心憶 前編
BY いちご様
そろそろ肌寒くなってきた9月最後の金曜日。 今日はしとしとと朝から雨が降っている。 生徒会室では相も変わらずひまを持て余している有閑倶楽部の 面々が放課後の時間をまったりと過ごしていた。 ファッション雑誌を見る可憐、 ガールフレンド達にメールを送る美童、 本を読む野梨子、バイク雑誌を眺める魅録、 差し入れのお菓子を食べる悠理。 いつもと同じ風景だが、そこに生徒会長の姿は無かった。 生徒会長である菊正宗清四郎は、スペイン・バルセロナで 開かれている欧州胸部心臓外科学会議に出席する父修平氏の お供で、もう10日程学校を休んでいた。 会議自体は5日間だったが、せっかくだからとヨーロッパの 最新医療設備を備えた病院を数カ所見学することになり、 今回の行程は2週間となっていた。 いつもならお供には病院の助手や若手医師を連れて行くのだが、 今回は5カ国語を操れる清四郎に白羽の矢が立てられた。 生徒会長が2週間も学校を休むのはどうかと思われたが、 大きな行事も無い時期であったし、剣菱に関わって休学したり、 1ヶ月も休んでラスベガスに行ったこともあるのだから いまさらだろう。 悠理がマドレーヌを頬張りながら自分の鞄を引き寄せ、 CDプレーヤーを取り出すと、耳にヘッドホンをつけ 早速聞き始めた。しばらくはそれを聞いていたが、 15分もすると別のCDに取り替えた。 鞄の中からは他にも数枚のCDがのぞいている。 ヘッドホンから漏れているリズムでロックを聴いているのは 解るのだが、悠理の眉間にはしわが寄っている。 「どうしたんだよ、悠理。そんな難しい顔してさ。」 雑誌をめくりながら魅録が尋ねる。 悠理は諦めたようにCDを止め、ヘッドホンをはずした。 「う・・ん、ちょっと歌をね、探してるんだ。 そうだ、前にブラック・ルシアンのコンサートに行った時に 会場でこっそり録音したよね。 あん時の歌が聞きたいんだけど、テープ貸してくんない? ライブでしか歌わなかったらしくて、 CDには入ってないみたいでさ。」 本当はそういう行為はイケナイことであるが、そのライブが ルシアン最後のコンサートになってしまったので、 ある意味貴重なテープである。 「ああ、そういえばそんな曲があったよなあ。 わかった、月曜に持ってきてやるよ。 でも珍しいよな、お前がそんなに歌にこだわるなんて。」 再び雑誌に目を戻しながら魅録は聞いた。 そう、悠理にとって音楽はノリで聞くものなので、 ある一曲に固執することはあまり無い。 「なんか最近さあ、すごーく聴きたい歌があるんだけど、 なんの曲だか思い出せなくって、 探してるんだけど見つからないんだ。 うちにあるCDなんかはほとんど聞いてみたんだよなー・・。 どれも聞くと、これだったかも、って思うんだけど、 しばらく聞いてると違うような気がしてくるんだ。 なんか物足りないっていうか・・・。 だからCDに入ってないライブの曲なのかと思ってさ。」 「どんな曲なんだよ?」 「んー、メロディとかは浮かばないんだけど、 なんかその曲を聴くと落ち着くような、 安心するような感じがしたんだと思うんだ。 曲名とか、思い出せればいいんだけど、 英語の歌なんか意味わかんないし、 元から憶えてないし・・・。」 語彙の少ない悠理の説明では魅録も苦笑するしかない。 「あんなにロック音楽が好きで聞いたり歌ったりしているのに、 歌の意味を知りたいと思いませんの?」 向いに座っていた野梨子が本を閉じ、不思議そうに聞く。 「こいつは耳に入ったものを、そのまま歌ってるから 意味なんてわかっちゃいねえよ。 時々、ものすごく変な歌詞になってるよな。」 魅録が悠理の頭を小突きながら笑う。 「別にいーじゃん・・。」 「自分の好きな歌だったら覚えるのも苦じゃないでしょうに? 勉強にもなって一石二鳥ですわよ。 そういえばもうすぐ中間テストが始まりますけど、 清四郎に渡された課題は終わりましたの?」 「げえっ、イヤなこと思い出させんなよ。 