカーフェイスは自分だけの特質だと思っていたのに。
何より、すぐに顔に出る悠理がいつも通り振舞っているのが信じられなかった。
そういえば、付き合い出した時も、学校では態度が変わらなかった悠理。
お互い、気恥ずかしさが先に立ち、想いを告げる言葉を口にしたことは無かった。
悠理からのチョコレートで始まった交際だったが、悠理の想いはそれ程のものではなかったのかもしれない、などと自分に都合の良いように考えてみる。
悠理の中ではすでにあの10日ほどの出来事は、無かった事となってしまっているのかと思いたくなる。

しかし、悠理はあからさまに避けるような事はしないかわりに、
決して清四郎の手の届く範囲には近寄らなかった。
悠理は必ず誰かと行動を共にし、一人になることは無い。
まるで、見えないバリアに阻まれているようだった。
その距離が、全てが事実だったことを、悠理の怒りを清四郎につきつける。

 

***********

 



「清四郎、ミルクは入れますか?」
放課後の部室。
コーヒーを配っている野梨子が清四郎に尋ねた。
いつもブラックで飲むのが常の清四郎に、あえて野梨子が尋ねたので、みんなが不思議そうな顔をして二人を見た。
「大丈夫ですよ。ありがとう、野梨子。」
コーヒーを受け取りながら笑って返す清四郎。

「なあに、どうしたのよ?」
意味深な二人の会話に、可憐が野梨子に聞く。
「清四郎は、二日酔いで胃の調子が悪いそうですわ。」
心配をしているようで、ちくりと皮肉も忘れない。
清四郎は幼馴染が自分の体を心配してくれているのは解るので苦笑する。

「へー、清四郎でもそんなことがあるんだ。珍しいね。
 そういえば、お昼もあまり食べてなかったよね。
 薬は飲んでないの?」
美童が物珍しげに問う。
「ええ、飲むほどでは無いと思っているのでね。」

「じゃあ、今夜はやめとくか?」
読んでいた雑誌から顔を上げ、魅録が声をかける。
その日は魅録の知り合いの店の10周年記念パーティに行くことになっていた。
「いえ、大丈夫です。行きますよ。」
清四郎はにこやかに返事をした。

 

***********

 

パーティは魅録の広い交際範囲を反映するかのように、多種多様な人種の集まりだった。
悠理も出席者の半分程は知り合いらしく、様々な人としゃべったり、フロアに出て踊ったりしていた。

仲間達もそれぞれ楽しそうに過ごしている。
美童は野梨子をエスコートして踊り、可憐は美容業界人らしき人との話に夢中だ。
清四郎は魅録のメカ仲間としばらく話をしていたが、
気が付けば酒を片手に壁に凭れていた。
光の中で踊る悠理をまぶしそうに見つめ、溜息をつく。

パーティがお開きとなり、6人はホテルのラウンジに場所を移す。
週末ということもあり、席が空くまで分かれて座ることになった。
テーブル席には女性陣と魅録。
カウンター席に美童と清四郎が座った。
テーブル席ではかなりご機嫌な悠理が賑やかに話をしている。

美童が清四郎に話し掛ける。
「最近、元気無いようだけど、どうしたの?」
「そうですか、美童の気のせいでしょう。別に何もないですよ。」
そう言いながらウィスキーを煽るように飲み干し、お代わりを注文する。
「ま、清四郎が素直に悩みを打ち明けてくれるとは思っちゃいないけどさ・・・。」
美童はカクテルで唇をしめらせ小さく息をつく。
「溜息ばかりついて、時々思い詰めたような、悲壮な顔しちゃってさ・・・。恋の悩みだったら相談に乗るよ?」

一瞬、清四郎の目が揺らいだが、すぐにいつもの表情に戻った。
「残念ながらそんな浮いた話は無いですよ。」
そう言いながら再びウィスキーを口に運んだ。
まるで苦い薬でも飲むように酒を煽る清四郎を、美童は気遣うように見つめた。

「飲み過ぎですわよ、清四郎。
 先ほどのパーティでも、何も召し上がってなかったじゃありませんの。」
清四郎の隣のカウンター席に野梨子が腰掛けた。その口調に似合わず心配そうな表情だ。
「食べたい物が無かっただけですよ。」
清四郎はかなり飲んでいるであろうに、その表情や言動は、いつものことながら酔いを感じさせない。

