7.
瞼を開けると蛍光灯の光が目に痛かった。 うちの病院か。 吐血して気を失ってから、あまり記憶が無い。 時折、名前を確認するかのように呼ばれたくらい。 あれは救急隊員か、病院のドクターか。
左手には点滴。 誰が刺したんだか、骨に当たる所に刺さっていて、手を動かすと痛みが走る。 喉の痛みは内視鏡のなごりか・・・。
コンコン。 軽いノックの音がして、ドアが開いた。 姿を現したのは和子だった。
「あら、目が覚めてたのね。」 その表情は笑いをこらえているという感じだ。
「あんたも図太いようで、意外に繊細だったのね〜。 何をそんなにストレス溜めてたのかしら〜?」 「人の不幸を笑うなんて趣味が悪いですよ。それより、ここは何科なんですか?」 「消化器科よ。」 和子は大きな封筒から、胃カメラの写真を取り出した。 「外科ではないんですね。じゃあ手術はしないと。」 写真を受け取りながら言う。
「その写真で解るように、胃潰瘍の症状が見られるけど、穴はそれ程大きくないし、止血もしたから、薬だけで済みそうよ。 最近はよっぽどのことが無い限り、手術はしないしね。 一応組織を生検に出しているけど、ガンじゃないだろうってパパが言ってたわ。」 「そのようですね。」 清四郎は写真を見ながら返事をする。 最近の痛みを表すように胃の内部は荒れている。 その中に一ヶ所、茶褐色になっている所が穴の開いた所だろう。
「入院は3日くらいかしら。その後は薬ね。 あと、あんたの場合はストレスの原因を何とかしなきゃ、また穴が開くわよ。 最近はお酒も随分飲んでたみたいだけど、それも原因は同じでしょ。 大体、潰瘍があるのに、ウィスキーをストレートで飲むなんて自殺行為よ。」 「解ってますよ。」 清四郎は、はーっと溜息をついた。
「我ながら、情けないですね・・・。」 体と共に精神も鍛えてきたつもりだった。
ストレスの原因。 悠理を傷つけてしまったこと。嫌われたこと。 誤解を解きたいと思っているのに、その術が解らない。 いや、違う。 これ以上嫌われるのが恐くて何もできないだけだ。 もし、誤解が解けても悠理の心が戻らないことが恐いだけだ。
「ま、しょうがないわよ。どんな人にもストレスはあるし。それに強いストレスは、たった一晩でも胃に穴を開けてしまうしね。 でも、胃潰瘍は癖になるから気をつけなさいよ〜。」 慰めているんだか、からかっているんだかの物言いに清四郎もむっとする。 「はいはい、じゃ、とりあえず安静にしてますから、出て行ってもらえませんかね。」 「あら、私を追い出すの?せっかく見舞いに来てあげたのに。」 肩をすくめながら、写真を封筒にしまう。
ドアの方に行きかけた和子が、含み笑いをしながら振り返る。 「私、あんたのストレスの原因が、解っちゃったわ。」 清四郎は様子を伺うように、黙って和子を見返した。 ここで何か言って、墓穴を掘るようなことはしたくない。
「悠理ちゃんでしょ。」 和子の言葉にドキリとするが、平静を装って言い返す。 「何のことですか?悠理がどうしたんですか?」 心拍数は上がっている。心電モニターがついてなくて良かった。
「だーめよ、ごまかそうったって。 あんたも恋愛に関しちゃ、いつものように強気にはなれないのねえ。 何があったのか知らないけど・・・、 悠理ちゃん、あんたの目が覚めるのを待ってるのよ。 ・・・ずっと泣いてね。」 「えっ、悠理が・・です・・か?」 「今はみんなと待合室にいると思うわ。 救急隊員の人に聞いたんだけど、悠理ちゃん、隊員の人達が着いた時にもあんたのそばを離れなかったらしいわよ。」 「そう・・・ですか。」 「これ以上、悠理ちゃんを泣かすような事をしたら、私が許さないわよ。 じゃあ、呼んでくるわね。」 そう言い残し、和子は出ていった。
**********
清四郎は目を閉じた。 まだ間に合うのだろうか・・・。 何もかも正直に話そう。想いを告げよう・・・。 そう考えていると、ぱたぱたと走って近づいてくる足音が聞こえた。 遠くから「悠理、病院内で走ってはだめですわよ・・。」と言っている野梨子の声がする。 病室の前でその足音は止まり、静かにドアが開いた。
「清四郎・・・。」 真っ赤に目を腫らした悠理がそこに立っていた。 服の所々に茶色くなった血のしみができている。 タタタとベッドの横に駆け寄ると、膝をつき、ポスンと布団におでこを乗せた。 「バカやろう・・・。心配したんだぞ。」 僕はためらいながら悠理の頭に手を乗せた。今度は払われなかった。いつものように撫でる。 「心配かけて済まなかった。」
遅れてみんなが入ってきた。 「もう、驚かせないで下さいね。 ご自分の体のことなのに無理をして・・・。 清四郎らしくありませんわよ。」 野梨子は涙ぐみながらもお説教は忘れない。 「本当にびっくりしたぜ。 でも和子さんの話じゃ思ったほど悪くないようだし、卒業式も大丈夫そうで良かったよ。 俺が代わりに答辞読むなんてゴメンだからな。」 魅録も安心したように話しかける。