せっかく清四郎がいなくてイヤミ聞かされなくて せいせいしてるってのに・・・。」 「清四郎がいなくて、羽を伸ばしているのは解るけど、 もうすぐテストよ。 それに、清四郎もそろそろ帰ってくるんじゃないの?」 可憐が髪をいじりながら聞く。 今日のような天気の日は、髪がうまくカールしなくて、 つい手がいってしまうらしい。 「ええ、確かこの土日には帰って来る予定ですわ。」 「えっ、清四郎もう帰って来るの? やばー、ここんとこ歌のことが気になって なんもやってない・・・。」 悠理のお菓子を食べる手が止まる。 魅録が眺めていた雑誌を閉じた。 「そっか、そんな気になるんなら今日帰り寄って行けよ。 どうせこの天気じゃ遊びに行くのも億劫だし、 今から帰るか。」 「ホント?いいの?じゃ、帰ろ帰ろ。」 言いながら悠理はCDプレーヤーを鞄にしまい、 ついでにテーブルの上のお菓子も しまいこんで魅録とともに生徒会室を後にした。 「悠理、休みの間にちゃんと課題もやるんですのよ。」 という野梨子の忠告は聞こえたかどうか・・・。
***** 家に帰り、悠理は早速魅録に貸してもらったテープを聞き始めた。 ブラックルシアンの声はやっぱすごくいい。 もう生で聞くことができないと思うと本当に残念・・・。 そういえば、あの時は大変だったよな。 あたいが犯人扱いされて、時宗のおっちゃんに捕まっちゃって。 あたいが留置場でぐーぐー寝てる間に、みんなは寝ないで駆け回って、たった一日で助けてくれた。 それなのに一人で留年するのがいやで、みんなを道連れにしちゃったんだよな。あれって恩を仇で返すってやつ? あたいってさいてー。 清四郎にはばれちゃったけど、あいつみんなに黙っててくれて・・・。 コンピュータ買わされたのも、そうすることで共犯者になってくれたようなもんだし・・・。 いや、でも家庭教師はやってくれなくても良かったんだけど・・・。 『なんて女だ。どうやったら出るんだよ、あんな声!!』 物思いにふけっていたら急に魅禄の興奮した声が聞こえてきた。 『なんて女だ』という言葉が自分を非難しているように聞こえてドキリとした。そんなこと有るはずもないのに。 我に返ってまたテープに集中する。 彼女のしゃべっている声が聞こえるけど、全然わからん。 その後、待っていた曲が始まった。 「ああ、この歌だ。」 その歌はロック歌手には割とおとなしめの歌。派手なドラムは入っていない。優しい声で歌う、少し切なくなるようなメロディーが、心に染み込んでくるようだ。 短い曲だったが、悠理はとっても満たされた気持ちになった。 この歌がずっと聞きたかった。 ライブの記憶、事件の記憶、試験の記憶。 いろいろな記憶が悠理に甦ってくる。 曲名が知りたくて巻き戻して何回か聞いてみるが、全然何言ってるかわかんない。今度魅録にでも聞いてもらって教えてもらお。 その晩は遅くまでライブのテープを繰り返し聞いた。 次の日も悠理はライブのテープを聞きながら一日を過ごした。 だんだん曲も覚えてきて、めちゃくちゃな発音ながらも一緒に歌ったりもした。 ところが、ずっとその歌を聞いているうちに、また何か物足りなさを感じてきた。 なんだか自分が求めていたのは違うような気がしてきたのだ。 一度そう思い出すと、その思いが加速され、再び不安にも似た感情に支配されてしまった。 救いを求めるように、 悠理はブラックルシアンを重点的に再びCDを聞き返し始めた。 ♪♪♪♪♪ ロックの音に混ざって携帯が鳴っているのに気が付いたのは、日曜日のもう10時を回った時刻。 画面を見ると【清四郎】の文字。 (げっ、そういえば渡された課題やってない。) 悠理は机に積んである課題を横目で見ながら電話に出た。 「よお、清四郎。久しぶり、元気か?もう帰ってきたのか?」 「ええ、先程家に着いたところです。疲れはしましたけど、元気ですよ。明日からは学校に行きます。 悠理こそ元気でしたか?涼しくなってきたから、風邪なんかひいてないですか? ま、悠理が風邪なんかひくことはないと思いますけど・・・。」 