2.
皆はしばらく景色を楽しんでいたが、そろそろ満ち潮になる、と時計を見ながら清四郎が声を掛けた。 磯遊びに夢中の悠理は、まだ岩場から戻って来ていない。 お守り役の魅録が呼びに行こうとした。 その時、
「あっ、いたた・・。 貝殻で足、切っちゃったみたい。 魅録、車に救急箱入ってたわよね。一緒に取りに行ってくれない。」 「え・・・、ああ、いいぜ。」 普段ならケガの手当てなどは清四郎の役目なのだが、可憐は魅録を指名した。 確かに車のキーを持っているのは魅録なのだけれど。
「悠理は清四郎に任せておけば大丈夫だよね。 じゃあ、僕、野梨子と帰るからさ。」 美童はそう言いながら、すでに野梨子の手を引いている。 「そうだな、じゃ、清四郎、悠理を頼むな。俺達は手当てするから先に帰ってるぜ。」 そう言うと4人はホテルへ向かって砂州を帰り始めた。
「分かりました。じゃあ美童、野梨子を頼みます。」 なんとなく会話に不自然さを感じた清四郎だったが、別に断る理由もなく、それに従うことにした。
岩場に回り、しゃがみ込んでいる悠理を見つけ、声を掛ける。 「悠理、何かいましたか?」 「あ、清四郎・・・? 見て、ここ。」 悠理が指差した先は、岩場にできた水溜り。 小さな魚が2匹、取り残されているようだ。 「これ、このままで大丈夫かな? 海に返してあげた方がいいのかな?」 悠理は心配そうに魚達を見ている。
清四郎はふっと微笑むと悠理の頭に手を置いた。 「大丈夫ですよ。その水溜りはそんなに水が減っている訳でもないですし、じき満ち潮ですからね。」 「そっか、良かった。」 悠理は顔を上げて、へへっと笑う。 「と、言う訳で、そろそろ陸の方に戻らないと、今度は僕達が取り残されますよ。」
「えっ、そうなの。みんなは?」 「もう、戻って行きましたよ。さっき声かけたでしょう?」 「えへへ、聞いてなかった・・・。」 コツンと悠理の頭を叩くと清四郎は岩場を帰り始めた。
満ち潮は思いの他早く、岩場を歩いている二人の足元にも波しぶきがかかるようになっていた。 「悠理、急ぎましょう。」 清四郎が振り返って促すが、悠理は海岸線を振り仰ぎ、立ち止まってどこか一点を見つめている。 「悠理!」 「うん、今行く。」
二人で砂州を渡る。 波打ち際のように、もう足元まで水が来ていた。 「悠理、ほら。」 思わず清四郎は悠理に手を差し出した。 「大丈夫だよ。これくらい・・・おわっ」 言った途端、こけに覆われた石に足を滑らせ、清四郎に支えられた。 「えへ、ありがと・・」 それからは悠理も清四郎の手を、ぎゅっと握って歩いた。 何とか渡りきれて後ろを振り返ると、今まであった道が見る間に海に沈んでいった。
ほっとしていると、悠理が清四郎の手を振り解き、三四郎島の対岸にある岩場に上り始めた。 清四郎が怪訝な顔をして声を掛ける。 「悠理、そっちからじゃホテルに帰れませんよ。」 聞いているのかいないのか、悠理はずんずんと登って行く。 「しょうがないですね・・・。」 と、言いつつ清四郎は後を追った。
悠理は岩場を二つほどよじ登り、見晴らしの良さそうな場所に立っていた。 「どうしたんですか?こんな所に登ってきて。」 後ろから問いかける清四郎の方を振り返りもせず、悠理は目の前を指さす。
「見て、こんなとこにお稲荷さんがあるんだよ。」 確かに、小さなお稲荷さんがそこにあった。 「さっき、島から鳥居が見えたんだ。」 「本当だ。三四郎島の方に向いて建ってますね。 何かいわくがあるんでしょうかね。」
石でできた小さな祠に、木製の赤い鳥居。 いつ建てられたのだろうか、随分古そうなことは解る。 海に面しているせいか、所々塗装もはげ、木材も欠けている。 石でできたお稲荷さんが一体だけ、淋しそうに立っていた。 本当なら狛犬のように『阿・吽』二体あるものだが、台座にその姿は無い。
「あれ、普通はペアでいるもんだよな。」 悠理がお稲荷さんを見ながら尋ねる。 「そうですね。 一般的には右側が『阿(あ)』で、雄。 左側が『吽(うん)』で雌だったと思います。子どもを抱いていることもありますよね。 まあ、何十体と奉っている所も有りますけど、ここのは台座が残っているから、無くなってしまったんでしょうね。」