「そうよ、でも驚いたのは、悠理とのことよね。 あんたたち、よくも私達に黙ってたわね。」 「本当だよ。なんかケンカしてるみたいだけど・・・。 二人は付き合ってたんでしょ? 水臭いなあ。 いつからだったのさ? 二人とも全然変わらないから、解らなかったよ・・・」
「あら、私は気付いていましたわよ。 確かバレンタインデーの頃だったと思いますわ。 相手がどなたかは解りませんでしたけど、清四郎がやけに優しい表情をするようになったと思ってましたもの。」 さすがの幼馴染の言葉に仲間たちも清四郎本人も驚いた。
「へえ、そうだったんだ。 でもさ、清四郎もちゃんと恋愛できたんだねえ。 悠理とケンカしたせいで、最近元気が無かったんでしょ。 情緒障害者の汚名返上じゃない。」 「それを言うなら悠理だって・・・。 やっぱりあのバレンタインの時の乙女的な発言は、恋しているからだったのね。」 恋愛事にうるさい美童と可憐は、分析しながらうんうんと頷いている。
清四郎はうっすらと頬を染め、まだ布団に突っ伏している悠理も耳まで真っ赤になっていた。
「まあまあ、病人相手にあんまりいじめんなよ。 無事な顔も見れたし、今日のところは邪魔者は退散しようぜ。」 魅録が苦笑交じりに助け舟を出す。 ちゃんと仲直りしなさいよ、とみんなは出ていった。
**********
「あたい、昨日、母ちゃんから話を聞いたんだ。あのテープのこと。」 おでこを布団につけたまま、唐突に悠理が話し出した。 「あれは母ちゃんにしてみれば、冗談だったんだって。」
「どういうことですか?」 顔を上げた悠理の涙を、指の背で拭いながら聞く。
「母ちゃんが言ってた。 あの茅台の誘拐事件の時、清四郎が、あたいのことを守るって言ったのは、本心から言ってんのが解ったって。 だけど、本人に自覚が無いみたいだったから、ちょっと背中を押しただけよって。」 清四郎は頭を抱えたくなった。
本人すら気付かない想いが、百合子夫人にはお見通しだったのか。 万作さんに加えて適わないと思う人が増えてしまった。
「大体、人にそんなこと言われてその通りにするなんて、清四郎らしくないでしょって。 そう言われてみればそうかな、って思った。」 「そう・・・だったんですか。 なら悠理、さっきなんであんなに拒絶したんですか?」
「ん・・・、だって、清四郎から直接聞いた訳じゃなかったし、 清四郎はただあたいのチョコを受け取ってくれただけで、 一度もあたいのこと、どう思ってるかとか言わなかったし・・・。 それに清四郎と野梨子を見てたら、お似合いだなって、 清四郎のこと、一番解ってるのは野梨子だし・・・。 やっぱり清四郎は野梨子のことが好きなんじゃないかと思って・・・。 あたいは、やっぱ剣菱のおまけだったのかな・・・って・・・。」 悠理の目にはまた涙がせりあがってきた。
清四郎はベッドに起き上がろうとする。 「お前、何起き上がってんだよ。寝てなきゃダメだよ。」 立ち上がり、体を抑えようとする悠理の手をやんわりとどかす。
「悠理、僕の話を聞いてくれますか?」
「・・・うん。」 悠理はベッドの端に腰掛けた。
「茅台の誘拐事件の時、おばさんにお前のことを守ります、と言ったのはおばさんの言う通り、僕の本心です。 僕にとっては当たり前のことだったので、今まで考える事も無かったのですが・・・。 正月におばさんに言われて、初めて自分の気持ちに気が付きました。」 悠理の頬を撫でながら清四郎は続ける。 「以前の婚約騒動の時、話を受けたのは相手が悠理だったからだと・・・。」 「せーしろー・・・。」
「ただあの時には、自分の気持ちに気付いていない上に、思い上がっていて、お前にはひどい事をしてしまいました。」 そう言った清四郎の顔はつらそうだった。
「これからもずっとお前を守っていきたいと思ってます。 もうお前を悲しませるような事はしません。」 その言葉に悠理の目からはぽろぽろと涙がこぼれた。 「ああ、もう泣くな。」 そう言われてすぐに涙が引っ込むはずもなく。 「だって・・・。」
清四郎はこぼれた涙を指で拭い、 右手を悠理の頬に添え、唇にキスをおとす。
「もう泣かなくていいから。」 片手で抱き締めながら耳元で囁いた。 「愛してます、悠理。」 「うん・・。」
END
本当は・・・・
ガラッ 「あー、また悠理ちゃんを泣かしたわね。 これ以上泣かしたら許さないって言ったでしょ! もうこんなバカ弟は放っておいて帰りましょう、悠理ちゃん。」 そう言うと和子はあっけに取られる悠理を、引きずるように引っ張って出て行ってしまった。
っていうのを、入れようかと思ったけどやめました。
その後
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