「どうせバカは風邪ひかないって言うんだろ。」 「まあそんなところですかね。 ところで渡した課題はちゃんとやりましたか? もう来週末にはテストが始まりますよ。」 「解ってるよ。やれるとこはやったよ。 (やれるとこなんてほとんど無いから嘘じゃないもんね。)」 「ほお、そうですか。やれるところがあったんですか?」 清四郎の楽しそうな声。 明らかに手を付けていないのを見透かしている。 「ぐっ・・・、えー、ちょっとだけ・・・」 (ほんと、あたいをいじめて楽しんでるんだよな。やなヤツ。) 「明日から勉強会を始めますよ。 課題はできるだけやっておいて下さい。 もう誰も留年には付き合えませんからね。」 一昨日みんなを道連れにしたことで、落ち込んだことを思い出した。 「うん、わかってるよ・・・。そうだよな。」 「悠理?どうしました?」 急に元気が無くなってしまった悠理に清四郎が問いかける。 「ん、なんでもない。」 「・・・どうしたんだ?留年のことか? まさか今更何か気にしてるんですか?」 清四郎に隠し事はできない。 「う・・・ん、一昨日ブラックルシアンのライブのテープを、あの事件の日のさ、それ聞いてたらあの時の事、思い出しちゃって・・・。 みんな寝ないであたいのこと助けてくれたのに、あたいってば、さいてーな事しちゃったなって思ってさ。」 清四郎がふっと息をつく。 「僕はこんな楽しい高校生活を一年余計にできて、悠理に感謝したいくらいですよ。 きっとみんなもそう思うと思いますよ。」 なんだか知らないけど、慰めてくれてるのか。 いつもイヤミ言ったりいじめてばかりの清四郎が珍しい。 でも、少し元気が出た。 「そうだったらいいけど・・・。」 「大丈夫ですよ。 それより、みんなそろって大学部に行くために、勉強頑張りましょうね。」 「解ってるよ。明日からな。じゃあ、また。 おやすみ。」 悠理は切った携帯と共にベッドに飛び込んだ。 頭は明日からの勉強会に嫌気が差しているが、気分は高揚している事に気が付いた。 なんだかほっとするような、うきうきするような、満たされた気分だった。自然に顔がほころんでくる。 (あれ?なんでだろ。) 悠理は仰向けにごろんと転がった。 ここの所、悠理を悩ませていた心のモヤモヤがすっかり無くなっている。久しぶりにすっきりしたいい気持ちだ。 なんでだ。 さっきまではブラックルシアンのCDを聞いていて、新しい曲を聴いたわけじゃないよな。 さっきから変わったことって、清四郎からの電話じゃん。 携帯の呼び出し音が聞きたかった訳はないしな。 それなら、何回か聞いてるし・・・。 じゃあ、やっぱ清四郎の電話・・・? なんで? しばらく考え込んだ悠理はベッドに座り込むと、再び携帯を取り上げ発信ボタンを押した。 「はい、どうしたんですか?悠理?」 「うん、あ、清四郎?・・・ごめん。疲れてんのに。 ちょっと確かめたい事があって。」 「別に電話くらい構いませんよ。 で、確かめたい事ってなんですか?まさか課題の事ですか?」 「そんな訳ないだろ。ホントにイヤミなヤツだなっ。」 「じゃあ、なんですか?」 「う…ん、なんか、 解んないけど、解ったような気がするからいいや。」 「解んないけど、解った・・・?なんですか、それ? 謎々ですか?」 「ううん、違う・・・。やっぱ解ったからいい。」 「なんなんですか?そんな言い方されたら気になるでしょう。」 「えっ、そう?そうか。 あー、あのさ、さっきはありがとな。留年のこと。」 「そんなことでわざわざ電話くれたんですか?気にしなくていいですよ。 そうそう、スイスでチョコレートお土産に買ってきましたから明日持って行きますね。」 「えっ、ホント。やっり〜。じゃ、また明日学校でな。おやすみ。」 悠理は幸せな気分でベッドに潜りこんだ。 もうブラックルシアンの歌を聞くのはやめた。 自分が探していたものが何だったのか、解ったような気がしたから。 |
背景:素材通り様