もしかしたら、その辺に落ちていないかと悠理が回りを見まわす。 「そっか、左側が残ってるからこっちは雌なんだな。 なんか、一人ぽっちでかわいそうだね。」 特に手入れされている訳でもなく、由来なども無かったことから、 単なる信仰の証として置かれている物だろうと解釈した。
「ぶえーっくしょんっ」 悠理が派手なくしゃみをした。ブルりと震え、肩を抱いている。 「うー、なんか寒い。」 「海風が吹いてますしね、さっき足も濡らしたでしょう。 早く温泉に入って暖まった方がいいですよ。」 清四郎が風からかばうように悠理の後ろに立つ。 「そーだ、温泉、温泉! じゃ、さっさと帰ろうぜ。 ほら!早く行こう。」 と、言いながら悠理は、もと来た道をまるで猿のように飛び跳ねて戻って行った。
「全く・・・、誰が寄り道したんですかねえ・・。」 溜息をつきながら、清四郎も後を追ってホテルへと向かった。
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ロビーで待っていた4人と合流し、部屋へと案内される。 今回の部屋はグループ旅行者の為のような部屋で、8畳の和室が二間と広いリビングコーナーがあり、バス・トイレがそれぞれ2つずつ付いていた。
このホテルの自慢である最上階の展望風呂は、晴れていればさぞ見事な景色だったであろうが、今日はあいにくの薄曇り。 残念ながら夕陽は見えなかったが、茜色にそまった空と雲が不思議な景観を作っていた。 「なんか自然の作り出す物って、きれいねえ。」 可憐がうっとりと空を見上げている。 展望風呂からは西伊豆の海が一望でき、先程の三四郎島も海に浮かんでいた。
夕食には山海の幸が、これでもかというくらい御膳に並んだ。 女将の紹介ということもあり、特別料理と美味しい地酒も供された。 可憐、野梨子、美童はワインを楽しみ、清四郎、魅録、悠理は地酒を飲んだ。
9時半を過ぎた頃、酒に強い悠理が珍しくうつらうつらしてきた。 座椅子の上で膝を抱え頭を乗せている。 「珍しいな、こんな時間から悠理が寝るなんて。」 杯を重ねながら魅録がつぶやく。 「そうですね。疲れたんですかね。」 「そういえば、さっきくしゃみ連発してたな。風邪でもひいたか?」 清四郎は丹前を出してきて、悠理の肩にかける。 「そうかもしれませんね。やはり泳ぐには早すぎたんでしょう。 風邪薬は持って来てますから、調子が悪いようだったら飲ませますよ。」
10時になると頼んでいた夜食が届いた。悠理の為の物だ。 梅雨時ということもあり、出されたのは酢飯を使ったお稲荷さんや太巻など、自家製のおいしそうな漬物も添えられていた。 それらが届くと、寝ていた悠理が目を開け、鼻をくんと鳴らした。 「すげーな、ほんと食い物には敏感だよな。」 魅録と清四郎は苦笑い。
悠理は声も発さず舌なめずりすると、いきなりお稲荷さんを手掴みで食べ始めた。 それに目を剥いて怒ったのは女性二人。 「ちょっと悠理、何やってんの。手がべたべたになるわよ。」 「悠理!はしたないですわよ。ちゃんとお箸をお使いあそばせ。 さっきあんなに召し上がったのに、そんなにお腹がすいてたんですの?」 そんな二人の言葉にも悠理の勢いは止まらない。 まさに目の色を変えて、お稲荷さんを頬張っている。 回りの声も耳に届いていないようだ。 あっけにとられた5人が悠理の行動を見守っている内に、悠理はお稲荷さんを食べつくしてしまった。 そうして手についた油をペロペロと舐め取ると、みんなには目もくれず、一つ伸びをするとまた丸くなって寝てしまった。
「なんだか悠理、ちょっとおかしくない?」 真ん丸くなって眠る悠理を見ながら可憐が言う。 「確かにおかしかったですね。」 あごに手を当て考える清四郎。 「・・・なんだか人間じゃないみたいだったね。」 美童の一言に皆は頷いた。 「これはやっぱり・・・。」 魅録が意味ありげな視線を清四郎に投げる。 「やっぱり・・・、何かに憑かれたんでしょうね。」 5人は一斉にため息をついた。
「まったく、何回憑かれれば気が済むんでしょうね。まだお盆じゃないんですがね・・・。 そういえば、ホテルに戻る前に悠理が岸壁にお稲荷さんを見つけて見に行ったんですよね。」 「え、それじゃあ狐憑きってこと?」 可憐が蒼ざめながら聞く。 『狐憑き』という言葉には、あまり良いイメージは無い。 「でも、お稲荷さんだったら、そんなに悪さはしないと思いますわ。」 野梨子が自分自身に言い聞かせるように言う。 清四郎もその言葉に頷いている。 「見たところ動物霊のようですし、先程寄ったお稲荷さんの可能性が高いと思います。 あまり禍禍しい感じもしませんし、単にいたずら好きの狐かもしれません。東京に戻ってもこのままだったら、知り合いの霊媒師に連絡を取ってみますよ。」 確かに悠理の様子は恐いというよりかわいいという感じだった。