野梨子の向こう側に座る男の下卑た視線を捉えた清四郎は、自分の席を野梨子に譲る。
その意味を察した野梨子も素直に礼を言い、美童と清四郎の間の席に座った。

「あちらのテーブルは盛り上がっていたみたいですけど、なんの話をしてたんですか?」
「ええ、今日は悠理がかなりご機嫌で、最初は可憐の今までの恋愛話を聞いたりしてたんですけど、つい先程は魅録にチチさんとどうして連絡を取らないんだ、とか言って絡んでましたわ。」

「へー、悠理がそんな話をするなんて珍しいね。魅録の事が気になってるなんてことはないよね。」
美童の言葉に清四郎の心がズキンと揺れた。

「それで、野梨子は自分に話が振られる前に逃げてきたってとこ?」
「酒の肴になるのはごめんですもの。」
「それもそうだね。じゃ、僕の豊富な経験談でも話して来ようかな。」
金髪をさらりと流し、美童はグラスを持ってイスを立った。
「お願いしますわ。」
と野梨子は美童を見送った。

酒を煽るように飲む清四郎を、野梨子が見咎める。
「ほどほどにしないと、また胃を痛くしますわよ。」
清四郎は薄く笑って取り合わない。
「胃の痛みくらいなんでも無いですよ。」


空いた美童の席に、今度は魅録がやってきて腰掛ける。
「あー参った。悠理のヤツ、なんであんなに絡んでくるんだ?
 清四郎、なんとかしてくれよ。」
清四郎は手に持ったグラスに視線を落とす。
「・・・僕には無理ですよ。」
「なんで?
 悠理の扱いは一番慣れてるだろ?」
「・・・今まではね・・・。」
「そういや最近二人で話してないな。ケンカでもしたのか?」
「そういえば、そうでしたわね。」
清四郎は黙ってグラスを見つめている。
魅録と野梨子は顔を見合わせた。

そこへ悠理が魅録と野梨子に抱き着いてきた。
「魅録、逃げるなよ〜。
 あっ、野梨子〜、今度は野梨子ちゃんの話が聞きたいなー。」
悠理はかなり飲んでいるらしく足元がおぼつかない。
「キャッ」
首に巻き付いてこられ、野梨子が高いカウンター椅子から落ちそうになった。
「おっと」
魅録が野梨子の手を掴み、引き留める。
と今度は手を解かれた悠理がバランスを崩した。

清四郎の右手が悠理の背に回り、倒れそうだった体を支えた。
一瞬、二人が見つめ合った・・・
途端、
ドンッ!
「触るな!」
悠理が怒ったようにその手を突き放した。

あれから、
手ひどい拒絶にあったのは初めてだったかもしれない。
悠理も清四郎も見合ったまま、動きを止めた。
二人に驚いた周囲の人間も。

「どうしたんだよ、悠理。
 清四郎はお前が転ばないように支えただけだろ。」
魅録が二人の様子に驚いている。
悠理に対しても、悠理に何も言えない清四郎に対しても。

野梨子は最近の清四郎の様子と先程の言動を思い返しながら聞く。
「悠理。清四郎とケンカでもしたんですの?」

いつも通りを装っていても、アルコールが入ればタガがゆるむ。
「違う!
 ・・・こいつがあたいを騙したんだ!」
感情を爆発させたように悠理が叫ぶ。
「悠理、話を聞いてくれないか?」
清四郎は苦痛に顔をゆがめるように話しかける。
「もうお前の話は聞かないって言ったろ。」

騒ぐ仲間の声に可憐と美童が近づいてくる。
「なんだか痴話喧嘩でもしているように見えるんだけど・・・。」
「まさか・・・ねえ・・?」

悠理が怒っているような泣き出しそうな顔になってきた。
瞳に涙がせり上がってくる。
涙が零れ落ちる寸前、悠理はきびすを返してドアに向った。
「ゆ・・」
悠理を呼び止めようと手を伸ばした時、
急に喉に違和感を覚え、清四郎は咳き込んだ。
「ごふっ…」
瞬間、
大量の何かが吐き出された。

手でも押さえきれないその正体は・・・
真っ赤な血。
「え?」
血に染まっている手を呆然と見つめる。
手の平から肘まで、血が滴っている。

「キャッ!清四郎!」
野梨子が叫ぶ。
暗い照明の中でも、血液が辺りに飛び散ったのが解る。

急激な貧血。
「おいっ救急車!早く!」
足元が崩れ、倒れこむ清四郎を支え、魅録が叫ぶ。

遠のく意識の中で悠理の声が聞こえたような気がした。






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