楽しい宴会も、悠理の憑き物騒ぎで続ける気分でも無くなり、早々に寝ることにした。 こんな時は6人一緒に寝ることも珍しくない。 今回は続き部屋の襖を開けたまま寝ることとなった。 悠理を端の布団に運び、その隣に可憐、野梨子。 悠理の向かい側に清四郎、その隣に魅録、美童と6人が頭を付き合わせて寝る形になった。
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深夜、寝返りを打とうとした美童は何かに髪を引っ張られ、寝返りが打てなかった。 どうも誰かが美童の髪を踏んでいるようだ。 (「もおー、誰だよ。」) 美童の隣は魅録だったはず。 (「髪が痛んじゃうじゃないかー。」) 痛みが出ないようにそっと頭を浮かして見ると、そこには茶色いふわふわした髪が見えた。 (「えっ、悠理?」) 悠理は美童から一番遠くに寝ていたはずだ。 確かに悠理の寝相は良くないが、ここまでは普通来ないだろう。 美童は手を伸ばし、魅録の布団を引っ張った。
起こされた魅録は寝ぼけ眼で辺りを見回す。 「うーん、なんだあ?」 「魅録、魅録、ちょっと、これどうにかしてよ。」 困惑した美童の声がする。 ふと横を見ると美童の枕元に、美童の髪に摺り寄るようにして、悠理が丸まって寝ている。
二人の気配に清四郎が目を覚ました。 「どうしたんですか?・・・って悠理じゃないですか。 なんでこんな所で寝てるんですかねえ。」 「なんか美童の髪に頬擦りしてるぜ。」 「美童の髪がキツネの尻尾にでも思えたんでしょうかね。」 「なんだよ、それ。失礼だな。 でも、これってまだ憑いてるってことだよね。早く悠理をどかしてよ。」 悠理の意味不明な行動は超常現象のせいだ。美童が情けない声を出し、上目遣いで助けを求める。 「悠理、起きろ。悠理。」 清四郎が体を揺すってみるが、悠理は寝息をたてるばかりで起きる気配は無い。いつも霊に憑かれると体力を消耗し爆睡する悠理だ。無理も無い。
清四郎は痛がる美童に気を使いながら、悠理の手から美童の髪を抜いた。 そうして悠理を抱き上げると、悠理の布団まで運ぶ。 そっと寝かせ、離れようとしたその時、浴衣の前身ごろを引っ張られ清四郎はバランスを崩した。 危うく悠理の上に乗りそうになったが、なんとか手をついて体を支える。 何時の間にか悠理が清四郎の浴衣の胸元を握り締めていた。 「ちょっ、ちょっと悠理、離して下さいよ。」 肩を揺するが、目を覚ますどころか、悠理は清四郎の胸元をさらに引っ張る。あまり体を離そうとすると肌蹴てしまいそうだ。
変な体勢でもがいている清四郎の様子を、美童と魅録が見に来る。 「あらら〜、しょうがないから、そのまま横に寝てあげれば?」 あくびをしながら美童が言う。 「何、言い出すんですか。早く悠理を離して下さいよ。」 魅録が悠理の手を取ろうとするが、すぐに諦める。 「ん〜、がっちり掴んじゃってるな〜。 下手に剥がそうとしたら爪傷めそうだぜ。親に甘えてるみたいだし、このままでいいだろ。」 「魅録までそんな無責任なことを。」 「ま、俺は明日も運転があるからもう寝かしてもらうからな。」 「じゃあ僕も。 あ、清四郎、・・・・・襲っちゃダメだよ。」 魅録も美童もそう言うとさっさと寝てしまった。 こんなことなら美童を助けるんじゃなかったと清四郎は後悔した。
もう一度肩を揺すってみたが、悠理が目覚める気配も無く、清四郎もあきらめてそのまま寝ることにした。 左腕を伸ばし頭を乗せ、右手は身じろぐ悠理を布団の上から宥めるようにとんとんと撫でる。
いつも大声で笑い、怒り、泣き、喜ぶ悠理。その様は無垢な子どもそのものだ。 胸元で丸くなって眠る悠理が、いつもよりかわいく思えてしまう。 『動物の赤ちゃんは、親に愛されるために神様が可愛く作ってくれた』などと、どこかで読んだ本の一説を思い出し、妙にほっこりした気持ちで清四郎も眠りについた。
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